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2023年4月11日 (火) 01:13時点における版
2014年 | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | アローヨ(現: プエルトリコ自治連邦区) |
生年月日 | 1951年2月15日(73歳) |
身長 体重 |
175 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 左翼手 |
プロ入り | 1969年 |
初出場 |
MLB / 1973年9月4日 NPB / 1980年4月5日 |
最終出場 |
MLB / 1977年9月25日 NPB / 1985年10月22日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
| |
指導歴 | |
この表について
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シリロ・クルーズ・ディラン(Cirilo "Tommy" Cruz Dilan、1951年2月15日 - )は、プエルトリコ出身の元プロ野球選手(外野手)。
兄にホセ・クルーズ(元ヒューストン・アストロズほか)、弟にヘクター・クルーズ(元読売ジャイアンツ)がおり、「クルーズ三兄弟」と呼ばれた。
経歴
1980年に日本ハムファイターズに入団。来日1年目から打率.309、26本塁打、84打点の好成績を記録。翌1981年もチームのリーグ優勝に貢献。西武とのパシフィック・リーグプレーオフでは1勝3敗で敗れたが第2戦で工藤公康から同点タイムリー、第3戦で杉本正から先制タイムリー、第4戦で東尾修から2ラン本塁打を放つなど活躍した。1984年には打率.348、29本塁打、96打点を記録し、ベストナインに選ばれる(この年に三冠王を獲得したブーマー・ウェルズ(阪急)とタイトル争いをするほどだった)。同年のオールスターゲーム第3戦では、江川卓の「8連続奪三振」の8人目の打者となった。1985年にも打率3割を記録したが、契約で揉めて退団となった。
在籍時は3番クルーズ、4番トニー・ソレイタ、5番柏原純一(柏原とクルーズは入れ替えで3・5番を務めた)のクリーンナップを組んだが、ソレイタや柏原は後にクルーズについて「私生活では良い奴であり、野球では一切、自分に妥協を許さなかった選手」と語っている。
顔面に死球を食らって大出血、担架と救急車で球場を後にしたこともある。しかし、顔を7針縫ったにもかかわらず、翌日の試合にスタメン出場し、猛打賞を記録した。当時の監督大沢啓二のお気に入りだったことも伝えられている。
メジャーリーグでは7試合出場にとどまったが、日本では実働6年間のうち退団する1985年までで4回も3割以上の打率を残し、さらに通算打率.310、通算120本塁打を打った。また、三振が非常に少ない打者であった。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1973 | STL | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- |
1977 | CWS | 4 | 2 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
1980 | 日本ハム | 127 | 513 | 488 | 62 | 151 | 27 | 3 | 26 | 262 | 84 | 4 | 4 | 1 | 2 | 20 | 0 | 2 | 44 | 14 | .309 | .338 | .537 | .875 |
1981 | 116 | 502 | 465 | 65 | 138 | 30 | 2 | 18 | 226 | 75 | 2 | 1 | 0 | 3 | 32 | 2 | 2 | 36 | 10 | .297 | .343 | .486 | .829 | |
1982 | 125 | 507 | 477 | 55 | 128 | 24 | 1 | 17 | 205 | 67 | 1 | 1 | 1 | 4 | 22 | 3 | 3 | 39 | 21 | .268 | .302 | .430 | .732 | |
1983 | 113 | 482 | 434 | 34 | 139 | 21 | 1 | 11 | 195 | 74 | 2 | 1 | 0 | 6 | 39 | 0 | 3 | 32 | 10 | .320 | .376 | .449 | .825 | |
1984 | 124 | 527 | 489 | 66 | 170 | 36 | 2 | 29 | 297 | 96 | 0 | 1 | 0 | 5 | 33 | 6 | 0 | 37 | 12 | .348 | .385 | .607 | .992 | |
1985 | 107 | 464 | 427 | 63 | 137 | 17 | 2 | 19 | 215 | 70 | 0 | 0 | 0 | 5 | 32 | 3 | 0 | 32 | 11 | .321 | .364 | .504 | .868 | |
MLB:2年 | 7 | 2 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
NPB:6年 | 712 | 2995 | 2780 | 345 | 863 | 155 | 11 | 120 | 1400 | 466 | 9 | 8 | 2 | 25 | 178 | 14 | 10 | 220 | 78 | .310 | .351 | .504 | .855 |
- 各年度の太字はリーグ最高
表彰
- NPB
記録
- NPB初記録
- 初出場・初先発出場:1980年4月5日、対西武ライオンズ前期1回戦(後楽園球場)、3番・右翼手として先発出場
- 初安打:1980年4月8日、対阪急ブレーブス前期1回戦(阪急西宮球場)、2回表に山下浩二から
- 初本塁打・初打点:1980年4月21日、対南海ホークス前期4回戦(大阪球場)、5回表に杉田久雄から2ラン
- NPB節目の記録
- NPBその他の記録
- オールスターゲーム出場:2回 (1982年、1984年)
背番号
- 17 (1973年)
- 25 (1977年)
- 44 (1980年 - 1985年、2018年)
- 42 (2016年 - 2017年)
- 3 (2020年)
脚注
関連項目
- メジャーリーグベースボールの選手一覧 C
- プエルトリコ出身のメジャーリーグベースボール選手一覧
- 中南米出身の日本プロ野球外国人選手一覧#プエルトリコ
- 北海道日本ハムファイターズの選手一覧
- 兄弟スポーツ選手一覧
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 個人年度別成績 トミー・クルーズ - NPB.jp 日本野球機構