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== 治世 ==
ラムセス12世が在位した時、エジプトは政治的・経済的に衰退していた。[[海の民]]が東地中海沿岸地域へ攻撃を仕掛け<ref>Wilkinson, T. The Rise and Fall of Ancient Egypt. New York: Random House, 2010. p. 377.</ref>、政治情勢は不安定であり、反乱も発生する<ref name=":1">Ritner, R. K. The Libyan Anarchy: Inscriptions from Egypt's Third Intermediate Period. Atlanta: Society of Biblical Literature, 2009. pp. 18-19.</ref>など国外・国内双方の問題に直面していた。このことにより、ラムセス12世の治世はほとんど知られていない<ref name=":2">Shaw, I. The Oxford History of Ancient Egypt. Oxford: Oxford University Press, 2000. p. 327.</ref><ref name=":3">Grimal, N. A History of Ancient Egypt. Oxford: Blackwell Publishing, 1992. p. 372.</ref>。数少ないラムセス12世の治世の記録の一つは、リビア人に対する軍事作戦である。カルナック神殿に刻まれている記録<ref>Kitchen, K. A. Ramesses XII: A King of the Late Twentieth Dynasty, 1982, pp. 158-160.</ref>によると、「南の王子」という人物<ref name=":2" />が軍を率い、リビア人を打ち負かすことに成功したという<ref name=":1" />。また、ウシャブティや象牙と金で細工された木製の箱にラムセス12世の名前が記載されている<ref>Tyldesley, J. Chronicle of the Queens of Egypt. London: Thames & Hudson, 2006. p. 166.</ref>。

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== 墓 ==
ラムセス12世の墓は王家の谷にあるが、未完成で古代に盗掘されていた。墓はのちに複数の司祭を含む個人の埋葬場所として再利用されていた。しかし、まだ墓の内部の装飾と文字はいまだその状態を留めており<ref>Strudwick, N. Thebes in Egypt: A Guide to the Tombs and Temples of Ancient Luxor. London: British Museum Press, 1999. p. 122.</ref>、当時の葬送習慣と芸術文化への貴重な例となっている<ref>Troy, L. Patterns of Queenship in Ancient Egyptian Myth and History. Uppsala: Uppsala University, 1986. p. 122-123.</ref>。

== 出典・参考文献 ==
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2023年3月31日 (金) 15:03時点における版

ラムセス12世 (? - 紀元前1070年頃)は、古代エジプト第20王朝最後のファラオ(在位: 紀元前1110年 - 紀元前1070年頃)。ラメセス12世とも。30年在位した父ラムセス11世の後を継ぎ即位した。即位名は「ラーの正義は力強し。ラーに選ばれし者」を意味するウセルマアトラー・セテプエンラー[1]

治世

ラムセス12世が在位した時、エジプトは政治的・経済的に衰退していた。海の民が東地中海沿岸地域へ攻撃を仕掛け[2]、政治情勢は不安定であり、反乱も発生する[3]など国外・国内双方の問題に直面していた。このことにより、ラムセス12世の治世はほとんど知られていない[4][5]。数少ないラムセス12世の治世の記録の一つは、リビア人に対する軍事作戦である。カルナック神殿に刻まれている記録[6]によると、「南の王子」という人物[4]が軍を率い、リビア人を打ち負かすことに成功したという[3]。また、ウシャブティや象牙と金で細工された木製の箱にラムセス12世の名前が記載されている[7]

ラムセス12世は力を持ち富んでいたアメン大司祭国家を制御できず、結果として王朝の力は弱体化したと考えられている[1]。ラムセス12世は有名な建築物を残しておらず、また彼の名前は大体の場合碑文から削除されている。これは、ラムセス12世があまり影響力がなく、成功したファラオではなかった可能性を示している[5]。ラムセス12世の後は複数の短命な王が継いだ。ラムセス12世は古代エジプトの歴史の中では比較的目立たない人物が、彼の治世に新王国時代が終了し、第3中間期が始まったということで特筆すべき人物である[8][9]

ラムセス12世の墓は王家の谷にあるが、未完成で古代に盗掘されていた。墓はのちに複数の司祭を含む個人の埋葬場所として再利用されていた。しかし、まだ墓の内部の装飾と文字はいまだその状態を留めており[10]、当時の葬送習慣と芸術文化への貴重な例となっている[11]

出典・参考文献

  1. ^ a b Dodson, A. and Hilton, D. The Complete Royal Families of Ancient Egypt, 2nd Ed. London: Thames & Hudson, 2004. p. 200.
  2. ^ Wilkinson, T. The Rise and Fall of Ancient Egypt. New York: Random House, 2010. p. 377.
  3. ^ a b Ritner, R. K. The Libyan Anarchy: Inscriptions from Egypt's Third Intermediate Period. Atlanta: Society of Biblical Literature, 2009. pp. 18-19.
  4. ^ a b Shaw, I. The Oxford History of Ancient Egypt. Oxford: Oxford University Press, 2000. p. 327.
  5. ^ a b Grimal, N. A History of Ancient Egypt. Oxford: Blackwell Publishing, 1992. p. 372.
  6. ^ Kitchen, K. A. Ramesses XII: A King of the Late Twentieth Dynasty, 1982, pp. 158-160.
  7. ^ Tyldesley, J. Chronicle of the Queens of Egypt. London: Thames & Hudson, 2006. p. 166.
  8. ^ Kitchen, K. A. The Third Intermediate Period in Egypt (1100-650 BC). 2nd Ed. Warminster: Aris & Phillips, 1996. p. 272-274.
  9. ^ Redford, D. B. The Oxford Encyclopedia of Ancient Egypt, Volume 3. Oxford: Oxford University Press, 2001. p. 33-34.
  10. ^ Strudwick, N. Thebes in Egypt: A Guide to the Tombs and Temples of Ancient Luxor. London: British Museum Press, 1999. p. 122.
  11. ^ Troy, L. Patterns of Queenship in Ancient Egyptian Myth and History. Uppsala: Uppsala University, 1986. p. 122-123.