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「ブレイブ・ブラザーズ」の版間の差分

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== 経歴 ==
== 経歴 ==

2023年2月19日 (日) 08:51時点における版

Brave Brothers
基本情報
出生名 カン・ドンチョル(강 동철)
出身地 大韓民国の旗 韓国
ジャンル
職業
活動期間 2002年 -
事務所
公式サイト bravesound.com
Brave Entertainment
YouTube
チャンネル
活動期間 2011年 -
ジャンル 音楽
登録者数 約46万人
総再生回数 約2億6940万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2022年9月時点。
テンプレートを表示

Brave Brothers(ブレイブ・ブラザーズ、: 용감한 형제(ヨンガマン・ヒョンジェ)、1979年6月7日 - )は、韓国音楽プロデューサー作曲家シンガーソングライター、元子役Braveエンターテインメント代表。本名はカン・ドンチョル。

経歴

幼少期より芸能界にて活動し、小学生時は子役として活動していた[1]。音楽に関しては本格的な音楽教育を受けた事がなく、独学で習得していった[2][3][4]

10代時は家庭の問題から素行不良となり、暴力団と関係を持ち、前科12犯であった[3][4]。高校を中退し、両親の前で逮捕され、17歳で少年院に入所し、その後も2年半の保護観察となった[5][6]

その後、音楽の支えもあった事で更生し、兄の支えを受けながら兄とヨンガマン・ヒョンジェ(용감한 형제、Brave Brothers)としてミュージシャン活動を開始した[2][3][4][5][6][7]

2002年にYGエンターテインメントに所属したが[2][8]、ミュージシャン活動は楽な物ではなく、生活苦となり、制作者へ方向転換を行った[1]。音楽知識が無かったが、作曲は独学で身に付け、学べる物は何でも身に付けて吸収していった[2]。カンが制作活動で多忙となったため、兄は音楽活動を停止し、カンの生活費などを支えるなどカンを応援し続けた[3][4][5][6][7]。そのため、その頃からカンが1人でBrave Brothersの名前を使い続けている[3][4][5][6][7]。その後は専属作曲家として様々なミュージシャンに楽曲を提供し、積極的に制作活動を行い続けた[1]

2008年にBraveエンターテインメントを設立して代表に就任。ソン・ダムビの『Crazy (미쳤어)』をヒットさせて知名度を広げ[7]、その後も楽曲提供を行っていくなど躍進を続けて事業を拡大していき、2009年8月18日に自身によるシングル『Attitude』をリリース。その後はBraveエンターテインメントより自身によるプロデュースグループであるElectroboyzBrave GirlsBIGSTAR1PUNCHDKBをデビューさせ、BIGSTARは2014年に韓国ミュージシャン史上初の日本国内100回連続コンサートを記録し[9]、2016年にはCHERRSEE(日本のグループ)のプロデュースを行なった[10]

人物

  • Brave Brothersの韓国語表記である「용감한 형제」(ヨンガマン・ヒョンジェ)は「勇敢な兄弟」という意味。強固な意志を持った人物であり、基本や基礎を大事にしており、その上で「絶対にやってやるんだ」「絶対に勝ちぬく」「始めたばかりの頃は狂ったように努力する」ということを大事にしている[10][11]
  • 作曲は独学で身に付け、学べる物は何でも身に付けて吸収していった[2]コードの知識が無く、楽譜も見ないと語っており、作曲はインスピレーションなどのフィーリングで行っていると語っている[3][4]
  • Brave Brothersは日本との関係があり、元々はヒップホップを中心に制作を行なっていたが、日本滞在時でのエレクトロミュージックとの出会いをきっかけに方向性が変わり、ポップにエレクトロミュージックを組み合わせて制作するようになり、ヒップトロニカという音楽ジャンルを確立させた[12]。音楽性に関しては着飾った表現よりストレートで刺激的な表現やパワフルなサウンドを好んでいる[12]。流行りに流されることを危惧しており、歌の上手い歌手ばかりになってしまうと音楽シーンは駄目になってしまい、聴かせる歌手・ダンス歌手・アイドル歌手など多様なジャンルの歌手が上手く融合している状態がベストであり、ブームに流されずにきちんと曲を作っていく必要があると語っている[12]。また切実な気持ちで制作すると偶然ではない成功に繋がるという趣旨を語っている[2]
  • ハードワーカーであり、2013年に2週間以上スタジオから出ずに昼夜作業を続けた激務により、9月10日に気絶し、倒れて病院に搬送された[13]
  • 2016年の取材にて[11]、2014年の『YG FAMILY WORLD TOUR』日本初公演が初来日となり、その後は数え切れないほど来日していると語っている。しかし2014年以前である2011年10月13日の取材の時点で過去の来日経験を既に語っていて矛盾しており[12]、詳細は不明。
  • 好物は日本のカレーであり、CoCo壱番屋が好きな店である[11]

作品

シングル

総:総合、イ:インディーズ、メ:メジャー、配:配信限定。
No. タイトル リリース日 収録曲 備考
1 1 Passionate 2009年12月8日
2 2 슬픈 음악 2010年4月2日
3 3 Beautiful Girl 2011年2月10日
4 4 Break Up 2011年7月14日
5 5 Morning Noon Evening (아침 점심 저녁) 2015年3月13日

アルバム

総:総合、イ:インディーズ、メ:メジャー、配:配信限定。
No. タイトル リリース日 収録曲 規格品番 備考
1 1 Attitude 2009年8月18日 L100003864
2 2 The Classic 2010年9月3日 KTMCD0092

プロデュース

提供

統括プロデュース

受賞歴

  • 2011年 - 第19回韓国文化芸能大賞

脚注

  1. ^ a b c 韓国の芸能事務所のBRAVEエンターテインメントについて教えてください : 韓国おもしろQ&A; - もっと! コリア (Motto! KOREA)”. web.archive.org (2022年10月14日). 2022年10月14日閲覧。
  2. ^ a b c d e f [노래 인생 용감한형제 “킬러 콘텐츠 제작에 목말라있다”]”. web.archive.org (2022年10月14日). 2022年10月14日閲覧。
  3. ^ a b c d e f Brave Brothers: "I don't know how to read music" | allkpop”. web.archive.org (2020年11月12日). 2022年10月14日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 용감한형제, “악보 볼 줄 모른다” :: 네이버 TV연예”. web.archive.org (2022年10月14日). 2022年10月14日閲覧。
  5. ^ a b c d Brave Brothers and Shinsadong Tiger reveal their surprising pasts | allkpop.com”. web.archive.org (2016年9月18日). 2022年10月14日閲覧。
  6. ^ a b c d 용감한 형제 "17살 때 소년원行.." 충격 과거 고백 :: 네이버 TV연예”. web.archive.org (2022年10月14日). 2022年10月14日閲覧。
  7. ^ a b c d 내가 미쳤어, ‘후크송’에 빠졌어 : ESC : 특화섹션 : 뉴스 : 한겨레”. web.archive.org (2017年9月22日). 2022年10月14日閲覧。
  8. ^ 誰もが知っている名曲ばかり!KPOPを支える超ヒットプロデューサー | 女性自身”. web.archive.org (2020年8月5日). 2022年10月14日閲覧。
  9. ^ BIGSTAR、日本で異例の大記録!韓国歌手初の100回連続コンサートを開催 - Kstyle”. web.archive.org (2021年10月22日). 2022年10月14日閲覧。
  10. ^ a b 日本ガールズグループCHERRSEEをプロデュース!勇敢な兄弟「最初は僕のことを多少怖がっていた」 - Kstyle”. web.archive.org (2021年12月2日). 2022年10月14日閲覧。
  11. ^ a b c 芸能人 著名人のインタビューが盛りだくさん! | ダイヤモンドブログオフィシャルブログbyダイヤモンドブログ » 『勇敢な兄弟』カン・ドンチョル氏 独占インタビュー”. web.archive.org (2021年12月2日). 2022年10月14日閲覧。
  12. ^ a b c d K-POP仕掛人に聞こう!~プロデューサー編~ | K-POP入門 | 韓国文化と生活|韓国旅行「コネスト」”. web.archive.org (2021年10月25日). 2022年10月14日閲覧。
  13. ^ 勇敢な兄弟、Electroboyzの新曲作業中に救急救命室に運ばれる“極度の疲労から…” - Kstyle”. web.archive.org (2021年11月17日). 2022年10月14日閲覧。

外部リンク