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[[愛媛県]]生まれ。[[東京大学大学院総合文化研究科・教養学部|東京大学教養学部]][[教養学部|教養学科]]卒業。大学時代[[東京大学運動会ア式蹴球部|ア式蹴球部]]に所属していた<ref>{{Cite web |title=OB訪問 {{!}} 東京大学運動会ア式蹴球部 |url=https://todai-soccer.com/2019/03/08/20160324visitob/ |date=2019-03-08 |accessdate=2022-03-18 |language=}}</ref>。[[1985年]] [[大蔵省]]入省([[財務省大臣官房#秘書課|大臣官房秘書課]])<ref name="Shokuinroku(P494)">『職員録 第1部』大蔵省印刷局、1987年発行、494頁</ref>。[[1986年]]5月 大臣官房秘書課調査係長心得<ref name="Shokuinroku(P494)"/>。[[1987年]]から[[1989年]]まで英国[[ケンブリッジ大学]]留学。英国の経験を基に[[イギリスの政治|イギリス政治]]に関する著作を出版している<ref>{{Cite web |title=イギリス政治システムの大原則 / 田中琢二著 第一法規 |url=https://www.daiichihoki.co.jp/store/products/detail/100524.html |website=www.daiichihoki.co.jp |accessdate=2022-03-18}}</ref>。1989年から[[1991年]]まで[[財務省国際局|国際金融局]]国際機構課通貨基金係長として[[国際通貨基金|IMF]]を担当<ref>{{Cite book|和書|title=IMFハンドブック|year=1991|publisher=年金研究所}}</ref><ref name="Ōkurashōshokuinroku <1991>">『大蔵省職員録 1991年版』[[大蔵財務協会]]、1990年10月発行、10頁</ref>。1996年6月 [[日本たばこ産業|JT]]株式の売却にあたり、民営化株式としては初めて海外売出しを行ったときの担当者<ref>{{Cite web |title=Goldman Sachs {{!}} Commemorates 150 Year History - Firm Breaks New Ground With Japan Tobacco Global Equity Offering |url=https://www.goldmansachs.com/our-firm/history/moments/1996-japan-tobacco-offering.html |website=Goldman Sachs |accessdate=2022-03-18 |language=en-US}}</ref>。その後は、[[主計局]]調査課課長補佐、科学技術、建設・公共事業[[主査#国|主査]]。1999年から2002年までニューヨーク領事館兼NY大蔵省事務所次長。[[アメリカ同時多発テロ事件|9.11]]を直に経験した。[[2002年]][[7月25日]] [[財務省 (日本)|財務省]][[財務省大臣官房#財務官室|大臣官房秘書課財務官室長]]。[[2003年]][[8月25日]] [[財務省大臣官房#企画調整室|大臣官房文書課企画調整室長]]。2003年9月より[[2005年]]7月まで[[谷垣禎一]][[ |
[[愛媛県]]生まれ。[[東京大学大学院総合文化研究科・教養学部|東京大学教養学部]][[教養学部|教養学科]]卒業。大学時代[[東京大学運動会ア式蹴球部|ア式蹴球部]]に所属していた<ref>{{Cite web |title=OB訪問 {{!}} 東京大学運動会ア式蹴球部 |url=https://todai-soccer.com/2019/03/08/20160324visitob/ |date=2019-03-08 |accessdate=2022-03-18 |language=}}</ref>。[[1985年]] [[大蔵省]]入省([[財務省大臣官房#秘書課|大臣官房秘書課]])<ref name="Shokuinroku(P494)">『職員録 第1部』大蔵省印刷局、1987年発行、494頁</ref>。[[1986年]]5月 大臣官房秘書課調査係長心得<ref name="Shokuinroku(P494)"/>。[[1987年]]から[[1989年]]まで英国[[ケンブリッジ大学]]留学。英国の経験を基に[[イギリスの政治|イギリス政治]]に関する著作を出版している<ref>{{Cite web |title=イギリス政治システムの大原則 / 田中琢二著 第一法規 |url=https://www.daiichihoki.co.jp/store/products/detail/100524.html |website=www.daiichihoki.co.jp |accessdate=2022-03-18}}</ref>。1989年から[[1991年]]まで[[財務省国際局|国際金融局]]国際機構課通貨基金係長として[[国際通貨基金|IMF]]を担当<ref>{{Cite book|和書|title=IMFハンドブック|year=1991|publisher=年金研究所}}</ref><ref name="Ōkurashōshokuinroku <1991>">『大蔵省職員録 1991年版』[[大蔵財務協会]]、1990年10月発行、10頁</ref>。1996年6月 [[日本たばこ産業|JT]]株式の売却にあたり、民営化株式としては初めて海外売出しを行ったときの担当者<ref>{{Cite web |title=Goldman Sachs {{!}} Commemorates 150 Year History - Firm Breaks New Ground With Japan Tobacco Global Equity Offering |url=https://www.goldmansachs.com/our-firm/history/moments/1996-japan-tobacco-offering.html |website=Goldman Sachs |accessdate=2022-03-18 |language=en-US}}</ref>。その後は、[[主計局]]調査課課長補佐、科学技術、建設・公共事業[[主査#国|主査]]。1999年から2002年までニューヨーク領事館兼NY大蔵省事務所次長。[[アメリカ同時多発テロ事件|9.11]]を直に経験した。[[2002年]][[7月25日]] [[財務省 (日本)|財務省]][[財務省大臣官房#財務官室|大臣官房秘書課財務官室長]]。[[2003年]][[8月25日]] [[財務省大臣官房#企画調整室|大臣官房文書課企画調整室長]]。2003年9月より[[2005年]]7月まで[[谷垣禎一]][[財務大臣 (日本)|財務大臣]][[秘書官]]事務取扱。2005年[[7月13日]] [[厚生労働省大臣官房]][[総務|総務課]]企画官。[[2006年]][[4月1日]]より[[一橋大学大学院国際企業戦略研究科]]客員教授。[[2007年]]7月13日 [[財務省主税局|主税局]][[参事官#課長級総括整理職|参事官]]。[[2009年]][[7月26日]] (株)[[産業革新投資機構|産業革新機構]]執行役員、後に専務執行役員Co-COOに就任、日本のプライベートエクイティ、ベンチャーキャピタルの育成を推進<ref>{{Cite journal|last=|author=田中琢二|first=|date=2013-06-17|title=総額2兆800億円の投資能力の存在理由 : オープンイノベーションの成功事例を先導的に創出する|url=https://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I024577221-00|journal=金融財政事情|volume=|pages=}}</ref><ref>{{Cite web |title=「日本のエクイティ不足の解消を」 {{!}} 金融ファクシミリ新聞社 |url=https://www.fn-group.jp/2380/ |accessdate=2022-03-18 |language=}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.dbj.jp/topics/dbj_news/2013/files/0000013244_file1.pdf |title=日本政策投資銀行 競争力強化に関する研究会 報告書 |accessdate=2022/03/18}}</ref>。[[2014年]][[7月4日]] 主税局参事官<ref>『人事、財務省』[[日本経済新聞]] 2014/7/5</ref>、国際課税・OECDのBEPSプロジェクトを担当した<ref>{{Cite journal|author=田中琢二、青山慶二|year=2016年|title=BEPS 行動計画について|journal=租税研究|volume=796 号|page=5-57項}}</ref>。[[2016年]][[6月17日]] 大臣官房[[審議官#大臣(長官)官房審議官|審議官]]([[財務省国際局|国際局]]担当)、[[2017年]]7月13日 大臣官房参事官([[財務官 (日本)#副財務官|副財務官]]、大臣官房、国際局担当)。2016年6月から2018年7月まで[[マネーロンダリングに関する金融活動作業部会|FATF]]の日本代表を務めた。[[2018年]][[7月27日]] [[関東財務局#歴代局長|関東財務局長]]<ref>{{Cite web |title=関東の財務局と経産局が連携強化 金融など多面的に中小支援 |url=https://www.sankeibiz.jp/macro/news/181231/mca1812310500007-n1.htm |website=SankeiBiz |date=2018-12-31 |accessdate=2022-03-18 |language=ja |first=SANKEI DIGITAL |last=INC}}</ref><ref>{{Cite news|title=インタビュー:地銀、オープンイノベーションで地域経済に貢献を=関東財務局長|url=https://jp.reuters.com/article/local-banks-idJPKCN1LK0SW|work=Reuters|date=2018-09-04|accessdate=2022-03-18|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web |title=【経団連、財務省・財務局、金融庁、経済産業省】シンポジウム&ミートアップイベント |url=https://goodway.co.jp/fip/htdocs/joq5uyruv-3242/ |website= |accessdate=2019-02-04}}</ref>。[[2019年]]7月 国際通貨基金(IMF)日本代表理事<ref>{{Citation|和書|title=IMF Executive Director for Japan on Japan's partnership with IMF Capacity Development during the pandemic|year=2021/04/18|url=https://www.facebook.com/IMFCapacityDevelopment/videos/310327950454337/|language=|accessdate=}}</ref><ref>{{Cite web |title=現代金融フォーラム {{!}} 研究会 |url=https://www.jsri.or.jp/studygroup/financial_forum/ |website=公益財団法人 日本証券経済研究所 |accessdate=2022-03-18 |language=}}</ref><ref>{{Cite web |title=ローカルとグローバル、地域金融機関とIMF |url=https://store.kinzai.jp/public/item/magazine/A/Z/3329/ |website=store.kinzai.jp |accessdate=2019-12-9 |publisher=きんざい}}</ref><ref>{{Citation|和書|title=Building a Strong Post-Pandemic Recovery: The Role of Capacity Development|year=|url=https://www.youtube.com/watch?v=KFWiRbu0Ov0|language=|accessdate=}}</ref>。2022年財務省大臣官房付、退官、国際通貨基金理事<ref>[https://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/jinjikyoku/106-25-1/pdf/all.pdf 国家公務員法第106条の25第1項等の規定に基づく報告の概要]内閣人事局</ref>。 |
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== 脚注 == |
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2023年1月7日 (土) 06:37時点における版
田中琢二(たなか たくじ、1961年 - )は日本の財務官僚。国際通貨基金(IMF)日本代表理事。関東財務局長、産業革新機構専務執行役員、財務大臣秘書官事務取扱などを務めてきた。
来歴
愛媛県生まれ。東京大学教養学部教養学科卒業。大学時代ア式蹴球部に所属していた[1]。1985年 大蔵省入省(大臣官房秘書課)[2]。1986年5月 大臣官房秘書課調査係長心得[2]。1987年から1989年まで英国ケンブリッジ大学留学。英国の経験を基にイギリス政治に関する著作を出版している[3]。1989年から1991年まで国際金融局国際機構課通貨基金係長としてIMFを担当[4][5]。1996年6月 JT株式の売却にあたり、民営化株式としては初めて海外売出しを行ったときの担当者[6]。その後は、主計局調査課課長補佐、科学技術、建設・公共事業主査。1999年から2002年までニューヨーク領事館兼NY大蔵省事務所次長。9.11を直に経験した。2002年7月25日 財務省大臣官房秘書課財務官室長。2003年8月25日 大臣官房文書課企画調整室長。2003年9月より2005年7月まで谷垣禎一財務大臣秘書官事務取扱。2005年7月13日 厚生労働省大臣官房総務課企画官。2006年4月1日より一橋大学大学院国際企業戦略研究科客員教授。2007年7月13日 主税局参事官。2009年7月26日 (株)産業革新機構執行役員、後に専務執行役員Co-COOに就任、日本のプライベートエクイティ、ベンチャーキャピタルの育成を推進[7][8][9]。2014年7月4日 主税局参事官[10]、国際課税・OECDのBEPSプロジェクトを担当した[11]。2016年6月17日 大臣官房審議官(国際局担当)、2017年7月13日 大臣官房参事官(副財務官、大臣官房、国際局担当)。2016年6月から2018年7月までFATFの日本代表を務めた。2018年7月27日 関東財務局長[12][13][14]。2019年7月 国際通貨基金(IMF)日本代表理事[15][16][17][18]。2022年財務省大臣官房付、退官、国際通貨基金理事[19]。
脚注
- ^ “OB訪問 | 東京大学運動会ア式蹴球部” (2019年3月8日). 2022年3月18日閲覧。
- ^ a b 『職員録 第1部』大蔵省印刷局、1987年発行、494頁
- ^ “イギリス政治システムの大原則 / 田中琢二著 第一法規”. www.daiichihoki.co.jp. 2022年3月18日閲覧。
- ^ 『IMFハンドブック』年金研究所、1991年。
- ^ 『大蔵省職員録 1991年版』大蔵財務協会、1990年10月発行、10頁
- ^ “Goldman Sachs | Commemorates 150 Year History - Firm Breaks New Ground With Japan Tobacco Global Equity Offering” (英語). Goldman Sachs. 2022年3月18日閲覧。
- ^ “総額2兆800億円の投資能力の存在理由 : オープンイノベーションの成功事例を先導的に創出する”. 金融財政事情. (2013-06-17) .
- ^ “「日本のエクイティ不足の解消を」 | 金融ファクシミリ新聞社”. 2022年3月18日閲覧。
- ^ “日本政策投資銀行 競争力強化に関する研究会 報告書”. 2022年3月18日閲覧。
- ^ 『人事、財務省』日本経済新聞 2014/7/5
- ^ 田中琢二、青山慶二 (2016年). “BEPS 行動計画について”. 租税研究 796 号: 5-57項.
- ^ INC, SANKEI DIGITAL (2018年12月31日). “関東の財務局と経産局が連携強化 金融など多面的に中小支援”. SankeiBiz. 2022年3月18日閲覧。
- ^ 「インタビュー:地銀、オープンイノベーションで地域経済に貢献を=関東財務局長」『Reuters』2018年9月4日。2022年3月18日閲覧。
- ^ “【経団連、財務省・財務局、金融庁、経済産業省】シンポジウム&ミートアップイベント”. 2019年2月4日閲覧。
- ^ 『IMF Executive Director for Japan on Japan's partnership with IMF Capacity Development during the pandemic』2021年4月18日 。
- ^ “現代金融フォーラム | 研究会”. 公益財団法人 日本証券経済研究所. 2022年3月18日閲覧。
- ^ “ローカルとグローバル、地域金融機関とIMF”. store.kinzai.jp. きんざい. 2019年12月9日閲覧。
- ^ 『Building a Strong Post-Pandemic Recovery: The Role of Capacity Development』 。
- ^ 国家公務員法第106条の25第1項等の規定に基づく報告の概要内閣人事局