「ロイヤルウイング」の版間の差分
編集の要約なし タグ: モバイル編集 モバイルアプリ編集 |
m Bot作業依頼: 金田一少年の事件簿 (テレビドラマ)の分割に伴うリンク先修正 (金田一少年の事件簿 (松本潤のテレビドラマ)#) - log |
||
158行目: | 158行目: | ||
また、ガレージキットメーカーのFORESIGHTから、キットが発売されたことがある。 |
また、ガレージキットメーカーのFORESIGHTから、キットが発売されたことがある。 |
||
2001年にはテレビドラマ『[[金田一少年の事件簿 (テレビドラマ) |
2001年にはテレビドラマ『[[金田一少年の事件簿 (松本潤のテレビドラマ)|金田一少年の事件簿]]』で外観及び船内が撮影で使用された。 |
||
== ギャラリー == |
== ギャラリー == |
2022年12月8日 (木) 10:15時点における版
ロイヤルウイング | |
---|---|
横浜港大桟橋に接岸中の本船 | |
基本情報 | |
船種 | レストラン船 |
船籍 | 日本 |
運用者 |
関西汽船 日本シーライン ロイヤルウイング |
建造所 | 三菱重工業神戸造船所(第910番船) |
姉妹船 | むらさき丸 |
建造費 | 約10億円[1] |
航行区域 | 平水区域 |
信号符字 | JKVX |
IMO番号 | 5197901 |
MMSI番号 | 431000547 |
改名 | くれない丸(1959-1981) |
経歴 | |
起工 | 1959年8月11日[2] |
進水 | 1959年11月18日[2] |
竣工 | 1960年2月27日[2] |
就航 | 1960年3月6日(関西汽船)[1] |
現況 | 就航中 |
要目 | |
総トン数 |
2,928 トン(竣工時)[3] 2,876 トン(ロイヤルウイング) |
全長 | 86.70 m[3] |
垂線間長 | 80.00 m[2] |
型幅 | 13.40 m[3] |
型深さ | 6.25 m[3] |
機関方式 | ディーゼル |
主機関 | 三菱スルザー6TAD48 2基[3] |
推進器 | 2軸 |
出力 | 5,400 PS[3] |
航海速力 | 19.6 ノット[1] |
旅客定員 | 1113名(竣工時)[2] |
乗組員 | 81名(竣工時)[2] |
ロイヤルウイングは、2022年現在、神奈川県横浜港の大桟橋を拠点として営業しているエンターテイメント・レストラン船。旧船名は「くれない丸」で、元は関西汽船の阪神・別府航路を代表するクルーズ客船であった。本稿では「くれない丸」時代についてもあわせて記述する。
また、株式会社ロイヤルウイングは、神奈川県横浜市中区に本社を置き、同船を運航する企業である。
船歴
建造まで
戦後復興と高度経済成長の流れを受け、阪神・別府航路の乗客数が年々増える中で関西汽船は小型軽量で大馬力な過給器付きディーゼル機関の発達を契機に1956年より新造船計画に着手し1958年に建造計画を発表[1][3]。従来の1000トン級客船「あけぼの丸」「あかね丸」の3倍となる3000総トン級の船体に豪華設備と速度向上を図ったものとした[1][3]。
従来の阪神・別府航路は17時間の所要時間で瀬戸内海を夜間航行する形だったが、本船では瀬戸内海の観光価値を考え多島美を楽しみながら日暮れに別府に到着できるダイヤを見込んだ[1][3]。航海速力は国鉄の急行列車「高千穂」とほぼ対抗可能な14時間20分の所要時間で運航可能な18ノット以上、船体は別府港の施設に対応した垂線間長80m・全長86.7m以下が求められた[3]。
10億円の建造費は荒金啓治別府市長が中心となり日本開発銀行などに要望書を提出し兵庫県や神戸市も陳情に加わり国際的な観光船という点も強調され財政融資が与えられた[1][3]。
新三菱重工業神戸造船所にて1959年7月に進水[1]、1960年竣工。1912年に就航したドイツ製の初代「紅丸」、さらに1928年就航の二代目「くれなゐ丸」の名を受け継ぐ命名となった。
「くれない丸」の名称に逆らってイメージカラーはライトグリーンで、船体下部とファンネル(煙突)は同色に塗装されていた。1960年3月に大阪港 - 神戸港 - 松山港 - 別府港を結ぶ阪神・別府航路(瀬戸内航路)の昼便(時刻表では観光船に分類。運賃に特別料金が発生した)に就航し、9月には同型船「むらさき丸」も就航し観光便は1日1往復体制となった[1]。本船の就航した1960年の阪神・別府航路の乗客数は前年から30万人増の約132万5000人を記録した[1]。
のちに僚船として1963年に「すみれ丸」「こはく丸」[1]、1968年には「あいぼり丸」「こばると丸」が就航し3000トン級客船は最大で6隻体制を誇った。この時期、「くれない丸」他5隻が就航していた阪神・別府航路(瀬戸内航路)は、阪神と九州を結ぶ観光路線として多くの新婚旅行客を別府温泉などへと運んだ[1]。
メインは2人部屋の一等客室であり、客船としては小型ではあるものの豪華で俊足を誇る優秀なクルーズ客船であった。1961年には当時実験途上であった造波抵抗の低減を図るとされるバルバス・バウ(球状船首)のひかえめなプロトタイプが装備され、「むらさき丸」との併走実験も行い、バルバスバウの商業船舶における効果を実証した[3][4]。大阪港 - 別府港の航海時間は、急行列車にも引けを取らないおおむね14時間あまりであった[5]。
船内施設は映画上映やダンスパーティに使用可能な大娯楽室、最上甲板に瀬戸内海の風景を楽しめる展望室、冷暖房の完備、1等室に絨毯敷き廊下といった豪華志向のものとなっており「瀬戸内海の女王」と呼ばれた[1]。
就航後
1960年5月、当時の日本で高い人気があった島津貴子(昭和天皇第5皇女)と島津久永夫妻が、新婚旅行で利用し、その様子が大々的に報じられた[6]。
1964年6月には、河野一郎建設大臣と瀬戸内沿岸の知事・市長らによる「瀬戸内総合開発懇談会」が船上で開催されている[7]。
しかし、長距離フェリーが増加したことに加え、1975年3月の山陽新幹線の岡山駅 - 博多駅間の開業により、阪神・別府航路の利用客は1979年にはピーク時の半分程度となり、「くれない丸」「むらさき丸」の乗船率も25%前後に下落した[8]。また1975年12月の時刻変更で、両船の運行時間が景色を楽しめない夜行便に変更されたことも人気の下落要因として挙げられた[8]。
こうした情勢を受けて1980年に阪神・別府航路はフェリー化されることとなり、7000トン級のカーフェリー「フェリーに志き丸」「フェリーこがね丸」に航路を譲り退役。同航路は産業的輸送路線の色彩を強めた。それらの後続船は搭載されるトラックのドライバー用船室のほか二等客室なども重視される設計となり、阪神・別府航路の格式は変化を余儀なくされた。
くれない丸は阪神・別府航路からの退役後は1981年まで予備船として用いられ[8][1]、その後佐世保重工業に売却される[1]。しばらく係船されたのち、1988年スエヒログループ総帥の吉本日出夫が率いる日本シーラインによってレストランシップに改装され[1]、1989年より横浜港大桟橋を母港としてレストラン船営業を開始。
1994年からは太平洋フェリー傘下の「横浜ベイクルーズ」が運航し[9]、2000年12月には吉本興業が本船を買収し傘下の新会社「ロイヤルウイング」に営業を譲渡[10]、2006年にはモックが子会社化し[11]、2008年5月からはサンリオの子会社となり[12]、現在は藤木企業の子会社として今なお現役を続けている[1]。2019年には建造から60年を迎え、現役で稼働する日本の客船としては最古で、長い就航期間は世界的にも希少と報じられている[13]。
船内
くれない丸
主に日本の工芸美術を取り入れた装飾とした[14]。
- Aデッキ(上部遊歩甲板)[14]
- バー
- 娯楽室
- ロビー - 瀬戸内海の風景をイメージしたつづれ織パネルを取り付けた[14]。
- ラウンジ - 「源氏物語」をテーマとした[14]。
- 1等客室(16人)
- 特別室「東天」「紅」(2名×2室 4人)[14]
- Bデッキ(遊歩甲板)[14]
- ダイニングサルーン - 「日本的」をテーマに近代的様式を取り入れた[14]。
- 喫煙室
- 特別2等室(136人)
- Cデッキ(上甲板)
- 理髪室
- 食堂
- 2等客室(80人)
- Dデッキ(第2甲板)[14]
- 3等客室(595人)
ロイヤルウイング
- Aデッキ(船橋甲板)
- 小型室「カサブランカ」(12名)
- Bデッキ(上部遊歩甲板)
- 大型室「フリージア」(124名)
- 中型室「ラベンダー」(40名)
- Cデッキ
- 大型室「ローズ」(134名)
- 小型室「コスモス」(30名・3分割可能)
- 小型室「マーガレット」(24名)
- Dデッキ(上甲板)
- エントランスホール
- ギフトショップ
- Eデッキ(第2甲板)
- 中型室「カトレア」(88人)
ロイヤルウイングとしてのサービス
- ランチ・ディナークルーズ:2400円
- ティークルーズ:2000円
食事をする場合は、食事代が別途必要である。食事をしない場合はサンデッキの利用となる。バイキングを中心に、飲茶等が用意されている。中国飯店協会より最高料理人の認定を受けた蘇敬梨が総料理長を務める。
基本的に、毎日「ランチクルーズ」「ティークルーズ」「ディナークルーズ(2回)」がある。また、結婚式などの各種貸切プランも用意されている。
その他
「くれない丸」は、「瀬戸内海の女王」とも呼ばれる日本を代表する内航クルーズ客船であったことから、交通博物館の船の歴史コーナーに2代目「紅丸」とともに長らく模型が展示されていた。
関東地区で運航されているクルーズ客船の中では船体が大きい事と、古い時代の姿を残している船として多くのテレビや映画での撮影に用いられている。
また、ガレージキットメーカーのFORESIGHTから、キットが発売されたことがある。
2001年にはテレビドラマ『金田一少年の事件簿』で外観及び船内が撮影で使用された。
ギャラリー
-
横浜ベイブリッジ下を通過
-
夜の運航
-
みなとみらいとロイヤルウイング
-
係留中のロイヤルウイング
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q さんふらわあ今昔物語Vol.6 栄光の別府航路#2 - カジュアルクルーズさんふらわあ
- ^ a b c d e f 甲斐敬二「瀬戸内海航路高速客船くれない丸について」 - 船の科学1960年4月号
- ^ a b c d e f g h i j k l 乾崇夫, 高幣哲夫、「高速客船くれない丸におけるWaveless Bulbの船首波打消しに関する研究」『造船協會論文集』 1961年 1961巻 110号 p.75-89, doi:10.2534/jjasnaoe1952.1961.110_75,
重満通弥, 甲斐敬二、「高速客船くれない丸におけるWaveless Bulbの船首波打消しに関する研究」 『造船協會論文集』 1961年 1961巻 110号 p.91-104, doi:10.2534/jjasnaoe1952.1961.110_91,
高幣哲夫, 乾崇夫、「高速客船くれない丸におけるWaveless Bulbの船首波打消しに関する研究」『造船協會論文集』 1961年 1961巻 110号 p.105-118, doi:10.2534/jjasnaoe1952.1961.110_105 - ^ 波なし船型の研究と"くれない丸"における大型球状船首の実船試験
- ^ 1960年10月当時の時刻表によると、京都駅 - 都城駅間の急行「日向」の大阪駅 - 別府駅間の所要時間は下りが12時間58分、上りが12時間44分であった。
- ^ 森津 2012 p.3
- ^ “結ぶ(14) 第2部「県是」の歩み<5> 【異論】併用なら瀬戸大橋を”. 高知新聞. オリジナルの2013年5月1日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c 朝日新聞大阪版1980年9月22日夕刊
- ^ “【インタビュー】大原正義・横浜ベイクルーズ社長/気軽さ・低料金が魅力”. 日本海事新聞. (1999年5月10日)
- ^ “吉本興業/同社首脳が横浜港でのレストラン船事業の概要を説明”. 日本海事新聞. (2000年12月8日)
- ^ “集客サービスのモックが「ロイヤルウイング」を子会社化”. ヨコハマ経済新聞. (2006年1月18日)
- ^ “ロイヤルウイングでハローキティ本「キティの涙」出版記念クルーズ”. ヨコハマ経済新聞. (2009年12月10日)
- ^ “操舵室などの見学プランをスタート ロイヤルウイング”. 神奈川新聞. (2019年6月24日) 2019年7月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 古屋孝二「くれない丸の船内装飾について」 - 船の科学1960年4月号
参考文献
- 『船の科学』船舶技術協会、1960年4月号 第13巻第4号
- 1989年版『船の科学1』第42巻第1号 p.54
- 『世界の艦船 別冊 日本の客船[2] 1946-1993』海人社、1993年 ISBN 4-905551-45-5
- 『モデルグラフィックス』、大日本絵画、2008年2月号。
- 森津千尋「メディアが描く新婚旅行 ―1960年代~1970年代の宮崎新婚旅行ブームを事例に―」(PDF)『日本マス・コミュニケーション学会、2012年度春季研究発表会研究発表』2012年6月2日。
外部リンク
- ロイヤルウィング
- 船舶の情報と現在位置 - MarineTraffic.com
- 20世紀時刻表歴史館 - TIMETABLE MUSEUM #時刻表にみる関西汽船別府航路の黄金時代 - 過去の別府航路の運用状況を紹介している個人サイト