「Yume Wo Katare」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
m 「が」・・「より」に変更しました。「が」では主語が間違いになるのでは??ご検証ください |
Lifeonthetable (会話 | 投稿記録) 編集の要約なし |
||
49行目: | 49行目: | ||
[[ファイル:Yume Wo Katare・ラーメン.jpg|代替文=Yume Wo Katare・ラーメン|サムネイル|Yume Wo Katare(夢を語れ)・ラーメン]] |
[[ファイル:Yume Wo Katare・ラーメン.jpg|代替文=Yume Wo Katare・ラーメン|サムネイル|Yume Wo Katare(夢を語れ)・ラーメン]] |
||
'''Yume Wo Katare(夢を語れ)'''(ゆめをかたれ)は、アメリカの[[ボストン]]、大分県[[別府市]]などで「二郎系ラーメン」を提供しているラーメン店。2012年10月、西岡津世志が創業{{R|ten}}{{R|omoi}}。 |
'''Yume Wo Katare(夢を語れ)'''(ゆめをかたれ)は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[ボストン]]、[[大分県]][[別府市]]などで「二郎系ラーメン」を提供している[[ラーメン|ラーメン店]]。[[2012年]]10月、西岡津世志が創業{{R|ten}}{{R|omoi}}。 |
||
[[ファイル:Yume Wo Katare Beppu.jpg|thumb|right|300px|Yume Wo Katare(夢を語れ)別府・外観]] |
[[ファイル:Yume Wo Katare Beppu.jpg|thumb|right|300px|Yume Wo Katare(夢を語れ)別府・外観]] |
||
56行目: | 56行目: | ||
== 沿革 == |
== 沿革 == |
||
* 西岡は、1979年滋賀県[[近江八幡市]]生まれ、滋賀県でもトップの進学校を卒業した後に上京し、[[吉本興業]]の |
* 西岡は、[[1979年]][[滋賀県]][[近江八幡市]]生まれ、滋賀県でもトップの進学校・[[滋賀県立彦根東高等学校|彦根東高校]]を卒業した後に上京し、[[吉本興業]]の[[渋谷公園通り劇場]]などで[[お笑いタレント|お笑い芸人]]をしていた{{R|ten}}{{R|soto}}{{R|crazy}}。当時は[[野田ちゃん]]らとトリオ「トンコツ荘」を組み、主に[[コント]]をしていた<ref>{{Cite web |title=野田ちゃん:明るい自虐ネタで笑いと元気を届ける根っからのポジティブ気質【前編】 {{!}} Cocotame(ココタメ) – ソニーミュージックグループ |url=https://cocotame.jp/series/025441/ |website=cocotame.jp |access-date=2022-12-07 |language=ja}}</ref>。組んでいた相方と「[[ラーメン二郎]]神谷店{{Refnest|group="注"|元「ラーメン二郎[[赤羽]]店(1991年創業{{R|jinsei}})」、2001年「ラーメン〇二郎(マルジ<ref>{{Cite book|和書|title=ぶかつ麺!|date=2012年7月25日|publisher=ホーム社|page=126|author=ボブ吉村、吉田健二}}</ref>)として独立{{R|jinsei}}、現在は「ラーメン富士丸」{{R|crazy}}」。[[北区 (東京都)|北区]]神谷に本店がある。}}」に訪れ、その味に感銘を受け通い詰め、そこで働きたいと思うようになる。アルバイトとして働き始めた後、店主から「支店を立ち上げるので店長をやらないか」とのオファーを受けたこと、自身もラーメンが大好きで作るのが楽しいという感覚があったため一念発起し、芸人をやめて修行を開始{{R|omoi}}。修行先「ラーメン二郎神谷店」店主より独立を許され、そのままその店舗が「ラーメンマルジ神谷本店」へと看板架け替えと成り、更に支店を出した「ラーメンマルジ西新井店」の支店長を西岡が勤めた。 |
||
* 3年ほどして独立し、2006年10月に学生街である京都市[[一乗寺 (京都市の地名) |一乗寺]]に「ラーメン荘夢を語れ」を創業する{{R|omoi}}{{R|crazy}}。その後、大阪市内や京都市[[伏見区]]にもラーメン荘グループ(「地球規模で考えろ」「歴史を刻め」など)を展開するようにもなり「関西二郎系のパイオニア」となる{{R|ten}}。 |
* 3年ほどして独立し、2006年10月に学生街である京都市[[一乗寺 (京都市の地名) |一乗寺]]に「ラーメン荘夢を語れ」を創業する{{R|omoi}}{{R|crazy}}。その後、大阪市内や京都市[[伏見区]]にもラーメン荘グループ(「地球規模で考えろ」「歴史を刻め」など)を展開するようにもなり「関西二郎系のパイオニア」となる{{R|ten}}。 |
||
* 順風満帆であったが、「海外でラーメン店をオープンさせる」という夢を叶えるため、ラーメン荘グループ全てを後継者に譲渡。その資金で、2012年10月にアメリカのボストンで「Yume Wo Katare(夢を語れ)」を創業し、二郎系では初めて海外進出を果たす{{R|ten}}{{R|omoi}}{{R|bbt}}<ref>{{Cite web|url=https://datazoo.jp/tv/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%B5%E3%81%97%E3%81%8E%E7%99%BA%E8%A6%8B%EF%BC%81/696727|title=世界ふしぎ発見!ボストン 熱き物語の生まれる街|accessdate=2021年8月8日|publisher=TVでた蔵}}</ref>。開店して以来、凍りつくようなマイナス20度の真冬でも行列が途切れることのない二郎系のラーメン店となる{{R|ten}}{{R|bbt}}。その店内ではラーメンを食べるだけでなく、食べた後、希望者は「夢を語る」ことが出来る空間が提供されている{{R|ten}}{{R|omoi}}{{R|crazy}}。 |
* 順風満帆であったが、「海外でラーメン店をオープンさせる」という夢を叶えるため、ラーメン荘グループ全てを後継者に譲渡。その資金で、2012年10月にアメリカのボストンで「Yume Wo Katare(夢を語れ)」を創業し、二郎系では初めて海外進出を果たす{{R|ten}}{{R|omoi}}{{R|bbt}}<ref>{{Cite web|url=https://datazoo.jp/tv/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%B5%E3%81%97%E3%81%8E%E7%99%BA%E8%A6%8B%EF%BC%81/696727|title=世界ふしぎ発見!ボストン 熱き物語の生まれる街|accessdate=2021年8月8日|publisher=TVでた蔵}}</ref>。開店して以来、凍りつくようなマイナス20度の真冬でも行列が途切れることのない二郎系のラーメン店となる{{R|ten}}{{R|bbt}}。その店内ではラーメンを食べるだけでなく、食べた後、希望者は「夢を語る」ことが出来る空間が提供されている{{R|ten}}{{R|omoi}}{{R|crazy}}。 |
||
86行目: | 86行目: | ||
[[Category:ラーメン店]] |
[[Category:ラーメン店]] |
||
[[Category:アメリカ合衆国のレストラン]] |
[[Category:アメリカ合衆国のレストラン]] |
||
[[Category:日本の外食事業者]] |
|||
[[Category:2012年設立の企業]] |
2022年12月7日 (水) 13:41時点における版
本店所在地 |
アメリカ合衆国 アメリカ合衆国マサチューセッツ州ケンブリッジマサチューセッツアベニュー1923 北緯42度23分21.8秒 西経71度07分10.9秒 / 北緯42.389389度 西経71.119694度 |
---|---|
設立 | 2012年10月 |
業種 | 飲食業 |
法人番号 | 6130001037510 |
代表者 | 中村吏希 |
関係する人物 | 西岡津世志[注 1] |
Yume Wo Katare(夢を語れ)(ゆめをかたれ)は、アメリカのボストン、大分県別府市などで「二郎系ラーメン」を提供しているラーメン店。2012年10月、西岡津世志が創業[1][2]。
沿革
- 西岡は、1979年滋賀県近江八幡市生まれ、滋賀県でもトップの進学校・彦根東高校を卒業した後に上京し、吉本興業の渋谷公園通り劇場などでお笑い芸人をしていた[1][3][4]。当時は野田ちゃんらとトリオ「トンコツ荘」を組み、主にコントをしていた[5]。組んでいた相方と「ラーメン二郎神谷店[注 2]」に訪れ、その味に感銘を受け通い詰め、そこで働きたいと思うようになる。アルバイトとして働き始めた後、店主から「支店を立ち上げるので店長をやらないか」とのオファーを受けたこと、自身もラーメンが大好きで作るのが楽しいという感覚があったため一念発起し、芸人をやめて修行を開始[2]。修行先「ラーメン二郎神谷店」店主より独立を許され、そのままその店舗が「ラーメンマルジ神谷本店」へと看板架け替えと成り、更に支店を出した「ラーメンマルジ西新井店」の支店長を西岡が勤めた。
- 3年ほどして独立し、2006年10月に学生街である京都市一乗寺に「ラーメン荘夢を語れ」を創業する[2][4]。その後、大阪市内や京都市伏見区にもラーメン荘グループ(「地球規模で考えろ」「歴史を刻め」など)を展開するようにもなり「関西二郎系のパイオニア」となる[1]。
- 順風満帆であったが、「海外でラーメン店をオープンさせる」という夢を叶えるため、ラーメン荘グループ全てを後継者に譲渡。その資金で、2012年10月にアメリカのボストンで「Yume Wo Katare(夢を語れ)」を創業し、二郎系では初めて海外進出を果たす[1][2][8][9]。開店して以来、凍りつくようなマイナス20度の真冬でも行列が途切れることのない二郎系のラーメン店となる[1][8]。その店内ではラーメンを食べるだけでなく、食べた後、希望者は「夢を語る」ことが出来る空間が提供されている[1][2][4]。
- 現在は、アメリカのボストンの他、大分県別府市[10][11]のほか、福岡[12]、札幌[13]、女川[14]、京都[15]、沖縄[16]など日本各地で展開・準備がなされている(2020.3.31現在)。「俺の生きる道」(文京区白山)など独立店も存する[17]。
不祥事
松山店食中毒事件
2020年9月、グループ創設者が店主である総本店の「夢を語れ 松山」で黄色ブドウ球菌による食中毒が発生。行政指導と2日間の営業停止の行政処分を受けた[18]。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f “夢を語り続ける時、その先にあるもの《週刊READING LIFE Vol.62 もしも「仕事」が消えたなら》”. WEB天狼院書店. 2020年3月15日閲覧。
- ^ a b c d e “「世界中に夢の輪を広げたい」二郎系ラーメン「夢を語れ」創業者の思い”. DANROひとりを楽しむ. 2021年8月8日閲覧。
- ^ “「仕事=稼ぐ」ではない、働き方とは。西岡津世志さん”. ソトコト. 2020年3月21日閲覧。
- ^ a b c d “ハーバード大も注目!売り上げ目標なしでも黒字続きのYume Wo Katareのビジネスとは?”. CRAZY MAGAZINE. 2021年8月9日閲覧。
- ^ “野田ちゃん:明るい自虐ネタで笑いと元気を届ける根っからのポジティブ気質【前編】 | Cocotame(ココタメ) – ソニーミュージックグループ”. cocotame.jp. 2022年12月7日閲覧。
- ^ a b 村上純 (2013.09.20). 人生で大切なことはラーメン二郎に学んだ (光文社新書). 光文社
- ^ ボブ吉村、吉田健二『ぶかつ麺!』ホーム社、2012年7月25日、126頁。
- ^ a b “ラーメン屋というか、ここは私塾。人格レベルをあげる場所をつくりたい。”. BBT University. 2021年8月8日閲覧。
- ^ “世界ふしぎ発見!ボストン 熱き物語の生まれる街”. TVでた蔵. 2021年8月8日閲覧。
- ^ “夢を語れるラーメン屋Yume Wo Katare Beppu~夢を語れ別府~”. 別府攻略温泉旅ガイド温タイム. 2020年3月22日閲覧。
- ^ “【夢を語れ別府@大分県別府市】別府の真ん中で夢を語る!これぞ二郎の世界レベル”. メンムスビ. 2020/03.22閲覧。
- ^ “YumeWoKatareFUKUOKa/夢を語れ福岡@くに”. twitter. 2020年3月29日閲覧。
- ^ “Yume Wo Katare Sapporo/ 夢を語れ 札幌”. さっぽろらーめんどっとこむ(㈱えぞキッチン). 2020年3月23日閲覧。
- ^ “起業は「夢を語る」ことからはじまる。夢を語れるラーメン屋を全国に拡げ、起業独立する若者を増やしたい!株式会社夢を語れ”. NPO法人ETIC.(エティック). 2020年3月29日閲覧。
- ^ “2017/11/29オープンYume Wo Katare Kyoto”. 京都速報. 2020年3月24日閲覧。
- ^ “アメリカから逆輸入のラーメン屋が沖縄で成し遂げたい夢とは”. 琉球新報Style. 2020年3月23日閲覧。
- ^ “店主は野球選手と二刀流!修業先のDNAを受け継いだG系「俺の生きる道」”. KADOKAWAウォーカー+. 2020年3月23日閲覧。
- ^ ラーメン「夢を語れ」松山店、食中毒を報告 2日間の営業停止処分 J-CAST