「紅葉山 (東京都)」の版間の差分
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2022年11月23日 (水) 12:15時点における版
紅葉山(もみじやま・楓山)とは、江戸城の西丸の東北にある丘。本丸と西丸のほぼ中間にあたる。古くは「鷲の森」とも呼ばれた。現在は東京都千代田区に属し、皇居を構成する一部となっている。
概要
太田道灌の江戸城築城以前から存在し、元は古墳であったとする説[1]もあるが確証はない。また、目青不動(最勝寺)は、元は紅葉山にあったものが道灌の江戸城築城時に城外に移されたと言われている。その後は日枝神社が置かれたが、江戸城拡張工事によりこれも移転する。
江戸幕府成立後の元和4年(1618年)、紅葉山に徳川家康の廟所(東照宮)が置かれ、家康の命日である4月17日には、将軍が紅葉山の東照宮を参詣する「紅葉山御社参」は幕府の公式行事の1つであった。また、秀忠以後の歴代将軍の廟所も紅葉山に設置された。また、寛永16年(1639年)には城内の文庫が富士見亭から紅葉山に移転・整備され、「紅葉山文庫」と称された。また、「紅葉山御社参」などの重要行事に備えて音楽を掌る楽所も設置されていた。
紅葉山の警備・防災のために紅葉山火之番(留守居→寺社奉行支配)、霊廟の管理を行う紅葉山坊主、楽所の管理と演奏を行う紅葉山楽人、東照宮や各将軍の霊廟を掃除する紅葉山掃除之者が置かれていた。
江戸開城後、明治政府によって東照宮などの廟所は撤廃された。この場所にあった石鳥居が、上野東照宮の池の端の参道に移築されている。紅葉山文庫の蔵書は接収されて後に内閣文庫とされた。大正3年(1914年)、紅葉山御養蚕所が設置されて現在も用いられている。
脚注
- ^ 山本『日本史大事典』。