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「金剛童子山」の版間の差分

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2022年11月23日 (水) 10:19時点における版

金剛童子山
京丹後市弥栄町溝谷から見た金剛童子山
標高 613 m
所在地 日本の旗 日本
京都府京丹後市
位置 北緯35度39分34.5秒 東経135度08分31.6秒 / 北緯35.659583度 東経135.142111度 / 35.659583; 135.142111座標: 北緯35度39分34.5秒 東経135度08分31.6秒 / 北緯35.659583度 東経135.142111度 / 35.659583; 135.142111
山系 金剛童子山系
プロジェクト 山
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金剛童子山(こんごうどうじさん)は、京都府北部の丹後半島にある[1]。標高は613メートルであり、竹野郡では太鼓山に次ぐ高峰である[2]。京丹後市大宮町五十河の北にある高尾山(620m)から北に向かって依遅ヶ尾山(540m)まで続く金剛童子山山系(熊野山系)の主峰である[3]。別名は熊野山[1][4]

名称

密教の護法童子(仏法を守る童子姿の鬼神)の中の一子が山名の由来であるとされ、山頂には役小角(えんのおづぬ)を祀った行者堂が建っている[4]

地理

丹後半島の中央部にある金剛童子山

第三紀古期の安山岩からなるトロイデ型(鐘状型)の山である[3]丹後半島の中央部にあり[4]、西方にある竹野川流域の峰山盆地から眺望できる[3]。山域にはカエデが多く、シャクナゲの群生地もある[1][3]

頂上付近には絶壁が多い[3]。標高約350mの味土野から登山道が伸びており、味土野から山頂まで約50分である[4]。山頂は京都府京丹後市弥栄町等楽寺と須川の中間付近にある[1]

飛鳥時代呪術師役小角が修行したことから、かつては20以上のがあったとされ、今日でも行場や行者堂がある[1]。中腹には宇多天皇の治世(867年-931年)に行恵が創建したとされる生蓮寺の遺構がある[2]

味土野集落

「味土野之跡」

南東麓の標高350-400メートル付近には味土野(みどの)集落がある[1]。味土野は天正10年(1582年)の本能寺の変後に細川ガラシャが幽閉されていた集落であり、「御殿」(みどの)と書いた時期もあった[1]。かつては南麓の標高400メートル付近に高原集落があり、味土野からこの高原集落に道が通じている[1]

かつて味土野には弥栄町立野間小学校味土野分校があり、1971年(昭和46年)の閉校翌年には弥栄町営ガラシャ荘として使用されたが、消防法の関係で宿泊が不可能になったことから、味土野公民館として使用されていた[1]。1963年の三八豪雪(丹後豪雪)を機に味土野集落から離れる住民が相次ぎ、2016年(平成28年)時点では3世帯5人が暮らすのみである[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j 『京都大事典 府域編』淡交社、1994年
  2. ^ a b 『郷土資料事典 26 京都府』人文社、1997年
  3. ^ a b c d e 「角川日本地名大事典」編さん委員会『角川日本地名大事典 26 京都府 上巻』角川書店、1982年
  4. ^ a b c d 日本山岳会 (2005)、p. 1317

参考文献

  • 『京都大事典 府域編』淡交社、1994年
  • 『郷土資料事典 26 京都府』人文社、1997年
  • 「角川日本地名大事典」編さん委員会『角川日本地名大事典 26 京都府 上巻』角川書店、1982年
  • 日本山岳会『新日本山岳誌』ナカニシヤ出版、2005年