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「桟敷ヶ岳」の版間の差分

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2022年11月23日 (水) 10:14時点における版

桟敷ヶ岳
標高 895.9 m
所在地 日本の旗 日本
京都府京都市北区右京区
位置 北緯35度09分31.6秒 東経135度43分02.0秒 / 北緯35.158778度 東経135.717222度 / 35.158778; 135.717222座標: 北緯35度09分31.6秒 東経135度43分02.0秒 / 北緯35.158778度 東経135.717222度 / 35.158778; 135.717222
山系 京都北山
初登頂 1918年 (京都府立第一中学校山岳部)
プロジェクト 山
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桟敷ヶ岳(さじきがたけ[1][2]、さじきがだけ[3])は、京都府京都市北区右京区京北町の境界に位置する。標高895.9mであり[1]、京都市北区の最高峰である。関西百名山に選ばれており、京都北山の代表的な山のひとつである[4]桟敷ケ岳桟敷岳[5]と表記されることもある。

地理

京都市街地東部を流れる鴨川の源流は桟敷ヶ岳の山麓にあり[6]、桟敷ヶ岳は鴨川流域の最高峰である[7]。北麓からは鴨川の源流のひとつである祖父谷川が発し、南南東に流れる[1]。西麓からは清滝川の源流が発し[1]、南南西に流れて保津峡付近で桂川(保津川)に合流する。南東には鞍馬山(584m)や貴船山(700m)などが、南には半国高山などが、西には飯森山(791m)や天童山(775m)などがある[8]

北麓にある石仏峠雲ケ畑から丹後地方に向かう古道が通じていた[1]。雲ケ畑から祖父谷峠を越える道は京の都と山国を結ぶ最短距離の道であり、昔から川魚や木炭などが宮中まで運ばれた[9]。さらに古くは峠を通るのではなく、雲ケ畑の岩屋谷から桟敷ヶ岳山頂を通って井戸祖父谷に下る「尾棧敷」と呼ばれる尾根道が使われた[10]

歴史

岩屋橋にある惟喬神社

惟喬親王伝説

惟喬親王が山上に高楼(桟敷)を構えて都を眺望したという伝説が山名の由来であるとされ[注 1][4][7][11][12]、山麓の雲ケ畑岩屋橋には惟喬神社がある。『山城名跡巡行志』では、山上にある池が指月や広沢池などとともに月の名所とされたが、現在は池跡が定かではない[2]。この地域には惟喬親王に関する伝承が多く残っており[3]平家物語や歌舞伎などによれば惟喬親王は惟仁親王(後の清和天皇)と皇位を争って桟敷ヶ岳で相撲を行なったとされている[2][13]。惟喬親王の逸話が山名の由来であるとするのが定説だが、京都府の地名語源について詳しい沢潔は、「棧敷」とは「サシキ」であり焼畑地を表すのではないかとしている[14]。頂上付近には笹藪が生い茂っているが、「都笹」と呼ばれるこの付近の笹は惟喬親王が杖を逆さに立てたものが根付いたとする伝承がある[15]

初登頂

若狭と京の都をつなぐ峠道は古くから利用され、また明治時代には山域で陸軍陸地測量部の地理測量が行なわれていたが、初めて純粋な「登山」が行なわれたのは1918年(大正7年)とされている[16]。京都府立第一中学校(現京都府立洛北高校・中学校)の山岳部が京都北山登山の草分け的存在であり、この山岳部には今西錦司(文化人類学者、登山家)などがいた[16]

交通・登路

交通

京都バスが京都市街地(京阪鴨東線出町柳駅)から雲ケ畑地域の岩屋橋まで路線バスを運行していたが、不採算が理由で2012年(平成24年)3月31日に廃止となった[17]。翌日の4月1日からは京都市街地(京都市営地下鉄烏丸線北大路駅)と雲ケ畑地域を結ぶ路線として、雲ケ畑自治振興会が「雲ケ畑バス もくもく号」を運行している[18]。これらのバスは主に京都府道61号京都京北線を通っている。国道162号(周山街道)、国道477号国道367号などが、桟敷ヶ岳、鞍馬、雲ケ畑、大原などを取り囲むように走っている。

登路

送電線鉄塔と桟敷ヶ岳頂上

もっとも一般的な登路は、岩屋橋から薬師峠を経て山頂に至るルートである[7]。岩屋橋にある惟喬神社から雲ケ畑岩屋川に沿って30分ほど林道を歩き、岩屋不動(志明院)から谷を離れて登山道が始まる[19]。雲ケ畑と大森を結ぶ薬師峠には大きなモミの木と六体地蔵(六地蔵尊)があり、かつての峠茶屋と思われる廃れた休憩小屋がある[20][21]。南西に少し歩くと岩屋山(649m)山頂に着き[19]、岩屋山の先には一坪ほどのお堂と680mの無名ピークがある[21]。岩屋山は霊山として知られており、何本もの杉の巨木、巨石や奇石、洞窟・飛瀑などがある[22]。薬師峠から北東の尾根道を登ると、すぐ左手に江戸時代の古びた墓地[注 2]がある[23][11]電波反射板がある岩茸山のピークの脇を通り、関西電力の送電線鉄塔に着く。このあたりの展望は良好で、城丹国境の尾根をはじめ、東は比良山系、その手前には花脊峠に重なる山々を望むことができる[11]。ここから少し下って鞍部を越えると桟敷ヶ岳の頂上に達する[7][24]

頂上には二等三角点があり[注 3]、小広場が設けられている[11][25]。樹林のために頂上からの展望は乏しく[26]、頂上からは北東(比良山系)方面しか視界が効かない[9]。山頂のやや南方には「都眺めの岩」と呼ばれる岩や送電線鉄塔があり、この付近から京都市街地、比叡山、比良山系などを遠望できる[19]。この送電線は日本海沿岸の敦賀原子力発電所から朽木花脊などを通って京阪神地域に達しており、かつては都への献上物が運ばれた桟敷ヶ岳山麓を、現在は50万ボルトの送電線で電気が運ばれている[27]

登路には大森谷や祖父谷林道[注 4]を経るルートもあり[11]石仏峠、五本杉[注 5]で有名な祖父谷峠などには古くからの伝承が残されている[7][9]

ギャラリー

脚注

注釈

  1. ^ この由来から、近世は桟敷ヶ岳を「さんじきがだけ」と呼んだという。
  2. ^ 宝暦12年(1762年)3月と読み取れる。
  3. ^ 山城国丹波国の城丹(じょうたん)国境をまたぐが、三角点は国境の南に設定されている。
  4. ^ 岩屋橋から祖父谷川沿いに伸びる林道を通るルート。林道から分岐して山頂までの細道は杉林を横切る急斜面である。
  5. ^ 落雷で一本が倒壊し、現在は四本のみが立っている。

出典

  1. ^ a b c d e 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 26 京都府 上巻』 角川書店、1982年、667頁
  2. ^ a b c 高木泰夫・大森久雄・柏木宏信『新日本山岳誌』ナカニシヤ出版、2005年、1280-1281頁
  3. ^ a b 徳久球雄・武内正・石井光造編『日本山名事典』 三省堂、2004年、444頁
  4. ^ a b 桟敷ヶ岳 - さじきがだけ ヤマケイオンライン
  5. ^ 桟敷岳 京都観光Navi
  6. ^ 鴨川河川整備計画 京都市
  7. ^ a b c d e 「桟敷ガ岳」『関西百名山』山と渓谷社、1998年、43頁
  8. ^ 京都市の位置 京都市
  9. ^ a b c 金久昌業『北山の峠 <中> 京都から若狭へ』ナカニシヤ出版、1979年、129-135頁
  10. ^ 斎藤清明『京の北山ものがたり』松籟社、1992年、100-101頁
  11. ^ a b c d e 『分県登山ガイド25 京都府の山』山と渓谷社、1995年、66-67頁
  12. ^ 『朝日新聞』朝刊「(峯からのたより)親王遊行の足跡たどる 田中真澄さん」京都府・2地方面、2009年11月25日、25頁
  13. ^ 斎藤清明『京の北山ものがたり』松籟社、1992年、90頁
  14. ^ 沢潔『京都北山を歩く 2 地名語源・歴史伝承と民俗を訪ねて』ナカニシヤ出版、1990年、83-84頁
  15. ^ 金久昌業『北山の峠 <中> 京都から若狭へ』ナカニシヤ出版、1979年、8-15頁
  16. ^ a b 斎藤清明『京の北山ものがたり』松籟社、1992年、118-121頁
  17. ^ 『京都新聞』「京都バス、雲ケ畑路線廃止へ 採算合わず。」2011年5月27日
  18. ^ 雲ケ畑バス~もくもく号~の運行開始 京都市情報館
  19. ^ a b c 「桟敷ヶ岳」『関西の山あるき100選』昭文社、2008年、42-43頁
  20. ^ 岡部伊都子『京の山』講談社、1978年、114頁
  21. ^ a b 歌川せいち『京都北山 雪まろげ藪まろげ』牧歌社、2007年、45-49頁
  22. ^ 京都新聞社『史跡探訪 京の北山』京都新聞出版センター、1989年、175頁
  23. ^ 京都趣味登山会『京都滋賀 近郊の山を歩く』京都新聞出版センター、1998年、48-49頁
  24. ^ 京都趣味登山会『京都滋賀 ふるさとの山103』京都新聞出版センター、2003年、64-65頁
  25. ^ 芝村文治『京滋百山 三角点を行く 下』かもがわ出版、1993年、55-58頁
  26. ^ 「桟敷ガ岳」『日本の山1000』山と渓谷社、1992年、583頁
  27. ^ 斎藤清明『京の北山ものがたり』松籟社、1992年、104-105頁

外部リンク