「三十三間山」の版間の差分
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2022年11月23日 (水) 10:10時点における版
三十三間山(さんじゅうさんげんざん)は、福井県三方上中郡若狭町と滋賀県高島市との境にある山塊である。北川の源流であり、山頂には一等三角点が所在する。
山頂部は日本芝が広がり小浜線の車窓から積雪がら融雪まで雪形が残り、雄大な山容が望める。
歴史
昔からの里山で、群生するスゲから蓑作り、アブラギリから桐油の採取、炭焼きというように、麓集落の倉見などで利用されてきた[1]。
古くは麓の集落名称から「倉見岳」、また天満神社の背後にある山であることから「天神山」とも呼ばれていた[2]。現在の山名の由来については、登山口駐車場に説明の石板がある、それによると京都市の三十三間堂が創建された際にその棟木を、ここの山中から切り出したという伝説があり「三十三間山」と呼ばれるようになったと記されている。ほかにも、麓に住吉僧坊が三十三間あったとか、三十三番の草競馬が行われていた等、所説ある[2]。
主尾根の手前に「国家安全 悪風退散」などの文字が刻まれた風神(かざかみ)の石塔がある。天保3年(1832年)に建立され、山から吹き下ろす強風の被害を鎮めるために風神大明神を祀ったものという[1]。
山岳利用
倉見集落からのコースが一般的であり、山頂までは約2時間である[3][4]。集落の南端に登山口駐車場があり、トイレも設置されている。 川・沢沿いの道を行くと、最後の水場がある、徒渉後、斜面をつづら折りに枝尾根に上がる、夫婦松展望台、風神を経由し、主尾根に達する。尾根上は、準平原状であり、北から南に向かって、ゆるやかに下がり、見かけ上二段の平坦面を形成している。平原はササや野芝の群落に覆われており、若狭湾を始め琵琶湖さらには丹後半島まで展望できる。平原部から三角点のある山頂までは15分程度であるが、展望は利かない。
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登山口駐車場
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主尾根の段丘状地形
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風神の石塔
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「国家安全 悪風退散」の文字が見える
地質
砂岩や頁岩類が主で露出する風化岩は、千枚岩化している。平原上には砂岩の転石がある。
自然
早春には、山稜付近に「めたけ」が一面に繁茂している。
脚注
参考文献
- 上杉喜寿『越前若狭 山々のルーツ』安田書店、昭和62年6月1日再版発行。
- 福井山歩会『登ってみねの福井の山 VOL.6』平成16年5月。
- 関西電力株式会社 原子力事業本部『新 わかさ探訪』2005年12月1日第2版。
- 『福井県史』
- 『若狭遠敷郡史』