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「寅」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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{{十干十二支}}
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[[画像:Central_Tiger.jpg|border|230px|right]]
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'''寅'''(とら、いん)は、[[十二支]]のひとつ。通常十二支の中で第3番目に数えられる
'''寅'''(とら、いん)は、[[十二支]]の3番目の支

前は[[丑]]、次は[[卯]]である。


==概要==
==概要==
*寅年は、[[西暦]]を12で割って6が余る年となる(日本では[[新暦]]1月1日に始まるが、中国では[[旧暦]]1月1日に始まる)。
*[[西暦]]を12で割って6が余る年」が寅年となる(日本では新暦1月1日に始ま、中国では旧暦1月1日に始まる)。寅月は新暦2月(旧暦1月)。寅刻は午前4時を中心とする約2時間
*寅の[[位]]は東北東よりやや北寄り(北東微南:北基準右廻り60°)。
*寅の月は[[旧暦]]1月(概ね[[新暦]][[2月]])。
*寅の[[干支]]は[[丙寅]]・[[戊寅]]・[[庚寅]]・[[壬寅]]・[[甲寅]]。[[陰陽五行思想]]では[[陰陽]]は陽、[[五行思想|五行]]は木。
*寅の刻は午前4時を中心とする約2時間。
*寅の方は東北東よりやや北寄り(北東微南:北基準右廻り60°)の[[方位|方角]]である
*[[五行思想|五行]]は木気。
*[[陰陽]]は陽である。


== 伝承 ==
== 伝承 ==
『[[漢書]]』律暦志によると寅は「螾」(いん:「動く」の意味)。春が来て草木が生ずる状態を表しているとされる。


=== 「寅」が正月になった理由とその誤解、「子」の暦法上の正当性 ===
後に覚え易くするために動物の[[トラ|虎]]が割り当てられた。
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また夏王朝以前は冬至起点に子月を正月とした歴が採用されていたという説もある<ref>{{Cite web |title=夏正から周正への変換方程式 {{!}} 南方手帖・SFと日本古代史 |url=https://web.archive.org/web/20221111210252/https://geolog.mydns.jp/www.geocities.jp/cahierdusud/history/kasei.html |website=web.archive.org |date=2022-11-11 |access-date=2022-11-11}}</ref>。
=== 五黄の寅 ===
[[五黄土星|五黄]]の寅年生まれは気が強いと言われ、この年に女子が産まれることを忌む俗習がある(同様の俗習については「[[丙午]]」も参照)。「於菟」(おと)と名づける習慣があり、『[[広辞苑]]』には「於菟は虎の異称であり、わが国で猫の異称」とも書いてある。読みは「ごおうのとら」だが、訛って「ごごうのとら」「ごうのとら」「ごこうのとら」などとも言われる。


[[天文]]・[[二十四節気]] [[平気法]]では[[冬至]]を1年周期の開始としており、暦法上は周正に最も正当性があり、24時間に十二支を配当すると子の時刻はPM11:00-AM0:59となり、それを24節気に配当すると日付の切り替わるAM0:00が一年周期の切り替わる冬至の位置と重なる。現代の天文学による計算では周王朝初期に、北斗七星が[[冬至]]の頃の夕方に北を向いていたという<ref name=":02" />。物理上は十二支の1番目である「子」を正月に置く周正に正当性があり、十二支の1番目である子を最初、更に'''冬至を起点'''にすることで物理的な整合性が合致する<ref name=":02" />。
五黄の寅は36年に1回訪れる(「[[五黄土星#五黄土星の(中宮になる)年]]」も参照)。[[20世紀]]以降で現在までの該当年は以下のとおりである。


[[四柱推命]]や[[紫微斗数]]といった[[占術]]などの古典は大半が夏王朝以降に記された物であり、正当性のある冬至起点ではなく、夏正による判断によって占術に用いる歴が制定されているため、日本の[[早生まれ]]などの鑑定に用いると誤りが生じることがある。
; 五黄の寅年(西暦と和暦)
* [[1914年]]([[大正]]3年)
* [[1950年]]([[昭和]]25年)
* [[1986年]](昭和61年)
* [[2022年]]([[令和]]4年)

=== 相場格言 ===
相場格言に「辰巳天井、午尻下がり、未辛抱、申酉騒ぐ。戌は笑い、亥固まる、子は繁栄、丑はつまずき、寅千里を走り、卯は跳ねる」がある<ref>[https://www.nam.co.jp/news/mpdf/marketnow131219.pdf 金融市場NOW Financial Market Review vol.121] ニッセイアセットマネジメント、2020年1月13日閲覧。</ref>。

==寅を含む干支==
*[[丙寅]]
*[[戊寅]]
*[[庚寅]]
*[[壬寅]]
*[[甲寅]]

==於菟を含む名前==
*[[森於菟]] - 寅年生まれなので「於菟」と名づけられた。
*[[三上於菟吉]] - [[1891年]]生まれで[[卯年]]だが、早生まれで旧暦なので、「於菟」がつく。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references />
{{Reflist}}{{Normdaten}}{{commonscat|Tiger_(zodiac)}}

==関連項目==
{{commonscat|Tiger_(zodiac)}}
*[[寅年現象]]
*{{prefix}}
*{{intitle}}

{{DEFAULTSORT:とら}}
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[[Category:干支]]
[[Category:干支]]
[[Category:トラに関する文化]]
[[Category:トラに関する文化]]

[[de:Chinesische Astrologie#Zählung ab Jahresbeginn]]
[[de:Chinesische Astrologie#Zählung ab Jahresbeginn]]

2022年11月11日 (金) 21:37時点における版

十干
十二支

(とら、いん)は、十二支の3番目の支。

概要

  • 西暦を12で割って6が余る年」が寅年となる(日本では新暦1月1日に始まり、中国では旧暦1月1日に始まる)。寅月は新暦2月(旧暦1月)。寅刻は午前4時を中心とする約2時間。
  • 寅の方位は東北東よりやや北寄り(北東微南:北基準右廻り60°)。
  • 寅の干支丙寅戊寅庚寅壬寅甲寅陰陽五行思想では陰陽は陽、五行は木。

伝承

「寅」が正月になった理由とその誤解、「子」の暦法上の正当性

夏王朝では1月に北斗七星が寅、殷王朝では丑、周王朝では子の方向を向いていたであろうと当時は考えられており、夏王朝は、殷王朝は、周王朝はを月健とした[1]秦王朝では顓頊暦(建)を採用し、漢王朝初期も顓頊暦を採用していたが[2][3]、太初元年(BC104)に武帝がこれを三正循環論(これら3つの正月制定法が王朝交代と共に循環する)としたため、漢王朝では「周正の次は夏正」という王朝交代論で夏正を採用し、寅月を正月とした建寅となった[1][4]。漢王朝以降の戦国各国は夏正を歴とし、現在に至るまで、建寅月を正月とする夏正暦が2千年間も中国暦(旧暦・農暦)で使用され続けてきたため「太陰太陽暦は立春付近に正月をおく暦」と誤解されることになり、太陰太陽暦の正月を建寅月にすることは物理上は正しくない[5]

また夏王朝以前は冬至起点に子月を正月とした歴が採用されていたという説もある[6]

天文二十四節気 平気法では冬至を1年周期の開始としており、暦法上は周正に最も正当性があり、24時間に十二支を配当すると子の時刻はPM11:00-AM0:59となり、それを24節気に配当すると日付の切り替わるAM0:00が一年周期の切り替わる冬至の位置と重なる。現代の天文学による計算では周王朝初期に、北斗七星が冬至の頃の夕方に北を向いていたという[1]。物理上は十二支の1番目である「子」を正月に置く周正に正当性があり、十二支の1番目である子を最初、更に冬至を起点にすることで物理的な整合性が合致する[1]

四柱推命紫微斗数といった占術などの古典は大半が夏王朝以降に記された物であり、正当性のある冬至起点ではなく、夏正による判断によって占術に用いる歴が制定されているため、日本の早生まれなどの鑑定に用いると誤りが生じることがある。

脚注

  1. ^ a b c d なぜ1月は子月ではなく寅月なのでしょうか?”. web.archive.org (2021年11月30日). 2022年11月11日閲覧。
  2. ^ 暦Wiki | 暦計算室”. web.archive.org (2022年8月27日). 2022年11月11日閲覧。
  3. ^ 『中国の天文暦法』平凡社、1969年1月1日。 
  4. ^ 夏正”. 百度百科. 2022年11月11日閲覧。
  5. ^ 旧正月は三番目の月? | 日刊☆こよみのページ”. web.archive.org (2014年9月18日). 2022年11月11日閲覧。
  6. ^ 夏正から周正への変換方程式 | 南方手帖・SFと日本古代史”. web.archive.org (2022年11月11日). 2022年11月11日閲覧。