コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「伊達正三郎」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
混同タグ
Cewbot (会話 | 投稿記録)
159行目: 159行目:
{{DEFAULTSORT:たて しようさふろう}}
{{DEFAULTSORT:たて しようさふろう}}
[[Category:日本の男優]]
[[Category:日本の男優]]
[[Category:日本の悪役俳優]]
[[Category:新東宝の俳優]]
[[Category:新東宝の俳優]]
[[Category:東映の俳優]]
[[Category:東映の俳優]]

2022年10月19日 (水) 20:43時点における版

だて しょうざぶろう
伊達 正三郎
本名 大館 義保
別名義 舘 正三郎(旧芸名)
生年月日 (1935-12-07) 1935年12月7日(88歳)
出身地 日本の旗 日本神奈川県足柄上郡松田町
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1957年 -
主な作品
映画
『怪談鏡ケ淵』
『怪猫お玉が池』
テレビドラマ
特別機動捜査隊
ジャイアントロボ
宇宙鉄人キョーダイン
テンプレートを表示

伊達 正三郎だて しょうざぶろう1935年12月7日 - )は、神奈川県足柄上郡松田町出身の俳優。旧芸名:舘 正三郎
新東宝映画末期の主演級スター。

来歴・人物

生家は酒類小売商で4男2女の2男。神奈川県立吉田島農林高等学校から法政大学法学部法律学科に進み、3年のときアルバイトで知り合った丹波哲郎に薦められ、第5期新東宝ニューフェイスに応募して合格し、1957年4月、新東宝に入社。丹波の本名・正三郎をもらい舘正三郎を芸名として映画『憲兵とバラバラ死美人』(1957年)でデビュー。のち伊達正三郎と改名。時代劇・現代劇両方に出演し、怪談映画の『怪談鏡ケ淵』(1959年)、『怪猫お玉が池』(1960年)では主演を務めるなど、新東宝の若手スターの一人となった。

しかし新東宝は1961年に活動を停止。伊達は他社の映画に出演する一方でテレビドラマに活動の場を広げる。東映制作の刑事ドラマ特別機動捜査隊』(1961年 - 1977年)に笠原刑事役として、1963年12月18日放送の第112話「風の中の街」(藤島班)より参加、不定期ながら1976年9月29日放送の第775話「浅草喜劇役者」(日高班・最末期)まで出演した。

第一次怪獣ブーム期の1967年にはテレビドラマ『ジャイアントロボ』で、金子光伸演じる草間大作(U-7)を見守る正義の組織ユニコーンの東(あずま)日本支部長を演じる。1976年には同じ東映制作の『宇宙鉄人キョーダイン』にて丸井大佐を演じている。

1974年には『スタジオ23』水曜日[1]の司会を岸ユキとともに務める。司会第一回目には特別機動捜査隊・高倉班の面々である里見浩太朗早川雄三、柴田昌宏、笠達也、日高晤郎がゲスト出演している。

1980年代以降、出演は少なくなる。それでも、80年代には『あんみつ姫』などのライトなドラマへの出演も見られたが、1990年代以降はテレビ・映画への出演はほぼ絶えている。2004年に地方広報誌のインタビュー記事に登場し、小田原在住、舞台や日本舞踊、ナレーションなどで健在とのことだった[2]。特撮関連のイベントに登場することもある。

出演歴

映画

  • 憲兵とバラバラ死美人(1957年、新東宝
  • 鋼鉄の巨人(1957年、新東宝)
  • 怪星人の魔城(1957年、新東宝)
  • 鋼鉄の巨人 地球滅亡寸前(1957年、新東宝)
  • スーパージャイアンツ 人工衛星と人類の破滅(1957年、新東宝)
  • スーパージャイアンツ 宇宙艇と人工衛星の激突(1958年、新東宝)
  • 女王蜂の怒り(1958年、新東宝)
  • 人形佐七捕物帖 腰元刺青死美人(1958年、新東宝)
  • 日本ロマンス旅行(1959年、新東宝)
  • 水戸黄門とあばれ姫(1959年、新東宝)
  • 女吸血鬼(1959年、新東宝)
  • 怪談鏡ケ淵(1959年、新東宝)
  • 女と命をかけてブッ飛ばせ(1960年、新東宝)
  • 御存知黒田ぶし 決戦黒田城(1960年、新東宝)
  • 怪猫お玉が池(1960年、新東宝)
  • 大天狗出現(1960年、新東宝)
  • 東海道非常警戒(1960年、新東宝)
  • 風雲新撰組(1961年、新東宝)
  • 恋愛ズバリ講座(1961年、新東宝)
  • 大笑い次郎長一家 三ン下二挺拳銃(1962年、東宝
  • 殴り込み侍(1965年、松竹
  • 妖艶毒婦伝 人斬りお勝(1969年、東映

 etc.

テレビドラマ

 etc.

バラエティー番組

レコード

脚注

  1. ^ 水曜夜10時台に放送されていた『特別機動捜査隊』の終了直後である夜11時より放送されており、この時期の伊達は水曜夜、週によっては2番組続けての出演となった。なお1967-68年、『ジャイアントロボ』にレギュラー出演した際にも、伊達は水曜夜に(週によっては)同じチャンネルの2番組に出演していた(1968年1月24日まで。この次の回から『ジャイアントロボ』は月曜夜に移動)。
  2. ^ 広報おだわら 第864号 平成16年4月1日 発行
  3. ^ スケジュールの都合で特別機動捜査隊に毎回出演していた訳ではない。

外部リンク