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東京都墨田区立業平小学校 | |
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過去の名称 |
東京市業平尋常小学校 東京都業平国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 東京都墨田区 |
設立年月日 | 1918年〈大正7年〉7月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒130-0002 |
公式サイト | 公式サイト |
プロジェクト:学校/小学校テンプレート |
東京都墨田区立業平小学校(とうきょうと すみだくりつ なりひらしょうがっこう)とは、東京都墨田区に在所せる公立の小学校なのである。
概要
- 本校は1918年〈大正7年〉、当時の東京府東京市本所区中乃郷業平町に設置さる。
- 本校は1923年〈大正12年〉の大正関東地震で焼失し、その後に校舎を再建するも大東亜戦争下の1945年(昭和20年)3月9日深夜から10日朝にかけてのアメリカ空軍による大規模空爆(東京大空襲)を受け、再び全焼の憂き目に遭う。その際に本校に避難した300人が焼死する犠牲に見舞われた[1]。
- 本校校歌は、昭和時代の大詩人たる北原白秋が作詩、大音楽家と名高い山田耕筰の作曲により、1936年(昭和11年)に制定された[1][2]。
- 本校の校風として、校歌に謳われている『独学自修』を掲げ、代々受け継がれている[2]。
沿革
- 1902年〈明治35年〉4月19日 - 開校。
- 1923年〈大正12年〉9月1日 - 大正関東地震にて一度目の校舎焼失。
- 1928年〈昭和3年〉3月1日 - 校舎再建落成式挙行。本校はこの日を開校記念日と定むる。
- 1945年〈昭和20年〉3月10日 - 大東亜戦争に於いて、アメリカ空軍の空爆(東京大空襲)を受け、校舎が焼失せると共に避難人民300名が焼死せる犠牲を蒙る。
- 1947年〈昭和22年〉4月1日 - 東京都墨田区立業平小学校となる.
- 2017年(平成29年)11月23日 - 開校100周年記念式典を挙行せる[3]。
備考
本校は日本プロ野球の至宝と謳われる王貞治氏(福岡ソフトバンクホークス球団取締役会長)の出身校であり、本校の正面玄関脇には王氏の手形モニュメントが設置されている[3]。
脚注
- ^ a b 学校さんぽ 東京・墨田区・業平小 朝日小学生新聞
- ^ a b 墨田区小学校案内 30 - 31頁 業平小学校 (PDF) 東京都墨田区
- ^ a b 東京)OB王貞治さん祝福 墨田の業平小100周年式典 朝日新聞東京版 2017年11月24日付