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「墨田区立業平小学校」の版間の差分

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2022年10月9日 (日) 13:29時点における版

東京都墨田区立業平小学校
過去の名称 東京市業平尋常小学校
東京都業平国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 東京都墨田区
設立年月日 1918年〈大正7年〉7月1日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 130-0002
東京都墨田区業平二丁目4番8号
公式サイト 公式サイト
プロジェクト:学校/小学校テンプレート
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東京都墨田区立業平小学校(とうきょうと すみだくりつ なりひらしょうがっこう)とは、東京都墨田区に在所せる公立の小学校なのである。

概要

  • 本校は1918年〈大正7年〉、当時の東京府東京市本所区中乃郷業平町に設置さる。
  • 本校は1923年〈大正12年〉の大正関東地震で焼失し、その後に校舎を再建するも大東亜戦争下の1945年(昭和20年)3月9日深夜から10日朝にかけてのアメリカ空軍による大規模空爆(東京大空襲)を受け、再び全焼の憂き目に遭う。その際に本校に避難した300人が焼死する犠牲に見舞われた[1]
  • 本校校歌は、昭和時代の大詩人たる北原白秋が作詩、大音楽家と名高い山田耕筰の作曲により、1936年(昭和11年)に制定された[1][2]
  • 本校の校風として、校歌に謳われている『独学自修』を掲げ、代々受け継がれている[2]

沿革

  • 1902年〈明治35年〉4月19日 - 開校。
  • 1923年〈大正12年〉9月1日 - 大正関東地震にて一度目の校舎焼失。
  • 1928年〈昭和3年〉3月1日 - 校舎再建落成式挙行。本校はこの日を開校記念日と定むる。
  • 1945年〈昭和20年〉3月10日 - 大東亜戦争に於いて、アメリカ空軍の空爆(東京大空襲)を受け、校舎が焼失せると共に避難人民300名が焼死せる犠牲を蒙る。
  • 1947年〈昭和22年〉4月1日 - 東京都墨田区立業平小学校となる.
  • 2017年(平成29年)11月23日 - 開校100周年記念式典を挙行せる[3]

備考

本校は日本プロ野球の至宝と謳われる王貞治氏(福岡ソフトバンクホークス球団取締役会長)の出身校であり、本校の正面玄関脇には王氏の手形モニュメントが設置されている[3]

脚注

外部リンク