コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「豊田市立東広瀬小学校」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m Botによる: Bot作業依頼 学校InfoboxからTemplate:画像募集中を除去
Cewbot (会話 | 投稿記録)
1行目: 1行目:
{{日本の学校
{{Infobox 日本の学校
|校名 = 豊田市立東広瀬小学校
|校名 = 豊田市立東広瀬小学校
|画像 =
|画像 =

2022年10月8日 (土) 03:00時点における版

豊田市立東広瀬小学校
地図
地図北緯35度09分14秒 東経137度13分40秒 / 北緯35.15394度 東経137.22786度 / 35.15394; 137.22786座標: 北緯35度09分14秒 東経137度13分40秒 / 北緯35.15394度 東経137.22786度 / 35.15394; 137.22786
過去の名称 石野第一尋常高等小学校
石野村立石下瀬国民学校
石野村立石下瀬小学校
猿投町立東広瀬小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 豊田市
併合学校 豊田市立藤沢小学校
設立年月日 1872年
共学・別学 男女共学
学期 前後期制
学校コード B123210005525 ウィキデータを編集
所在地 470-0307
愛知県豊田市東広瀬町大根坂8
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

豊田市立東広瀬小学校(とよたしりつ ひがしひろせしょうがっこう)は、愛知県豊田市東広瀬町にある公立小学校

概要

  • 校区は石野町、勘八町(長根)、国附町、小峯町、下室町、力石町、富田町、東広瀬町、押沢町、藤沢町、松嶺町であり、公立中学校に進学する場合は豊田市立石野中学校へ進学する[1]

沿革

  • 1872年(明治5年)
    • 6月15日 - 東広瀬村に東広瀬郷学校が開校。弘誓院[注釈 1]を仮校舎とする。
    • 12月 - 金泉寺[注釈 2]を仮校舎とする。
  • 1873年(明治6年)11月 - 野口村に野口分教場を設置する。
  • 1875年(明治8年)12月 - 野口分教場が野口学校として独立する。
  • 1878年(明治11年) - 力石村、東枝下村、東広瀬村が合併し、石下瀬村となる。
  • 1887年(明治20年)4月 - 尋常小学中金学校に統合され、尋常小学中金学校東広瀬分教場となる。
  • 1889年(明治22年)10月1日 - 石下瀬村、小峯村、国附村が合併し、石下瀬村が発足。
  • 1892年(明治25年)5月 - 石下瀬尋常小学校として独立する。
  • 1893年(明治26年)9月 - 校舎を新築し、移転する。
  • 1906年(明治39年)7月1日 - 石下瀬村、中野村七重村富貴下村の一部(松峯、押沢、藤沢、富田)が合併し、石野村が発足する。
  • 1907年(明治40年)1月 - 石野第一尋常小学校に改称する。
  • 1912年(明治45年)2月 - 現在の豊田市立東広瀬こども園の場所に校舎を新築し、移転する。
  • 1920年(大正9年)8月 - 高等科を設置し、石野第一尋常高等小学校に改称する。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 石野村立石下瀬国民学校に改称する。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 石野村立石下瀬小学校に改称する。
  • 1955年(昭和30年)3月1日 - 保見村と石野村が猿投町に編入される。同時に猿投町立東広瀬小学校に改称する。
  • 1967年(昭和42年)4月1日 - 猿投町が豊田市へ編入される。同時に豊田市立東広瀬小学校に改称する。
  • 1971年(昭和46年) - 現在地に校舎(鉄筋コンクリート造)が完成し、移転する。
  • 2010年(平成22年)4月 - 豊田市立藤沢小学校を統合する。

交通アクセス

  • 石野地域バス【石野交流館コース】「東広瀬団地」バス停より徒歩約3分。
  • とよたおいでんバス【5系統 旭・豊田線】【8系統 さなげ・足助線】「広瀬」バス停より徒歩約12分。

周辺施設

参考文献

  • 猿投町誌編集委員会『猿投町誌』1972年、pp. 470-496 738-741

脚注

注釈

  1. ^ 現在の愛知県豊田市東広瀬町大根坂21にある寺院。
  2. ^ 現在の愛知県豊田市東広瀬町神田12にある寺院。

関連項目

外部リンク