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「新潟市立笹山小学校」の版間の差分

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2022年10月8日 (土) 02:55時点における版

新潟市立笹山小学校
正門と校舎
地図北緯37度57分22秒 東経139度12分44秒 / 北緯37.95605度 東経139.21223度 / 37.95605; 139.21223座標: 北緯37度57分22秒 東経139度12分44秒 / 北緯37.95605度 東経139.21223度 / 37.95605; 139.21223
国公私立の別 公立学校
設置者 新潟市
設立年月日 1892年明治25年)4月29日[1][注 1]
共学・別学 男女共学
所在地 950-3301
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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新潟市立笹山小学校(にいがたしりつ ささやましょうがっこう)は、新潟県新潟市北区笹山に存在した市立小学校[1]2019年度末(令和元年度末)で閉校となり、2020年令和2年)4月に新潟市立木崎小学校へ編入統合された[1]

閉校記念碑 正面
閉校記念碑 背面

概要

笹山小学校1892年明治25年)に私学を廃して当時の笹山村立として開校した[1][2]。 児童数は一時500人を超えたが、最後となった2019年度(令和元年度)には49人まで減少していた[1][3]2012年度(平成24年度)から一部の学年で複式学級が設置される様になり、再編統合が検討されていた[1][4][5]2019年度末(令和元年度末)で閉校となり、128年の歴史に幕を下ろした[1]

閉校にあたり、正門脇に閉校記念碑が建立され、通学区域の全世帯に閉校記念誌と閉校記念品が配布された[6][7]。 また、児童の作詞によりオリジナルソング「思い出いっぱい 128年」が制作され、閉校記念式典や感謝祭(文化祭)で合唱が披露された[8][9][10]

当初2019年度末(令和元年度末)は後期終業式まで通常登校の予定であったが、新型コロナウイルス感染症の影響による一斉休校のため、「6年生を送る会」の翌日の2月28日が急遽最後の通常登校となった[11][12]。 3月19日には最後の卒業式が6年生と保護者・教職員だけの参加で開かれた[13][14]。 後期終業式は行われなかったが、3月25日には「お別れの会」が全校児童と教職員の参加で開かれ、児童にとって笹山小学校で過ごす最後の日となった[13][3]

沿革

  • 1892年明治25年)4月 - 笹山村立笹山尋常小学校として開校(北蒲原郡笹山村大字笹山第39番戸を借館)[15][1]
  • 1901年(明治34年)1月 - 笹山村大字笹山字柏尾山に本校舎を新築[16]
  • 1909年(明治42年)4月 - 木崎村立笹山尋常小学校と改称[15]
  • 1912年(明治45年)5月 - 木崎村大字笹山字向山(現在位置)に本校舎新築移転[15]
  • 1925年大正14年)12月 - 木崎村立木崎尋常高等小学校第2部笹山校舎と改称[15][1]
  • 1941年昭和16年)4月 - 木崎村立木崎国民学校第2部笹山校舎と改称[15]
  • 1947年(昭和22年)4月 - 木崎村立木崎小学校第2部笹山校舎と改称[15]
  • 1948年(昭和23年)4月 - 木崎村立笹山小学校と改称、独立 校章及び校歌制定[15]
  • 1950年(昭和25年)?月 - 給食室新設[1]
  • 1951年(昭和26年)?月 - 前校舎増改築[1]
  • 1955年(昭和30年)3月 - 豊栄町立笹山小学校と改称[15]
  • 1956年(昭和31年)10月 - グラウンド拡張[1]
  • 1960年(昭和35年)3月 - 校舎増改築[17]
  • 1962年(昭和37年)4月 - 屋内体育館改築[15]
  • 1969年(昭和44年)8月 - プール竣工[15]
  • 1970年(昭和45年)11月 - 豊栄市立笹山小学校と改称[15]
  • 1975年(昭和50年)9月 - グラウンド拡張[1]
  • 1981年(昭和56年)3月 - 前校舎に新校舎完成[15]
  • 1981年(昭和56年)5月 - 創立90周年記念式典 完全給食開始[15]
  • 1991年平成3年)10月 - 創立100周年記念式典[15]
  • 1992年(平成4年)10月 - 豊栄市指定学習指導研究会(社会科、生活科)[15]
  • 1997年(平成9年)11月 - いきいきスクールプロジェクト実践発表会[15]
  • 2000年(平成12年)3月 - 学校梨園の整備[15]
  • 2001年(平成13年)6月 - 創立110周年記念式典[15]
  • 2002年(平成14年)4月 - 玄関前舗装[1]
  • 2004年(平成16年)2月 - 笹山小ホームページ開設[1]
  • 2005年(平成17年)3月 - 新潟市立笹山小学校と改称[1]
  • 2009年(平成21年)11月 - プール塗装[1]
  • 2011年(平成23年)3月 - 体育館改築[1]
  • 2011年(平成23年)3月 - 特別教室棟改築[1]
  • 2011年(平成23年)10月 - 創立120周年記念式典[15]
  • 2014年(平成26年)11月 - 新潟市地域と学校パートナーシップ事業「地域と学校ウェルカム参観日」[15]
  • 2019年令和元年)11月 - 閉校記念式典[1]
  • 2020年(令和2年)3月 - 閉校[1]

通学区域

閉校時の通学区域は笹山・笹山東・横土居の全部と浦ノ入の大半および木崎内島見の一部[18]

閉校時の
(行政地名)
地番
内島見 1838番地
浦ノ入 190番地/367番地/791番地~794番地/
813番地~1068番地/1250番地~1731番地/
3981番地/3982番地
木崎 1006番地2/
3436番地6/3442番地3/
3456番地7~3469番地1/
3679番地1~4405番地1
笹山 全部
笹山東 全部
横土居 全部

進学先中学校

交通

通学区域の変遷

開校した1892年明治25年)4月の通学区域笹山村の全域(笹山地区横土居地区浜浦谷内地区下大谷内地区)であった[24]1906年明治39年)4月の木崎村の発足により、下大谷内地区の全部と浜浦谷内地区の一部(狐尾)が除かれ、旧島崎村から浦ノ入地区の全部が加えられた[24][25]1960年昭和35年)4月の新潟市への分離編入により、残りの浜浦谷内地区(本村)の大半が除かれた[24][26][27]。 閉校した2020年令和2年)3月の通学区域は笹山地区・横土居地区・浦ノ入地区であった[18][28][29]

地区名 閉校時の名(行政地名) 通学区域の変遷
1892年
明治25年)
4月 -
1906年
明治39年)
4月 -
1960年
昭和35年)
4月 -
笹山地区 笹山・笹山東・浜浦[注 2]の全部、木崎の一部 通学区域 通学区域 通学区域
横土居地区 横土居の全部、木崎の一部 通学区域 通学区域 通学区域
浜浦谷内地区 本村 浜浦[注 3]・白勢町・東栄町の全部 通学区域 通学区域 [注 4]
狐尾 松栄町の全部 通学区域 [注 5] [注 6]
下大谷内地区 下大谷内の全部 通学区域 [注 5] [注 5]
浦ノ入地区 浦ノ入の大半、木崎・内島見の一部 [注 5] 通学区域 通学区域

卒業児童数の推移

開校した1892年度(明治25年度)の卒業児童数は9人であった[24]。 当初は男子児童が多数であったが、1902年度(明治35年度)に女子児童が急増して、以後は男子児童と女子児童が同数程度となった[24][注 7]。 開校から概ね増加傾向が続いて、1960年度(昭和35年度)には第一次ベビーブーム世代により最大の90人に達した[24][注 8]。 以後は閉校まで概ね減少傾向が続いたが、1984年度(昭和59年度)から1994年度(平成6年度)にかけて第二次ベビーブーム世代により緩やかな極大を築いた[24][31][32]。 閉校した2019年度(令和元年度)の卒業児童総数は7人であった[32]

卒業児童数の明細
西暦
年度
和暦
年度
卒業児童数 備考
男子 女子 総数
1892 明治25 9 0 9 [24]
1893 26 7 1 8 [24]
1894 27 9 0 9 [24]
1895 28 15 3 18 [24]
1896 29 10 1 11 [24]
1897 30 9 0 9 [24]
1898 31 13 0 13 [24]
1899 32 24 0 24 [24]
1900 33 [24][注 9]
1901 34 9 5 14 [24]
1902 35 26 45 71 [24]
1903 36 24 24 48 [24]
1904 37 20 21 41 [24]
1905 38 14 10 24 [24]
1906 39 10 15 25 [24]
1907 40 31 36 67 [24]
1908 41 [24][注 10]
1909 42 [24][注 10]
1910 43 9 13 22 [24]
1911 44 30 22 52 [24]
1912 大正 20 14 34 [24]
1913 2 23 20 43 [24]
1914 3 26 27 53 [24]
1915 4 21 20 41 [24]
1916 5 24 18 42 [24]
1917 6 24 21 45 [24]
1918 7 28 21 49 [24]
1919 8 31 33 64 [24]
1920 9 23 34 57 [24]
1921 10 29 33 62 [24]
1922 11 30 30 60 [24]
1923 12 35 26 61 [24]
1924 13 19 32 51 [24]
1925 14 43 22 65 [24]
1926 昭和 26 35 61 [24]
1927 2 35 26 61 [24]
1928 3 35 36 71 [24]
1929 4 20 24 44 [24]
1930 5 32 33 65 [24]
1931 6 38 28 66 [24]
1932 7 23 42 65 [24]
1933 8 26 40 66 [24]
1934 9 27 35 62 [24]
西暦
年度
和暦
年度
卒業児童数 備考
男子 女子 総数
1935 昭和10 26 30 56 [24]
1936 11 46 27 73 [24]
1937 12 31 17 48 [24]
1938 13 37 24 61 [24]
1939 14 47 35 82 [24]
1940 15 30 43 73 [24]
1941 16 36 30 66 [24]
1942 17 32 28 60 [24]
1943 18 24 26 50 [24]
1944 19 42 43 85 [24]
1945 20 36 33 69 [24]
1946 21 43 37 80 [24]
1947 22 27 36 63 [24]
1948 23 37 44 81 [24]
1949 24 35 40 75 [24]
1950 25 32 38 70 [24]
1951 26 26 27 53 [24]
1952 27 32 40 72 [24]
1953 28 30 50 80 [24]
1954 29 38 30 68 [24]
1955 30 49 36 85 [24]
1956 31 29 19 48 [24]
1957 32 25 28 53 [24]
1958 33 27 33 60 [24]
1959 34 41 48 89 [24]
1960 35 43 47 90 [24]
1961 36 36 41 77 [24]
1962 37 40 39 79 [24]
1963 38 30 37 67 [24]
1964 39 40 34 74 [24]
1965 40 33 32 65 [24]
1966 41 21 30 51 [24]
1967 42 30 32 62 [24]
1968 43 24 21 45 [24]
1969 44 27 27 54 [24]
1970 45 19 19 38 [24]
1971 46 21 18 39 [24]
1972 47 16 24 40 [24]
1973 48 17 22 39 [24]
1974 49 26 13 39 [24]
1975 50 14 19 33 [24]
1976 51 23 18 41 [24]
1977 52 16 18 34 [24]
西暦
年度
和暦
年度
卒業児童数 備考
男子 女子 総数
1978 昭和53 18 15 33 [24]
1979 54 16 17 33 [24]
1980 55 12 10 22 [24]
1981 56 27 [31][注 11]
1982 57 26 [31][注 11]
1983 58 20 [31][注 11]
1984 59 31 [31][注 11]
1985 60 33 [31][注 11]
1986 61 35 [31][注 11]
1987 62 35 [31][注 11]
1988 63 32 [31][注 11]
1989 平成 38 [31][注 11]
1990 2 39 [31][注 11]
1991 3 31 [31][注 11]
1992 4 36 [31][注 11]
1993 5 23 [31][注 11]
1994 6 30 [31][注 11]
1995 7 19 [31][注 11]
1996 8 21 [31][注 11]
1997 9 22 [31][注 11]
1998 10 20 [31][注 11]
1999 11 23 [31][注 11]
2000 12 22 [31][注 11]
2001 13 23 [31][注 11]
2002 14 22 [31][注 11]
2003 15 28 [31][注 11]
2004 16 17 [31][注 11]
2005 17 22 [31][注 11]
2006 18 18 [31][注 11]
2007 19 22 [32][注 11]
2008 20 16 [32][注 11]
2009 21 13 [32][注 11]
2010 22 17 [32][注 11]
2011 23 15 [32][注 11]
2012 24 13 [32][注 11]
2013 25 15 [32][注 11]
2014 26 8 [32][注 11]
2015 27 8 [32][注 11]
2016 28 10 [32][注 11]
2017 29 7 [32][注 11]
2018 30 9 [32][注 11]
2019 令和 7 [32][注 11]

卒業児童数の推移

ギャラリー

脚注

注釈

  1. ^ 開校年月日で代用した。
  2. ^ 1960年昭和35年)4月から。
  3. ^ 1960年昭和35年)3月まで。
  4. ^ 南浜小学校通学区域に属する。
  5. ^ a b c d 木崎小学校通学区域に属する。
  6. ^ 濁川小学校通学区域に属する。
  7. ^ 1900年明治33年)8月の改正小学校令の公布により義務就学の規定の明確化と授業料の廃止がなされた[30]。この小学校令が卒業児童数に反映される1903年度(明治36年度)の前年度の1902年度(明治35年度)に女子児童が急増した[24]
  8. ^ 浜浦谷内地区(本村)は例年数名の卒業児童を送り出していた[24]。この浜浦谷内地区(本村)の大半が通学区域から除かれた1960年度(昭和35年度)に卒業児童数は最大に達した[24]
  9. ^ 修業年限の延長(3年→4年)により卒業児童が存在しない[33]
  10. ^ a b 修業年限の延長(4年→6年)により卒業児童が存在しない[33]
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am 5月1日現在の6年生の児童数で代用した。

出典

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  8. ^ 笹山小学校閉校記念事業実行委員会たより(第4号) - 新潟市教育委員会、笹山小学校閉校記念事業実行委員会 2020年3月28日閲覧。
  9. ^ ブログ記事 2019年11月アーカイブ - 新潟市立笹山小学校 2020年3月28日閲覧。
  10. ^ ブログ記事 2019年12月アーカイブ - 新潟市立笹山小学校 2020年3月28日閲覧。
  11. ^ ブログ記事 2020年2月アーカイブ - 新潟市立笹山小学校 2020年3月28日閲覧。
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関連項目

外部リンク