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2022年10月8日 (土) 02:12時点における版
馬瀬村立総島小学校名丸分校 | |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 馬瀬村 |
設立年月日 | 1873年 |
閉校年月日 | 1967年 |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒509-2601 |
岐阜県下呂市馬瀬名丸1631-3[注釈 1] | |
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馬瀬村立立総島小学校名丸分校(まぜそんりつ そうじましょうがっこう なまるぶんこう)は、かつて岐阜県益田郡馬瀬村に存在した公立小学校の分校。
概要
- 総島小学校の分校であり、名丸地区が校区であった。1967年廃校。
- 廃校後、校舎は馬瀬村公民館(名丸公民館)として平成時代(2003年頃)まで公民館施設として使用されていた。2000年代に校舎の建物が取り壊された。跡地は名丸ふれあいセンターとなっている。
沿革
- 1873年(明治6年)11月 - 名丸村に名丸学校が開校。
- 1875年(明治8年) - 下山村、西村、惣島村、井谷村、名丸村、堀之内村、中切村、数河村、黒石村、川上村が合併し馬瀬村となる。
- 1884年(明治17年) - 馬瀬村が上馬瀬村[注釈 2]と下馬瀬村[注釈 3]に分割される。名丸学校は上馬瀬村の学校となる。
- 1886年(明治19年) - 名丸簡易科小学校に改称する。
- 1888年(明治21年) - 名丸尋常小学校に改称する。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 上馬瀬村、下馬瀬村が合併し、馬瀬村が発足。
- 1898年(明治31年) - 名丸尋常小学校が中切尋常小学校に統合される。
- 1905年(明治38年)2月8日 - 名丸地区が中切尋常小学校校区から総島尋常小学校校区に移る。総島尋常小学校名丸分教場を設置。
- 1908年(明治41年)3月31日 - 廃校[1]。
- 1912年(明治45年)
- 3月14日 - 名丸地区が名丸地区の学校設置を、馬瀬村議会に要望する[1]。
- 3月16日 - 馬瀬村議会により、設置が延期される。
- 1912年(大正元年)8月6日 - 馬瀬村長により名丸地区の学校設置が提案されるが、馬瀬村議会により、設置が再度延期される。
- 1915年(大正4年)9月14日 - 馬瀬村大字中丸字日影1631-3に設置が決まる[2]。
- 1917年(大正6年) - 総島尋常高等小学校名丸分教場として開設。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 総島国民学校名丸分教場に改称する。
- 1947年(昭和22年)
- 4月1日 - 馬瀬村立総島小学校名丸分校に改称する。
- 5月2日 - 校舎を新築する。馬瀬村公民館を併設する[3]。
- 1967年(昭和42年)3月31日 - 廃校[4]。
脚注
参考文献
- 馬瀬村制施行百周年記念誌 (百周年記念事業実行委員会 1989年)
関連項目