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2022年10月8日 (土) 02:07時点における版
蟹江町立須西小学校 | |
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北緯35度08分37.6秒 東経136度47分02.2秒 / 北緯35.143778度 東経136.783944度座標: 北緯35度08分37.6秒 東経136度47分02.2秒 / 北緯35.143778度 東経136.783944度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 蟹江町 |
設立年月日 | 1907年(明治40年)2月28日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B123210009219 |
所在地 | 〒497-0036 |
愛知県海部郡蟹江町須成西6-114 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
蟹江町立須西小学校(かにえちょうりつ すにししょうがっこう)は、愛知県海部郡蟹江町須成西6-114にある公立小学校。
地理
海部郡蟹江町でもっとも北に位置する小学校である。須成地区には須成祭を開催する冨吉建速神社・八劔社(須成神社)があり、また龍照院がある。敷地は蟹江川のすぐ西側にある。校舎がある敷地と南運動場がある敷地は、道路の下を通るトンネルで結ばれている。
1905年(明治38年)には須成村が〈旧〉蟹江町・西ノ森村・新蟹江村と合併して〈新〉蟹江町となると、2年後の1907年(明治40年)2月28日には、須成村立須成尋常小学校と西ノ森村立西之森尋常小学校が合併し、蟹江町立須西小学校が開校した。2016年(平成28年)12月には須成祭が「山・鉾・屋台行事」の一部としてユネスコの無形文化遺産に登録された。
沿革
- 1907年(明治40年)2月28日 - 須成尋常小学校と西之森尋常小学校が合併し、海東郡蟹江町立須西尋常小学校が開校[1]。
- 1941年(昭和16年) - 蟹江町立須西国民学校に改称[1]。
- 1947年(昭和22年) - 蟹江町立須西小学校に改称[1]。
- 1959年(昭和34年)10月 - 全国PTA大会で文部大臣表彰[1]。
- 1975年(昭和50年)4月10日 - 南運動場を開設[1]。
- 1980年(昭和55年)3月 - 体育館(屋内運動場)を開設[1]。
- 1981年(昭和56年)7月 - プール竣工[1]。
- 2016年(平成28年) - 全教室に冷暖房設備を設置。
児童数の変遷
『愛知県小中学校誌』(2018年)によると、児童数の変遷は以下の通りである[2]。
1947年(昭和22年) | 344人 | |
1957年(昭和32年) | 349人 | |
1967年(昭和42年) | 387人 | |
1977年(昭和52年) | 865人 | |
1987年(昭和62年) | 500人 | |
1997年(平成9年) | 375人 | |
2007年(平成19年) | 315人 | |
2017年(平成29年) | 330人 |
脚注
参考文献
- 『六三制教育七十周年記念 愛知県小中学校誌』愛知県小中学校長会、2018年