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2022年10月8日 (土) 02:04時点における版
松戸市立東部小学校 | |
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北緯35度46分06秒 東経139度55分53秒 / 北緯35.76831度 東経139.93142度座標: 北緯35度46分06秒 東経139度55分53秒 / 北緯35.76831度 東経139.93142度 | |
過去の名称 |
秋山小学校 旧・大橋小学校 紙敷小学校 旧・和名ヶ谷小学校 八柱第一小学校 八柱第二小学校 八柱尋常小学校 松戸東部尋常小学校 松戸市東部国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 松戸市 |
設立年月日 | 1873年(明治6年) |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B112210002326 |
所在地 | 〒270-2222 |
千葉県松戸市高塚新田382-1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
松戸市立東部小学校(まつどしりつとうぶしょうがっこう)は、千葉県松戸市高塚新田にある公立の小学校である。
概要
1873年~1874年創立の3つの旧制小学校から始まる約150年続く歴史のある小学校である。長い歴史の中で、梨香台小学校、和名ヶ谷小学校、大橋小学校、東松戸小学校が本校から分離して開設されている。
松戸市立第五中学校との施設統廃合による小中一貫校「東部学園」構想[1]が検討されているものの、その場合の小中学校を合わせた児童・生徒の総数は2030年に約2,000名と見込まれ[2]、全国でも最大規模になる見込みである[3]。
年度 | 2016年 | 2030年[2] | 東部学園 |
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第五中学校 | 698名(19学級) | 1,315名(44学級) | 約2,000名[3] |
東部小学校 | 753名(25学級) | 738名(25学級) |
沿革
- 1873年(明治 6年) 大橋村、秋山村にそれぞれ旧・大橋小学校、秋山小学校が設置される
- 1874年(明治 7年) 紙敷村に紙敷小学校が設置される
- 1882年(明治15年) 旧・大橋小と秋山小を合併し旧・和名ヶ谷小学校となる
- 1890年(明治23年) 旧・和名ヶ谷小が八柱第一小に、紙敷小が八柱第二小となる
- 1892年(明治25年) 八柱第一小、八柱第二小を統合。紙敷新田において八柱尋常小学校となる
- 1913年(大正 2年) 高等科を設置
- 1924年(大正13年) 清原台(現在地)に新校舎竣工
- 1938年(昭和13年) 松戸町となり松戸東部尋常小学校と改称
- 1943年(昭和18年) 松戸市となる。国民学校令により松戸市東部国民学校と改称
- 1946年(昭和21年) 松戸市立東部小学校と改称
- 1972年(昭和47年) 梨香台小学校が分離。特殊学級(現特別支援学級)開設
- 1973年(昭和48年) 創立100周年記念事業実施
- 1975年(昭和50年) 和名ヶ谷小学校が分離
- 1981年(昭和56年) 大橋小学校が分離
- 2016年(平成28年) 東松戸小学校が分離
教育方針
学校目標 : 夢に向かって、心豊かにたくましく成長する児童の育成
学校行事
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脚注
- ^ 松戸市教育委員会「平成31年度教育施策方針」など
- ^ a b 平成28年度第2回 松戸市公共施設再編整備推進審議会「学級数推計結果」
- ^ a b 平成30年度学校基本調査(文部科学省)において1,500人以上の児童生徒数を収容している9年制義務教育学校(小中一貫校)は全国に存在しない
- ^ 「東部小学校便り」平成30年6月1日号ほか
- ^ 東部小学校の前身である旧制の学校で、現在、同一の学校名が存在する場合は「旧」とつけ区別している