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2022年10月8日 (土) 00:38時点における版
大垣市立日新小学校 | |
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北緯35度19分55秒 東経136度36分02秒 / 北緯35.33207度 東経136.60042度座標: 北緯35度19分55秒 東経136度36分02秒 / 北緯35.33207度 東経136.60042度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大垣市 |
設立年月日 | 1873年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B121220200066 |
所在地 | 〒503-0962 |
岐阜県大垣市入方1丁目34番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
大垣市立日新小学校(おおがきしりつ にっしんしょうがっこう)は、岐阜県大垣市にある市立小学校。
概要
- 通学区域は多芸島1-4丁目、入方1-3丁目、上笠1-3丁目、西大外羽1-4丁目、高渕町、高渕1-4丁目、上屋1・2丁目、友江1・2丁目、大外羽1-4丁目、割田1丁目(一部)、2丁目(一部)、3丁目(一部)、外野1-4丁目、外花1-6丁目であり、公立中学校の進学先は大垣市立西中学校である[1]。
- 校名の「日新」は、儒教の経書(大学)の一節、「湯之盤銘曰 苟日新 日日新 又日新」からとったものである[2]。
- 1949年から1952年まで、及び1973年から2005年までは大垣市立日新幼稚園を併設していた。
沿革
- 1873年(明治6年) -
- 秀実義校が開校。校区は多芸島村、上笠村、大外羽村[3]、野口村。
- 提携義校が開校。校区は割田村、外野村、外花村、友江村。
- 1877年(明治10年) - 秀実義校と提携義校が併合。八村学校に改称する。
- 1883年(明治16年) - 八村学校が秀実学校と提携学校に分立する。
- 1889年(明治22年) -
- 1897年(明治30年)4月1日 - 多芸島村、上笠村、東大外羽村、西大外羽村、高淵村と、南杭瀬村の一部(友江)が合併し、多芸島村が発足。
- 1900年(明治33年) - 多芸島村と南杭瀬村とで学校組合が成立。組合立多芸島尋常小学校に改称する。
- 1905年(明治38年) - 校舎を新築し、移転する[注釈 1]。
- 1906年(明治39年) - 組合立多芸島尋常高等小学校に改称する。
- 1934年(昭和9年)12月5日 - 南杭瀬村が大垣市へ編入される。学校組合が解除される。
- 1935年(昭和10年)6月1日 - 多芸島村が大垣市へ編入される。大垣市立多芸島尋常高等小学校に改称する。
- 1941年(昭和16年) - 日新国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月 - 大垣市立日新小学校に改称する。
- 1949年(昭和24年)4月 - 大垣市立日新幼稚園(初代)が開園する。日新小学校に併設する。
- 1952年(昭和27年)9月 - 大垣市立日新保育園の開園に伴い、大垣市立日新幼稚園は廃園となる。
- 1972年(昭和47年)8月 - 現在地に校舎が完成し、移転する。
- 1973年(昭和48年)4月 - 大垣市立日新幼稚園(二代目)が開園する。日新小学校に併設する。
- 2005年(平成13年)4月 - 大垣市立日新幼稚園と大垣市立日新保育園を統合し、大垣市立日新幼保園となる。園舎は旧・大垣市立日新保育園を転用する。
脚注
- ^ 大垣市立小中学校の通学区域等を定める規則
- ^ 大垣市立日新小学校HP(校名の由来)
- ^ 1882年に東大外羽村と西大外羽村に分立。
- ^ 宇北裏、村東は大垣町の合併に参加
- ^ 若森村のうち、宇石田、勝沼分、町浦、北田分、堤外の一部、井川上河原畑の一部は大垣町の合併に参加。