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「鶴田町立梅沢小学校」の版間の差分

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2022年10月8日 (土) 00:09時点における版

鶴田町立梅沢小学校
地図北緯40度45分21.1秒 東経140度28分21.4秒 / 北緯40.755861度 東経140.472611度 / 40.755861; 140.472611座標: 北緯40度45分21.1秒 東経140度28分21.4秒 / 北緯40.755861度 東経140.472611度 / 40.755861; 140.472611
過去の名称 梅沢尋常高等小学校
梅沢国民学校
梅沢村立梅沢小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 鶴田町
併合学校 横萢尋常小学校
梅田尋常高等小学校
設立年月日 1924年4月1日
閉校年月日 2020年3月31日
共学・別学 男女共学
所在地 038-3511
青森県北津軽郡鶴田町大字横萢松倉16番1号
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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鶴田町立梅沢小学校(つるたちょうりつ うめざわしょうがっこう)は、青森県北津軽郡鶴田町にあった公立小学校

概要

  • 鶴田町横萢にあり、旧梅沢村域が学区となっていた。2019年(平成31年・令和元年)度(閉校時点)の児童数は41名[1]。主な進学先は、鶴田中学校(1970年度~2019年度)。

沿革

  • 1924年大正13年)
    • 4月1日 - 横萢尋常小学校と梅田尋常高等小学校が統合し、梅沢尋常高等小学校発足。
    • 10月27日 - 新校舎が竣工し、落成式挙行。
  • 1926年(大正15年)7月1日 - 梅沢村立梅沢青年訓練所併置。
  • 1935年昭和10年)4月1日 - 併設の梅沢青年訓練所が、青年学校制度実施により、公立梅沢青年学校と改称。同時に女子部新設。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、梅沢国民学校に改称。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学校教育法(旧法)施行により、梅沢村立梅沢小学校に改称。高等科は新制の梅沢中学校に改称し、高等科生を中学校に移籍。
  • 1948年(昭和23年)5月5日 - 週五日制実施。
  • 1951年(昭和26年)8月30日 - 校内放送設備完成。
  • 1953年(昭和28年)11月28日 - 南側校舎増築工事完了。
  • 1954年(昭和29年)8月 - 中央校舎及び玄関増築工事完了。
  • 1955年(昭和30年)
  • 1957年(昭和32年)5月15日 - 宿直室増築、校長室移転。
  • 1962年(昭和37年)
  • 1963年(昭和38年)1月31日 - 大字横萢字松倉4番4号に移転。同日、落成式挙行。
  • 1965年(昭和40年)7月10日 - 水泳プール竣工式挙行。
  • 1968年(昭和43年)
    • 4月 - センター方式による学校給食開始[3]
    • 9月10日 - 創立90周年記念式典挙行。協賛会より、遊具や野球バックネットが寄贈された。
  • 2003年平成15年) - 大字横萢字松倉16番1号(現在地)に移転
  • 2019年令和元年)10月12日 - 本校体育館にて、閉校式挙行[1]
  • 2020年(令和2年)3月31日 - 鶴田小学校に統合され、閉校[4]

周辺

  • 梅沢保育所
    • 他は個人商店や人家及び田畑のみ。

交通

脚注

  1. ^ a b 梅沢小児童が141年の歴史に別れ惜しむ - 東奥日報WEB・2019年10月12日配信
  2. ^ 『青森県教育史 別巻』802頁「学校沿革 小学校 梅沢小学校」。
  3. ^ 『水元中学校沿革誌』(2004年4月1日発行)「(1)学校沿革誌の概要」7頁から。これにセンター給食についての記載がある。
  4. ^ 鶴田町の全小学校を1校に統合する方針に決定 (PDF) - 広報つるた2016年7月号

参考文献

  • 『鶴田町誌 下巻』(鶴田町・1979年3月31日発行)505頁から515頁の「第十一章 教育・第三節 各学校・八 梅沢小学校・1 沿革概要」
  • 「資料編」『東奥年鑑 2002年版記録編』東奥日報社、2001年9月1日。 
  • 「資料編」『東奥年鑑 2003年版記録編』東奥日報社、2002年9月1日。 

関連項目

外部リンク