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2022年10月7日 (金) 23:39時点における版
四日市市立楠小学校 | |
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北緯34度54分52.3秒 東経136度37分38.9秒 / 北緯34.914528度 東経136.627472度座標: 北緯34度54分52.3秒 東経136度37分38.9秒 / 北緯34.914528度 東経136.627472度 | |
過去の名称 |
北五味塚学校 久寿学校 楠簡易授業所 楠尋常小学校 楠町国民学校 楠町立楠小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 四日市市 |
併合学校 |
本郷学校 南五味塚学校 南久寿学校 |
設立年月日 | 1875年(明治8年)11月20日 |
創立者 | 北五味塚村、吉崎村、小倉村 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B124220220372 |
所在地 | 〒517-0209 |
三重県四日市市楠町北五味塚2060番地9 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
四日市市立楠小学校(よっかいちしりつくすしょうがっこう)は、三重県四日市市楠町北五味塚にある公立小学校。2015年5月1日現在、児童数は25学級608人[1]。
概要
楠小学校のある楠町は伊勢湾に面した三角州の地域である[2]。しかし1年生の遠足で町内の吉崎海岸へ行くのが初めての海の体験となる児童がおり、海岸を日常的な遊び場とする児童はいない[3]。一方、町内に張り巡らされた水路は学校教育で取り扱われないが遊び場とする児童がいる[3]。
校地面積は16,010m2、そのうち校舎面積は6,736m2、運動場面積は9251m2である[4]。体育館と25mプールを有する[4]。校舎は四日市市楠地区の津波避難ビルに指定されている[5]。
歴史
年表については公式サイトの学校概要を参照。
近代
楠小学校の創立は、1875年(明治8年)11月20日に北五味塚村・吉崎村・小倉村の3村が連合して設立した北五味塚学校に遡る[6]。北五味塚学校は北五味塚村の信最寺本堂を借用して開校し、1874年(明治7年)7月10日に私立学校「富田義塾」を設立した富田彦十郎・光太郎父子が教師を務めた[7]。1876年(明治9年)6月には富田彦十郎と坂倉助一郎が資金を出し合って富田邸の南隣に校舎を建設し、北五味塚学校へ貸与した[6]。翌1877年(明治10年)2月に本郷学校[注 1]、4月に南五味塚学校[注 2]を北五味塚学校へ統合した[8]。しかし旧本郷学校の学区だった本郷村と北一色村の児童は内堀村(現・四日市市内堀町)の内堀学校へ通学するようになり、この2村が北五味塚学校の学区となったのは1879年(明治12年)12月のことである[9]。1880年(明治13年)には校舎が手狭となったことから既存校舎の両脇に新校舎を増築した[9]。その資金は再び富田・坂倉両家から提供された[9]。
1882年(明治15年)3月、南五味塚村と南川村はそれぞれ自村で学校を設立し[注 3]北五味塚学校から分離した[10]。同年8月、北五味塚学校は校名を久寿学校[注 4]に改称した[9]。
1887年(明治20年)4月、小学校令実施により南久寿学校を久寿学校に統合し、久寿学校は校名を楠簡易授業所に改めた[10]。しかし同年6月には尋常小学校を併設したため、楠尋常小学校に再改名している[10]。校舎が再び手狭となってきたため1903年(明治36年)1月に楠村会は校舎の新築を決議し、翌1904年(明治37年)5月17日に現校地である木造の新校舎へ移転した[10]。昭和に入ると1927年(昭和2年)の特別教室改築、1929年(昭和4年)4月13日の講堂竣工[注 5]が相次いだ[11]。戦時体制となったことにより1941年(昭和16年)4月、楠尋常小学校は楠町国民学校に改称した[11]。
現代
学制改革により1947年(昭和22年)4月、楠町立楠小学校に改称した[12]。4月15日には楠小学校の教員2人を楠町立楠中学校に転任させて開校準備を進め[13]、5月13日に楠中学校は開校式を挙行した[14]。楠中学校開校のために講堂と3教室を貸し出し[13]、1948年(昭和23年)6月1日に新校舎へ移転するまで利用された[15]。同年6月、講堂の北側に木造の校舎を増築する[16]。また1947年(昭和22年)には脱脂粉乳による「ミルク給食」を開始し、翌1948年(昭和23年)には味噌汁と温めた弁当の給食を提供開始した[17]。
1956年(昭和31年)7月、プールが完成した[16]。1957年(昭和32年)5月には完全給食を開始した[16]。1959年(昭和34年)2月7日、鉄筋コンクリート3階建ての北校舎が完成し、校章・校歌を制定した[16]。1970年(昭和45年)6月には南校舎、翌1971年(昭和46年)5月には体育館が完成した[18]。学制百年記念式典が行われた1972年(昭和47年)、講堂が取り壊された[19]。1975年(昭和50年)11月、創立百周年記念式典を挙行、同時に体力づくり施設(楠っ子ランド[4])が整備された[18]。1980年(昭和55年)7月に新プールが完成する[4]。このころ、教員による児童に対する暴力事件が絶えなかった。
2005年(平成17年)2月7日、楠町が四日市市に編入合併されたことで、四日市市立楠小学校に改称した[4]。同年9月1日には一部バリアフリー化を含む体育館の耐震工事が完了、2007年(平成19年)12月に新しい北校舎ができた[4]。2014年(平成26年)、「四日市版コミュニティスクール」の指定を受けた[20]。
教育の特色
学校教育目標に「思いやりとたくましさをもち、学びあう子の育成」を掲げ、小学校6年間を通した地域学習を行っている[20]。また楠中学校が主導して幼稚園・保育所・小学校・中学校の連携による学力の向上とキャリア教育の取り組みを行っている[21]。
受賞歴
- 1950年(昭和25年)10月 - 東海三県音楽コンクール優勝[16]
- 1960年(昭和35年)10月 - こども銀行で大蔵大臣表彰[16]
- 1962年(昭和37年)11月 - 給食優良校として文部大臣表彰[16]
- 1966年(昭和41年)11月 - フラワー・ブラボー・コンクール(FBC)三重県大賞[22]
- 1968年(昭和43年)11月 - 教育優秀校として三重県表彰[18]
校歌
現行の校歌はサトウハチローの作詞、大中恩の作曲で3番まである[23]。各番とも「楠町、楠町、楠小学校」で終わる[23]。1959年(昭和34年)2月7日の北校舎が完成に合わせて制定したものである[16]。
旧校歌は1913年(大正2年)2月に制定されている[24]。岸田治雄の作詞(佐佐木信綱の校閲)、村上一郎・神崎正之の作曲である[24]。
学区
四日市市立楠中学校と完全に一致する[25][26]。卒業生は基本的に隣接する楠中学校へ進学する[25]。
出身者
脚注
- 注釈
- ^ 1876年(明治9年)4月に本郷村と北一色村の連合で設立した学校[6]。本郷村の正覚寺本堂を借用していた[6]。
- ^ 1876年(明治9年)5月に南五味塚村と南川村の連合で設立した学校[6]。南五味塚村会所を借用していた[6]。
- ^ 南五味塚村は南五味塚学校を初代の南五味塚学校と同じ場所に開校、南川村は南川学校を個人宅を借用して開校した[10]。南川学校は1882年(明治15年)8月に南五味塚学校へ統合し、南五味塚学校は南久寿学校に改称した[10]。その後南五味塚村と南川村が資金を出し合い、校舎を建設した[10]。
- ^ 1880年(明治13年)の卒業証書では既に「久寿学校」と記載されており、正式な校名変更の承認が1882年(明治15年)まで遅れたものと『楠町史』では推測している[9]。
- ^ 御大典記念として建設された[11]。
- 出典
- ^ 三重県教育委員会(2015):15ページ
- ^ 武田・栗田(2015):28ページ
- ^ a b 武田・栗田(2015):30 - 31ページ
- ^ a b c d e f “くすっ子たより/学校概要(平成26年4月1日現在)”. 四日市市立楠小学校 (2014年4月1日). 2016年7月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月30日閲覧。
- ^ 坂本進「浸水域 内陸3キロまで 四日市市②」朝日新聞2014年9月1日付朝刊、三重版23ページ
- ^ a b c d e f 楠町史編纂委員会 編(1978):461ページ
- ^ 楠町史編纂委員会 編(1978):460 - 461ページ
- ^ 楠町史編纂委員会 編(1978):461 - 462ページ
- ^ a b c d e 楠町史編纂委員会 編(1978):462ページ
- ^ a b c d e f g 楠町史編纂委員会 編(1978):463ページ
- ^ a b c 楠町史編纂委員会 編(1978):464ページ
- ^ 楠町史編纂委員会 編(1978):465ページ
- ^ a b 楠町史編纂委員会 編(1978):475ページ
- ^ 楠町史編纂委員会 編(1978):477ページ
- ^ 楠町史編纂委員会 編(1978):476 - 477ページ
- ^ a b c d e f g h 楠町史編纂委員会 編(1978):466ページ
- ^ 楠町史編纂委員会 編(1978):489ページ
- ^ a b c 楠町史編纂委員会 編(1978):467ページ
- ^ 楠町史編纂委員会 編(1978):464, 467ページ
- ^ a b 樋口満 (2015年). “四日市版コミュニティスクール報告書(平成26年度総括)”. 四日市市役所. 2016年7月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月30日閲覧。
- ^ “三重県の学校長3名が教育者表彰(文部科学大臣表彰)を受賞します”. 三重県教育委員会事務局教職員課 (2015年11月25日). 2016年7月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月30日閲覧。
- ^ 楠町史編纂委員会 編(1978):466 - 467ページ
- ^ a b 楠町史編纂委員会 編(1978):474ページ
- ^ a b 楠町史編纂委員会 編(1978):473ページ
- ^ a b “生徒の新たな面を見付けて褒め生徒自ら設定した上限を取り払う 三重県四日市市立楠中学校”. VIEW21 [中学版]. ベネッセ教育総合研究所 (2013年). 2016年7月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月29日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “小・中学校通学区域一覧”. 四日市市教育委員会事務局教育総務課. 2016年7月30日閲覧。
- ^ 「夢はJリーガー 楠小の内田君 少年サッカーの全国合宿へ」朝日新聞2001年11月17日付朝刊、三重版22ページ
参考文献
- 楠町史編纂委員会 編『楠町史』楠町教育委員会、1978年5月20日、634p.
- 武田美恵・栗田雄斗(2015)"沿岸部地域の水辺における児童の遊びと津波・高潮の危険認識に関する研究―三重県四日市市立楠小学校区を事例として―"生態工学会誌(生態工学会).27(2):27-34.
- 三重県教育委員会事務局教育総務課『学校名簿 平成27年度』三重県教育委員会、2015年8月、57p.