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「諫早市立飯盛西小学校」の版間の差分

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2022年10月7日 (金) 22:50時点における版

諫早市立飯盛西小学校
地図北緯32度46分12.4秒 東経129度59分37.2秒 / 北緯32.770111度 東経129.993667度 / 32.770111; 129.993667座標: 北緯32度46分12.4秒 東経129度59分37.2秒 / 北緯32.770111度 東経129.993667度 / 32.770111; 129.993667
過去の名称 第五大学区長崎県管下第三中学区高来郡田結小学校
諫早部公立田結小学校
戸石学区公立田結小学校
尋常田結小学校
田結尋常小学校
田結尋常高等小学校
田結村国民学校
田結村立田結小学校
飯盛村立飯盛西小学校
飯盛町立飯盛西小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 諫早市
設立年月日 【設立】
1973年明治6年)
【現在地に移転(創立年)】
1893年(明治26年)5月7日
創立記念日 5月7日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B142210001606 ウィキデータを編集
所在地 854-1123
長崎県諫早市飯盛町里620番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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諫早市立飯盛西小学校(いさはやしりつ いいもりにししょうがっこう、Isahaya City Imori Nishi Elementary School)は、長崎県諫早市飯盛町里にある公立小学校

概要

歴史
1873年明治6年)に「田結(たゆい)小学校」として創立。校名に飯盛が登場するのは1955年(昭和30年)。現在地に移転した1893年(明治26年)を起点として創立年が数えられており、2013年(平成25年)に創立120周年を迎えた。
校章
中央に「西小」の文字(縦書き)を置いている。

校歌

作詞は町田トシコ、作曲は伊藤英一による。歌詞は3番まであり、歌詞中に校名は登場しない(1番に「飯盛」が登場する)。
校区
諫早市飯盛町池下、里、川下、古場。中学校区は諫早市立飯盛中学校[1]

沿革

  • 1873年(明治6年) - 田結村高野に「田結小学校」が開校。児童数は約30名、訓導は勝良某氏。
    • 古場名の志賀神社、池下名の池神社に分校を開設。
  • 1874年(明治7年)7月8日 - 「第五大学区長崎県管下第一中学区高来郡田結小学校」として長崎県に認可される。
  • 1877年(明治10年)- 「第五大学区長崎県管下第三中学区高来郡田結小学校」に改称。
  • 1878年(明治11年)- 郡制の施行により、北高来郡に属することとなる。「北高来郡諫早部公立田結小学校」に改称。
  • 1881年(明治14年)- 清水名字大門(歳神社境内)に木造瓦葺2階建て校舎1棟が新築される。分校を廃止。
  • 1885年(明治18年)- 「北高来郡戸石[2]学区公立中等田結小学校」に改称。
  • 1886年(明治19年)9月 - 小学校令の施行により、尋常科(修業年限4年)を設置の上、「尋常田結小学校」に改称。江ノ浦・田結・戸石[2]村の学校組合を解消。
  • 1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、田結村立の小学校となる。
  • 1892年(明治25年)4月 - 小学校令の改正により、「田結尋常小学校」に改称(「尋常」の位置が変更となる)。
  • 1893年(明治26年)5月7日 - 現在地に木造瓦葺2階建て校舎(4教室)を新築し、移転を完了。(創立年の起点
  • 1902年(明治35年)- 田結農業補習学校を併設。
  • 1905年(明治38年)- 田結農業補習学校が廃止される。
  • 1906年(明治39年)4月1日 - 高等科(2年まで)を併置し、「田結尋常高等小学校」に改称(尋常科4年・高等科2年)。
    • 義務教育年限(尋常科の修業年限)の延長に向けて、全国的に尋常小学校に高等科が併置された。
  • 1907年(明治40年)- 田結農業補習学校を再設置。
  • 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長される(尋常科6年・高等科2年)。
    • 旧高等科1年を尋常科5年に、旧高等科2年を尋常科6年とし、高等科1・2年を新設。
  • 1916年(大正5年)- 校舎の大修理を実施。
  • 1923年(大正12年)- 木造瓦葺平屋建ての新校舎が完成。
  • 1924年(大正13年)- 運動場を拡張。
  • 1928年(昭和3年)- 校舎の修理を行う。
  • 1935年(昭和10年)
    • 6月 - 青年学校令の施行により、併設の農業補習学校が「田結青年学校」になる。
    • この年 - 水道が引かれる。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「田結村国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
    • 国民学校の初等科が改組され、「田結村立田結小学校」となる。
    • 国民学校の高等科と青年学校の普通科が改組され、「田結村立田結中学校」(新制中学校)が発足。小学校に併設される。
  • 1948年(昭和23年)- 小中合同のPTAが発足。
  • 1955年(昭和30年)2月11日 - 田結村と江ノ浦村が合併して飯盛村が発足。「飯盛村立飯盛西小学校」に改称。
    • この時、江ノ浦村立江ノ浦小学校が「飯盛村立飯盛東小学校」に改称。田結村立田結中学校は「飯盛村立飯盛西中学校」に改称。
  • 1959年(昭和34年)11月16日 - 新校舎が完成。
  • 1963年(昭和38年)5月7日 - 創立70周年[3]を記念して校歌・校章を制定。小中合同の給食室が完成し、完全給食を開始。
  • 1965年(昭和40年)4月1日 - 飯盛村が町制施行により飯盛町となったため、「飯盛町立飯盛西小学校」に改称。
  • 1967年(昭和42年)4月1日 - 統合により飯盛西中学校[4]が廃止されたため、旧校舎が移管され、講堂・特別教室として使用。
  • 1974年(昭和49年)2月23日 - 体育館が完成。
  • 1975年(昭和50年)8月 - 鉄筋コンクリート造の新校舎(普通教室12室)が完成。旧校舎を解体。
  • 1976年(昭和51年)- プールが完成。
  • 1982年(昭和57年)7月23日 - 長崎大水害により大きな被害を受ける。
  • 1984年(昭和59年)2月 - 築山を造園。水害記念碑を建立。
  • 1987年(昭和62年)- 学習園として畑を借用し、各学年の体験学習で使用を開始。
  • 1993年(平成5年)- 創立100周年を迎える[3]
  • 1995年(平成7年)- 校舎の大規模改修工事を実施。
  • 1996年(平成8年)- 水田を借用し、全校児童および保護者による田植えを開始。
  • 2005年(平成17年)3月1日 - 市町村合併により「諫早市立飯盛西小学校」(現校名)に改称。
  • 2013年(平成25年)- 体育館の耐震工事を実施。
  • 2014年(平成26年)- 校舎の耐震工事を実施。

アクセス

最寄りのバス停
最寄りの国道・県道

周辺

  • 諫早市役所飯盛支所田結出張所
  • 田結郵便局
  • 歳神社
  • 観音寺

脚注

  1. ^ 諫早市立小・中学校の通学区域に関する規則 - 諫早市ウェブサイト
  2. ^ a b 戸石村はもともと北高来郡であったが、1955年(昭和30年)2月11日西彼杵郡矢上村・北高来郡古賀村と合併し西彼杵郡東長崎町となり、1963年(昭和38年)4月22日長崎市に編入された。
  3. ^ a b 現在地に移転した1893年(明治26年)を創立年の起点としているため。
  4. ^ 江ノ浦村立江ノ浦中学校を前身とする(旧)飯盛町立飯盛中学校と、田結村立田結中学校を前身とする飯盛町立飯盛西中学校の2校が統合され、(新)「飯盛町立飯盛中学校」となった。

参考文献

  • 「飯盛町郷土誌」(2004年(平成16年)12月1日発行、飯盛町)p.519 - p.529。

関連事項

外部リンク