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2022年10月7日 (金) 19:57時点における最新版
対馬市立厳原小学校 | |
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北緯34度12分28秒 東経129度17分38秒 / 北緯34.207889度 東経129.293861度座標: 北緯34度12分28秒 東経129度17分38秒 / 北緯34.207889度 東経129.293861度 | |
過去の名称 |
第五大学区第四中学区厳原小学校 公立中等厳原小学校 公立上等厳原小学校 尋常厳原小学校・第二十番高等小学校 厳原尋常小学校・厳原高等小学校 厳原尋常高等小学校・厳原女児尋常高等小学校 厳原第一尋常高等小学校・厳原第二尋常高等小学校 厳原尋常高等小学校 厳原国民学校 厳原町立厳原小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 対馬市 |
設立年月日 | 1874年(明治7年)6月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B142210002516 |
所在地 | 〒817-0014 |
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対馬市立厳原小学校(つしましりつ いづはらしょうがっこう, Tsushima City Izuhara Elementary School)は長崎県対馬市厳原町天道茂にある公立小学校。略称は「厳小」(げんしょう)。
概要
[編集]- 歴史
- 1874年(明治7年)に開校した「第五大学区第四中学区厳原小学校」を前身とする。2009年(平成21年)に創立135周年を迎えた。
- 校歌
- 作詞は宗武志、作曲は西本祥子による。歌詞は2番まであり、両番とも校名の「厳原小学校」で終わる。
- 校区
- 住所表記で対馬市厳原町の後に「阿須、桟原、宮谷、日吉、天道茂、中村、田渕、今屋敷、大手橋、国分、久田道、久田道西里」が続く地域。中学校区は対馬市立厳原中学校[1]。
沿革
[編集]- 開校前
- 貞享年間 - 府中宮谷(現・小学橋北)に小学校を設立。
- 慶応年間 - 長寿院に移転。厳原藩学校を設立。
- 1871年(明治4年)- 廃藩置県により、厳原藩学校を厳原県学校に改称。
- 1873年(明治6年)
- 2月 - 厳原県学校を廃止。
- 5月 - 厳原義塾を設立。
- 開校後
- 1874年(明治7年)6月1日 - 厳原義塾を廃止し、日吉に「第五大学区長崎県管内第四中学区厳原小学校」を開校。
- 1875年(明治8年)- 久田道、国分、大手橋、金石、田渕、中村、天道茂、桟原に分校を設置。
- 1876年(明治9年)1月 - 女児のみを授業する厳原女学校が厳原小学校から分離。
- 1880年(明治13年)- 長崎県厳原中学校(旧制)が日吉に開校。
- 1881年(明治14年)- 厳原女学校を厳原女児学校と改称。
- 1882年(明治15年)1月 - 厳原女児学校を厳原女児小学校と改称。
- 1883年(明治16年)10月 - 厳原小学校と厳原女児小学校を統合。
- 1884年(明治17年)
- 1月 - 「公立中等厳原小学校」に改称。
- 3月 - 長崎県厳原中学校(旧制)が廃止され、長崎県長崎中学校に統合される。
- 1885年(明治18年)
- この年 - 「公立上等厳原小学校」に改称。
- 11月 - 高等科を併置。児童36名が高等科に入学。
- 1886年(明治19年)9月1日
- 1887年(明治20年)11月 - 対馬島民の募金により、第二十番高等小学校の新築校舎が完成。
- 1888年(明治21年)
- 1890年(明治23年)6月13日 - 有栖川宮熾仁親王が来校。
- 1891年(明治24年)1月28日 - 教育勅語を下附。
- 1893年(明治26年)
- 1896年(明治29年)5月4日 - 高等小学校、初めて本土への修学旅行を実施。竹敷要港部第三震天号に乗船し、長崎市・佐世保市へ向かう。8日間の旅。
- 1897年(明治30年)6月26日 - 臨時水産講習所を併置。
- 1899年(明治32年)12月27日 - 長崎県有志教育会対馬部事務所を設置。初めて長崎県教育会との連携を図る。
- 1892年(明治35年)4月1日 - 高等小学校の経費を厳原町で負担するようになる。
- 1894年(明治37年)4月6日 - 高等小学校に師範学校丙種講習科を開設。
- 1898年(明治41年)4月 - 尋常小学校を厳原町中村633番地(現:対馬南警察署敷地)に移転。
- 1899年(明治42年)4月1日 - 小学校令の改正に伴い、尋常小学校の修業年限が6年、高等小学校の修業年限が2年となる。
- 1913年(大正2年)
- この年 - 女児部を厳原女児尋常高等小学校とする。
- 9月25日 - 厳原高等小学校を廃止。尋常小学校に高等科を併置し、「厳原尋常高等小学校」と改称。
- 1915年(大正4年)4月13日 - 小浦尋常小学校を廃止し、厳原尋常高等小学校小浦分教場とする。
- 1917年(大正6年)9月1日 - 小浦分教場が小浦尋常高等小学校として独立。
- 1920年(大正9年)7月20日 - 対馬島庁告示第9号により、以下の小学校の改称を行う。
- (旧)厳原尋常高等小学校 ---(新)「厳原第一尋常高等小学校」(男児校)
- (旧)厳原女児尋常高等小学校 --- (新)「厳原第二尋常高等小学校」(女児校)
- (旧)小浦尋常高等小学校 --- (新)「厳原第二尋常高等小学校小浦分教場」
- 1925年(大正14年)4月1日 - 厳原第一尋常高等小学校と厳原第二尋常高等小学校を統合し、「厳原尋常高等小学校」とする。
- 1926年(大正15年)4月1日 - 厳原町中村606(現:JA対馬厳原支店周辺)に東校舎が完成し、東西2校舎に児童を収容。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「厳原国民学校」に改称。
- 1943年(昭和18年)4月 - 小浦分教場を廃止。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)
- 1950年(昭和25年)5月31日 - 西校舎に長崎県立対馬高等学校定時制厳原分校が併置される。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 定時制厳原分校が定時制中心校と改称し、厳原小学校仮校舎から対馬高等学校内に移転。
- 1948年(昭和23年)10月 - 初めて学校事務官を配置。
- 1949年(昭和24年)4月1日 - 小浦分校を設置。第2学年までの児童を教育。それ以上は厳原小学校本校へ通学。
- 1959年(昭和34年)- 理科標本天然記念物キタタキを厳原郷土館に保管を委託。
- 1960年(昭和35年)6月 - RKB毎日放送平田潔により、テレビ1台が寄付される。
- 1962年(昭和37年)2月26日 - 新校舎敷地を天道茂446番地薬研坂(現在地)に決定し、自衛隊作業班が整地を開始。
- 1963年(昭和38年)
- 1965年(昭和40年)5月4日 - 新校舎建設がすすみ、全児童を新校舎に収容。移転完了。
- 1966年(昭和41年)
- 1968年(昭和43年)11月1日 - 学校電話を設置。
- 1970年(昭和45年)12月7日 - 体育館が完成。
- 1971年(昭和46年)4月30日 - 交通安全教育のため、北運動場に交通公園を設置。
- 1972年(昭和47年)3月 - 運動場を拡張。
- 1981年(昭和57年)4月1日 - 小浦分校が分離・独立し、厳原町立北小学校が開校。
- 2004年(平成16年)3月1日 - 市町村合併に伴い、「対馬市立厳原小学校」(現校名)に改称。
- 2022年(令和4年)8月9日 - MISIAが来校(24時間テレビのため)。
著名な出身者
[編集]アクセス
[編集]- 最寄りの港
- 最寄りのバス停
- 対馬交通 「厳原」バス停
- 最寄りの国道・県道
周辺
[編集]- 学校・文化施設
- 官公署
- 金融機関・郵便局
- JA対馬本店・厳原支店
- 病院
- 吉田内科医院
- 寺社
- 大歳神社
- 長寿院
- 宝泉寺
- 天澤寺
- 醴泉寺
脚注
[編集]- ^ 対馬市立小・中学校の通学区域の設定に関する規則 - 対馬市ウェブサイト
- ^ 黌(読みは「こう」)は「学校」という意味。
参考文献
[編集]- 「厳原町教育史」(1972年(昭和47年)3月25日 厳原町教育委員会)
- 「厳原町史」(1997年(平成9年)3月31日発行 厳原町)