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「長崎市立飽浦小学校」の版間の差分

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2022年10月7日 (金) 19:38時点における版

長崎市立飽浦小学校
地図北緯32度44分37.2秒 東経129度51分13.2秒 / 北緯32.743667度 東経129.853667度 / 32.743667; 129.853667座標: 北緯32度44分37.2秒 東経129度51分13.2秒 / 北緯32.743667度 東経129.853667度 / 32.743667; 129.853667
過去の名称 第五大学区第一中学区飽ノ浦小学校
(淵小学校に統合)
飽浦尋常小学校
飽浦尋常高等小学校
飽浦尋常小学校(再)
長崎市飽浦国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 長崎市
設立年月日 1875年(明治8年)
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B142210000144 ウィキデータを編集
所在地 850-0063
長崎県長崎市飽の浦町17番地1
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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長崎市立飽浦小学校(ながさきしりつ あくのうらしょうがっこう、Nagasaki City Akunoura Elementary School)は、長崎県長崎市飽の浦町にある公立小学校

概要

歴史
1875年明治8年)に設置された「第五大学区第一中学区飽ノ浦小学校」を前身とする。2010年平成22年)に創立135周年を迎えた。
学校教育目標
「えがおいっぱいの子ども」
校章
旭日章の花を組み合わせたものを背景にして、「飽」の文字を中央に配している。
校歌
作詞は八波則吉、作曲は長井幸人による。歌詞は2番まであり、1番に校名の「飽の浦」が登場する。
校区
中学校区は長崎市立丸尾中学校[1]

沿革

  • 1875年(明治8年) - 「第五大学区第一中学区飽ノ浦小学校」(下等小学校)が創立。浦上淵村飽ノ浦郷(現・長崎市飽の浦町)大日社殿を校舎とする。  
  • 1882年(明治15年) - 「淵小学校」が設立され統合される。校舎には稲佐郷の淵神社[2]社務所が使用される。
  • 1895年(明治28年) - 淵小学校が廃止[3]され、稲佐尋常小学校と「飽浦尋常小学校」に分離される。  
  • 1896年(明治29年) - 現校地に校舎が完成。  
  • 1898年(明治31年) - 長崎市に編入される。 
  • 1907年(明治40年) - 高等科を併置し、「飽浦尋常高等小学校」に改称。就学児童の増加に校舎施設が追い付かず、尋常科第1学年で二部授業を実施。  
  • 1908年(明治41年) - 立神分教場が立神尋常小学校[4]として独立する。  
  • 1913年大正2年)4月 - 飽浦実業補習学校を併設。
  • 1918年(大正7年)10月31日 - スペインかぜの大流行で、臨時休校となる。
  • 1923年(大正12年) - 尋常小学校の授業料を全廃される。
  • 1924年(大正13年)4月30日 - 飽浦実業補習学校が飽浦工業専修学校に改称。
  • 1926年(大正15年) - 青年訓練所を併設。
  • 1930年昭和5年) - 木造校舎を解体し、コンクリート校舎を建設。
  • 1935年(昭和10年)6月1日 - 青年学校令の公布に伴い、併設の工業専修学校と青年訓練所を統合し、飽浦女子青年学校が設置される。
  • 1938年(昭和13年) - 空襲時の火災等に備えるため、校庭に防火用貯水槽が長崎市によって設置される[5]
  • 1940年(昭和15年)4月 - 高等科を新設の淵高等小学校へ移管し、名称が「飽浦尋常小学校」に戻る。児童数1,910名  
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「長崎市飽浦国民学校」と改称。  
  • 1944年(昭和19年)3月31日 - 戦時中の財政難により、飽浦女子青年学校が廃止される。
  • 1947年(昭和22年) - 学制改革(六・三制の実施)により、旧国民学校初等科が改組され、「長崎市立飽浦小学校」(現校名)となる。  
  • 1955年(昭和30年) - 創立80周年記念式典を挙行。 8学級で二部授業を実施[6]
  • 1966年(昭和41年) - 体育館が完成。
  • 1975年(昭和50年)11月22日 - 創立100周年記念式典を挙行。  
  • 1982年(昭和57年) - プールが完成。  
  • 1993年平成5年)9月4日 - お別れ校舎記念式典を挙行。校舎・体育館・プールを解体。  
  • 1994年(平成6年)- 新校舎が完成。オープンスペース、和室、屋上プールを備える。  
  • 1995年(平成7年)- 体育館・運動場・体育倉庫が完成。創立120周年記念式典を挙行。コンピューター室を設置。  
  • 2005年(平成17年) - 創立130周年記念式典を挙行。

アクセス

最寄りのバス停
  • 長崎バス「飽の浦」バス停で下車後、徒歩5~10分。
    • 長崎駅方面から6番の「立神」(たてがみ)行きのバスに乗車する。
    • 浦上駅方面からは、10番・20番系統のバスに乗車し、「宝町」バス停で上記のバスに乗り換え。
最寄りの国道・県道

周辺

脚注

  1. ^ 長崎市立小・中学校 校区一覧(PDF) - 長崎市教育委員会ウェブサイト
  2. ^ 現在淵神社のそばには長崎ロープウェイの駅が設置されている。
  3. ^ この後、1901年(明治34年)に就学児童数の増加に伴い、淵高等小学校が新設され、1908年(明治41年)4月6日に稲佐尋常小学校と統合され、稲佐尋常高等小学校(現長崎市立稲佐小学校)となった。
  4. ^ 2001年(平成13年)3月31日閉校。長崎市立小榊小学校に統合された。
  5. ^ この時同時に防火用貯水槽が設置されたのは、城山小学校浪平小学校勝山小学校長崎県立長崎中学校
  6. ^ この時、長崎市内の公立小学校で2部授業を行っていたのは合計102学級。

参考文献

関連事項

外部リンク