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2022年10月7日 (金) 16:54時点における版
神戸市立六甲小学校 | |
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北緯34度43分04秒 東経135度14分00秒 / 北緯34.717778度 東経135.233333度座標: 北緯34度43分04秒 東経135度14分00秒 / 北緯34.717778度 東経135.233333度 | |
過去の名称 |
八幡小学校 八幡簡易小学校 八幡尋常小学校 六甲尋常小学校 武庫郡六甲尋常小学校 武庫郡六甲尋常高等小学校 神戸市立六甲尋常高等小学校 神戸市立六甲尋常小学校 神戸市立六甲国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 神戸市 |
設立年月日 | 1886年4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B128210000188 |
所在地 | 〒657-0051 |
兵庫県神戸市灘区八幡町四丁目4番1号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
神戸市立六甲小学校(こうべしりつ ろっこうしょうがっこう)は、兵庫県神戸市灘区八幡町四丁目にある公立小学校。
沿革
- 1886年(明治19年)4月1日 - 梅仙寺に八幡小学校が開校。
- 1887年(明治20年)4月1日 - 八幡簡易小学校と改称。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 市町村制公布により、六甲村立となる。
- 1892年(明治25年)4月1日 - 八幡尋常小学校と改称。
- 1892年(明治25年)7月1日 - 六甲尋常小学校と改称。
- 1893年(明治26年)1月5日 - 八幡常地免に校舎を新築する。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 武庫郡六甲尋常小学校と改称。
- 1909年(明治42年)4月1日 - 高等科を新設。武庫郡六甲尋常高等小学校と改称。
- 1917年(大正6年) - 校旗制定。
- 1929年(昭和4年)4月1日 - 武庫郡六甲村の神戸市編入に伴い、神戸市立六甲尋常高等小学校と改称。
- 1932年(昭和7年) - 神戸市立成徳尋常高等小学校(現・神戸市立成徳小学校)を分離。高等科を廃止。
- 1938年(昭和13年)4月1日 - 神戸市立高羽尋常小学校(現・神戸市立高羽小学校)を分離。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、神戸市立六甲国民学校に改称。
- 1942年(昭和17年)9月17日 - 集団疎開開始。
- 1945年(昭和20年)6月15日 - 神戸大空襲。校舎が焼夷弾を受け全焼。
- 1947年(昭和22年)1月21日 - 学校給食を開始。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、神戸市立六甲小学校に改称。
- 1962年(昭和37年)8月22日 - プール竣工。
- 1970年(昭和45年)4月1日 - 新設された神戸市立灘小学校へ校区の一部を分離。
- 1995年(平成7年)1月17日 - 阪神・淡路大震災発生。敷地を避難所とし、被災者2200名を受け入れる。
- 1995年(平成7年)2月17日 - 学校再開。低学年は六甲小学校で、高学年は灘小学校で授業を行う。
- 1995年(平成7年)4月8日 - 平常授業再開。寿公園に仮設校舎設置。
- 1995年(平成7年)8月20日 - 避難所解消。以後は旧避難所として継続(当時点で避難者320名)。
- 1995年(平成7年)12月29日 - 旧避難所解消。
学校行事
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通学区域
- 神戸市灘区[1]
- 卒業生は基本的に神戸市立長峰中学校に進学する。
周辺
- 六甲八幡神社
- 六甲寺
交通
通学区域が隣接している学校
脚注
- ^ “神戸市学齢児童及び学齢生徒の就学に関する規則”. 神戸市教育委員会. 2020年6月25日閲覧。