「稲沢市立稲沢中学校」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
m 位置情報の追加 |
m Bot作業依頼: 学校インフォボックステンプレート統合に伴う変更 (Template:Infobox 日本の学校) - log |
||
1行目: | 1行目: | ||
{{日本の |
{{Infobox 日本の学校 |
||
|校名 = 稲沢市立稲沢中学校 |
|校名 = 稲沢市立稲沢中学校 |
||
|画像 = |
|画像 = |
2022年10月7日 (金) 12:52時点における版
稲沢市立稲沢中学校 | |
---|---|
北緯35度15分7.3秒 東経136度48分21.4秒 / 北緯35.252028度 東経136.805944度座標: 北緯35度15分7.3秒 東経136度48分21.4秒 / 北緯35.252028度 東経136.805944度 | |
過去の名称 |
中島郡高等小学校 稲沢町立稲沢高等小学校 稲沢町立稲沢中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 稲沢市 |
設立年月日 | 1887年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | C123210003017 |
所在地 | 〒492-8145 |
愛知県稲沢市正明寺2丁目1-1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
稲沢市立稲沢中学校(いなざわしりつ いなざわちゅうがっこう)は、愛知県稲沢市正明寺にある公立中学校。
概要
- 稲沢市の中心部の中学校であり、校区は小沢1・2丁目(一部)、前田1丁目(一部)、高御堂1-5丁目(一部)、高御堂10丁目、御供所町、松下1・2丁目(一部)、国府宮神田町、国府宮1-4丁目、稲島法成寺町(一部)、小池正明寺町(一部)、正明寺1-4丁目(一部)、小池1-4丁目(一部)、長束町、井之口沖ノ田町(一部)、菱町(大部分)、駅前2-4丁目(一部)である[1]。
沿革
稲沢中学校は1887年(明治20年)中島郡高等小学校の開校を創立年としており、1988年10月1日に創立百周年記念式典を行っている[2]。
- 1887年(明治20年)5月 - 中島郡高等小学校が開校。禅源寺[注釈 1]を仮校舎とする。
- 1894年(明治27年)7月1日 - 稲沢町他26ケ村立稲沢高等小学校に改称する。
- 1906年(明治39年)5月 - 稲沢町立稲沢高等小学校に改称する。
- 1912年(明治45年)1月1日 - 稲沢町大字高御堂に校舎を新築し、移転。
- 1920年(大正9年)7月16日 - 稲沢町大字小池正明寺に校舎を新築し、移転。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 稲沢町中高国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 新学制移行により稲沢町立稲沢中学校となる。
- 1956年(昭和31年)12月20日 - 北校舎が完成する。
- 1958年(昭和33年)11月1日 - 稲沢町が市制施行し、稲沢市となる。同時に稲沢市立稲沢中学校に改称する。
- 1970年(昭和45年) - 南校舎が完成する。
- 1976年(昭和51年)4月1日 - 稲沢市立治郎丸中学校を分離する。
- 1981年(昭和56年)3月27日 - 屋内運動場が完成する。
- 1983年(昭和58年)4月1日 - 稲沢市立稲沢西中学校を分離する。
- 1988年(昭和63年)10月1日 - 創立百周年記念式典を行う。
- 1993年(平成5年)12月6日 - 新校舎(鉄筋コンクリート造5階建)が完成する。
- 1995年(平成7年)3月30日 - 柔剣道場が完成する。
交通アクセス
周辺施設
参考文献
- 新学制40周年記念誌 伸びゆく学校 (中島地方教育事務協議会・中島地方小中学校長会 新学制40周年記念誌伸びゆく学校編集委員会 1988年) P.28 - 29
関連項目
脚注
- ^ 学校別学通学区域(中学校)稲沢市
- ^ 新学制40周年記念誌伸びゆく学校 P.29。
注釈
- ^ 現在の愛知県稲沢市稲葉1-6-2にある寺院。