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2022年10月7日 (金) 04:27時点における版
岐阜県立恵那高等学校蛭川分校 | |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 蛭川村 |
設立年月日 | 1949年 |
閉校年月日 | 1971年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 定時制 |
設置学科 | 普通科 |
所在地 | 〒509-8301 |
岐阜県恵那郡蛭川村2178-8[注釈 1] | |
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岐阜県立恵那高等学校蛭川分校(ぎふけんりつえなこうとうがっこう ひるかわぶんこう)は、かつて岐阜県恵那郡蛭川村(現・中津川市蛭川)にあった公立の高等学校の分校。
概要
- 恵那高等学校の昼間定時制の分校であった。岐阜県立の高等学校の分校であったが、設置者は蛭川村であった[注釈 2]。全卒業生数は368名。
- 廃校後、校舎は1973年3月にに蛭川村教育会館となった後、改修され1974年に蛭川村役場(現・中津川市蛭川総合事務所)となり[1]、現存する。
沿革
- 1949年(昭和24年)
- 1951年(昭和26年)4月 - 夜間定時制普通科を設置。
- 1955年(昭和30年)4月 - 独立校舎が完成。
- 1959年(昭和34年)
- 1月 - 生徒数増加のため、1955年新築の校舎を解体して敷地を拡張し、新たな校舎を建設することとなる。
- 3月7日 - 理科教室(新校舎一期工事・木造平屋建)が完成。
- 4月 - 夜間定時制普通科を廃止。
- 10月8日 - 新校舎(普通教室二期工事・木造2階建)が完成。
- 1968年(昭和43年)3月 - 募集を停止する。
- 1971年(昭和46年)
- 3月5日 - 閉校式を行う。
- 3月31日 - 廃校。廃校時の生徒数は32名。
脚注
注釈
出典
- ^ 岐阜県教育史別編一 ビジュアル版(2005年岐阜県教育委員会)P.175。
参考文献
- 岐阜県定通教育三十周年記念誌 (岐阜県高等学校定時制通信制三十周年記念会 1978年) P.41 119
- 恵那市史 通史編 第3巻(1)下 近現代 (恵那市史編纂委員会 1993年) P.375 - 377 ※恵那高等学校に関する記述内
- 蛭川村史 (蛭川村史編纂委員会 1974年) P.630 - 635
- 岐阜県教育史 別編一 ビジュアル版(岐阜県教育委員会 2005年)P.175 - 177