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「愛知県立蒲郡東高等学校」の版間の差分

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2022年10月6日 (木) 21:11時点における版

愛知県立蒲郡東高等学校

地図
愛知県立蒲郡東高等学校の位置(愛知県内)
愛知県立蒲郡東高等学校
愛知県立蒲郡東高等学校 (愛知県)
愛知県立蒲郡東高等学校の位置(日本内)
愛知県立蒲郡東高等学校
愛知県立蒲郡東高等学校 (日本)
地図北緯34度49分07.50秒 東経137度16分27.20秒 / 北緯34.8187500度 東経137.2742222度 / 34.8187500; 137.2742222座標: 北緯34度49分07.50秒 東経137度16分27.20秒 / 北緯34.8187500度 東経137.2742222度 / 34.8187500; 137.2742222
国公私立の別 公立学校
設置者 愛知県の旗 愛知県
校訓 和而不流
設立年月日 1968年昭和43年)4月1日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学校コード D123210001473 ウィキデータを編集
高校コード 23220D
所在地 443-0013
愛知県蒲郡市大塚町上千尾12-2
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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愛知県立蒲郡東高等学校(あいちけんりつ がまごおりひがしこうとうがっこう)は愛知県蒲郡市大塚町にある県立高等学校

概要

蒲郡市大塚町の山の麓にある。

地元では蒲東(がまひがし)と呼ばれているが、他の地域や高校野球の選抜大会など、また在校生のほとんどはがまとうと呼んでいる。

9月に行われる文化祭体育大会はあわせて橘祭とよばれる。一般公開はしていない。

12月の終業式の日にはPTAの役員が豚汁を振舞う蒲豚汁(がまとんじる)が催される。

設置課程

沿革

(沿革節の主要な出典は公式サイト[1]

  • 1968年昭和43年)4月1日 - 蒲郡高校の一部を間借りし、仮校舎とし創立。
  • 1969年(昭和44年)3月31日 - 蒲郡市大塚町に本館(南校舎)が竣工。
  • 1970年(昭和45年)3月20日 - 教室棟(北校舎)、武道場が竣工。
  • 1971年(昭和46年)3月29日 - 体育館、校門が竣工。
  • 1984年(昭和59年)5月31日 - 西校舎が竣工。
  • 1990年平成2年)4月1日 - ヨット部創部。
  • 1993年(平成5年)3月9日 - 運動場整備完了。
  • 1994年(平成6年)2月4日 - 弓道場新設。

基礎データ

通学区域

通学圏は、蒲郡市を中心に豊橋市から幸田町までのJR東海道本線沿線。昔からJR飯田線沿線からの進学者の流入は殆ど無い。

アクセス

部活動

運動部

文化部

 

著名な出身者

校門

その他

1968年昭和43年)創立当時、愛知県で2校以上県立男女共学普通科高校がある市は、名古屋市岡崎市豊橋市一宮市等に限られ、本校の設置は将来の進学率上昇を見据えたものだった。

蒲郡高校との学校群が予定されたが、1971年(昭和46年)の第1回生卒業から進学校としての評価が高かったことから、レベルの低下を危惧した地元の反対を受けて学校群制度が見送られた経緯がある。

1973年(昭和48年)に学校群制度開始後、東三河の伝統校である時習館高校豊橋南高校と豊橋第一学校群(通称:豊橋一群)を組んだことから、蒲郡市の豊橋一群受験生は遠距離通学となる豊橋南高を避けるために蒲郡東高に好成績の受験生が集まり、東三河地域では、豊橋一群、国府高校、豊橋二群、成章高校に次ぐレベルにあった。

1989年平成元年)に学校群制度にかわって複合選抜制度が始まると、蒲郡市の中学生は市外への進学を志望する傾向が強まったことで入学難易度、卒業後の進学実績が大幅に低下した。

脚注

  1. ^ 学校紹介”. 愛知県立蒲郡東高等学校. 2019年2月19日閲覧。
  2. ^ お知らせ”. 愛知県立蒲郡東高等学校. 2015年10月6日閲覧。
  3. ^ “細江純子、隣のペリエ騎手にほっぺをつねられた” (日本語). サンケイスポーツ. 産業経済新聞社: p. 1-2. (2015年11月10日). https://www.sanspo.com/article/20151110-HGZLI2JDLRKB7PMWSMQJR7LEIY/ 2018年10月24日閲覧。 

関連項目

外部リンク


この記事は、プロジェクト:学校/高等学校テンプレートを使用しています。