「岡廼宮神社 (深谷市)」の版間の差分
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元々、村の鎮守として[[聖天社]](創建時期不明)という神社があったが、荒廃が著しかったため、[[江戸時代]]初めに[[池田三郎左衛門貞長]]という[[武士]]によって改築された。<br />なお、池田三郎左衛門貞長は、[[徳川忠長]]([[江戸幕府]]第三代[[征夷大将軍]]-[[徳川家光]]の弟)の[[側近]]であったが、何者かの[[讒言]]により側近の地位を追われ、岡村(現深谷市)に[[蟄居]]していた。 |
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[[1921年]]([[大正10年]])には、諏訪神社、久呂多神社、稲荷神社を[[合祀]]し、岡上神社から'''岡廼宮神社'''に改称した。合祀するにあたり、[[大己貴命]]、[[倉稲魂命]]、[[建御名方神]]が新たに祭神となった。 |
[[1921年]]([[大正10年]])には、諏訪神社、久呂多神社、稲荷神社を[[合祀]]し、岡上神社から'''岡廼宮神社'''に改称した。合祀するにあたり、[[大己貴命]]、[[倉稲魂命]]、[[建御名方神]]が新たに祭神となった。 |
2022年8月29日 (月) 00:07時点における版
岡廼宮神社(おかのみやじんじゃ) | |
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所在地 | 埼玉県深谷市岡3226 |
主祭神 |
伊邪那岐命 伊邪那美命 大己貴命 倉稲魂命 建御名方神 |
創建 | 江戸時代(17世紀)初め頃、池田三郎左衛門貞長により改築 |
別名 | 岡上神社 |
主な神事 | 獅子舞など |
岡廼宮神社(おかのみやじんじゃ)[1][2]は、埼玉県深谷市にある神社。祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、大己貴命、倉稲魂命、建御名方神の五柱。
沿革
元々、村の鎮守として聖天社(創建時期不明)という神社があったが、荒廃が著しかったため、江戸時代初めに池田三郎左衛門貞長という武士によって改築された。
なお、池田三郎左衛門貞長は、徳川忠長(江戸幕府第三代征夷大将軍-徳川家光の弟)の側近であったが、何者かの讒言により側近の地位を追われ、岡村(現深谷市)に蟄居していた。
1921年(大正10年)には、諏訪神社、久呂多神社、稲荷神社を合祀し、岡上神社から岡廼宮神社に改称した。合祀するにあたり、大己貴命、倉稲魂命、建御名方神が新たに祭神となった。
ご利益
子孫繁栄、殖産振興、良縁祈願、心願成就、厄除開運、子授り、子育大願、厄除、除災招福、家内安全、健康長寿、交通安全、旅行安全 他
祭事
岡廼宮神社では、江戸時代から伝承されている獅子舞が行われており、無形民俗文化財•旧岡部町(埼玉県)の指定文化財となっている。
獅子舞の構成は、法眼 1人• 雄獅子 1人• 雌獅子 1人の計3人の舞方と、小太刀1人•大太刀1人、花笠•笛方•歌方などから成る。舞方は獅子を被り、袴•草履を身につけ、腰にある小太鼓を打ちながら舞う。
交通
*バス-岡上自治会館入口バス停から徒歩1分
*花園ICから車25分
周辺情報-神社
- 島護産泰神社-徒歩6分
- 寅稲荷神社-徒歩7分
- 熊野神社-徒歩8分
- 諏訪神社-徒歩13分
- 白髭(しらひげ) 神社-徒歩14分
- 滝瀬神社-徒歩19分
周辺情報-その他の施設
- ふれあいの店まるや-徒歩4分
- 中宿歴史公園-徒歩5分
- お手長山古墳-徒歩6分
- 道の駅おかべ-徒歩8分
- 渋沢栄一記念館-車9分