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「ノート:反三位一体論/削除」の版間の差分

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K.M. (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
(相違点なし)

2006年11月24日 (金) 02:14時点における版

lock

余計な落書きをしないこと。わたしはちゃんと新共同訳から引用しているではないですか。利用者K.M.

引用が適切かどうかは議論の対象になると思いますが編集合戦になっていますのでページ保護します。KIZUさんもK.M.さんも冷静に対応してください。Michey.M 11:07 2004年2月18日 (UTC)

content based discussion

θεος について、定冠詞の付いた場合と付かない場合とで区別するというのは、同じコイネーギリシャ語で書かれた七十人訳聖書においてもまったく見られません。むしろ例外がしばしば見られるほどです。それに、欽定訳を議論に持ち出すのは無意味だと思います。あれは、単なるイギリス国教会の翻訳に過ぎませんので。 haruka

聖公会どうのこうのより、テクスト・レセプトゥスが底本の翻訳を使って学問的議論をするというのがおかしい、ということを指摘しておいて ギリシア語文法については欽定訳後に大幅な知見の拡大があるので、その点でも欽定訳はあまりよい例証ではないでしょう。グランビルの法則も十九世紀でしたっけ?KIZU

わたしは、欽定訳の底本がどうというより、聖公会が翻訳したものに過ぎないという意味の方が問題だと思います。底本に関しては原語主義者にとっては重要かもしれませんが、教理の命題に致命的な影響を与えない限り問題ないかと思います。むしろ翻訳の仕方の方の影響が大きいと思います。 ですから、欽定訳は聖公会にしか通用しないアドホックな議論になるため問題だと言いたかったのです。むしろ、ものみの塔聖書冊子協会のように、ギリシャ語底本からの情報に手を加えて作成されたヘブライ語の新約底本から、θεος をエホバなどと訳するのは致命的のような気がします。七十人訳聖書に関しては、新約聖書で引用されているという意味で、学術的議論には比較的信頼性が高いものになると思います。haruka

『旧約聖書注解』という本によると、「[七十人]訳の翻訳者たちは好き勝手に語句を省略したり補足したりした」ということです。(1973年,第2巻,『サムエル記第一』,177ページ,脚注)K.M. 08:46 2004年2月19日 (UTC)

仮に、七十人訳の翻訳者たちが好き勝手に語句を省略したり補足したりした事実があったとしても、それを新約聖書の記述で引用してしまっているわけですから仕方がないというべきです。つまり、当時の翻訳者たちの信仰が、それを使用した使徒などの新約聖書の記者らにも受け継がれているというだけの話だと思います。それに、マソラ学者が編集したマソラ本文に関しても同様な事実があります。母音記号を加えられたのは紀元8世紀以降です。Haruka

Haruka氏にいくらか誤解のあるようで申し上げますが、新世界訳の新約聖書定本はウェストコットおよびホート共編「ギリシャ語原語による新約聖書」(1948年版)です。新約聖書本文中に神の名を復元するさい、23のヘブライ語訳を用いましたが、これらは底本ではありません。K.M.

確かに、言い方が悪かったかもしれません。KMさんのおっしゃるつもりでいいました。 ただし、新世界訳でギリシャ語底本でのθεοςを、学術的信頼性の乏しい方法でエホバと訳しているのは事実だと思います(七十人訳でもヘブライ語のヤーウェ(エホバ)やアドナイをθεοςと訳される例はありません)。使用されている複数のヘブライ語訳自体が、特に一次的資料を基に作成されたものではいのは事実でしょう。ただし、反三位一体論が「ものみの塔聖書冊子協会」のアプローチのみには限らないと思いますが。Haruka

エホバの証人は27のヘブライ語訳を参照にしました。ですから、信頼性という点では十分満足のいくものです。また、何を「学術的」と言うかは宗派によって違うと考えます。K.M.

article renewal plan

いまの記事はあまりにバランスを欠いています。 反三位一体論をかくなら時系列に沿って

ときてその後エホバの証人でしょう。 三位一体論の形成への影響から見ても、古代異端に触れないでいきなりエホバの証人と いうのは一般読者を対象とする百科事典の性格として相応しいとは思えません。

なお現代の水準から見ればWH3版は底本とするには古すぎます。ネストレ27版では ティッシェンドルフ・WHへの参照が本文注釈から外され付録に回されています。エホバの証人の聖書の学術的水準とはその程度のものだということを付言しておきます。KIZU

ネストレ-アーラントは底本ではありませんが、参照資料として用いられているようです。日本語新世界訳は発行が1985年とすでに20年近く経っているので、近いうちに改訂されると思います。K.M.

「いまの記事はあまりにバランスを欠いています」には賛成です。 つまり、反三位一体論なので、三位一体の教理「三つの位格(υποστασις)に一つの実体(ουσια)」を否定する命題一般を議論するべきだと思います。ただし「古代異端各派」は問題です。異端は、その教派を主体にするかで定義が異なるからです。ですから、具体的は各教派名を挙げるべきではないかと思います。Haruka

この記事は基本的に書き込み・削除自由なので、該当宗派の方がもし違うと考えれば書き換えられると考えます。K.M.

具体的は各教派名を挙げるべきではないかと思います。

仰る通りです。アリウス派・単性論はすでに項目がありますからあとは落穂ひろいですね。単意論と化幻説について書きおこす必要があるかと。

該当宗派の方

我々は中立的な記事を目指しているのであって宣伝合戦をしているのではありません。この方はウィキペディアを何だと思っていらっしゃるのでしょうか。KIZU

>アリウス派・単性論はすでに項目がありますからあとは落穂ひろいですね。
ちょっとピントがずれているかもしれません。もし、ものみの塔聖書冊子協会のソースを引用するならアリウス派・単性論などと同様に、ものみの塔聖書冊子協会の項目で記述するべきではないかと思います。細かいようですが、単性論は反三位一体論には当たらないと思います。 また、落穂拾いといいますが、ただの誤謬は列挙の対象にぜず、三位一体の教理の立場からの異端思想だけの列挙で十分だと思います。異端と誤謬の違いについては異端の項目を参照してください。Haruka

単性論は三位一体を受け入れた上で第二位格の理解が正統信仰と異なるのでご指摘のとおりですね。英語版の三位一体の記事がこの点バランスがとれているように思いました(三神論様態論を別に項目として立てる)。もっとも三位一体の項でそれに触れればいいわけで、独立項目として立てるほどかということには現在懐疑的です。KIZU

私はものみの塔聖書冊子協会の記事そのものに反対です。何度も恐縮ですが、エホバの証人の宗教法人名はエホバの証人であって、ものみの塔聖書冊子協会ではありません。それは、支部事務所の法人名です。K.M. 13:56 2004年2月29日 (UTC)

付記:末日聖徒イエス・キリスト教会は、カトリックやプロテスタントとは違う三位一体を信奉しておられることを述べておきます。ですから、彼らは反三位一体論者ではありません。K.M. 04:03 2004年3月18日 (UTC)