コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「中華人民共和国のスポーツ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
G-3による削除依頼提出
編集の要約なし
(4人の利用者による、間の42版が非表示)
1行目: 1行目:
[[ファイル:深圳湾20181030.jpg|サムネイル|thumb|upright=1.5|[[深圳市]]の[[深圳湾体育中心|深圳湾スポーツセンター]]。[[サッカー中華人民共和国代表]]のホームスタジアムとして使用される。]]
<!-- 削除についての議論が終了するまで、下記のメッセージ部分は除去しないでください。もしあなたがこのテンプレートを除去した場合、差し戻されます。またページが保護されることもあります。 -->
'''中華人民共和国のスポーツ'''では、主として1949年に建国された[[中華人民共和国]](以下中国)におけるスポーツについて述べる。
{{Sakujo/本体|2022年6月15日|中華人民共和国のスポーツ}}
<!-- 削除についての議論が終了するまで、上記部分は削除しないでください。 -->
'''中国のスポーツ'''は長い間[[格闘技|武道]]と関係があった。今日、中国([[中国大陸|中国本土]]、[[香港]]、[[マカオ]]を含む)ではさまざまな競技スポーツで構成されている。伝統的な[[中国文明|中国の文化]]は、[[フィットネス|体力]]を重要な特徴と見なしている。中国には、[[近代オリンピック|オリンピック]]と同様に、[[中華人民共和国全国運動会|全国運動会]]と呼ばれる独自の4年に一度の総合競技大会がある。


== 歴史 ==
1980年代以前は、国際的に成功したスポーツは主に[[卓球]]だった<ref name="Stebbings and Yang">[https://news.yahoo.com/chinas-1981-womens-volleyballers-inspired-041216963.html How China's 1981 women's volleyballers 'inspired a billion'] Peter Stebbings and Jessica Yang ([[Yahoo! News]]), 4 March 2021. Accessed 13 April 2021</ref>。これは[[1981年ワールドカップバレーボール|1981年のFIVBバレーボール女子ワールドカップ]]で変わり、[[バレーボール中華人民共和国女子代表|中国女子代表]]は大きな注目の中で金メダルを獲得した<ref name="Stebbings and Yang" />。
中国では1952年の[[1952年ヘルシンキオリンピック|ヘルシンキオリンピック]]参加に向けてスポーツ競技力向上を推進する動きが活発化し、1949年、北京において開催された「中国人民政治協商会議」(建国方策検討のための会議)において「国民体育を提唱する」という政策方針が盛り込まれた<ref name="riku2008_p170">{{Harvnb|陸|2008|p=170}}</ref><ref name="o2020_p115">{{Harvnb|王|2020|p=115}}</ref><ref name="sinkou">{{Cite web |url=https://www.mext.go.jp/component/a_menu/sports/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/08/03/1309352_018.pdf |title=諸外国(12ヵ国)のスポーツ振興施策の状況 中国 |publisher=文部科学省 |date=2011 |access-date=2022-06-16}}</ref>。国民の健康を促進し、大衆スポーツの普及と労働力・国防力の向上を目的として掲げられられた本方針は、建国間もない中国のもっとも重要な方針のひとつとされた<ref name="riku2008_p170"/>。


1951年、「学生健康状況の改善に関する決定」が発布されるとともに全国で[[ラジオ体操]]の推進が始められ、1952年に発布された「各種目選手の選抜と集中訓練に関する通知」によって競技としてのスポーツの強化が国家主導で行われることとなった<ref name="riku2008_p170" /><ref name="wu2011_p26">{{Harvnb|武|2011|p=26}}</ref>。同年に設立した中央人民政府体育委員会(現:[[国家体育総局]])によってスポーツ事業の管理・運営が行われるようになった<ref name="wu2011_p26" />。こうした体制は[[ソビエト連邦]]のスポーツ行政を参考に仕組み作りが行われた<ref name="wu2011_p26" />。こうした国家主導方針を背景に、1951年には初のナショナルチームであるバスケットボールチームが発足したが、1950年代の中国国内における競技スポーツへの認知度は低く、大衆スポーツの普及を中心とした取り組みが主となっていた<ref name="riku2008_pp171-172">{{Harvnb|陸|2008|pp=171-172}}</ref>。このような状況の中、1959年にドイツ・ドルトムントで行われた[[世界卓球選手権]]で[[容国団]]が中国選手として史上初めて国際大会で優勝すると、競技スポーツの社会的効用が強く認知されるようになり、1960年代以降競技スポーツ選手育成のための体制づくりが本格化した<ref name="riku2008_p172">{{Harvnb|陸|2008|p=172}}</ref>。
1990年代以前は、スポーツは完全に政府によって資金提供されていた<ref>{{Cite web |title=Sports in China heavily influenced by Government |url=https://canada.humankinetics.com/blogs/excerpt/sport-in-china-heavily-influenced-by-government |access-date=2022-06-12}}</ref><ref>{{Cite journal|last=Zheng|first=Jinming|last2=Chen|first2=Shushu|last3=Tan|first3=Tien-Chin|last4=Lau|first4=Patrick Wing Chung|year=2018|title=Sport Policy in China(Mainland)|url=https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/19406940.2017.1413585|journal=International Journal of Sport Policy and Politics|volume=10|issue=3|pages=469–491|DOI=10.1080/19406940.2017.1413585}}</ref><ref>{{Cite news|title=Funding Sports Success|newspaper=The Cable|url=https://www.thecable.ng/funding-sporting-success}}</ref>。トップアスリートは、[[引退|引退後]]の生計に不安があるため、キャリアの最盛期に辞める{{要出典|date=April 2015}}。


しかしながら、1966年より始まった[[文化大革命]]の影響によりこうしたスポーツ振興は停滞することとなった<ref name="riku2008_p173">{{Harvnb|陸|2008|p=173}}</ref>。だが、5年ぶりとなる1971年の名古屋の世界卓球選手権参加([[ピンポン外交]])を契機に、中国におけるスポーツ振興は少しずつ復興していくこととなった<ref name="wu2011_p27">{{Harvnb|武|2011|p=27}}</ref><ref name="riku2008_p173"/>。
1994年には、中国の協会サッカーがプロ化され、続いて[[バスケットボール]]、[[バレーボール]]、[[卓球]]、[[囲碁]]がプロ化された。プロ化は商業化につながった。これは、スポーツ協会が営利団体になり、クラブシステムとプロスポーツリーグが結成されたことを意味する。[[スポーツクラブ]]の運営は現在、チケットの販売、広告、クラブの移籍、コマーシャルの試合、テレビ放送を行っている{{要出典|date=April 2015}}。中国のアスリートも、[[2002年のNBAドラフト|2002年のドラフト]]でバスケットボールの[[姚明]]が米国の[[NBA]]に出場するなど、海外のプロリーグに参加し始めている<ref name="NBA in China">[http://www.chinawikipedia.com/ChinaNBA.html Overview of NBA development in China] at "ChinaWikipedia"</ref>。


文化大革命の終結を受けて1986年には「スポーツ体制の改革に関する決定」が制定され、スポーツ強国の形成に向けた体制基盤構築が加速化した<ref name="riku2008_p174">{{Harvnb|陸|2008|p=174}}</ref>。1993年に市場経済システムが本格的に導入されると、1994年のサッカーのプロ化を始めとするスポーツの産業化が様々な種目で実現した<ref name="riku2008_p175">{{Harvnb|陸|2008|p=175}}</ref>。90年代に入ると地方都市に大規模なスポーツ施設が相次いで建設されるようになる<ref name="o2020_p116">{{Harvnb|王|2020|p=116}}</ref>。また、1994年にはスポーツくじ管理センターが設置され、財源確保に向けた整備も行われるようになった<ref name="sinkou" />。
2007年9月、[[姚明]]と[[易建聯]]のバスケットボールの試合は、1億〜2億人の中国人がライブで観戦したため、1回のスポーツゲームで中国最大の観客を集めた<ref>{{Cite web |url=http://www.greensboro.com/sports/morrison-s-surgery-goes-well-yao-yi-game-draws-crowd/article_352c3170-0bbb-57d5-a739-ec164a722150.html |title=Yao-Yi game draws crowd |publisher=Greensboro.Com |date=10 November 2007 |access-date=22 January 2016}}</ref>。[[チャイナデイリー]]''は、パーティーや乱暴なお祝いの中で、事実上全国がテレビに釘付けになっていると報告した<ref name="China Daily">{{Cite web |url=http://www.chinadaily.com.cn/sports/2007-11/09/content_6242825.htm |title=Yao-Yi matchup could set ratings records |publisher=ChinaDaily.Com |date=9 November 2007 |access-date=22 January 2016}}</ref>。''


2008年の[[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]]に向けた招致活動も本格化するにつれて法整備も行われるようになった<ref name="sinkou" />。2002年にオリンピック標識保護条例が、2004年に反ドーピング条例が制定された<ref name="sinkou" />。こうした国家主導のスポーツ振興は北京オリンピックで大きく花開き、オリンピック金メダル41個、パラリンピック金メダル89個と、ともに世界1位を獲得した<ref name="sinkou" />。
中国は2008年の[[北京市|北京]][[2008年北京オリンピック|オリンピック]]において[[2008年北京オリンピックのメダル受賞数一覧|金メダル数]](48)でリードした。イベントは2008年8月8日から8月24日に予定されていた。8番は中国文化の幸運な番号だからだ<ref>{{Cite web |url=http://results.beijing2008.cn/WRM/ENG/INF/GL/95A/GL0000000.shtml |title=Archived copy |access-date=2009-08-05 |archive-url=https://www.webcitation.org/query?url=http://results.beijing2008.cn/WRM/ENG/INF/GL/95A/GL0000000.shtml&date=2009-08-05+18:03:01 |archive-date=2009-08-05}}</ref>。中国は2014年8月16日から28日まで[[2014年南京ユースオリンピック|2014年夏季ユースオリンピック]]を開催した。


その他、[[2002年のNBAドラフト|2002年のドラフト]]でバスケットボールの[[姚明]]が米国の[[NBA]]に出場するなど、海外のプロリーグに参加する選手も現れるようになった<ref name="NBA in China">[http://www.chinawikipedia.com/ChinaNBA.html Overview of NBA development in China] at "ChinaWikipedia"</ref>。2007年9月に行われた[[姚明]]と[[易建聯]]のバスケットボールの試合は、中国のスポーツゲームで最大規模となる1億〜2億人ものライブ観戦者を集めた<ref>{{Cite web |url=http://www.greensboro.com/sports/morrison-s-surgery-goes-well-yao-yi-game-draws-crowd/article_352c3170-0bbb-57d5-a739-ec164a722150.html |title=Yao-Yi game draws crowd |publisher=Greensboro.Com |date=10 November 2007 |access-date=22 January 2016}}</ref>。
2017年、[[広州市|広州]]の[[天河体育中心体育場|天河体育中心]]で行われたサッカーの試合は、中国本土で行われた1つのスポーツイベントで最大の観客を集めた<ref>{{Cite web |url=http://www.china.org.cn/sports/2013-11/13/content_30596032.htm |title=ACL final attracts record TV viewers - China.org.cn |website=www.china.org.cn |access-date=2022-06-12}}</ref>。2017年の[[中国サッカー・スーパーリーグ|中国スーパーリーグ]]の試合の平均観客数は23,766人だった。


== スポーツ組織 ==
[[北京市|北京]]は[[2022年北京オリンピック|2022年の冬季オリンピック]]を主催した。
[[ファイル:General Administration of Sport of China (20200803123840).jpg|サムネイル|国のスポーツ事業を統括する[[国家体育総局]]。]]
建国以降、[[中華人民共和国国務院|国務院]]直属の行政機関としてスポーツの振興を主導していた中央人民政府体育委員会は1998年に国家体育総局(''General Administration of Sport of China'')に改められ、その配下に13の機関局、43の組織が組み込まれている<ref name="sinkou"/>。ソビエト連邦のスポーツ体制を参考に組織された行政は「挙国体制」と呼ばれ、スポーツ関連法の整備、発展計画の策定、研究計画の策定、地域体育発展の指導推進、「全民健身計画」の推進、競技スポーツの強化、不正撲滅、国際的なスポーツ交流の統括と深化、スポーツイベントの参加と主催の奨励、スポーツ産業の統制など多岐に渡る任務を国家主導で推し進める体制を整えた<ref name="wu2011_p27-30">{{Harvnb|武|2011|pp=27-30}}</ref><ref name="sinkou"/>。その他、学生の競技スポーツ支援を目的とした教育部が置かれ、各地方政府のもとにも地方体育局が設置され、中国体育法によりスポーツ投資のための予算を確保することを義務付けた<ref name="sinkou"/>。


== 歴史 ==
=== 行政組織 ===
{{familytree/start}}
[[ドラゴンボート|ドラゴンボートレース]]は約2000年前にさかのぼり、毎年中国各地で開催される伝統的なイベントである。蹴鞠は、現代の[[サッカー]]と似ているが関連性はなく、紀元前2世紀から3世紀にかけて中国で行われた。[[気功]][[格闘技|武道]]活動は中国で人気を博した。
{{familytree|AAA|-|BBB|v|CCC|AAA=[[中華人民共和国国務院|国務院]]|BBB=[[国家体育総局]]|CCC=弁公庁}}
{{familytree| | | | | | | |)|DDD|DDD=大衆体育局}}
{{familytree| | | | | | | |)|EEE|EEE=競技体育局}}
{{familytree| | | | | | | |)|FFF|FFF=経済局}}
{{familytree| | | | | | | |)|GGG|GGG=政策法規局}}
{{familytree| | | | | | | |)|HHH|HHH=人事局}}
{{familytree| | | | | | | |)|III|III=外交局}}
{{familytree| | | | | | | |)|JJJ|JJJ=宣伝局}}
{{familytree| | | | | | | |)|KKK|KKK=機関党委員会}}
{{familytree| | | | | | | |)|LLL|LLL=監察局}}
{{familytree| | | | | | | |)|MMM|MMM=退職幹部局}}
{{familytree| | | | | | | |`|NNN|NNN=その他直属機関}}
{{familytree/end}}
=== その他直属機関 ===
{{Multicol}}
*機関事務局
*財務管理・監査局
*冬季運動管理センター
*射撃・アーチェリー運動管理センター
*自転車・フェンシング運動管理センター
*水上運動管理センター
*重量挙げ・柔道・レスリング運動管理センター
*ボクシング・テコンドー運動管理センター
*陸上競技運動管理センター
*水泳運動管理センター
*体操運動管理センター
|
*ハンドボール・ソフトボール運動管理センター
*サッカー運動管理センター
*バスケットボール運動管理センター
*バレーボール運動管理センター
*卓球・バドミントン運動管理センター
*テニス運動管理センター
*航空無線模型運動管理センター
*武術運動管理センター
*健身・気功管理センター
*登山運動管理センター
*モータースポーツ管理センター
|
*社会体育指導センター
*研修局
*国立オリンピックスポーツセンター
*青島航海運動学校
*湛江潜水運動学校
*安陽航空運動学校
*康皇島訓練基地
*体育科学研究所
*運動医学研究所
*アンチ・ドーピング機構
*中国体育新聞社
|
*北京体育大学
*体育文化発展センター
*体育情報センター
*対外体育交流センター
*小球運動管理センター
*人材資源開発センター
*体育器材装備センター
*チェス運動管理センター
*スポーツくじ管理センター
*体育基金管理センター
{{Multicol-end}}


=== スポーツ統括団体 ===
現代のスポーツは、主にアメリカの[[キリスト教青年会|YMCA]]と、アメリカ、ヨーロッパ、日本の体育モデルの採用と適応に関心のある中国の改革者の影響を受けて、20世紀の初めに中国に登場した。[[中華人民共和国]](PRC)は、スポーツと政府の資金を重視し、特に20世紀半ばから、才能のある若者をプロの選手に育成している。[[卓球]]は、推定2億人のプレーヤーがいる最大のアマチュアレクリエーションスポーツの1つである。[[バドミントン]]も定評があり人気がある。
*[[中華全国体育総会]](ACSF)
**中華全国体育総会は国家体育総局が主管する各スポーツ団体から構成される組織で、位置づけとしては政府に登録された社会団体のひとつとなっているが、実質的には国の組織機構のひとつとなっている<ref name="sinkou"/>。
*[[中国オリンピック委員会]](COC)
**オリンピックの振興を目的とした非営利団体とされており、各国際オリンピック委員会や評議会との折衝を対応する<ref name="sinkou"/>。非政府組織と謳われているが、2009年時点の組織構成では会長は国家体育総局の局長が兼務しており、内部の各委員も国家体育総局関連職員で組織されている<ref name="sinkou"/>。
*{{仮リンク|中国障害者連合会|en|China Disabled Persons' Federation}}(CDPF)
**1988年に設立された[[障害者スポーツ]]を担当する機関で、障害者のためのスポーツ支援および各障害者スポーツ団体(中国障害者体育協会、中国パラリンピック委員会、中国ろう者体育協会、中国知的障害者体育協会、中国スペシャルオリンピックス委員会)の主管機関となる<ref name="sinkou"/>。


== 全国運動会 ==
[[CCTV-5|CCTV Sports Channel]]によると、[[2004年アテネオリンピック|2004年夏季オリンピック]]の金メダルを獲得した女子バレーボールの試合は、テレビを所有する世帯の30%が視聴していた。[[2002 FIFAワールドカップ|2002FIFAワールドカップ]]での[[2002 FIFAワールドカップ・グループC|中国対ブラジル]]の視聴率は18%だった。[[サッカー]]や[[バスケットボール]]もテレビで放映されている。
{{main|中華人民共和国全国運動会}}
[[中華人民共和国全国運動会|全国運動会]]は1959年より4年に1度開催されている国内最大の総合的なスポーツ大会である<ref name="asahi2021">{{Cite web |url=https://www.asahi.com/articles/ASP9H7GYQP9HUHBI00S.html |title=中国、観客入れて大規模「運動会」選手1万人超で冬季五輪テストか |website=朝日新聞 |date=2021-09-15 |access-date=2022-06-17 |author=高田正幸}}</ref><ref name="sasa1983_p1">{{Harvnb|笹島|1983|p=1}}</ref>。前身にあたる全国的な競技会は[[清]]末期の1910年から始まり、[[中華民国]]の1914年回から全国運動会に名を改められた<ref name="sasa1983_p1"/>。1842年に清が開国すると1904年にはアメリカ合衆国[[キリスト教青年会]](YMCA)より[[上海]]に人が送られ、YMCA体育部が作られた<ref name="sasa1983_p2">{{Harvnb|笹島|1983|p=2}}</ref>。1910年には[[南京]]にて行われた南洋勧業博覧会に追随してYMCA主導にて「全国学校区分隊第一次体育同盟会」が開催され、後に成立した中華民国によってこれが第一回全国運動会であると追認された<ref name="sasa1983_p2"/>。全国学校区分隊第一次体育同盟会は高等区分、中等区分、学校連合の3つに分かれて行われ、140人が参加した<ref name="sasa1983_p2"/>。種目は[[陸上競技]]、[[サッカー]]、[[テニス]]、[[バスケットボール]]であった<ref name="sasa1983_p2"/>。中華民国時代に入り全国運動会と名を定められ継続して行われたが、政情不安と戦乱が続き、37年間の統治で実際に全国運動会が開催できたのは6回のみだった<ref name="sasa1983_p4">{{Harvnb|笹島|1983|p=4}}</ref>。第2回大会(1914年)で[[バレーボール]]と[[野球]]が、第3回大会(1924年)で[[水泳]]が、第5回大会(1931年)で[[武術]]と[[ソフトボール]]がそれぞれ競技種目として追加された<ref name="sasa1983_pp4-9">{{Harvnb|笹島|1983|pp=4-9}}</ref>。1932年には国民体育実施法案が採択され、開催間隔が2年に1回に改められた<ref name="sasa1983_pp9">{{Harvnb|笹島|1983|pp=9}}</ref>。第7回大会(1937年)では競技種目が大きく追加され、参加人数も3000人を超えるほどの大会規模になっていた<ref name="sasa1983_p10">{{Harvnb|笹島|1983|p=10}}</ref>。中華人民共和国が成立すると全国運動会は再び開催間隔を4年に1回と定められ、回数も第1回からに戻った<ref name="sasa1983_p13">{{Harvnb|笹島|1983|p=13}}</ref>。2021年までに14回が執り行われ、参加選手も1万人を超える大規模なものに進化している<ref name="asahi2021"/><ref name="jin2021">{{Cite web |url=http://www.peoplechina.com.cn/zlk/yp/202111/t20211130_800264613.html |title=中華人民共和国第14回全国運動会 |website=人民中国コラム |date=2021-11-30 |access-date=2022-06-17}}</ref>。


== 女性のスポーツ参加 ==
西洋の観戦者は、中国を[[卓球]]、[[バドミントン]]、[[格闘技|武道]]、さまざまな形の[[プールビリヤード|プール]]と関連付ける傾向があるが、バスケットボールやサッカーなどの伝統的な西洋のスポーツはますます人気が高まっている<ref>{{Cite web |url=https://daxueconsulting.com/sports-in-china/ |title=Guide to discover the most popular sports in China |date=9 March 2020 |access-date=2022-06-12}}</ref>。中国のプロスポーツは発展段階にある。彼らはまた、自由な時間の間に[[フットバッグ]]、またはピンポンを行う。
中国人女性のスポーツ参加は、[[儒教]]からくる[[中国の女性史#周代|三従四徳]]の教えと、[[纏足]]というスポーツに向かない風習がその主たる要因となり、男性以上に困難を極めた<ref name="iss2018">{{Cite web |url=https://www.isshikipub.co.jp/web-book_sports_19china/ |title=第19章:中国「東亜病夫」からスポーツ大国へ |website=一色出版 |publisher=株式会社一色出版 |date=2018-09-07 |access-date=2022-06-18}}</ref>。1907年に「女子学童章程」が公布され、女性に対する学問教育やスポーツ参加が提唱されるようになり、1908年には中国女子体育学校が設立され、体操や球技に取り組むようになる<ref name="iss2018"/><ref name="sasa1966_p32">{{Harvnb|笹島|1966|p=32}}</ref>。1916年に正式種目ではない公開競技扱いとして全国運動会で初めて女子バスケットボールが披露されたのが女子競技スポーツの嚆矢とされている<ref name="iss2018"/>。その後、1929年の全国運動会で初めて女子スポーツ種目が正式種目に取り入れられた<ref name="iss2018"/>。1931年には両江女子体育専科学校の女子バスケットボールチームが日本遠征を敢行し、対外試合を経験した<ref name="iss2018"/>。以降、国際舞台の場で女子選手の活躍がが少しずつ見られるようになり、1957年には{{仮リンク|鄭鳳栄|en|Zheng Fengrong}}が、1971年には[[呉浮山]]がそれぞれ女子走り高跳びで世界新記録を出し、1980年代前半には中国女子バレーボールチームが[[バレーボールワールドカップ|ワールドカップ]]、[[バレーボール世界選手権|世界選手権]]、[[オリンピックのバレーボール競技|オリンピック]]の金メダルを総なめにするなど、世界最強とも呼ばれるような種目も誕生した<ref name="iss2018"/><ref>{{Cite web |url=https://www.nochuri.co.jp/report/pdf/f1610kai.pdf |title=中国女子バレーボールの郎平監督 |website=金融市場2016年10月号:海外の話題 |author=森下純也 |publisher=農林中金総合研究所 |access-date=2022-06-18}}</ref>。


== スポーツの種類 ==
== スポーツの種類 ==
=== アメリカンフットボ ===
=== 人気の高いスポ ===
2017年に[[百度]]で報道された記事によれば、テレビ視聴率・現地観戦者数を合算した数値においてもっとも高い人気を誇ったのが[[バスケットボール]]であり、以下[[サッカー]]、[[卓球]]、[[体操競技]]、[[バドミントン]]、[[水泳]]、[[ビリヤード]]、[[中国武術]]、[[ボクシング]]、[[重量挙げ]]と続いた<ref name="bai2017">{{Cite web |url=https://baijiahao.baidu.com/s?id=1567827167981255&wfr=spider&for=pc |title=中国人最喜欢的体育项目TOP10,第一竟拥有3亿爱好者 |website=百度|date=2017-05-19 |access-date=2022-06-19|language=zh}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.j-motto.co.jp/00000000/column/2021/20210825.html |title=東京オリンピックでも大活躍!!!中国スポーツのエリート教育について |website=J-MOTTO|author=倉田瑞穂|publisher=リスモン・ビジネス・ポータル株式会社|date=2021-08-25 |access-date=2022-06-19}}</ref>。他のスポーツと比較してバスケットボールの人気が圧倒的に高く、アメリカ合衆国の[[NBA]]だけでなく国内リーグの人気もあり、3億人近いファンを抱えているとも言われている<ref name="bai2017"/>。発表されている人気の高いスポーツ5位までの視聴率について下表に示す<ref name="bai2017"/>。
近年、[[:en:Chinese National Football League|Chinese National Football League]]や[[:en:China Arena Football League|China Arena Football League]]などのアメリカンフットボールリーグが発足した<ref>{{Cite web |url=https://www.latimes.com/world/asia/la-fg-china-football-20161004-snap-story.html |title=American football is gaining traction in China |website=Los Angeles Times |date=4 October 2016 |access-date=29 September 2017 |author=Kaiman, Jonathan |archive-url=https://web.archive.org/web/20170929201057/http://www.latimes.com/world/asia/la-fg-china-football-20161004-snap-story.html |archive-date=29 September 2017}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.scmp.com/sport/china/article/1090060/china-fast-catching-american-football-fever-10-teams-formed |title=China fast catching American football fever with 10 teams formed |publisher=scmp.com |date=25 November 2012 |access-date=29 September 2017 |author=Chin, Andrew |archive-url=https://web.archive.org/web/20170929203100/http://www.scmp.com/sport/china/article/1090060/china-fast-catching-american-football-fever-10-teams-formed |archive-date=29 September 2017}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.americanfootballinternational.com/new-league-in-china/ |title=New American Football League In China |publisher=americanfootballinternational.com |date=9 March 2016 |access-date=29 September 2017 |author=Zhao, Brian |archive-url=https://web.archive.org/web/20170929203332/http://www.americanfootballinternational.com/new-league-in-china/ |archive-date=29 September 2017}}</ref>。
{|class="wikitable sortable" style="font-size:95%;"
|-
!順位
!width="200px"| 競技種目名
!視聴率
|-valign="top"
! 1位
| [[バスケットボール]] || 34.9%
|-valign="top"
! 2位
| [[サッカー]] || 10.4%
|-valign="top"
! 3位
| [[卓球]] || 7.1%
|-valign="top"
! 4位
| [[体操競技]] || 6.8%
|-valign="top"
! 5位
| [[バトミントン]] || 5.9%
|-
|}


=== バドミントン ===
=== 陸上競技 ===
[[ファイル:2013 World Championships in Athletics (August, 10) by Dmitry Rozhkov 63.jpg|サムネイル|[[2020年東京オリンピック|東京オリンピック]]男子100mでアジア新記録を樹立した[[蘇炳添]]。]]
[[ファイル:Lin_Dan.jpg|サムネイル|[[林丹]]は、バドミントン史上、[[世界バドミントン選手権大会|世界選手権]]( [[2006年世界バドミントン選手権大会|2006年]]、[[2007年世界バドミントン選手権大会|2007年]]、[[2009年世界バドミントン選手権大会|2009年]])で3連覇を達成した唯一の選手<ref>https://www.google.com/hostednews/canadianpress/article/ALeqM5iBp5mncI42R4crQcytni_kCHMmxA {{リンク切れ|date=February 2022}}</ref>。]]
中国の陸上競技はYMCAが競技スポーツを伝えた初期から行われており、1890年に上海の[[聖ヨハネ大学 (上海)|セントジョンズ書院]]にて中国最初の運動会が開かれた<ref name="iss2018"/>。初期の競技種目は短距離走、長距離走、走り高跳び、走り幅跳び、二人三脚などで、種目の増減はありつつも全国運動会で継続して競技が実施された<ref name="sasa1983_pp4-9"/><ref name="iss2018"/>。陸上競技のナショナルチームが組織されるのは1953年で、{{仮リンク|中国陸上競技連盟|en|Chinese Athletic Association}}(CAA)は1978年に[[ワールドアスレティックス|国際陸上競技連盟]](IAAF、現WA)に加盟した<ref name="iss2018"/><ref name="spc2008">{{Cite web |url=https://spc.jst.go.jp/report/200808/toku_gi.html |title=中国陸上競技の新たな挑戦 |website=SciencePortal China|date=2008-08-20 |access-date=2022-06-18}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://worldathletics.org/heritage/history/1940s-to-1970s |title=WORLD ATHLETICS LANDMARKS From the 1940s to the 1970s |website=MUSEUM OF WORLD ATHLETICS |access-date=2022-06-18}}</ref>。最初のオリンピック参加は1984年の[[1984年ロサンゼルスオリンピック|ロサンゼルスオリンピック]]である<ref name="iss2018"/><ref name="spc2008"/>。2000年代ごろまで国家主導の優遇政策のもと、全国から素質のある個人を集める方策であったため、陸上選手の成績の多くは個人の能力に強く依拠しており、科学的なトレーニングの分野では他の国には遅れを取っていた<ref name="spc2008"/>。加えて様々な競技スポーツのプロ化が進むにつれ、陸上競技の優遇性が薄まり、才能ある個人の獲得が困難となったことが大きな課題となっていた<ref name="spc2008"/>。中国体育総局は科学部と協力のもと陸上競技管理センターを設立し、種目に応じた科学的なトレーニングの研究を行う科学技術課題研究グループを立ち上げた<ref name="spc2008"/>。
[[バドミントン]]は、娯楽目的での使用が比較的簡単で、設備が安価なため、中国で人気がある{{要出典|date=April 2015}}。多くの中国のバドミントン選手、特にBWF世界選手権の多くの金メダリストは国際的な成功と名声を得ている。バドミントンは全国にアマチュアリーグがあり、人気のあるレクリエーションおよびプロスポーツである。


2021年には[[蘇炳添]]が[[2020年東京オリンピック|東京オリンピック]]男子100mにおいて9秒83というアジア新記録をマークした<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/olympic/tokyo2020/athletics/news/202108010000982.html |title=中国の蘇炳添が衝撃のアジア新9秒83で決勝進出 男子100m |website=日刊スポーツ|date=2021-08-01 |access-date=2022-06-18}}</ref>。
=== バンディ ===
[[ファイル:Збірна_України_з_хокею_з_м’ячем_IMG_1619.jpg|右|サムネイル|222x222ピクセル| 2016年世界選手権でウクライナと中国の全国バンディチーム]]
中国は2009年6月に[[ウルムチ市|ウルムチ]]で教育日を組織することによって[[バンディ]]開発プログラムを開始した<ref>[https://docs.google.com/viewer?a=v&q=cache:Gf8LNSHMc8IJ:www.internationalbandy.com/download.do?ug%3DAdministrator%26f%3DChina%2520on%2520the%2520way%2520into%2520the%2520Bandy%2520family.doc+altry+xiang+bandy&hl=en&gl=uk&pid=bl&srcid=ADGEESibsk1eA0Ea6KGTzWE_FNhq1Najd02L5kKOnBmUgS_J7SF2Koqn_tgL15k1lAfLmPe5DFZJWkONS49X21fGMQOA6qgkEUkPd0h07WMeAvkzyYFUnvu-jTaCD54bB87rEU5ncAJd&sig=AHIEtbTkBxDi70IsFNCXSFFYoMJDzRz1mA&pli=1 China on the way into the bandy family]</ref>。彼らは2011年のアジア冬季競技大会に予定通りに来ませんでした。しかし、中国代表バンディチームは2015年バンディ世界選手権でデビューした<ref>{{Cite web |url=http://bandyvm2015.ru/en/teams/group-b/ |title=Group B - XXXV Чемпионат мира по хоккею с мячом |website=bandyvm2015.ru |access-date=2022-06-12}}</ref>。[[ハルビン市|ハルビン]]は2018年世界選手権のディビジョンBを主催した<ref>{{Cite web |url=http://men.chinabandy.com/en/ |title=2018 WORLD BANDY CHAMPIONSHIP MEN B-GROUP |access-date=2018-01-17 |archive-date=2019-05-15 |archive-url=https://web.archive.org/web/20190515053512/http://men.chinabandy.com/en/}}</ref>。


=== 球技 ===
中国女子代表バンディチームは2016年に世界選手権デビューを果たした<ref>{{Cite web |url=http://www.usabandy.com/wwc2016 |title=SportsEngine |website=www.usabandy.com}}</ref>。2018年には[[承徳市|承徳]]で世界選手権を主催した<ref>[http://women.chinabandy.com/en/ BANDY WORLD CHAMPIONSHIP WOMEN ,2018]</ref>。
==== アメリカンフットボール ====
2012年、巨石達陣(''Great Stone Gridiron Sport'')により青少年向けのアメリカンフットボールスクールが開校すると、国内の認知は急激に高まりを見せ、2013年にアメリカン・フットボール・リーグ・オブ・チャイナ(AFLC)、{{仮リンク|中国アリーナ・フットボール・リーグ|en|China Arena Football League}}(CAFL)が発足した<ref>{{Cite web |url=https://www.latimes.com/world/asia/la-fg-china-football-20161004-snap-story.html |title=American football is gaining traction in China |website=Los Angeles Times |date=4 October 2016 |access-date=29 September 2017 |author=Kaiman, Jonathan |archive-url=https://web.archive.org/web/20170929201057/http://www.latimes.com/world/asia/la-fg-china-football-20161004-snap-story.html |archive-date=29 September 2017}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.scmp.com/sport/china/article/1090060/china-fast-catching-american-football-fever-10-teams-formed |title=China fast catching American football fever with 10 teams formed |publisher=scmp.com |date=25 November 2012 |access-date=29 September 2017 |author=Chin, Andrew |archive-url=https://web.archive.org/web/20170929203100/http://www.scmp.com/sport/china/article/1090060/china-fast-catching-american-football-fever-10-teams-formed |archive-date=29 September 2017}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.americanfootballinternational.com/new-league-in-china/ |title=New American Football League In China |publisher=americanfootballinternational.com |date=9 March 2016 |access-date=29 September 2017 |author=Zhao, Brian |archive-url=https://web.archive.org/web/20170929203332/http://www.americanfootballinternational.com/new-league-in-china/ |archive-date=29 September 2017}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.recordchina.co.jp/b185701-s0-c50-d0054.html |title=中国でアメフトブーム、ファン5年で11倍に、青少年選手増加の理由は「親」―米メディア |publisher=Record China. |date=2017-07-29 |access-date=2022-06-15}}</ref>。AFLCは2019年、{{仮リンク|中国ナショナル・フットボール・リーグ|en|Chinese National Football League}}(CNFL)に改名している<ref>{{Cite web|title=HK American Football News 香港美式足球報 - The AFLC has changed its name to the CNFL|url=https://www.facebook.com/HKAFNEWS/photos/a.560262730704992/2605117522886159/|url-status=live|access-date=2021-10-07|website=www.facebook.com|language=en}}</ref>。


==== 野球 ====
中国は、[[2019年冬季ユニバーシアード]]に男子と女子の両方のトーナメントに参加した<ref>{{Cite web |url=https://translate.google.co.uk/translate?hl=en&sl=ru&u=http://www.rusbandy.ru/news/11528/ |title=Google Translate |website=translate.google.co.uk |access-date=2022-06-12}}</ref>。
中国の地に[[野球]]がもたらされたのは1864年で、アメリカ人医療宣教師ヘンリー・ウィリアム・ブーンによって上海に野球チームが作られたのを嚆矢とする<ref name="news.cbl.org.cn">{{Cite web |url=http://news.cbl.org.cn/class/League_History/ |title=Chinese Baseball League - League History |website=news.cbl.org.cn |archive-url=https://web.archive.org/web/20050609081538/http://news.cbl.org.cn/class/League_History/ |archive-date=2005-06-09 |access-date=2022-06-12}}</ref>。1905年に[[聖ヨハネ大学 (上海)|セントジョンズ大学]]と上海MCA野球クラブの最初の試合が行われた。しかし、[[毛沢東]]の文化大革命により歴史は一度途絶し、1974年の[[中国棒球協会|中国野球協会]]結成を以て再びスポーツ活動が再開された<ref>{{Cite web |url=http://www.baseball.ch/2003/F/MC/mcCHN.html |title=Aerzte-Verzeichnis Schweiz |website=www.baseball.ch |access-date= |deadlinkdate=2022-06-12}}</ref>。その後はプロ化が進み、2002年に[[中国野球リーグ]](''China Baseball League'')が結成され、2019年に[[中国プロ野球連盟]]が結成された<ref name="yah2019">{{Cite web |url=https://news.yahoo.co.jp/byline/asasatoshi/20191023-00147961 |title=仕切りなおした中国プロ野球、第1回CNBLシリーズは強豪・北京タイガースが優勝 |date=2019-10-23 |website=Yahoo Japan |author=阿佐智 |access-date=2022-06-17}}</ref>。しかし北京オリンピック終了後は勢いを失っていったため、2019年に''China National Baseball League''として再結成を行い、参画した各球団にプロチームとして将来的な独立した採算を求めた<ref name="yah2019"/>。ナショナルチームとしてはオリンピックの他、2006年から開催している[[ワールド・ベースボール・クラシック]]にも参加している<ref>{{Cite web |url=https://www.scmp.com/week-asia/society/article/2163008/why-baseball-hit-japan-striking-out-china-hint-its-do-pla-and |title=Why baseball is a hit in Japan, but striking out in China |date=2018-09-09 |website=South China Morning Post |language=en |access-date=2019-10-25}}</ref>。


==== クリケット ====
認可されたアスリートの数では世界で2番目に大きいウィンタースポーツである<ref>{{Cite web |url=http://www.worldbandy.com/newspost_7640.html |title=Bandy destined for the Olympic Winter Games! |website=www.worldbandy.com |access-date=2017-01-04 |archive-date=2018-10-17 |archive-url=https://web.archive.org/web/20181017132109/http://www.worldbandy.com/newspost_7640.html}}</ref>。
[[クリケット]]はかつて英国植民地であった香港で1841年からプレーされており、1969年に香港として[[国際クリケット評議会]](ICC)に加盟した<ref name="chron">{{cite web|url=http://www.cricket.com.hk/db/NATIONAL/ICC_MEMBERS/HKG/HISTORY/CHRONOLOGY.html |title=History of Cricket In Hong Kong – Chronology |publisher=Hong Kong Cricket Association |access-date=24 April 2013 |url-status=dead |archive-url=https://web.archive.org/web/20150518100444/http://www.cricket.com.hk/db/NATIONAL/ICC_MEMBERS/HKG/HISTORY/CHRONOLOGY.html |archive-date=May 18, 2015 }}</ref>。中国では{{仮リンク|上海クリケットクラブ|en|Shanghai Cricket Club}}が1858年ごろより始動しており、事実上のナショナルチームとして活動していたが、2004年に中国クリケット協会としてICCに加盟した<ref>{{cite web|url=http://shanghaicricket.com/about-us/|title=About the Shanghai Cricket Club |publisher=Shanghai Cricket Club|accessdate=23 May 2019}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.cricketarchive.co.uk/Archive/Countries/46.html|title=China – CricketArchive |accessdate=4 September 2015}}</ref>。2006年、中国クリケット協会は[[2019 クリケット・ワールドカップ|ワールドカップ]]出場などを含めた14年間の達成目標を公開した<ref>{{Cite web |url=http://www.espncricinfo.com/ci/content/story/245632.html |title=ScoreEnter the dragon |website=Cricinfo Magazine |date=May 2006 |access-date=December 17, 2016 |author=Ranajit Sankar Dam and Wie Jie}}</ref>。


=== 野球 ===
==== サッカー ====
[[ファイル:Wu Lei 20191101 (cropped).jpg|サムネイル|[[RCDエスパニョール]]に所属し、中国人選手として初めて[[プリメーラ・ディビシオン|ラ・リーガ]]で得点を挙げた[[武磊]]。]]
[[野球]]が初めて紹介されたのは1864年で、アメリカの医療宣教師ヘンリー・ウィリアム・ブーンによって上海野球クラブが設立された<ref name="news.cbl.org.cn">{{Cite web |url=http://news.cbl.org.cn/class/League_History/ |title=Chinese Baseball League - League History |website=news.cbl.org.cn |archive-url=https://web.archive.org/web/20050609081538/http://news.cbl.org.cn/class/League_History/ |archive-date=2005-06-09 |access-date=2022-06-12}}</ref>。組織化された野球の試合は、1905年に[[聖ヨハネ大学 (上海)|セントジョンズ大学]]と上海MCA野球クラブの間の試合で行われた。しかし、1959年に[[毛沢東]]はすべてのチームを解散させ、野球を非合法化した<ref name="news.cbl.org.cn" />。
[[サッカー]]は、国内のどのスポーツよりも高いテレビ視聴率を獲得している人気のスポーツである<ref>{{Cite web |url=http://goodmaniac.blogspot.com/2014/05/football-is-most-popular-spectator_4298.html |title=J U V E N T U S: Football is the most popular spectator sports in china 농구가 아니라 축 구가 중국 최고인기의 관전 스포츠이다 |date=10 May 2014 |website=goodmaniac.blogspot.com |access-date=2022-06-12}}</ref>。サッカーに似た競技としてルールを少しづつ変えながら[[蹴鞠]]が行われていたが、王朝交代の影響を受け、遅くとも[[清]]中期には他のスポーツとともに行われなくなり、文化としては途絶している<ref>{{Cite web |url=http://athleticscholarships.net/history-of-soccer.htm |title=Soccer history. How Soccer Was Invented. |website=athleticscholarships.net |access-date=2022-06-12}}</ref><ref name="sasa1988_p2">{{Harvnb|笹島|1988|p=2}}</ref>。1923年に[[中華民国サッカー協会]](CTFA)の前身である「中華足球聯合會」が上海にて発足した<ref>中華民國體育年鑑,第39頁,財團法人徐亨體育文教基金會,2003年11月出版</ref>。翌年には政府主導の「中華全國體育協進會」が立ち上げられ、1931年に[[国際サッカー連盟|FIFA]]に加盟すると、1936年の[[1936年ベルリンオリンピックのサッカー競技|ベルリンオリンピック]]で国際大会に初めて出場した<ref>中華民國體育年鑑,第41頁,財團法人徐亨體育文教基金會,2003年11月出版</ref><ref>{{cite web|url=http://www.rsssf.com/tablesc/china-olyteam36.html |title=Chinese Olympic team 1936|accessdate=2022-06-16}}</ref>。[[支那事変]]の影響による一時的な中断を経て「中華全國足球委員會」として再建し1954年にFIFA再加盟、1955年に[[アジアサッカー連盟|AFC]]に加盟した<ref>{{cite web |url=http://www.ctfa.com.tw/aboutus/ctfa-profile.html |publisher=Chinese Taipei Football Association |title=會史 |access-date=2016-05-23 |archive-url=https://web.archive.org/web/20160522073818/http://www.ctfa.com.tw/aboutus/ctfa-profile.html |archive-date=2016-05-22 |url-status=dead }}</ref><ref>{{cite web |url=http://www.the-afc.com/60th-anniversary/afc-60th-anniversary-back-to-where-it-all-began |title=AFC 60th Anniversary: Back to where it all began |publisher=Asian Football Confederation |url-status=dead |archive-url=https://web.archive.org/web/20180928182644/http://www.the-afc.com/60th-anniversary/afc-60th-anniversary-back-to-where-it-all-began |archive-date=28 September 2018 |accessdate=2022-06-16}}</ref>。[[中国サッカー協会]](CFA)も1955年にFIFAへの加盟が認められていたが、CTFAとの名称問題による摩擦が生じ、1958年にFIFAを脱退し、1979年に再加盟を果たした<ref name="Homburg">{{cite journal |last=Homburg|first=H. |date=2006 |title=FIFA and the "Chinese Question", 1954-1980: an Exercise of Statutes. |journal=Historical Social Research |publisher=GESIS - Leibniz Institute for the Social Sciences |volume=31 |issue=1 |pages=69–87 |jstor=20762103}}</ref>。CFAは1987年に{{仮リンク|Jia-Aリーグ|en|Chinese Jia-A League}}を立ち上げ、1994年よりプロ化が進められた<ref name="kotoba">{{Cite web|url=https://kotobank.jp/word/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B0-1736427|title=中国サッカー・スーパーリーグ|website=コトバンク|publisher=朝日新聞出版発行「知恵蔵」|access-date=2022-06-16}}</ref>。2004年には[[中国サッカー・甲級リーグ|甲級リーグ]]、[[中国サッカー・スーパーリーグ|超級リーグ]]に改められ、中国スーパーリーグ(中国超級聯賽)として装いを新たにした<ref name="kotoba"/><ref>{{Cite news|url=https://www.reuters.com/article/soccer-china-csl/soccer-ping-an-extends-chinese-football-sponsorship-amid-boom-in-sport-idUSL4N1IO42O|title=Soccer-Ping An extends Chinese football sponsorship amid boom in sport|date=22 May 2017|work=Reuters|access-date=30 October 2017}}</ref>。[[ラミレス・サントス・ド・ナシメント|ラミレス]]や[[ジヴァニウド・ヴィエイラ・ジ・ソウザ|フッキ]]など、国外の人気選手を多数獲得することで人気を博したが、経済力で外国人選手を獲得することのみに注力され、国内選手の育成がおろそかになっているという指摘もなされている<ref name="kotoba"/>。2009年に長期かつ大規模な八百長が行われていたことが表面化し、大きな問題となった<ref name="kotoba"/>。


==== ラクロス ====
[[文化大革命]]が終わった後、野球活動が再開され、1974年に[[中国棒球協会|中国野球協会]]が結成された<ref>{{Cite web |url=http://www.baseball.ch/2003/F/MC/mcCHN.html |title=Aerzte-Verzeichnis Schweiz |website=www.baseball.ch |access-date= |deadlinkdate=2022-06-12}}</ref>。2002年に[[中国野球リーグ]]が結成され、2019年に[[中国プロ野球連盟]]が結成された。中国は[[ワールド・ベースボール・クラシック]]に参加している。[[中華民国|台湾]]、[[日本]]、[[大韓民国|韓国]]への代表チームの敗北は、中国人がゲームの国際化をより意識するようになるにつれて、トレンドを変えるのに役立つかもしれない<ref>{{Cite web |url=https://www.scmp.com/week-asia/society/article/2163008/why-baseball-hit-japan-striking-out-china-hint-its-do-pla-and |title=Why baseball is a hit in Japan, but striking out in China |date=2018-09-09 |website=South China Morning Post |language=en |access-date=2019-10-25}}</ref>。
[[中国ラクロス協会]](CLA)は2012年に発足し、[[ワールドラクロス]](WL)および{{仮リンク|アジア・パシフィック・ラクロス・ユニオン|en|Asia Pacific Lacrosse Union}}(APLU)に加盟した<ref>{{cite web|url=https://www.chinalacrosse.com/races/about/13|title=China Lacrosse Association|accessdate=2022-06-16}}</ref>。代表チームはアメリカ合衆国で開催された2014年およびとイスラエルで開催された2018年の[[世界ラクロス選手権]]に出場している<ref>{{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20120113231422/http://www.worldlacrosse2014.com/ |date=2012-01-13 }}</ref><ref>{{cite web|url=https://laxallstars.com/46-teams-2018-world-championship/|title=46 Teams, Not 48, to Compete in 2018 World Championships|accessdate=2022-06-16}}</ref>。また、アンダーカテゴリ(U-21)の2021年世界ラクロス選手権に代表チームを派遣した<ref>[https://www.insidethegames.biz/articles/1108412/lacrosse-world-u21 Record 23 lacrosse teams to play at Men's Under-21 World Championship] Ali Iveson (Inside the Games), 30 May 2021. Accessed 9 June 2021.</ref>。


=== バスケットボール ===
=== 屋内競技 ===
==== バスケットボール ====
[[ファイル:Yao_Ming_Interview.jpg|サムネイル|[[ヒューストン・ロケッツ]]のスーパースター、[[姚明]]]]
[[ファイル:Gilbert Arenas and Yao Ming (2311322736).jpg|サムネイル|[[NBA]]の[[ヒューストン・ロケッツ]]でプレーした[[姚明]]。]]
バスケットボールは中国で最大の観戦スポーツである<ref>{{Cite web |title=Soccer Study: How the fans tick in China |url=https://www.ispo.com/en/markets/soccer-study-how-fans-tick-china |access-date=2021-09-29 |website=www.ispo.com |language=en}}</ref><ref>{{Cite web |author=Saiidi |first=Uptin |date=2018-11-20 |title=The NBA is China's most popular sports league. Here's how it happened |url=https://www.cnbc.com/2018/11/20/the-nba-is-chinas-most-popular-sports-league-heres-how-it-happened.html |access-date=2021-09-29 |website=CNBC |language=en}}</ref>。中国は[[2019年FIBAバスケットボール・ワールドカップ]]を主催した<ref>[http://www.fiba.com/basketballworldcup/2019 The Official website of the 2019 FIBA Basketball World Cup], FIBA.com, Retrieved 9 March 2016.</ref>。
バスケットボールは中国でもっとも人気のあるスポーツのひとつで<ref>{{Cite web |title=Soccer Study: How the fans tick in China |url=https://www.ispo.com/en/markets/soccer-study-how-fans-tick-china |access-date=2021-09-29 |website=www.ispo.com |language=en}}</ref><ref>{{Cite web |author=Saiidi |first=Uptin |date=2018-11-20 |title=The NBA is China's most popular sports league. Here's how it happened |url=https://www.cnbc.com/2018/11/20/the-nba-is-chinas-most-popular-sports-league-heres-how-it-happened.html |access-date=2021-09-29 |website=CNBC |language=en}}</ref>、2019年には[[2019年FIBAバスケットボール・ワールドカップ|バスケットボール・ワールドカップ]]を主催した<ref>[http://www.fiba.com/basketballworldcup/2019 The Official website of the 2019 FIBA Basketball World Cup], FIBA.com, Retrieved 9 March 2016.</ref>。1891年に[[ジェームズ・ネイスミス]]によって考案されたこのスポーツが中国に伝わったのは1896年と古い<ref>{{Cite web |url=http://inventors.about.com/library/inventors/blbasketball.htm |title=James Naismith: Physical Education Instructor Who Invented Basketball |website=about.com |access-date=2022-06-12}}</ref>。2002年に[[姚明]]が[[NBA]]に参戦して以来、バスケットボールの人気はますます高まりを見せており、[[中国バスケットボール協会]](CBA)による発表によると、国内のプレー人口はおよそ3億人と言われている<ref>{{Cite web |url=http://knowledge.wharton.upenn.edu/article/beyond-yao-the-future-of-chinese-basketball/ |title=Beyond Yao: The Future of Chinese Basketball |publisher=Wharton University of Pennsylvania |date=26 January 2011 |access-date=22 January 2016}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.nba.com/global/news/big_things_china_2012_02_03.html |title=Big Things Are Happening in China |website=Nba.Com |date=3 February 2012 |access-date=22 January 2016}}</ref>。1995年には[[中国プロバスケットボールリーグ]](CBA)が発足し、2022年現在20チームにまで拡大している。姚明の成功後、[[易建聯]]や[[孫悦 (バスケットボール)|孫悦]]といった選手がNBAへ挑戦しており、依然として高い人気を誇っている<ref name="NBA in China">[http://www.chinawikipedia.com/ChinaNBA.html Overview of NBA development in China] at "ChinaWikipedia"</ref>。


==== 卓球 ====
バスケットボールは[[マサチューセッツ州]][[スプリングフィールド (マサチューセッツ州)|スプリングフィールド]]のYMCAトレーニングスクールで働いていたカナダ系アメリカ人の[[ジェームズ・ネイスミス]]が1891年にバスケットボールを発明してからわずか5年後の、1896年にアメリカのYMCA労働者によって中国に紹介された<ref>{{Cite web |url=http://inventors.about.com/library/inventors/blbasketball.htm |title=James Naismith: Physical Education Instructor Who Invented Basketball |website=about.com |access-date=2022-06-12}}</ref>。
1959年の[[容国団]]による[[世界卓球選手権]]シングルス優勝は国際大会における初の勝利であり、1961年には初の国際大会主催として北京で世界卓球選手権が開かれた<ref name="riku2008_p172"/><ref name="hues">{{Cite web |url=https://www.hues.kyushu-u.ac.jp/education/student/pdf/2009/2HE08044M.pdf |title=中国における卓球の変容と社会問題についての研究 |publisher=九州大学 |access-date=2022-06-16 }}</ref>。また、本大会は「紅双喜」という中国卓球メーカーの用具が国際大会で初めて使用された大会でもある<ref name="hues"/>。社会情勢の変化もあり、その後に国際舞台に姿を現すのは[[ピンポン外交]]と呼ばれた1971年の名古屋の世界卓球選手権であった<ref name="wu2011_p27"/><ref name="riku2008_p173"/>。この時から卓球は、国民が関心を寄せるスポーツのひとつとなり、1988年の[[1988年ソウルオリンピック|ソウルオリンピック]]にて競技種目に加えられたことを契機として目覚ましい進歩を遂げており、卓球種目に関する金メダルの獲得数は他国の追随を許していない<ref name="hues"/>。2012年にロンドンオリンピック金メダルを獲得し、世界卓球選手権男子シングルス三連覇を達成し、[[世界卓球殿堂]]入りも果たした[[馬龍]]は、[[国際卓球連盟]](ITTF)ランク世界1位を獲得した史上最高の卓球選手の一人として名を挙げられる<ref>{{Cite web |url=http://www.ittf.com/_front_page/ittf1.asp?category=wr |title=Archived copy |access-date=2010-07-06 |archive-url=https://web.archive.org/web/20100706164124/http://www.ittf.com/_front_page/ittf1.asp?category=wr |archive-date=2010-07-06}}</ref><ref name="Hall of Fame">{{cite web|url=http://www.ittf.com/wp-content/uploads/2016/10/ITTF-Hall-of-Fame.pdf|format=PDF|title=ITTF Hall of Fame|publisher=ittf.com|accessdate=2019-12-07}}</ref>。国内においては1994年に[[中国卓球スーパーリーグ]](CTTSL)が発足し、卓球の普及と振興に努めている<ref name="hues"/><ref name="cttsl">{{Cite news |url=http://world-tt.com/ps_info/ps_report_detail.php?&pg=HEAD&page=BACK&bn=2&rpcdno=21#21 |title=超級リーグを2倍楽しく観る方法  Lesson.2[超級リーグの歴史] |newspaper = [[卓球王国]] |date=2007-07-20 |accessdate=2017-10-06}}</ref>。しかしながら国際舞台で一強状態となり、強すぎるが故に人気に陰りが見え始めると、中国は「養狼計画」を発表し、世界各国にコーチを派遣し、技術の底上げを図るなど、世界規模での卓球普及に腐心している<ref name="hues"/>。


==== バレーボール ====
2002年に[[姚明]]が[[NBA]]に参戦して以来、バスケットボールの人気はますます高まっている。[[中国プロバスケットボールリーグ|中国バスケットボール協会]]によると、中国には約3億人のアクティブなバスケットボール選手がいる<ref>{{Cite web |url=http://knowledge.wharton.upenn.edu/article/beyond-yao-the-future-of-chinese-basketball/ |title=Beyond Yao: The Future of Chinese Basketball |publisher=Wharton University of Pennsylvania |date=26 January 2011 |access-date=22 January 2016}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.nba.com/global/news/big_things_china_2012_02_03.html |title=Big Things Are Happening in China |website=Nba.Com |date=3 February 2012 |access-date=22 January 2016}}</ref>。
1953年に[[中国バレーボール協会]](CVA)が設立され、同年に[[国際バレーボール連盟]](FIVB)および[[アジアバレーボール連盟]](AVC)に加盟した<ref>{{Cite web|url=http://www.fivb.org/EN/FIVB/Org_continentalConfAsia.htm|title=Asian Volleyball Confederation (AVC)|publisher=FIVB|accessdate=2010-08-07|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100528025036/http://www.fivb.org/EN/FIVB/Org_continentalConfAsia.htm|archivedate=2010年5月28日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>。とりわけ国際大会では[[バレーボール中華人民共和国女子代表|女子代表]]が結果を残しており、[[1984年ロサンゼルスオリンピックのバレーボール競技|ロサンゼルスオリンピック]](1984年)、[[2004年アテネオリンピックのバレーボール競技|アテネオリンピック]](2004年)、[[2016年リオデジャネイロオリンピックのバレーボール競技|リオデジャネイロオリンピック]](2016年)で金メダルを獲得している<ref name="masu2019_p74">{{Harvnb|増山|2019|p=74}}</ref>。国内においては1996年より[[中国バレーボールリーグ]]が発足し、バレーボールの普及と振興を行っている<ref>{{Cite web|url=https://women.volleybox.net/women-chinese-league-tt317|title=Chinese League|publisher=VOLLEYBOX|accessdate=2022-06-16|}}</ref>。

中国の最初のプロチームは[[瀋陽市|瀋陽]]で始まり、鞍山鋼鉄集団が後援した。CBAは1995年に設立され、2008年までに18チームに拡大した。

姚明の成功後、米国が中国の選手に気づき始めているという事実、[[易建聯]]や[[孫悦 (バスケットボール)|孫悦]]などの若いCBA選手がNBAに参加していることは、バスケットボールの人気が高まっていることの証である<ref name="NBA in China">[http://www.chinawikipedia.com/ChinaNBA.html Overview of NBA development in China] at "ChinaWikipedia"</ref>。2008年、孫悦は[[ロサンゼルス・レイカーズ]]と2年間の契約を結び、NBAに参加する最新の中国人になった<ref name="NBA in China" />。

=== ボディービル ===
ボディービルは1930年代に中国に導入されたが、1953年に禁止された。1983年に禁止が正式に解除されたときに再び登場した。

=== ボクシング ===
中国のボクシングは1920年代に最初に登場した。[[プロボクサー|プロボクシング]]は中国でファンに支持されている。

=== チェス ===
[[ファイル:HouyifanCorus2007.jpg|右|サムネイル|220x220ピクセル|元[[世界女子チェス選手権|女子世界チェスチャンピオン]]の[[侯逸凡]](2007)]]
中国は、2006年に[[トリノ]]で開催された第37回チェスオリンピックで、男子チームが[[:Category:アルメニアのチェス選手|アルメニア]]に次ぐ2位、女子チームが3位で、全体として最高の結果を出した。中国の進歩は、多くの厳しいイベントでの大規模な政府の支援とテスト競争によって支えられてきた。その地位に見合った中国には、現在、ロシアに次ぐ700人のプレーヤーがいる。しかし、今日でもロシアやイスラエルのような国は、中国よりも経験において優位に立っている。

[[シャンチー]]は中国でもスポーツと見なされており、全国に数百万人の選手がいる。全国的な中国チェスリーグがある。

=== クリケット ===
[[クリケット]]は中国で急成長しているスポーツである{{要出典|date=April 2015}}。これは、かつての英国植民地であった香港ですでに定評のあるスポーツである。中国のクリケットチームは、国際クリケットで中華人民共和国の国を代表するチームである。中国クリケット協会は、2004年に[[国際クリケット評議会]]の加盟組織になった。[[香港]]の特別行政区は、それ自体がICCのメンバーであり、1969年にICCの準メンバーになった。したがって、香港の選手は国際大会で中国を代表する資格はない。

国内最大のクラブである上海クリケットクラブは、全国的に認められたチームが設立される前は、多くのツーリングチームと対戦していましたが、中国クリケット協会から正式に認められていない。

2005年9月以来、中国クリケット協会は、[[アジアクリケット評議会]](ACC)の支援を受けて、8つのコーチング/審判トレーニングコースを実施している。それらは中国の9つの都市、すなわち[[北京市|北京]]、[[上海市|上海]]、[[瀋陽市|シェンヤン]]、[[大連市|大連]]、[[広州市|広州]]、[[深圳市|深セン]]、[[重慶市|重慶]]、[[天津市|天津]]、[[済南市|済南]]で宣伝されている。150以上の学校が関わっていた。

2006年、中国クリケット協会は今後14年間で野心的な目標を設定した<ref>{{Cite web |url=http://www.espncricinfo.com/ci/content/story/245632.html |title=ScoreEnter the dragon |website=[[Cricinfo Magazine]] |date=May 2006 |access-date=December 17, 2016 |author=Ranajit Sankar Dam and Wie Jie}}</ref>。

* 2009年:組織化された構造で全国に720チームを配置
* 2015年:20,000人のプレーヤーと2,000人のコーチがいる
* 2019年:[[2019 クリケット・ワールドカップ|ワールドカップ]]に出場する
* 2020年:テストステータスを得る

=== カーリング ===
一般的には聞きなれないし、人気もないが、[[カーリング]]は中国がプレーするスポーツとして向上してきた{{要出典|date=April 2015}}。政府は、中国でカーリングをするために運動選手を選んだ{{要出典|date=April 2015}}。中国のチームは男女とも国際レベルで向上している。

[[2008年世界女子カーリング選手権大会|2008年世界女子カーリング選手権]]では、[[周妍]]、[[柳蔭 (カーリング選手)|柳蔭]]、[[王冰玉]]、[[岳清爽]]からなる中国のカーリングチームが見事銀メダルを獲得した。[[2008年世界男子カーリング選手権大会|2008年世界男子カーリング選手権]]では、中国人はそれほど成功しなかったが、彼らも健闘し、4位で終了した。政府はまた、大学を通じてスポーツを促進することを望んでいる<ref>{{Cite web |url=http://english.hanban.edu.cn/english/sports/198662.htm |title=孔子学院总部/国家汉办 |website=english.hanban.edu.cn |access-date= |deadlinkdate=2022-06-12}}</ref>。2009年3月、中国は決勝でスウェーデンを破り、カーリング世界選手権で優勝した最初のアジアチームになった<ref>https://news.yahoo.com/s/ap/20090329/ap_on_sp_ot/cur_women_s_worlds_2 {{リンク切れ|date=February 2022}}</ref>。[[2010年バンクーバーオリンピックのカーリング競技|2010年冬季オリンピック]]では、女子チームがスイスを10エンドで破り、銅メダルを獲得した。

=== フィールドホッケー ===
中国女子ナショナルフィールドホッケーチームは、2008年北京オリンピックで銀メダルを獲得し、2002年女子ホッケーワールドカップで銅メダルを獲得した。また、チームは2002年の[[ホッケー・チャンピオンズトロフィー]]を獲得し、2004年と2006年に2位となった。

=== フィギュアスケート ===
[[ファイル:Shen_Xue_and_Zhao_Hongbo.jpg|サムネイル|[[申雪]]と[[趙宏博]]は、このスポーツの多くの批評家から、史上最高の[[フィギュアスケート|ペアスケート]]チームの1つであると見なされている。{{要出典|date=April 2015}}]]
1990年代以降、中国は[[フィギュアスケート]]のペアイベントでトップの国の1つになっている。[[申雪]]と[[趙宏博]]は中国で非常に有名なフィギュアスケートのペアであり、彼らのキャリアの中で広くメディアに取り上げられた。彼らは3回の世界チャンピオンであり、2010年バンクーバー冬季オリンピックで金メダルを獲得した<ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/2010/02/16/sports/olympics/16pairs.html?src=twt&twt=nytimes|newspaper=The New York Times|title=China Ends Russian Winning Streak in Pairs With a One-Two Punch|first=Juliet|last=Macur|date=2010-02-16|access-date=2010-05-23}}</ref>。それに比べて、中国は他の3つの分野(男子シングル、女子シングル、[[アイスダンス]])が弱い。

=== サッカー ===
[[ファイル:Shuihu5.PNG|サムネイル|蹴鞠、中国の古代サッカー]]
[[サッカー]]は、国内のどのスポーツよりもテレビで最も高い評価を得ており<ref>{{Cite web |url=http://goodmaniac.blogspot.com/2014/05/football-is-most-popular-spectator_4298.html |title=J U V E N T U S: Football is the most popular spectator sports in china 농구가 아니라 축 구가 중국 최고인기의 관전 스포츠이다 |date=10 May 2014 |website=goodmaniac.blogspot.com |access-date=2022-06-12}}</ref>、1900年代に導入されて以来、中国で最も支持されているスポーツの1つである{{要出典|date=September 2010}}。サッカーに似たゲーム、蹴鞠が紀元前50年頃に中国で最初にプレイされたという証拠も書かれている<ref>{{Cite web |url=http://athleticscholarships.net/history-of-soccer.htm |title=Soccer history. How Soccer Was Invented. |website=athleticscholarships.net |access-date=2022-06-12}}</ref>。現在の[[中国サッカー協会]](CFA)は、1949年以降に中国で設立された。本社は北京にあり、現在の会長は陳徐源である。1994年から2004年にかけて、CFAは最初のプロサッカーリーグ「JiaA」を設立しました。[[中国サッカー・スーパーリーグ|中国スーパーリーグ]](CSL)は、2004年に「JiaA」から4リーグに及ぶリーグ階層の最上位に変更された、中国で最高のサッカーリーグである。中国語の''Jia''は「最初」または「最高」も意味する。スーパーリーグは創設以来比較的不安定で、人気を維持するのに苦労してきた<ref>{{Cite news|url=https://uk.reuters.com/article/china-soccer-idUKPEK7913220080623|title=INTERVIEW-Soccer-China game hampered by lack of base - author|date=2008-06-23|newspaper=Reuters|language=en}}</ref>。2016年のCSLの平均観戦者数は24,159人で、世界で最も多く観戦されているプロサッカーリーグの1つである。

国際レベルでは、中国のサッカーはファンからのサポートの量にもかかわらず、ほとんど成功していない。代表チームは[[2002 FIFAワールドカップ|2002FIFAワールドカップ]]の出場権を獲得したが、ゴールを決めることなくグループリーグで3戦全敗した。逆に、[[サッカー中華人民共和国女子代表|女子代表]]は世界選手権とオリンピックの両方で2位になった。しかし、国際大会での中国女子チームの成功にもかかわらず、中国の女子サッカーはカナダや米国の女子サッカーほど注目されていないため、中国の女子サッカーの好調は近い将来に終わる可能性がある。1991年、中国は[[広州市|広州]]で初の[[1991 FIFA女子ワールドカップ|女子ワールドカップ]]を開催した。2004年には[[AFCアジアカップ2004|AFCアジアカップ]]を開催した。

サッカーは、中国でレクリエーションのために常に人気のあるアマチュアチームスポーツの1つである。高校にはサッカー施設があることが多く、その一部は週末に地元のアマチュアチームに貸し出されて試合を開催している。また、テレビで見るのに最も人気のあるスポーツであり、[[FIFAワールドカップ|ワールドカップ]]や[[UEFA欧州選手権|欧州選手権]]などの大規模な国際トーナメントや、ヨーロッパの主要なリーグが広く報道されている。

=== ゴルフ ===
中国の[[ゴルフ]]トーナメントには、上海での[[HSBCチャンピオンズ|WGC-HSBCチャンピオン]]、海南島の[[三亜市|三亜]]でのTCLクラシック、中国で行われた[[中国オープン (ゴルフ)|ボルボチャイナオープン]]とBMWアジアオープンが含まれる。最も成功した中国人男性ゴルファーは[[張連偉]]である。最も成功した中国の女性ゴルファーは[[馮珊珊|馮珊瑚]]である。[[深圳市|深セン]]の関蘭にある[[ミッションヒルズ・ゴルフクラブ|ミッションヒルズゴルフクラブ]]のゴルフコースは、世界最大と言われている。

アマチュアレベルでは、ゴルフはビジネスマンや役人にとって最高のレクリエーションスポーツと見なされている。中国社会での地位が比較的高いため、中国本土でゴルフというスポーツに接することができるのは、たいてい彼らだけである。2007年の全国人民代表大会で、新しいゴルフコースの建設は公的資金の浪費であるだけでなく、スペースの違法な使用であるという一般的な認識に屈服し、[[温家宝|温家宝首相]]は議会への作業報告書で建設契約を結んでいると述べた。新しいゴルフコースは非常に推奨されるべきではなく、共産党の役員はプレーを禁止されている。

=== アイスホッケー ===
[[アイスホッケー]]はマイナースポーツだが、人気が高まっている。北京昆仑鴻星は、2016年から[[KHL|KontinentalHockeyLeague]]でプレーするプロチームである。

=== キックボクシング ===
近年、[[Kunlun Fight]]などのキックボクシングプロモーションが始まっている。武林風も長期的なプロモーションである。

=== ラクロス ===
中国代表ラクロスチームは、[[世界ラクロス選手権]]に2回連続で出場した(2014年と2018年)。中国はまた、19歳未満の世界ラクロス選手権に代表チームを派遣した<ref>[https://www.insidethegames.biz/articles/1108412/lacrosse-world-u21 Record 23 lacrosse teams to play at Men's Under-21 World Championship] Ali Iveson ([[Inside the Games]]), 30 May 2021. Accessed 9 June 2021.</ref>。

=== 自動車レース ===
[[フォーミュラ3]]で知られる[[マカオグランプリ]]は1954年以来開催されており、ツーリングカーレースやスーパーバイクレースが開催されている。マカオは1999年に中国に移管された。

中国本土での最初の国際モーターレースは、[[1994年のBPRグローバルGTシリーズ]]のラウンドとして[[珠海市街地コース]]で開催された珠海3時間の1994年大会だった<ref>{{Cite web |url=http://www.zic.com.cn/en/develop.php |title=History |author=<!--Staff writer(s); no by-line.--> |website=[[Zhuhai International Circuit]] |access-date=12 July 2015}}</ref>。[[中国グランプリ]]は、[[2004年中国グランプリ|2004年]]から[[上海インターナショナル・サーキット|上海インターナショナルサーキット]]で開催されている[[フォーミュラ1|F1]]イベントである<ref>{{Cite web |url=http://www.formula1.com/content/fom-website/en/latest/features/2015/4/the-chinese-grand-prix---did-you-know-.html= |title=The Chinese Grand Prix - did you know? |author=<!--Staff writer(s); no by-line.--> |date=8 April 2015 |website=[[formula1.com]] |access-date=12 July 2015}}</ref>。同じサーキットで、2012年から[[FIA 世界耐久選手権|FIA世界耐久選手権]]のラウンドである[[上海6時間レース]]が開催されている<ref>{{Cite web |url=http://www.fiawec.com/en/news/6-hours-of-shanghai-%E2%88%92-a-look-back-at-the-last-two-years_1711.html |title=6 Hours of Shanghai - a look back at the last two years |author=Miller |first=Fiona |date=4 March 2014 |website=[[FIA World Endurance Championship]] |access-date=12 July 2015}}</ref>。

馬青驊は、[[世界ツーリングカー選手権]]でのデビュー戦である2014 FIA WTCCレースオブロシアで2レース中2レースを制し、[[国際自動車連盟|FIA]]世界選手権レースで優勝した初の中国人ドライバーとなった<ref>{{Cite web |url=http://www.fiawtcc.com/remembering-when-ma-made-history-on-wtcc-debut/ |title=Remembering when… Ma made history on WTCC debut |author=<!--Staff writer(s); no by-line.--> |date=2 June 2015 |website=[[FIA World Touring Car Championship]] |access-date=12 July 2015}}</ref>。馬は以前、[[2012年イタリアグランプリ|2012年イタリアGP]]での[[HRT F1|HRTフォーミュラ1チーム]]の最初のフリープラクティスセッションで運転したときに、グランプリでF1カーを運転した最初の中国人ドライバーになった<ref>{{Cite web |url=http://en.espn.co.uk/caterhamracing/motorsport/driver/79276.html |title=Qing Hua Ma - Caterham Racing - F1 Driver Profile |author=<!--Staff writer(s); no by-line.--> |website=[[BT Sport ESPN]] |access-date=12 July 2015}}</ref>。

=== ラグビーユニオン ===
[[ラグビーユニオン]]は、以前よりも中国で人気のあるスポーツになりつつある。しかし、それでもあまり人気はない。中国は1997年に[[ワールドラグビー|国際ラグビー委員会]]に加盟し、現在世界で67位にランクされている<ref>{{Cite web |url=http://www.irb.com/rankings/sportid=1/fixtures/index.html |title=IRB World Rankings |website=irb.com |access-date= |deadlinkdate=2022-06-12}}</ref>。代表チームは今のところ[[ラグビーワールドカップ|ワールドカップ]]の出場資格を持っていない。ラグビーが特に人気のある中国社会の1つのセグメントは、軍隊である。ラグビーは[[中国人民解放軍|人民解放軍]]の公式スポーツであり、PLAスポーツ研究所は競争の激しい[[香港]]のリーグに参加している。

著名な中国のラグビー選手には、イギリスの有名な[[レスター・タイガース]]で活躍した[[張志強 (ラグビー選手)|張志強]]や、100メートルスプリントで10.6秒のタイムを誇る有望な若いスピードスターの[[李陽 (ラグビー選手)|李陽]]が含まれる。

=== スヌーカー ===
[[ファイル:Ding_Jun-hui.jpg|サムネイル|丁俊暉は、ランキングトーナメントと[[マスターズ (スヌーカー)|マスターズ]]で優勝した最初の中国人スヌーカープレーヤーです。]]
プール、より具体的には[[ビリヤード]]は、中国で長い間人気のあるストリートレクリエーションスポーツでだったが、[[スヌーカー]]の人気はここ数年中国で高まっている。これは、かつてプロプレーヤーとして1位にランクされ、2016年の世界スヌーカー選手権の決勝に進出した丁俊暉の台頭が一因といえるだろう。2008年世界スヌーカー選手権の最後の32試合に出場した梁文博や劉川などのますます多くの若い中国人選手が、プロサーキットに進出した。梁は準々決勝に進み、スヌーカーの伝説である[[ロニー・オサリバン]]と対戦した。スヌーカーは推定5000万人の中国人によってプレイされており、現在北京だけでも300を超えるスヌーカークラブがある。中国はいくつかの主要なプロランキングスヌーカートーナメントを主催している。

=== スピードスケート ===
6つの屋内スピードスケート競技場がある([[長春市|長春]]、[[大慶市|大慶]]、[[ハルビン市|哈斉]]、[[チチハル市|チチハル]]、[[瀋陽市|瀋陽]]、[[ウルムチ市|ウルムチ]])。2012年に3つの屋外競技場がオープンした([[阜康市|阜康]]、[[カラマイ市|カラマイ]]、[[汪清県|汪清]])<ref>{{Cite web |url=http://www.speedskatingnews.info/en/data/rink/?country=CHN&status=Y&rinktype=&icetype=&laplength=400&search= |title=Rinks - China - In use - Track length 400 meter - SpeedSkatingNews |website=www.speedskatingnews.info |access-date= |deadlinkdate=2022-06-12}}</ref>。

=== 卓球 ===
中国卓球界は、代表選手以外にも多くの世界トップクラスの選手を輩出し続けており、この層の厚さにより、1990年代を除いて世界タイトルを支配し続けることができている。卓球における中国の圧倒的な優位性は、[[国際卓球連盟]]とオリンピックの一環としてルール改正を引き起こした。[[馬龍]]は現在、中国の卓球選手の中で最高位の選手の1人であり、世界でも最高位の選手である<ref>{{Cite web |url=http://www.ittf.com/_front_page/ittf1.asp?category=wr |title=Archived copy |access-date=2010-07-06 |archive-url=https://web.archive.org/web/20100706164124/http://www.ittf.com/_front_page/ittf1.asp?category=wr |archive-date=2010-07-06}}</ref>。[[鄧亜萍]]は、[[張継科]]、[[劉国梁]]、[[孔令輝]]とともに、史上最高の卓球選手の一人として多くの人に認められている。

卓球は、中国の国際関係において重要な役割を果たした。1972年4月、米国の卓球チームは中国に招待され、この出来事は後に「[[ピンポン外交]]」と呼ばれるようになった。卓球は中国で最大のアマチュアレクリエーションスポーツであり、推定3億人のプレーヤーがいる。

=== テニス ===
[[ファイル:Na-li-2009usopen.png|サムネイル|[[李娜]]は、[[中華人民共和国|中国]]と[[アジア]]から[[グランドスラム (テニス)|グランドスラム]]のタイトルを獲得した最初のプレーヤーである。]]
テニスは中国で成長しているレクリエーションスポーツだが、人口密度の高い都市部ではコートへのアクセスが制限される可能性がある。最近、中国のテニスプレーヤー、特に女子は、アマチュアレベルとプロの両方で国際的に成功を収めている。国際テニストーナメントは中国のスポーツチャンネルで広く取り上げられ、サッカーやバスケットボールに次いで3番目に人気のあるスポーツとなっている。

=== バレーボール ===
バレーボールは1908年にアジアに到着し、1910年に正式に中国に紹介されました。[[中国バレーボール協会]]は、[[国際バレーボール連盟]]と[[アジアバレーボール連盟]]で中国を代表し、全中国スポーツ連盟でバレーボールスポーツを代表している。

[[バレーボール中華人民共和国女子代表|中国女子代表バレーボールチーム]]は、オリンピックのタイトルを2回(1984年と2004年)獲得した、女子国際バレーボールの主要チームの1つである。中国は1980年代に5回連続で世界タイトルを獲得し、1981年と1985年にはFIVBバレーボール女子ワールドカップ、1982年と1986年には[[バレーボール女子世界選手権|FIVBバレーボール女子世界選手権]]に出場した。1990年代には不安定な発展を遂げたが、チームは2003年のFIVBワールドグランプリで優勝し、[[2004年アテネオリンピック|2004年の夏季オリンピック]]で金メダルを獲得し、[[2015年ワールドカップバレーボール|2015年のFIVBワールドカップ]]を獲得し、[[2013年バレーボール・ワールドグランプリ|2013年のFIVBワールドグランプリ]]と[[2014年バレーボール女子世界選手権|2014年のFIVB世界選手権]]で2位となった。

中国男子バレーボール代表チームは、国際バレーボール大会や親善試合で中国を代表している。チームは2回夏季オリンピックに参加し、[[カリフォルニア州]]ロサンゼルスで開催された[[1984年ロサンゼルスオリンピック|1984年夏季オリンピック]]で8位、[[2008年北京オリンピック|2008年夏季オリンピック]]で5位に終わりました。

1956年以来、[[バレーボール中華人民共和国男子代表|男子代表チーム]]は11回の[[バレーボール男子世界選手権|世界選手権]]に参加し、イタリア(1978年)とアルゼンチン(1982年)で最高の成績を収め、7位で終了しました。チームはまた、フランス(1956)、ソビエト連邦(1962)、チェコスロバキア(1966)で9位になった。2002年のアルゼンチンでは、中国が13位となり、新しい再建の段階がスタートした。中国は1990年にトップクラスの[[バレーボール・ワールドリーグ|バレーボールワールドリーグ]]のオープニングエディションに参加し、1992年から1997年まで定期的に参加し、1996年に6位で終了した。


中国は、2018〜2020年のAVCビーチバレーボールコンチネンタルカップに[[ビーチバレー]]の代表チームを男女ともに参加させた<ref>{{Cite news|title=Continental Cup Finals start in Africa|url=https://www.fivb.com/en/about/news/continental-cup-finals-start-in-africa?id=94414|access-date=7 August 2021|newspaper=[[FIVB]]|date=22 June 2021}}</ref>。
中国は、2018〜2020年のAVCビーチバレーボールコンチネンタルカップに[[ビーチバレー]]の代表チームを男女ともに参加させた<ref>{{Cite news|title=Continental Cup Finals start in Africa|url=https://www.fivb.com/en/about/news/continental-cup-finals-start-in-africa?id=94414|access-date=7 August 2021|newspaper=[[FIVB]]|date=22 June 2021}}</ref>。


=== 武術 ===
==== バドミントン ====
[[ファイル:Lin_Dan.jpg|サムネイル|[[林丹]]は、バドミントン史上、[[世界バドミントン選手権大会|世界選手権]]( [[2006年世界バドミントン選手権大会|2006年]]、[[2007年世界バドミントン選手権大会|2007年]]、[[2009年世界バドミントン選手権大会|2009年]])で3連覇を達成した。]]
武術は中国のプロスポーツであり、学問分野でもある。中国武術協会(CWA)は、1958年の設立以来、中国における武術の進歩を管理してきた。その結果、さまざまなイベントや大会を主催する州および市の組織のシステムが生まれた。武術はあらゆる年齢と経験レベルで昇進する。CWAは、国際武術連盟、特に武術の判断、管理、推進に大きな影響を与えてきた。
1960年代初頭、東南アジアにおいて華僑の排斥運動が起こり、中国に戻った{{仮リンク|湯仙虎|zh|湯仙虎}}らが現地で人気を博していた競技スポーツの[[バドミントン]]を伝え、沿岸地域および南部を中心に各地に普及した<ref>{{Cite web |author=姚国利 |url=https://www.mgu.ac.jp/miyagaku_cms/wp-content/uploads/2021/12/jinsha22_08.pdf |title=中国におけるスポーツ産業の生成と展開 |publisher=宮城学院女子大学 |date=2013 |access-date=2022-06-16}}</ref>。1958年に{{仮リンク|中国バドミントン協会|en|Chinese Badminton Association}}(CBA)が設立され、[[世界バドミントン連盟]](IBF、現BWF)および[[アジアバドミントン連盟]](ABC、現BAC)に加盟した<ref>{{cite web |title=广州羽毛球协会成立50周年在即 |url=https://www.gz.gov.cn/gzgov/s5843/200812/198435.shtml |website=Guangzhou City Government |accessdate=1 February 2019}}</ref>。インドネシアや日本、韓国などとともにランキング上位に位置しており、女子ダブルスの{{仮リンク|陳清晨|zh|陈清晨}}、{{仮リンク|賈一凡|zh|贾一凡}}はランキング世界1位を獲得している<ref>{{Cite web |url=https://www.badspi.jp/ranking/%e4%b8%96%e7%95%8c%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%82%ad%e3%83%b3%e3%82%b0-%e5%a5%b3%e5%ad%90%e3%83%80%e3%83%96%e3%83%ab%e3%82%b9/ |title=世界ランキング 女子ダブルス(6月14日付) |publisher=BADMINTON SPIRIT |date=2022-06-14 |access-date=2022-06-16}}</ref>。


=== 冬季競技 ===
中国は世界武術選手権で最も成功した国であり、1991年の最初の大会以来、232個のメダルを獲得し、そのうち218個は金メダルである。中国はまた、世界ジュニア武術選手権、套路ワールドカップ、散打ワールドカップなどの他のIWUF関連のイベントや、[[アジア競技大会]]、廃止された[[東アジア競技大会]]、[[ワールドゲームズ]]、[[スポーツアコードワールドコンバットゲームズ|ワールドコンバットゲームズ]]などのマルチスポーツイベントでも大成功を収めている。中国はまた、2008年の北京武術トーナメントと2014年の南京青年武術トーナメントでも大きな成功を収めた。武術は2008年と2014年のオリンピックの祝賀会でのデモンストレーションイベントだった。
==== バンディ ====
[[ファイル:Збірна_України_з_хокею_з_м’ячем_IMG_1619.jpg|右|サムネイル|222x222ピクセル| 2016年世界選手権でウクライナと中国の全国バンディチーム]]
中国における[[バンディ]]は各国の競技人口比較で世界で2番目に多くプレーされているウィンタースポーツである<ref>{{Cite web |url=http://www.worldbandy.com/newspost_7640.html |title=Bandy destined for the Olympic Winter Games! |website=www.worldbandy.com |access-date=2017-01-04 |archive-date=2018-10-17 |archive-url=https://web.archive.org/web/20181017132109/http://www.worldbandy.com/newspost_7640.html}}</ref>。2014年に{{仮リンク|中国バンディ連盟|en|China Bandy Federation}}(CBF)が設立するまでは{{仮リンク|中国アイスホッケー協会|en|Chinese Ice Hockey Association}}(CIHA)が代行して[[国際バンディ連盟]](FIB)に加盟していた<ref>[http://news.xinhuanet.com/english2010/sports/2010-01/30/c_13157113.htm FIB recruits China as official member]</ref><ref name="chinabandy">{{cite web |url=http://www.chinabandy.org/news/ |title=新闻 – China Bandy Federation &#124; Report from China Bandy Year End Report and AGM 2015 |publisher=chinabandy.org |accessdate=2016-03-30 |archive-url=https://web.archive.org/web/20160503173114/http://www.chinabandy.org/news/ |archive-date=3 May 2016 |url-status=dead }}</ref><ref name="idrottensaffarer">{{cite web|url=https://translate.google.co.uk/translate?hl=en&sl=sv&u=http://www.idrottensaffarer.se/affarer/2015/01/till-kina-pa-missionsresa&prev=search |title= Idrottens affärer: "To China on a mission trip", 2015-01-12 |publisher=translate.google.co.uk|accessdate=2016-03-30}}</ref>。中国の代表チームは男子は2015年、女子は2016年に初めて国際大会のバンディ世界選手権に出場した<ref>{{Cite web |url=http://bandyvm2015.ru/en/teams/group-b/ |title=Group B - XXXV Чемпионат мира по хоккею с мячом|website=bandyvm2015.ru|access-date=2022-06-12 }}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.usabandy.com/wwc2016 |title=SportsEngine |website=www.usabandy.com|access-date=2022-06-12}}</ref>。また、2018年には[[ハルビン市|ハルビン]]および[[承徳市|承徳]]にて世界選手権を主催している<ref>{{Cite web |url=http://men.chinabandy.com/en/ |title=2018 WORLD BANDY CHAMPIONSHIP MEN B-GROUP |access-date=2018-01-17 |archive-date=2019-05-15 |archive-url=https://web.archive.org/web/20190515053512/http://men.chinabandy.com/en/}}</ref><ref>[http://women.chinabandy.com/en/ BANDY WORLD CHAMPIONSHIP WOMEN ,2018]</ref>。2019年には[[国際大学スポーツ連盟]]が主催する[[ユニバーシアード]]に男女揃って出場した<ref>{{Cite web |url=https://translate.google.co.uk/translate?hl=en&sl=ru&u=http://www.rusbandy.ru/news/11528/ |title=Google Translate |website=translate.google.co.uk |access-date=2022-06-12}}</ref>。


==== カーリング ====
多くの引退した武術太極拳選手は、映画俳優として大きな成功を収めてきた。最も注目すべき人物の1人は[[ジェット・リー]]である。多くの散打ファイターは、[[総合格闘技|MMA]]、シュートファイティング、[[キックボクシング]]などの他の格闘技で大きな成功を収めている。
[[カーリング]]がオリンピックの正式種目となる前の1995年に、[[黒竜江省]]にて1986年から友好提携を結ぶ北海道の指導者・太田勇が講習会を開いたのがきっかけとなり、カーリングという競技スポーツが中国へ初めて伝わった<ref name="nhk">{{Cite web |url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220215/k10013484951000.html |title=カーリング女子 中国の競技力向上の背景に日本との交流|website=NHK |date=2022-02-15 |access-date=2022-06-16}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.hiecc.or.jp/hokkaido-china.jca40/story/story05.html |title=交流物語 3地域が生んだカーリング交流 ~草の根交流からオリンピックへ~|website=北海道・中国交流デジタル資料館 |access-date=2022-06-16}}</ref>。{{仮リンク|中国カーリング協会|en|Chinese Curling Association}}(CCA)が発足し、2002年に[[世界カーリング連盟]](WCF)に加盟すると、2009年3月、中国は決勝でスウェーデンを破り、カーリング世界選手権で優勝した最初のアジアチームになった<ref>{{cite web|url=http://www.worldcurling.org/wcf-member-associations|title=WCF Member Associations|publisher=World Curling Federation|accessdate=25 April 2014}}</ref><ref>https://news.yahoo.com/s/ap/20090329/ap_on_sp_ot/cur_women_s_worlds_2 {{リンク切れ|date=February 2022}}</ref><ref name="nhk" />。太田は黒竜江省政府から感謝状が授与され、NHKのインタビューに対し、普及活動が実を結び、複数のアジアチームがカーリングの国際大会に出るようになったのは喜ばしいことだと回答している<ref name="nhk" />。


==== フィギュアスケート ====
== 競技大会での結果 ==
[[ファイル:Shen_Xue_and_Zhao_Hongbo.jpg|サムネイル|[[2010年バンクーバーオリンピック]]フィギュアスケートペアにて金メダルを獲得した[[申雪]]と[[趙宏博]]]]
=== 概要 ===
中国は{{仮リンク|中国スケート協会|en|Chinese Skating Association}}(CSA)が[[国際スケート連盟]](ISU)に加盟した1950年代より[[フィギュアスケート]]の振興に取り組んできた<ref name="radio86">{{Cite web |url=http://en.radio86.com/health-and-sports/sports/rise-chinese-figure-skating |title=Archived copy |access-date=2010-12-13 |archive-url=https://web.archive.org/web/20110715150357/http://en.radio86.com/health-and-sports/sports/rise-chinese-figure-skating |archive-date=2011-07-15 |url-status=dead }}</ref>。中国人最初のフィギュアスケート選手は[[姚濱]]と[[欒波]]のペアであるが、国際大会での結果はふるわなかった<ref name="radio86"/>。しかし1998年より姚濱がコーチに就任すると目覚ましい発展を遂げ、[[申雪]]と[[趙宏博]]が2010年の[[2010年バンクーバーオリンピック|バンクーバーオリンピック]]で金メダルを獲得した<ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/2010/02/16/sports/olympics/16pairs.html?src=twt&twt=nytimes|newspaper=The New York Times|title=China Ends Russian Winning Streak in Pairs With a One-Two Punch|first=Juliet|last=Macur|date=2010-02-16|access-date=2010-05-23}}</ref>。その他中国スケート協会は国内選手権として[[中国フィギュアスケート選手権]]を主催し、2003年からは国際競技として[[中国杯]]を主催している<ref>{{cite web |url= http://www.isuresults.com/results/coc2003/ |title= 2003 Cup of China |publisher= International Skating Union|accessdate=2022-06-16}}</ref>。
1959年3月、[[ドイツ]]で開催された第25回世界卓球選手権大会で、卓球選手の[[容国団]]が中国のスポーツ史上初の世界タイトルを獲得した。その後、さらに多くの成功があった。2004年末までに、中国のアスリートは合計で1,800の世界選手権に勝ち、1,119の[[世界記録]]を破った。1989年から16年間で、中国のアスリートは1,446の世界選手権に勝ち、全体の80.3%を占めた。また、737の世界記録を破り、全体の65.9%を占めた。それは中国の競争力のあるスポーツが継続的かつ急速に発展した時期でした。[[2008年北京オリンピック|2008年のオリンピック]]では、中国は史上最高のオリンピックショーを行い、51個の金、21個の銀、28個の銅を含む、100個のメダルを獲得し、メダルテーブルで1位になり、中国のスポーツ史上大きな進歩を遂げた。


=== モータースポーツ ===
競技スポーツでの結果は常に完成されたトレーニングシステムによるものである。これは、ユースアマチュアスポーツスクールとベーシックレベルのクラブに基づいており、地域を代表するチームがバックボーンであり、代表チームが最高レベルにある。トレーニングシステムは、中国のエリートチームが約20,000人のアスリートの年間チームを維持することを保証する。
==== 自動車レース ====
1954年、ポルトガルの植民地でった[[マカオ]]にて[[マカオグランプリ]]がはじめて開催された<ref>{{cite web|url=http://macauantigo.blogspot.com/2010/05/morreu-fernando-macedo-pinto-um-dos.html|title=Fernando Macedo Pinto, one of the founders of the Macau Grand Prix|access-date=2010-10-20|publisher=Blog Macau Antigo|language=pt}}</ref>。市街地で行われるアマチュアレースとして始まったこの[[モータースポーツ]]は、1960年代に入ると、[[国際自動車連盟|FIA]]の規格を採用することにより本格化し、[[テディ・イップ]]らのテコ入れもあって、企業が参入する世界でも有数のレースに数えられるようになった<ref name="yokohama">{{Cite web |url=http://www.advan.com/english/event/macaugp/2012/his/index.html |title=History of MACAU GP |website=YOKOHAMA TIRE |access-date=2022-06-16}}</ref>。1983年より[[フォーミュラ・パシフィック]]から[[フォーミュラ3]]へと移行し、FIAより国際選手権として認可された<ref name="yokohama"/>。初年度のタイトルは[[アイルトン・セナ]]が獲得した<ref name="yokohama"/>。


一方、中国本土での最初の国際モーターレースは、1994年、初年度[[1994年のBPRグローバルGTシリーズ|BPRグローバルGTシリーズ]]のラウンドとして{{仮リンク|珠海市街地コース|en|Zhuhai Street Circuit}}で開催された珠海3時間レースだった<ref>{{Cite web |url=http://www.zic.com.cn/en/develop.php |title=History |author=<!--Staff writer(s); no by-line.--> |website=Zhuhai International Circuit |access-date=12 July 2015}}</ref>。2004年からは[[上海インターナショナル・サーキット|上海インターナショナルサーキット]]で開催される[[フォーミュラ1]]規格の大会[[中国グランプリ]]が始まった<ref>{{Cite web |url=http://www.formula1.com/content/fom-website/en/latest/features/2015/4/the-chinese-grand-prix---did-you-know-.html= |title=The Chinese Grand Prix - did you know? |author=<!--Staff writer(s); no by-line.--> |date=8 April 2015 |website=formula1.com |access-date=12 July 2015}}</ref>。2012年からは[[FIA 世界耐久選手権|FIA世界耐久選手権]]のラウンドである{{仮リンク|上海4時間レース|label=上海6時間レース|en|4 Hours of Shanghai}}(2019年より4時間)が開催されている<ref>{{Cite web |url=http://www.fiawec.com/en/news/6-hours-of-shanghai-%E2%88%92-a-look-back-at-the-last-two-years_1711.html |title=6 Hours of Shanghai - a look back at the last two years |author=Miller |first=Fiona |date=4 March 2014 |website=FIA World Endurance Championship |access-date=12 July 2015}}</ref>。
=== オリンピック競技 ===
2001年7月、北京はついに[[2008年北京オリンピック|2008年夏季オリンピック]]の招致に成功した。2001年末に設立された第29回オリンピックの北京組織委員会(BOCOG)は、2008年のオリンピックのテーマを「グリーンオリンピック」、「ハイテクオリンピック」、「ヒューマニスティックオリンピック」に設定した。国立競技場や国立水泳センターを含む7つの会場が、北京の現代建築の新時代を切り開いてきた。2008年の大会の目玉は、「鳥の巣」と呼ばれる[[北京国家体育場|国立競技場]]だった。91,000人の観客を収容できるこのスタジアムでは、開会式と閉会式のほか、[[トラック&フィールド|陸上競技]]が開催された。


{{仮リンク|馬青驊|en|Ma Qinghua}}は、2012年[[2012年イタリアグランプリ|イタリアGP]]に出場しグランプリでF1カーを運転した初めての中国人となるとともに、[[世界ツーリングカー選手権]]でのデビュー戦である''[[:en:2014 FIA WTCC Race of Russia|2014 FIA WTCC Race of Russia]]''で2レース中2レースを制し、[[国際自動車連盟|FIA]]世界選手権レースで優勝した初の中国人となった<ref>{{Cite web |url=http://en.espn.co.uk/caterhamracing/motorsport/driver/79276.html |title=Qing Hua Ma - Caterham Racing - F1 Driver Profile |author=<!--Staff writer(s); no by-line.--> |website=BT Sport ESPN |access-date=12 July 2015}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.fiawtcc.com/remembering-when-ma-made-history-on-wtcc-debut/ |title=Remembering when… Ma made history on WTCC debut |author=<!--Staff writer(s); no by-line.--> |date=2 June 2015 |website=FIA World Touring Car Championship |access-date=12 July 2015}}</ref>。
1949年以来、中国は8回の夏季オリンピックと9回の冬季オリンピックに参加し、夏季オリンピックで385個のメダル、冬季オリンピックで44個のメダルを獲得している。[[1984年ロサンゼルスオリンピック|ロサンゼルス]]、[[1992年バルセロナオリンピック|バルセロナ]]、[[1996年アトランタオリンピック|アトランタオリンピック]]では、中国が金メダルのテーブルで4位、[[2004年アテネオリンピック|アテネ]]と[[2012年ロンドンオリンピック|ロンドンオリンピック]]で2位、[[2008年北京オリンピック|北京オリンピック(夏季)]]で1位になりました。


=== アジア競技大会 ===
=== その他スポーツ ===
==== 競技武術 ====
{{Main|en:China at the Asian Games}}
{{main|中国武術}}
[[中国武術]]の歴史は古く、[[春秋戦国時代]]には「技撃」という名が、[[漢]]の時代には「武芸」という名が使用されており、[[南北朝時代 (中国)|南北朝時代]]の資料に「武術」という名称が見られるようになる<ref name="yokohamab">{{Cite web |url=http://www.yokohamabujutuin.sakura.ne.jp/kaisetu5.html |title=中国武術の歴史 |website=横浜武術院 |access-date=2022-06-18}}</ref>。中華民国成立後に開催された1931年の全国運動会より正式に競技種目として取り入れられた<ref name="sasa1983_pp4-9"/>。これを契機として競技武術を世界へ普及させるための活動が活発化し、アジア各国への武術公演、国際大会でのエキシビジョンなどが積極的に行われるようになった<ref name="yokohamab"/>。中華人民共和国成立後は1958年に{{仮リンク|中国武術協会|en|Chinese Wushu Association}}(CWA)が設立され、競技規則や規格などが整備された<ref name="yokohamab"/><ref>{{Cite web |url=https://www.jwtf.or.jp/news/0902-01.html |title=中国武術協会 新会長に高小軍氏が就任 |website=日本武術太極拳連盟 |date=2008-02-15 |access-date=2022-06-18}}</ref>。その後、文化大革命を経て1979年に競技規則が改めて再編され、1990年10月3日、{{仮リンク|国際武術連盟|en|International Wushu Federation}}(IWUF)が組織された<ref name="yokohamab"/><ref>{{Cite web |url=https://www.jwtf.or.jp/news/0902-01.html |title=ABOUT IWUF |website=IWUF |access-date=2022-06-18}}</ref>。[[2020年東京オリンピック]]での競技種目採用を目標に普及をすすめていたが、2015年9月28日、東京オリンピックの追加種目として採用されないことが発表された<ref>{{Cite web |url=https://www.jwtf.or.jp/news/151015_02.html |title=「2020東京オリンピック追加競技」武術太極拳は,残念ながら外れる |website=日本武術太極拳連盟 |date=2015-10-15 |access-date=2022-06-18}}</ref>。


=== 全国運動会 ===
==== 射撃競技 ====
[[射撃競技]]は中国でも建国初期から行われているスポーツで、[[中国射撃協会]](''Chinese Shooting Association'')は1956年に北京にて設立され、1979年に[[国際射撃連盟]](ISSF)に加盟した<ref>{{Cite web |url=http://en.chinaculture.org/library/2008-01/25/content_31909.htm |title=Chinese Shooting Association |website=CHINA CULTURE.org |access-date=2022-06-17}}</ref>。1984年の[[1984年ロサンゼルスオリンピック|ロサンゼルスオリンピック]]に出場した[[許海峰]]は、50mピストルの部門にて金メダルを獲得した<ref name="jin2021"/>。許海峰は中国人選手としての初の金メダル獲得の一人となった<ref name="jin2021"/>。中華人民共和国として初の夏季オリンピック参加となったこの大会で、中国は15個の金メダルを獲得している<ref>{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20200417043045/https://www.sports-reference.com/olympics/countries/CHN/summer/1984/ |title=1984年ロサンゼルスオリンピックの中国選手団 |website=Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ |access-date=2022-06-17}}</ref>。
{{Main|中華人民共和国全国運動会}}


=== アンチドピング ===
== 国際スポツ施設 ==
[[ファイル:Workers stadium.JPG|サムネイル|建国10周年を記念して建設された[[北京工人体育場|北京工人スタジアム]]。[[北京十大建築]]のひとつに数えられる。]]
[[中華人民共和国国務院]]は、ドーピング防止規則を2004年3月1日から施行している。
中国では2008年の北京オリンピックに向けて陸上、サッカーなどが競技可能なナショナルスタジアムが相次いで建設された<ref name="sinkou"/>。また、各地に黄石NTC(卓球)、正定NTC(卓球)、台州NTC(テニス)、秦皇島NTC(サッカー他)、雲南NTC(自転車他)、広西武鳴NTC(アーチェリー)、香河NTC(サッカー)、振隆NTC(室内競技)、長白山高原氷雪NTC(スキー)、昆明海埂NTC(高地)、漳州NTC(バレー他)、郴州NTC(バレー他)、広西梧州NTC(サッカー他)、青海多巴高原NTC(総合)、北京NTC(ゴルフ)といった14か所のナショナルトレーニングセンター、強化施設も設置された<ref name="sinkou"/>。


{|class="wikitable sortable" style="font-size:95%;"
== スポーツを重視する毛沢東の方針 ==
|-
1949年から1976年までの[[毛沢東]]の中国統治時代、スポーツは最初、すべての男性と女性が参加することを要求された軍事化された社会主義運動と見なされていた。毛沢東は、国を維持し、守るためには、人々の健康を構築することが不可欠であると考えた。スポーツは社会主義の精神で国を統一し、女性がより大きな平等を獲得できるようにする共同作業の取り組みに影響を与えた。1952年の全中国スポーツ連盟の6月の初会合で、彼は中国の人々に「身体文化とスポーツを発展させ、人々の体格を強化する」よう呼びかけた<ref>{{Cite book|last=Dong-Jhy|first=Hwang|title=Sport, Revolution and the Beijing Olympics|publisher=Berg|year=2008|isbn=9781845201005|pages=64}}</ref>。1953年、中国の新民主主義青年同盟の第2回全国大会の幹部会を代表する演説で、毛沢東は次のように述べた。「労働者、農民、兵士、学生、幹部など、すべての人が健康でいられるようにしなければならない。もちろん、健康であれば勉強ができるというわけではなく、勉強は適切な方法で行わなければならないのだが......。今、時間と施設を確保しなければならないレクリエーションを手配する必要がある。この目的もしっかりと把握しておかなければならない。党中央委員会は、会議の回数と学習時間の削減を決定した。この決定が実行されるように見届けなければならない。それを拒否する者には挑戦せよ。要するに、若者は健康を保ち、よく勉強し、よく働くことができるようにならなければならない。」<ref>{{Citation|title=Mao’s New Comrades|date=2018|url=http://dx.doi.org/10.7551/mitpress/11198.003.0006|journal=Global Gay|publisher=The MIT Press|access-date=2022-05-05}}</ref>
!設立年
!width="300px"| スタジアム名
!所在地
!収容規模
!主な用途
|-valign="top"
! 1959年
| [[北京工人体育場|北京工人スタジアム]] || 北京 || 64,000 || サッカー
|-valign="top"
! 1997年
| [[上海体育場|上海スタジアム]] || 上海 || 56,000<br/>最大80,000 || サッカー
|-valign="top"
! 2004年
| [[秦皇島オリンピック・スポーツセンター・スタジアム]] || 秦皇島 || 33,000 || サッカー
|-valign="top"
! 2006年
| {{仮リンク|青島オリンピック・セーリングセンター|en|Qingdao International Sailing Centre}} || 青島 || 不明 || ヨット
|-valign="top"
! 2007年
| [[天津オリンピック・スポーツセンター・スタジアム|天津オリンピック・センター・スタジアム]] || 天津 || 60,000 || 陸上競技<br/>サッカー
|-valign="top"
! 2007年
| [[瀋陽オリンピック・スポーツセンター・スタジアム]] || 瀋陽 || 60,000 || サッカー
|-valign="top"
! 2007年
| [[北京国家体育館]] || 北京 || 18,000 || ハンドボール<br/>体操
|-valign="top"
! 2008年
| [[北京国家水泳センター|ウォーターキューブ]] || 北京 || 6,000<br/>臨時17,000 || ウォータースポーツ
|-valign="top"
! 2008年
| [[北京国家体育場|北京ナショナルスタジアム]](鳥の巣) || 北京 || 80,000<br/>臨時91,000 || 陸上競技<br/>サッカー
|-
|}


== 脚注 ==
== 毛沢東主義時代の男女平等 ==
{{Reflist|30em}}
中国の女性アスリートは、毛沢東主義時代に国の栄光を勝ち取った「女戦士」の役割に足を踏み入れることができた。この女性戦士(武侠)の姿は何世紀にもわたって存在し、武道小説(武侠小説)やその他の文学テキスト、オペラ(無錫)のストックキャラクターである<ref>{{Cite journal|last=Li|first=Jian|date=1997|title=Susan Brownell, Training the Body for China: Sports in the Moral Order of the People's Republic (Chicago: University of Chicago Press, 1995), ix, 393 pp. Paper $18.95.|url=http://dx.doi.org/10.1163/15685217-90007297|journal=Journal of Asian and African Studies|volume=32|issue=1-2|pages=159–160|DOI=10.1163/15685217-90007297|ISSN=0021-9096}}</ref>。田舎の女性は、田舎でスポーツをする傾向があるため、この運動の最前線に立っていた。これは、歴史的に階層的な男性優位の社会において、中国のスポーツが一般的に下層階級の個人、特に農民と関連しているためである。第二に、農民労働の本質は、文化大革命中の地方の女性に典型的に関連する、強い体格と精神的強さを必要とする。毛沢東の運動を通じて、女性は全国的に尊敬を集めたが、それでも完全な平等の権利を求めて戦った。中国陸上競技協会のルー・ダペン副会長は、「女性のスポーツに集中することが私たちの方針である」と述べていると報告されている<ref>{{Cite journal|last=Wenner|first=Lawrence A.|date=May 1994|title=BEHIND THE GREEN DOOR OF INTERCOLLEGIATE ATHLETICS|url=http://dx.doi.org/10.1177/019372394018002001|journal=Journal of Sport and Social Issues|volume=18|issue=2|pages=107–109|DOI=10.1177/019372394018002001|ISSN=0193-7235}}</ref>。水泳コーチのChen Yungpengはまた、「女性アスリートの卓越した業績により、中国のスポーツ当局は男性よりも女性の競技に多くの資金と人材を投入するようになり、女性の参加が広がり、技術水準が向上した」と述べている<ref>{{Citation|title=Chapter V. The Period of Foreign Domination (1861 to 1918)|date=1919-12-31|url=http://dx.doi.org/10.7312/see-93484-006|journal=The Foreign Trade of China|publisher=Columbia University Press|pages=182–269|access-date=2022-05-05}}</ref>。スポーツの女性の未来は明るいように見えたが、共通のテーマは「中国人第一、女性第二」だった。スポーツにおいて女性を優先するという公式の方針に関連して、中国の情報筋は、スポーツの女性が最初に中国人であり、次に女性であるという正当化が頻繁に行われた。言い換えれば、彼らの中国人のアイデンティティは彼らの性同一性よりも重要だったのだ。


== 参考文献 ==
== 毛沢東主義時代後の国民体育 ==
* {{Citation|和書|last=笹島|first=恒輔|year=1966 |title=清朝末期から中華民国初期における中国女子体育に対する一考察 |url=https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00135710-00070001-0031 |journal=体育研究所紀要 |volume=7 |publisher=慶応義塾大学体育研究所 |pages=31-48 |ref={{Harvid|笹島|1966}}}}
「中華人民共和国の健康法」は1995年に採択された。同年、[[中華人民共和国国務院]]は「全国体力プログラムの概要」を公布し、続いて一連の規則や規制を公布した。州の体育管理局が発表した調査によると、7〜70人の人口の33.9%が定期的に運動し、都市部の人口の60.7%がフィットネス活動に従事するためにスポーツクラブに行っている。2005年末までに、中国の総人口の37%が定期的な運動に参加し、95%以上の学生が国家の運動基準を満たすと予想されている。「全国体力向上計画」は、国民全体の健康増進と体力の向上を目指し、青少年や子どもたちに重点を置いて、毎日少なくとも1つのスポーツ活動を行い、少なくとも2つの健康維持方法を学び、毎年健康診断を受けることを推奨している。
* {{Citation|和書|last=笹島|first=恒輔 |date=1983 |title=122 中国・全国運動会小史 |url=https://doi.org/10.20693/jspeconf.34.0_113 |journal=日本体育学会大会号 |publisher=日本体育学会 |volume=34 |pages=113 |doi=10.20693/jspeconf.34.0_113 |ref={{Harvid|笹島|1983}}}}
* {{Citation|和書|last=笹島|first=恒輔|year=1988 |title=王朝の交代による中国体育・スポーツの変遷についての一考察 |url=https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00135710-00280001-0001 |journal=体育研究所紀要 |volume=28 |publisher=慶応義塾大学体育研究所 |pages=1-18 |ref={{Harvid|笹島|1988}}}}
* {{Citation|和書|last=陸|first=小聰|year=2008 |title=『新体育』から見た中国スポーツの現代史 |url=https://cir.nii.ac.jp/crid/1572261554442099584 |journal=東北大学大学院教育学研究科教育ネットワークセンター年報 |volume=8 |publisher=教育ネットワークセンター |pages=170-176 |ref={{Harvid|陸|2008}}}}
* {{Citation|和書|last=武|first=浩文|year=2011 |title=1960年代以降の中国における競技スポーツ優先政策の確立過程 |url=http://id.nii.ac.jp/1444/00000963/ |journal=日本体育大学紀要|volume=41 |publisher=日本体育大学 |pages=25-35 |ref={{Harvid|武|2011}}}}
* {{Citation|和書|last=王|first=偉|year=2013 |title=中国におけるスポーツ政策変遷の検討 |url=https://hdl.handle.net/10105/9440 |volume=奈良教育大学修士学位論文 |publisher=奈良教育大学 |pages=25-35 |ref={{Harvid|王|2013}}}}
* {{Citation|和書|last=増山|first=光洋|year=2019 |title=中国と日本のバレーボールにおけるアスリート育成の比較研究 |url=http://id.nii.ac.jp/1471/00001690/ |journal=中央学院大学人間・自然論叢|volume=47 |publisher=中央学院大学 |pages=73-93 |ref={{Harvid|増山|2019}}}}
* {{Citation|和書|last=王|first=元貞|author2=沖原謙|author3=馬達|author4=王紀文|year=2020 |title=中国における大規模スポーツ施設の経営現状に関する研究 : 経営管理モデルのあり方に着目して |url=http://doi.org/10.15027/50181 |journal=広島大学大学院人間社会科学研究科紀要・教育学研究 |volume=1 |publisher=広島大学大学院人間社会科学研究科 |pages=115-121 |ref={{Harvid|王|2020}}}}


== 関連項目 ==
この15年間のプログラムでは、政府は一般市民向けのスポーツと健康増進サービスシステムの構築を目指している。中国全土に約62万の[[体育館]]と[[スタジアム]]があり、一般に公開されており、広く使用されている。屋外フィットネスセンターは、公共の公園、広場、校庭、その他の便利な場所の都市コミュニティに設置されている。北京のすべてのコミュニティと近隣には、国家基準を満たすフィットネス施設が備わっています。[[天津市|天津]]は、すでに持っていたものを基に、屋外および屋内のフィットネス施設とスタジアムの大規模な拡張を開始した。2004年には、床面積が10,000㎡を超える中国初の大規模なフィットネスアリーナが完成しました。
* {{仮リンク|ソビエト連邦におけるスポーツ|ru|Физическая культура и спорт в СССР|fr|Sport en URSS}}

* [[アジアのスポーツ]]
2001年から、国の体育局は、[[大連市|大連]]、[[北京市|北京]]、[[長春市|長春]]を含む全国の31の大中規模都市でパイロットプロジェクトとして「中国スポーツ宝くじ全国体力センター」を建設するためのパイロット資金としてスポーツ宝くじの収益を確保した。これらのセンターのいくつかはすでに建設されています。一方、スポーツくじの収益金約1億9600万元は、発展途上の西部地域と揚子江の[[長江]][[三峡]]地域に公共のスポーツ施設を建設するために使用され、101の県・鎮を支援した。

全国的なフィットネス活動の増加に伴い、人々の生活観も変化している。多くの中規模都市では、健康を追求するためにお金を使うことが流行している。[[ロッククライミング]]、[[馬術]]、[[バンジージャンプ]]、[[ボウリング]]、[[スケートボード]]、[[女子ボクシング]]、[[シャフルボード|シャッフルボード]]、[[テコンドー]]、[[ゴルフ]]などの新しいスポーツは、若者の間で特に人気がある。2003年の終わりに、[[内モンゴル自治区|内モンゴル]]の阿爾郷にある中国初のスノーゴルフコースの建設が開始された。このプロジェクトは約10億元の投資に相当し、世界で6番目のスノーゴルフコースになる。

全国体力プログラムでは、2010年までに中国の人口の約40%が定期的な運動に参加し、国民の体格が明らかに改善され、フィットネスサイトの数が大幅に増加し、健康を維持する人々のニーズを満たすという目標を設定している。

1990年から2002年の間に、中国の人口の[[平均余命|平均寿命]]は3.25年増加して71.8年に達し、中程度の先進国のレベルに近づいた。2001年10月に終了した最新の国民健康調査は、3年間にわたり、中央政府直下の31の省、自治区、市町村で行われ、規模と人口の点で中国最大となっている。調査では、中国の農村地域で子供と10代の若者の成長が増加していることが示され、すべての指標は、都市の同じ年齢層の子供を上回る平均増加率を示している。しかし、調査はまた懸念すべき点を明らかにした。中国人の体力は40歳になると急激に低下しているということだ。

都市では、[[肥満]]は子供、10代の若者、そして大人の健康に大きな脅威をもたらす。農村部の女性の健康は決して満足のいくものではない。調査結果に基づいて、政府の関連部門は継続的に健康を維持する方法を研究し、さまざまな年齢層に新しい方法と基準を設定し、コミュニティレベルでの指導を強化している。

== ユーススポーツ ==
学校には専門の[[体育|体育教育]]と運動施設があり、必要な物理的基準に達していない生徒は高等学校に進学することはできない。春と秋のスポーツ大会は毎年恒例のイベントである。全国中学校大会と国立大学大会は4年ごとに開催される。有望なティーンエイジャーは、専門的なトレーニングを受けるためにアマチュアスポーツスクールに送られる。

ユース[[スポーツクラブ]]もたくさんある。近年、スポーツ宝くじの収益を使用して、州体育局は年間約500の少年スポーツクラブを設立した。2005年末までにそのようなクラブは約3,000あった。

中国の[[国家体育総局|アスリート]]は一般的に若い年齢でスポーツのキャリアを開始するため、一部のアスリートはほとんど教育を受けておらず、引退時に仕事を見つけるのに苦労することがよくある。政府は、彼らが新しいスキルを学び、就職するのを助けるために再訓練コースを組織し始めた<ref>{{Cite web |url=http://www.scmp.com/sport/china/article/2002136/can-chinas-adorably-awkward-olympic-darling-turn-fame-fortune |title=Can China's adorably awkward Olympic darling Fu Yuanhui turn fame into fortune? |date=2016-08-11 |website=scmp.com |access-date=2022-06-12}}</ref>。

== 伝統的なスポーツ ==
[[ファイル:2005-07-10_chinese_chess.JPG|サムネイル|中国人は公の場で[[シャンチー]]、または中国のチェスをするのが一般的です。]]
[[中国武術|武道]]、太極拳([[シャドーボクシング|シャドウボクシング]])、[[太極拳]]、[[シャンチー]](中国版のチェス)、[[囲碁]]、[[麻雀]]など、中国特有の特徴を持つ伝統的なスポーツも非常に人気がある。

太極拳は、呼吸、心、体のコントロールを組み合わせた一種の中国の[[ボクシング]]である。心の動きに続く体の動きを強調し、優しさと優雅な運搬でタフさを和らげる。

気功は健康を維持するためのユニークな中国の方法である。心を集中させ、呼吸を調節することにより、健康を増進し、寿命を延ばし、病気を治し、生理学的機能を改善することを目的としている。少数民族が住む地域では、モンゴル人、ウイグル人、カザフ人の間でのレスリングや乗馬など、さまざまな娯楽的で競争力のあるスポーツ活動がある。例えば、チベットの[[ヤクレース]]、朝鮮の[[板跳び]]、[[ミャオ族]]のクロスボウアーチェリー、少数民族[[タイ族 (中国)|ダイ]]族のドラゴンボートレースなどが挙げられる。

シャンチーと囲碁は、北京で開催された2008年の[[ワールドマインドスポーツゲームズ|ワールドマインドスポーツゲーム]]で取り上げられた5つのスポーツのうちの2つであった。

== スポーツビジネス ==
2010年代以降、チャイナメディアキャピタル、[[中国中信集団公司|CITICグループ]]、[[復星国際|フォスンインターナショナル]]、[[大連万達グループ|ワンダグループ]]などの中国企業は、インフロントやMP&シルバなどのマーケティングやメディア企業、[[シティ・フットボール・グループ]]、[[アストン・ヴィラFC]]、[[ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFC|ウォルバーハンプトン・ワンダラーズ]]、[[RCDエスパニョール]]、[[アトレティコ・マドリード]]、[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]]、[[SKスラヴィア・プラハ]]、[[FCソショー=モンベリアル|FCソショー]]、[[ADOデン・ハーグ]]などのチームを含む国際的なスポーツビジネスに多額の投資を行ってきた。

== スポーツ産業の段階 ==
中国のスポーツ産業は3つの段階を経てきた。1978年から1992年までの探索段階、1993年から1996年までの形成段階、1997年から現在までの開発段階である<ref>{{Cite journal|last=Zhang|first=Jie|date=2015-05-24|title=Reality and Dilemma: The Development of China's Sports Industry since the Implementation of the Reform and Opening-Up Policy|journal=The International Journal of the History of Sport|volume=32|issue=8|pages=1085–1097|DOI=10.1080/09523367.2015.1022720|ISSN=0952-3367}}</ref>。

== 脚注 ==
{{Reflist|30em}}


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://www.sport.gov.cn/ 国家体育総局]{{Zh icon}}
* [http://www.sport.gov.cn/ 国家体育総局]{{Zh icon}}
* 年9月10日{{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20170910224907/http://www.sport.org.cn/|date=2017-09-10}}[http://www.sport.org.cn/ 全中国スポーツ連盟]{{Zh icon}}
* 2017年9月10日のアーカイブ{{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20170910224907/http://www.sport.org.cn/|date=2017-09-10}}:元サイト[http://www.sport.org.cn/ 全中国スポーツ連盟]{{Zh icon}}
* [http://en.olympic.cn/ 中国オリンピック委員会]
* [http://en.olympic.cn/ 中国オリンピック委員会]
* [https://web.archive.org/web/20090207115440/http://en.beijing2008.com/ 2008年北京オリンピック]
* [https://web.archive.org/web/20090207115440/http://en.beijing2008.com/ 2008年北京オリンピック]
* [http://www.chinawikipedia.com/ChinaNBA.html 中国のNBA]
* [http://www.chinawikipedia.com/ChinaNBA.html NBA in China]
* [http://www.ofnumbers.com/category/nba/ NBA |数字の万里の長城]
* [http://www.ofnumbers.com/category/nba/ NBA |Great Wall of Numbers]
* [http://usatoday30.usatoday.com/sports/basketball/2006-08-07-china-focus_x.htm USATODAY.com-中国はバスケットボールを受け入れる]
* [http://usatoday30.usatoday.com/sports/basketball/2006-08-07-china-focus_x.htm USATODAY.com-China embraces basketball]

{{アジアの題材|スポーツ|mode=4}}


{{DEFAULTSORT:ちゆうかしんみんきようわこくのすほおつ}}
{{DEFAULTSORT:ちゆうかしんみんきようわこくのすほおつ}}

2022年6月29日 (水) 12:18時点における版

深圳市深圳湾スポーツセンターサッカー中華人民共和国代表のホームスタジアムとして使用される。

中華人民共和国のスポーツでは、主として1949年に建国された中華人民共和国(以下中国)におけるスポーツについて述べる。

歴史

中国では1952年のヘルシンキオリンピック参加に向けてスポーツ競技力向上を推進する動きが活発化し、1949年、北京において開催された「中国人民政治協商会議」(建国方策検討のための会議)において「国民体育を提唱する」という政策方針が盛り込まれた[1][2][3]。国民の健康を促進し、大衆スポーツの普及と労働力・国防力の向上を目的として掲げられられた本方針は、建国間もない中国のもっとも重要な方針のひとつとされた[1]

1951年、「学生健康状況の改善に関する決定」が発布されるとともに全国でラジオ体操の推進が始められ、1952年に発布された「各種目選手の選抜と集中訓練に関する通知」によって競技としてのスポーツの強化が国家主導で行われることとなった[1][4]。同年に設立した中央人民政府体育委員会(現:国家体育総局)によってスポーツ事業の管理・運営が行われるようになった[4]。こうした体制はソビエト連邦のスポーツ行政を参考に仕組み作りが行われた[4]。こうした国家主導方針を背景に、1951年には初のナショナルチームであるバスケットボールチームが発足したが、1950年代の中国国内における競技スポーツへの認知度は低く、大衆スポーツの普及を中心とした取り組みが主となっていた[5]。このような状況の中、1959年にドイツ・ドルトムントで行われた世界卓球選手権容国団が中国選手として史上初めて国際大会で優勝すると、競技スポーツの社会的効用が強く認知されるようになり、1960年代以降競技スポーツ選手育成のための体制づくりが本格化した[6]

しかしながら、1966年より始まった文化大革命の影響によりこうしたスポーツ振興は停滞することとなった[7]。だが、5年ぶりとなる1971年の名古屋の世界卓球選手権参加(ピンポン外交)を契機に、中国におけるスポーツ振興は少しずつ復興していくこととなった[8][7]

文化大革命の終結を受けて1986年には「スポーツ体制の改革に関する決定」が制定され、スポーツ強国の形成に向けた体制基盤構築が加速化した[9]。1993年に市場経済システムが本格的に導入されると、1994年のサッカーのプロ化を始めとするスポーツの産業化が様々な種目で実現した[10]。90年代に入ると地方都市に大規模なスポーツ施設が相次いで建設されるようになる[11]。また、1994年にはスポーツくじ管理センターが設置され、財源確保に向けた整備も行われるようになった[3]

2008年の北京オリンピックに向けた招致活動も本格化するにつれて法整備も行われるようになった[3]。2002年にオリンピック標識保護条例が、2004年に反ドーピング条例が制定された[3]。こうした国家主導のスポーツ振興は北京オリンピックで大きく花開き、オリンピック金メダル41個、パラリンピック金メダル89個と、ともに世界1位を獲得した[3]

その他、2002年のドラフトでバスケットボールの姚明が米国のNBAに出場するなど、海外のプロリーグに参加する選手も現れるようになった[12]。2007年9月に行われた姚明易建聯のバスケットボールの試合は、中国のスポーツゲームで最大規模となる1億〜2億人ものライブ観戦者を集めた[13]

スポーツ組織

国のスポーツ事業を統括する国家体育総局

建国以降、国務院直属の行政機関としてスポーツの振興を主導していた中央人民政府体育委員会は1998年に国家体育総局(General Administration of Sport of China)に改められ、その配下に13の機関局、43の組織が組み込まれている[3]。ソビエト連邦のスポーツ体制を参考に組織された行政は「挙国体制」と呼ばれ、スポーツ関連法の整備、発展計画の策定、研究計画の策定、地域体育発展の指導推進、「全民健身計画」の推進、競技スポーツの強化、不正撲滅、国際的なスポーツ交流の統括と深化、スポーツイベントの参加と主催の奨励、スポーツ産業の統制など多岐に渡る任務を国家主導で推し進める体制を整えた[14][3]。その他、学生の競技スポーツ支援を目的とした教育部が置かれ、各地方政府のもとにも地方体育局が設置され、中国体育法によりスポーツ投資のための予算を確保することを義務付けた[3]

行政組織

国務院
 
国家体育総局
 
弁公庁
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大衆体育局
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
競技体育局
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
経済局
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
政策法規局
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
人事局
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
外交局
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
宣伝局
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
機関党委員会
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
監察局
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
退職幹部局
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その他直属機関
 

その他直属機関

スポーツ統括団体

  • 中華全国体育総会(ACSF)
    • 中華全国体育総会は国家体育総局が主管する各スポーツ団体から構成される組織で、位置づけとしては政府に登録された社会団体のひとつとなっているが、実質的には国の組織機構のひとつとなっている[3]
  • 中国オリンピック委員会(COC)
    • オリンピックの振興を目的とした非営利団体とされており、各国際オリンピック委員会や評議会との折衝を対応する[3]。非政府組織と謳われているが、2009年時点の組織構成では会長は国家体育総局の局長が兼務しており、内部の各委員も国家体育総局関連職員で組織されている[3]
  • 中国障害者連合会英語版(CDPF)
    • 1988年に設立された障害者スポーツを担当する機関で、障害者のためのスポーツ支援および各障害者スポーツ団体(中国障害者体育協会、中国パラリンピック委員会、中国ろう者体育協会、中国知的障害者体育協会、中国スペシャルオリンピックス委員会)の主管機関となる[3]

全国運動会

全国運動会は1959年より4年に1度開催されている国内最大の総合的なスポーツ大会である[15][16]。前身にあたる全国的な競技会は末期の1910年から始まり、中華民国の1914年回から全国運動会に名を改められた[16]。1842年に清が開国すると1904年にはアメリカ合衆国キリスト教青年会(YMCA)より上海に人が送られ、YMCA体育部が作られた[17]。1910年には南京にて行われた南洋勧業博覧会に追随してYMCA主導にて「全国学校区分隊第一次体育同盟会」が開催され、後に成立した中華民国によってこれが第一回全国運動会であると追認された[17]。全国学校区分隊第一次体育同盟会は高等区分、中等区分、学校連合の3つに分かれて行われ、140人が参加した[17]。種目は陸上競技サッカーテニスバスケットボールであった[17]。中華民国時代に入り全国運動会と名を定められ継続して行われたが、政情不安と戦乱が続き、37年間の統治で実際に全国運動会が開催できたのは6回のみだった[18]。第2回大会(1914年)でバレーボール野球が、第3回大会(1924年)で水泳が、第5回大会(1931年)で武術ソフトボールがそれぞれ競技種目として追加された[19]。1932年には国民体育実施法案が採択され、開催間隔が2年に1回に改められた[20]。第7回大会(1937年)では競技種目が大きく追加され、参加人数も3000人を超えるほどの大会規模になっていた[21]。中華人民共和国が成立すると全国運動会は再び開催間隔を4年に1回と定められ、回数も第1回からに戻った[22]。2021年までに14回が執り行われ、参加選手も1万人を超える大規模なものに進化している[15][23]

女性のスポーツ参加

中国人女性のスポーツ参加は、儒教からくる三従四徳の教えと、纏足というスポーツに向かない風習がその主たる要因となり、男性以上に困難を極めた[24]。1907年に「女子学童章程」が公布され、女性に対する学問教育やスポーツ参加が提唱されるようになり、1908年には中国女子体育学校が設立され、体操や球技に取り組むようになる[24][25]。1916年に正式種目ではない公開競技扱いとして全国運動会で初めて女子バスケットボールが披露されたのが女子競技スポーツの嚆矢とされている[24]。その後、1929年の全国運動会で初めて女子スポーツ種目が正式種目に取り入れられた[24]。1931年には両江女子体育専科学校の女子バスケットボールチームが日本遠征を敢行し、対外試合を経験した[24]。以降、国際舞台の場で女子選手の活躍がが少しずつ見られるようになり、1957年には鄭鳳栄英語版が、1971年には呉浮山がそれぞれ女子走り高跳びで世界新記録を出し、1980年代前半には中国女子バレーボールチームがワールドカップ世界選手権オリンピックの金メダルを総なめにするなど、世界最強とも呼ばれるような種目も誕生した[24][26]

スポーツの種類

人気の高いスポーツ

2017年に百度で報道された記事によれば、テレビ視聴率・現地観戦者数を合算した数値においてもっとも高い人気を誇ったのがバスケットボールであり、以下サッカー卓球体操競技バドミントン水泳ビリヤード中国武術ボクシング重量挙げと続いた[27][28]。他のスポーツと比較してバスケットボールの人気が圧倒的に高く、アメリカ合衆国のNBAだけでなく国内リーグの人気もあり、3億人近いファンを抱えているとも言われている[27]。発表されている人気の高いスポーツ5位までの視聴率について下表に示す[27]

順位 競技種目名 視聴率
1位 バスケットボール 34.9%
2位 サッカー 10.4%
3位 卓球 7.1%
4位 体操競技 6.8%
5位 バトミントン 5.9%

陸上競技

東京オリンピック男子100mでアジア新記録を樹立した蘇炳添

中国の陸上競技はYMCAが競技スポーツを伝えた初期から行われており、1890年に上海のセントジョンズ書院にて中国最初の運動会が開かれた[24]。初期の競技種目は短距離走、長距離走、走り高跳び、走り幅跳び、二人三脚などで、種目の増減はありつつも全国運動会で継続して競技が実施された[19][24]。陸上競技のナショナルチームが組織されるのは1953年で、中国陸上競技連盟英語版(CAA)は1978年に国際陸上競技連盟(IAAF、現WA)に加盟した[24][29][30]。最初のオリンピック参加は1984年のロサンゼルスオリンピックである[24][29]。2000年代ごろまで国家主導の優遇政策のもと、全国から素質のある個人を集める方策であったため、陸上選手の成績の多くは個人の能力に強く依拠しており、科学的なトレーニングの分野では他の国には遅れを取っていた[29]。加えて様々な競技スポーツのプロ化が進むにつれ、陸上競技の優遇性が薄まり、才能ある個人の獲得が困難となったことが大きな課題となっていた[29]。中国体育総局は科学部と協力のもと陸上競技管理センターを設立し、種目に応じた科学的なトレーニングの研究を行う科学技術課題研究グループを立ち上げた[29]

2021年には蘇炳添東京オリンピック男子100mにおいて9秒83というアジア新記録をマークした[31]

球技

アメリカンフットボール

2012年、巨石達陣(Great Stone Gridiron Sport)により青少年向けのアメリカンフットボールスクールが開校すると、国内の認知は急激に高まりを見せ、2013年にアメリカン・フットボール・リーグ・オブ・チャイナ(AFLC)、中国アリーナ・フットボール・リーグ英語版(CAFL)が発足した[32][33][34][35]。AFLCは2019年、中国ナショナル・フットボール・リーグ英語版(CNFL)に改名している[36]

野球

中国の地に野球がもたらされたのは1864年で、アメリカ人医療宣教師ヘンリー・ウィリアム・ブーンによって上海に野球チームが作られたのを嚆矢とする[37]。1905年にセントジョンズ大学と上海MCA野球クラブの最初の試合が行われた。しかし、毛沢東の文化大革命により歴史は一度途絶し、1974年の中国野球協会結成を以て再びスポーツ活動が再開された[38]。その後はプロ化が進み、2002年に中国野球リーグ(China Baseball League)が結成され、2019年に中国プロ野球連盟が結成された[39]。しかし北京オリンピック終了後は勢いを失っていったため、2019年にChina National Baseball Leagueとして再結成を行い、参画した各球団にプロチームとして将来的な独立した採算を求めた[39]。ナショナルチームとしてはオリンピックの他、2006年から開催しているワールド・ベースボール・クラシックにも参加している[40]

クリケット

クリケットはかつて英国植民地であった香港で1841年からプレーされており、1969年に香港として国際クリケット評議会(ICC)に加盟した[41]。中国では上海クリケットクラブ英語版が1858年ごろより始動しており、事実上のナショナルチームとして活動していたが、2004年に中国クリケット協会としてICCに加盟した[42][43]。2006年、中国クリケット協会はワールドカップ出場などを含めた14年間の達成目標を公開した[44]

サッカー

RCDエスパニョールに所属し、中国人選手として初めてラ・リーガで得点を挙げた武磊

サッカーは、国内のどのスポーツよりも高いテレビ視聴率を獲得している人気のスポーツである[45]。サッカーに似た競技としてルールを少しづつ変えながら蹴鞠が行われていたが、王朝交代の影響を受け、遅くとも中期には他のスポーツとともに行われなくなり、文化としては途絶している[46][47]。1923年に中華民国サッカー協会(CTFA)の前身である「中華足球聯合會」が上海にて発足した[48]。翌年には政府主導の「中華全國體育協進會」が立ち上げられ、1931年にFIFAに加盟すると、1936年のベルリンオリンピックで国際大会に初めて出場した[49][50]支那事変の影響による一時的な中断を経て「中華全國足球委員會」として再建し1954年にFIFA再加盟、1955年にAFCに加盟した[51][52]中国サッカー協会(CFA)も1955年にFIFAへの加盟が認められていたが、CTFAとの名称問題による摩擦が生じ、1958年にFIFAを脱退し、1979年に再加盟を果たした[53]。CFAは1987年にJia-Aリーグ英語版を立ち上げ、1994年よりプロ化が進められた[54]。2004年には甲級リーグ超級リーグに改められ、中国スーパーリーグ(中国超級聯賽)として装いを新たにした[54][55]ラミレスフッキなど、国外の人気選手を多数獲得することで人気を博したが、経済力で外国人選手を獲得することのみに注力され、国内選手の育成がおろそかになっているという指摘もなされている[54]。2009年に長期かつ大規模な八百長が行われていたことが表面化し、大きな問題となった[54]

ラクロス

中国ラクロス協会(CLA)は2012年に発足し、ワールドラクロス(WL)およびアジア・パシフィック・ラクロス・ユニオン英語版(APLU)に加盟した[56]。代表チームはアメリカ合衆国で開催された2014年およびとイスラエルで開催された2018年の世界ラクロス選手権に出場している[57][58]。また、アンダーカテゴリ(U-21)の2021年世界ラクロス選手権に代表チームを派遣した[59]

屋内競技

バスケットボール

NBAヒューストン・ロケッツでプレーした姚明

バスケットボールは中国でもっとも人気のあるスポーツのひとつで[60][61]、2019年にはバスケットボール・ワールドカップを主催した[62]。1891年にジェームズ・ネイスミスによって考案されたこのスポーツが中国に伝わったのは1896年と古い[63]。2002年に姚明NBAに参戦して以来、バスケットボールの人気はますます高まりを見せており、中国バスケットボール協会(CBA)による発表によると、国内のプレー人口はおよそ3億人と言われている[64][65]。1995年には中国プロバスケットボールリーグ(CBA)が発足し、2022年現在20チームにまで拡大している。姚明の成功後、易建聯孫悦といった選手がNBAへ挑戦しており、依然として高い人気を誇っている[12]

卓球

1959年の容国団による世界卓球選手権シングルス優勝は国際大会における初の勝利であり、1961年には初の国際大会主催として北京で世界卓球選手権が開かれた[6][66]。また、本大会は「紅双喜」という中国卓球メーカーの用具が国際大会で初めて使用された大会でもある[66]。社会情勢の変化もあり、その後に国際舞台に姿を現すのはピンポン外交と呼ばれた1971年の名古屋の世界卓球選手権であった[8][7]。この時から卓球は、国民が関心を寄せるスポーツのひとつとなり、1988年のソウルオリンピックにて競技種目に加えられたことを契機として目覚ましい進歩を遂げており、卓球種目に関する金メダルの獲得数は他国の追随を許していない[66]。2012年にロンドンオリンピック金メダルを獲得し、世界卓球選手権男子シングルス三連覇を達成し、世界卓球殿堂入りも果たした馬龍は、国際卓球連盟(ITTF)ランク世界1位を獲得した史上最高の卓球選手の一人として名を挙げられる[67][68]。国内においては1994年に中国卓球スーパーリーグ(CTTSL)が発足し、卓球の普及と振興に努めている[66][69]。しかしながら国際舞台で一強状態となり、強すぎるが故に人気に陰りが見え始めると、中国は「養狼計画」を発表し、世界各国にコーチを派遣し、技術の底上げを図るなど、世界規模での卓球普及に腐心している[66]

バレーボール

1953年に中国バレーボール協会(CVA)が設立され、同年に国際バレーボール連盟(FIVB)およびアジアバレーボール連盟(AVC)に加盟した[70]。とりわけ国際大会では女子代表が結果を残しており、ロサンゼルスオリンピック(1984年)、アテネオリンピック(2004年)、リオデジャネイロオリンピック(2016年)で金メダルを獲得している[71]。国内においては1996年より中国バレーボールリーグが発足し、バレーボールの普及と振興を行っている[72]

中国は、2018〜2020年のAVCビーチバレーボールコンチネンタルカップにビーチバレーの代表チームを男女ともに参加させた[73]

バドミントン

林丹は、バドミントン史上、世界選手権2006年2007年2009年)で3連覇を達成した。

1960年代初頭、東南アジアにおいて華僑の排斥運動が起こり、中国に戻った湯仙虎中国語版らが現地で人気を博していた競技スポーツのバドミントンを伝え、沿岸地域および南部を中心に各地に普及した[74]。1958年に中国バドミントン協会英語版(CBA)が設立され、世界バドミントン連盟(IBF、現BWF)およびアジアバドミントン連盟(ABC、現BAC)に加盟した[75]。インドネシアや日本、韓国などとともにランキング上位に位置しており、女子ダブルスの陳清晨賈一凡はランキング世界1位を獲得している[76]

冬季競技

バンディ

2016年世界選手権でウクライナと中国の全国バンディチーム

中国におけるバンディは各国の競技人口比較で世界で2番目に多くプレーされているウィンタースポーツである[77]。2014年に中国バンディ連盟英語版(CBF)が設立するまでは中国アイスホッケー協会英語版(CIHA)が代行して国際バンディ連盟(FIB)に加盟していた[78][79][80]。中国の代表チームは男子は2015年、女子は2016年に初めて国際大会のバンディ世界選手権に出場した[81][82]。また、2018年にはハルビンおよび承徳にて世界選手権を主催している[83][84]。2019年には国際大学スポーツ連盟が主催するユニバーシアードに男女揃って出場した[85]

カーリング

カーリングがオリンピックの正式種目となる前の1995年に、黒竜江省にて1986年から友好提携を結ぶ北海道の指導者・太田勇が講習会を開いたのがきっかけとなり、カーリングという競技スポーツが中国へ初めて伝わった[86][87]中国カーリング協会英語版(CCA)が発足し、2002年に世界カーリング連盟(WCF)に加盟すると、2009年3月、中国は決勝でスウェーデンを破り、カーリング世界選手権で優勝した最初のアジアチームになった[88][89][86]。太田は黒竜江省政府から感謝状が授与され、NHKのインタビューに対し、普及活動が実を結び、複数のアジアチームがカーリングの国際大会に出るようになったのは喜ばしいことだと回答している[86]

フィギュアスケート

2010年バンクーバーオリンピックフィギュアスケートペアにて金メダルを獲得した申雪趙宏博

中国は中国スケート協会英語版(CSA)が国際スケート連盟(ISU)に加盟した1950年代よりフィギュアスケートの振興に取り組んできた[90]。中国人最初のフィギュアスケート選手は姚濱欒波のペアであるが、国際大会での結果はふるわなかった[90]。しかし1998年より姚濱がコーチに就任すると目覚ましい発展を遂げ、申雪趙宏博が2010年のバンクーバーオリンピックで金メダルを獲得した[91]。その他中国スケート協会は国内選手権として中国フィギュアスケート選手権を主催し、2003年からは国際競技として中国杯を主催している[92]

モータースポーツ

自動車レース

1954年、ポルトガルの植民地でったマカオにてマカオグランプリがはじめて開催された[93]。市街地で行われるアマチュアレースとして始まったこのモータースポーツは、1960年代に入ると、FIAの規格を採用することにより本格化し、テディ・イップらのテコ入れもあって、企業が参入する世界でも有数のレースに数えられるようになった[94]。1983年よりフォーミュラ・パシフィックからフォーミュラ3へと移行し、FIAより国際選手権として認可された[94]。初年度のタイトルはアイルトン・セナが獲得した[94]

一方、中国本土での最初の国際モーターレースは、1994年、初年度BPRグローバルGTシリーズのラウンドとして珠海市街地コース英語版で開催された珠海3時間レースだった[95]。2004年からは上海インターナショナルサーキットで開催されるフォーミュラ1規格の大会中国グランプリが始まった[96]。2012年からはFIA世界耐久選手権のラウンドである上海6時間レース英語版(2019年より4時間)が開催されている[97]

馬青驊英語版は、2012年イタリアGPに出場しグランプリでF1カーを運転した初めての中国人となるとともに、世界ツーリングカー選手権でのデビュー戦である2014 FIA WTCC Race of Russiaで2レース中2レースを制し、FIA世界選手権レースで優勝した初の中国人となった[98][99]

その他スポーツ

競技武術

中国武術の歴史は古く、春秋戦国時代には「技撃」という名が、の時代には「武芸」という名が使用されており、南北朝時代の資料に「武術」という名称が見られるようになる[100]。中華民国成立後に開催された1931年の全国運動会より正式に競技種目として取り入れられた[19]。これを契機として競技武術を世界へ普及させるための活動が活発化し、アジア各国への武術公演、国際大会でのエキシビジョンなどが積極的に行われるようになった[100]。中華人民共和国成立後は1958年に中国武術協会英語版(CWA)が設立され、競技規則や規格などが整備された[100][101]。その後、文化大革命を経て1979年に競技規則が改めて再編され、1990年10月3日、国際武術連盟英語版(IWUF)が組織された[100][102]2020年東京オリンピックでの競技種目採用を目標に普及をすすめていたが、2015年9月28日、東京オリンピックの追加種目として採用されないことが発表された[103]

射撃競技

射撃競技は中国でも建国初期から行われているスポーツで、中国射撃協会(Chinese Shooting Association)は1956年に北京にて設立され、1979年に国際射撃連盟(ISSF)に加盟した[104]。1984年のロサンゼルスオリンピックに出場した許海峰は、50mピストルの部門にて金メダルを獲得した[23]。許海峰は中国人選手としての初の金メダル獲得の一人となった[23]。中華人民共和国として初の夏季オリンピック参加となったこの大会で、中国は15個の金メダルを獲得している[105]

国際スポーツ施設

建国10周年を記念して建設された北京工人スタジアム北京十大建築のひとつに数えられる。

中国では2008年の北京オリンピックに向けて陸上、サッカーなどが競技可能なナショナルスタジアムが相次いで建設された[3]。また、各地に黄石NTC(卓球)、正定NTC(卓球)、台州NTC(テニス)、秦皇島NTC(サッカー他)、雲南NTC(自転車他)、広西武鳴NTC(アーチェリー)、香河NTC(サッカー)、振隆NTC(室内競技)、長白山高原氷雪NTC(スキー)、昆明海埂NTC(高地)、漳州NTC(バレー他)、郴州NTC(バレー他)、広西梧州NTC(サッカー他)、青海多巴高原NTC(総合)、北京NTC(ゴルフ)といった14か所のナショナルトレーニングセンター、強化施設も設置された[3]

設立年 スタジアム名 所在地 収容規模 主な用途
1959年 北京工人スタジアム 北京 64,000 サッカー
1997年 上海スタジアム 上海 56,000
最大80,000
サッカー
2004年 秦皇島オリンピック・スポーツセンター・スタジアム 秦皇島 33,000 サッカー
2006年 青島オリンピック・セーリングセンター英語版 青島 不明 ヨット
2007年 天津オリンピック・センター・スタジアム 天津 60,000 陸上競技
サッカー
2007年 瀋陽オリンピック・スポーツセンター・スタジアム 瀋陽 60,000 サッカー
2007年 北京国家体育館 北京 18,000 ハンドボール
体操
2008年 ウォーターキューブ 北京 6,000
臨時17,000
ウォータースポーツ
2008年 北京ナショナルスタジアム(鳥の巣) 北京 80,000
臨時91,000
陸上競技
サッカー

脚注

  1. ^ a b c 陸 2008, p. 170
  2. ^ 王 2020, p. 115
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n 諸外国(12ヵ国)のスポーツ振興施策の状況 中国”. 文部科学省 (2011年). 2022年6月16日閲覧。
  4. ^ a b c 武 2011, p. 26
  5. ^ 陸 2008, pp. 171–172
  6. ^ a b 陸 2008, p. 172
  7. ^ a b c 陸 2008, p. 173
  8. ^ a b 武 2011, p. 27
  9. ^ 陸 2008, p. 174
  10. ^ 陸 2008, p. 175
  11. ^ 王 2020, p. 116
  12. ^ a b Overview of NBA development in China at "ChinaWikipedia"
  13. ^ Yao-Yi game draws crowd”. Greensboro.Com (10 November 2007). 22 January 2016閲覧。
  14. ^ 武 2011, pp. 27–30
  15. ^ a b 高田正幸 (2021年9月15日). “中国、観客入れて大規模「運動会」選手1万人超で冬季五輪テストか”. 朝日新聞. 2022年6月17日閲覧。
  16. ^ a b 笹島 1983, p. 1
  17. ^ a b c d 笹島 1983, p. 2
  18. ^ 笹島 1983, p. 4
  19. ^ a b c 笹島 1983, pp. 4–9
  20. ^ 笹島 1983, pp. 9
  21. ^ 笹島 1983, p. 10
  22. ^ 笹島 1983, p. 13
  23. ^ a b c 中華人民共和国第14回全国運動会”. 人民中国コラム (2021年11月30日). 2022年6月17日閲覧。
  24. ^ a b c d e f g h i j 第19章:中国「東亜病夫」からスポーツ大国へ”. 一色出版. 株式会社一色出版 (2018年9月7日). 2022年6月18日閲覧。
  25. ^ 笹島 1966, p. 32
  26. ^ 森下純也. “中国女子バレーボールの郎平監督”. 金融市場2016年10月号:海外の話題. 農林中金総合研究所. 2022年6月18日閲覧。
  27. ^ a b c 中国人最喜欢的体育项目TOP10,第一竟拥有3亿爱好者” (中国語). 百度 (2017年5月19日). 2022年6月19日閲覧。
  28. ^ 倉田瑞穂 (2021年8月25日). “東京オリンピックでも大活躍!!!中国スポーツのエリート教育について”. J-MOTTO. リスモン・ビジネス・ポータル株式会社. 2022年6月19日閲覧。
  29. ^ a b c d e 中国陸上競技の新たな挑戦”. SciencePortal China (2008年8月20日). 2022年6月18日閲覧。
  30. ^ WORLD ATHLETICS LANDMARKS From the 1940s to the 1970s”. MUSEUM OF WORLD ATHLETICS. 2022年6月18日閲覧。
  31. ^ 中国の蘇炳添が衝撃のアジア新9秒83で決勝進出 男子100m”. 日刊スポーツ (2021年8月1日). 2022年6月18日閲覧。
  32. ^ Kaiman, Jonathan (4 October 2016). “American football is gaining traction in China”. Los Angeles Times. 29 September 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。29 September 2017閲覧。
  33. ^ Chin, Andrew (25 November 2012). “China fast catching American football fever with 10 teams formed”. scmp.com. 29 September 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。29 September 2017閲覧。
  34. ^ Zhao, Brian (9 March 2016). “New American Football League In China”. americanfootballinternational.com. 29 September 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。29 September 2017閲覧。
  35. ^ 中国でアメフトブーム、ファン5年で11倍に、青少年選手増加の理由は「親」―米メディア”. Record China. (2017年7月29日). 2022年6月15日閲覧。
  36. ^ HK American Football News 香港美式足球報 - The AFLC has changed its name to the CNFL” (英語). www.facebook.com. 2021年10月7日閲覧。
  37. ^ Chinese Baseball League - League History”. news.cbl.org.cn. 2005年6月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月12日閲覧。
  38. ^ Aerzte-Verzeichnis Schweiz”. www.baseball.ch. Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  39. ^ a b 阿佐智 (2019年10月23日). “仕切りなおした中国プロ野球、第1回CNBLシリーズは強豪・北京タイガースが優勝”. Yahoo Japan. 2022年6月17日閲覧。
  40. ^ Why baseball is a hit in Japan, but striking out in China” (英語). South China Morning Post (2018年9月9日). 2019年10月25日閲覧。
  41. ^ History of Cricket In Hong Kong – Chronology”. Hong Kong Cricket Association. May 18, 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。24 April 2013閲覧。
  42. ^ About the Shanghai Cricket Club”. Shanghai Cricket Club. 23 May 2019閲覧。
  43. ^ China – CricketArchive”. 4 September 2015閲覧。
  44. ^ Ranajit Sankar Dam and Wie Jie (May 2006). “ScoreEnter the dragon”. Cricinfo Magazine. December 17, 2016閲覧。
  45. ^ J U V E N T U S: Football is the most popular spectator sports in china 농구가 아니라 축 구가 중국 최고인기의 관전 스포츠이다”. goodmaniac.blogspot.com (10 May 2014). 2022年6月12日閲覧。
  46. ^ Soccer history. How Soccer Was Invented.”. athleticscholarships.net. 2022年6月12日閲覧。
  47. ^ 笹島 1988, p. 2
  48. ^ 中華民國體育年鑑,第39頁,財團法人徐亨體育文教基金會,2003年11月出版
  49. ^ 中華民國體育年鑑,第41頁,財團法人徐亨體育文教基金會,2003年11月出版
  50. ^ Chinese Olympic team 1936”. 2022年6月16日閲覧。
  51. ^ 會史”. Chinese Taipei Football Association. 2016年5月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年5月23日閲覧。
  52. ^ AFC 60th Anniversary: Back to where it all began”. Asian Football Confederation. 28 September 2018時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月16日閲覧。
  53. ^ Homburg, H. (2006). “FIFA and the "Chinese Question", 1954-1980: an Exercise of Statutes.”. Historical Social Research (GESIS - Leibniz Institute for the Social Sciences) 31 (1): 69–87. JSTOR 20762103. 
  54. ^ a b c d 中国サッカー・スーパーリーグ”. コトバンク. 朝日新聞出版発行「知恵蔵」. 2022年6月16日閲覧。
  55. ^ “Soccer-Ping An extends Chinese football sponsorship amid boom in sport”. Reuters. (22 May 2017). https://www.reuters.com/article/soccer-china-csl/soccer-ping-an-extends-chinese-football-sponsorship-amid-boom-in-sport-idUSL4N1IO42O 30 October 2017閲覧。 
  56. ^ China Lacrosse Association”. 2022年6月16日閲覧。
  57. ^ Archived 2012-01-13 at the Wayback Machine.
  58. ^ 46 Teams, Not 48, to Compete in 2018 World Championships”. 2022年6月16日閲覧。
  59. ^ Record 23 lacrosse teams to play at Men's Under-21 World Championship Ali Iveson (Inside the Games), 30 May 2021. Accessed 9 June 2021.
  60. ^ Soccer Study: How the fans tick in China” (英語). www.ispo.com. 2021年9月29日閲覧。
  61. ^ Saiidi (2018年11月20日). “The NBA is China's most popular sports league. Here's how it happened” (英語). CNBC. 2021年9月29日閲覧。
  62. ^ The Official website of the 2019 FIBA Basketball World Cup, FIBA.com, Retrieved 9 March 2016.
  63. ^ James Naismith: Physical Education Instructor Who Invented Basketball”. about.com. 2022年6月12日閲覧。
  64. ^ Beyond Yao: The Future of Chinese Basketball”. Wharton University of Pennsylvania (26 January 2011). 22 January 2016閲覧。
  65. ^ Big Things Are Happening in China”. Nba.Com (3 February 2012). 22 January 2016閲覧。
  66. ^ a b c d e 中国における卓球の変容と社会問題についての研究”. 九州大学. 2022年6月16日閲覧。
  67. ^ Archived copy”. 2010年7月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年7月6日閲覧。
  68. ^ ITTF Hall of Fame” (PDF). ittf.com. 2019年12月7日閲覧。
  69. ^ “超級リーグを2倍楽しく観る方法  Lesson.2[超級リーグの歴史]”. 卓球王国. (2007年7月20日). http://world-tt.com/ps_info/ps_report_detail.php?&pg=HEAD&page=BACK&bn=2&rpcdno=21#21 2017年10月6日閲覧。 
  70. ^ Asian Volleyball Confederation (AVC)”. FIVB. 2010年5月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年8月7日閲覧。
  71. ^ 増山 2019, p. 74
  72. ^ Chinese League”. VOLLEYBOX. 2022年6月16日閲覧。
  73. ^ “Continental Cup Finals start in Africa”. FIVB. (22 June 2021). https://www.fivb.com/en/about/news/continental-cup-finals-start-in-africa?id=94414 7 August 2021閲覧。 
  74. ^ 姚国利 (2013年). “中国におけるスポーツ産業の生成と展開”. 宮城学院女子大学. 2022年6月16日閲覧。
  75. ^ 广州羽毛球协会成立50周年在即”. Guangzhou City Government. 1 February 2019閲覧。
  76. ^ 世界ランキング 女子ダブルス(6月14日付)”. BADMINTON SPIRIT (2022年6月14日). 2022年6月16日閲覧。
  77. ^ Bandy destined for the Olympic Winter Games!”. www.worldbandy.com. 2018年10月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年1月4日閲覧。
  78. ^ FIB recruits China as official member
  79. ^ 新闻 – China Bandy Federation | Report from China Bandy Year End Report and AGM 2015”. chinabandy.org. 3 May 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月30日閲覧。
  80. ^ Idrottens affärer: "To China on a mission trip", 2015-01-12”. translate.google.co.uk. 2016年3月30日閲覧。
  81. ^ Group B - XXXV Чемпионат мира по хоккею с мячом”. bandyvm2015.ru. 2022年6月12日閲覧。
  82. ^ SportsEngine”. www.usabandy.com. 2022年6月12日閲覧。
  83. ^ 2018 WORLD BANDY CHAMPIONSHIP MEN B-GROUP”. 2019年5月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年1月17日閲覧。
  84. ^ BANDY WORLD CHAMPIONSHIP WOMEN ,2018
  85. ^ Google Translate”. translate.google.co.uk. 2022年6月12日閲覧。
  86. ^ a b c カーリング女子 中国の競技力向上の背景に日本との交流”. NHK (2022年2月15日). 2022年6月16日閲覧。
  87. ^ 交流物語 3地域が生んだカーリング交流 ~草の根交流からオリンピックへ~”. 北海道・中国交流デジタル資料館. 2022年6月16日閲覧。
  88. ^ WCF Member Associations”. World Curling Federation. 25 April 2014閲覧。
  89. ^ https://news.yahoo.com/s/ap/20090329/ap_on_sp_ot/cur_women_s_worlds_2 [リンク切れ]
  90. ^ a b Archived copy”. 2011年7月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年12月13日閲覧。
  91. ^ Macur, Juliet (2010年2月16日). “China Ends Russian Winning Streak in Pairs With a One-Two Punch”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2010/02/16/sports/olympics/16pairs.html?src=twt&twt=nytimes 2010年5月23日閲覧。 
  92. ^ 2003 Cup of China”. International Skating Union. 2022年6月16日閲覧。
  93. ^ Fernando Macedo Pinto, one of the founders of the Macau Grand Prix” (ポルトガル語). Blog Macau Antigo. 2010年10月20日閲覧。
  94. ^ a b c History of MACAU GP”. YOKOHAMA TIRE. 2022年6月16日閲覧。
  95. ^ History”. Zhuhai International Circuit. 12 July 2015閲覧。
  96. ^ The Chinese Grand Prix - did you know?”. formula1.com (8 April 2015). 12 July 2015閲覧。
  97. ^ Miller (4 March 2014). “6 Hours of Shanghai - a look back at the last two years”. FIA World Endurance Championship. 12 July 2015閲覧。
  98. ^ Qing Hua Ma - Caterham Racing - F1 Driver Profile”. BT Sport ESPN. 12 July 2015閲覧。
  99. ^ Remembering when… Ma made history on WTCC debut”. FIA World Touring Car Championship (2 June 2015). 12 July 2015閲覧。
  100. ^ a b c d 中国武術の歴史”. 横浜武術院. 2022年6月18日閲覧。
  101. ^ 中国武術協会 新会長に高小軍氏が就任”. 日本武術太極拳連盟 (2008年2月15日). 2022年6月18日閲覧。
  102. ^ ABOUT IWUF”. IWUF. 2022年6月18日閲覧。
  103. ^ 「2020東京オリンピック追加競技」武術太極拳は,残念ながら外れる”. 日本武術太極拳連盟 (2015年10月15日). 2022年6月18日閲覧。
  104. ^ Chinese Shooting Association”. CHINA CULTURE.org. 2022年6月17日閲覧。
  105. ^ 1984年ロサンゼルスオリンピックの中国選手団”. Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ. 2022年6月17日閲覧。

参考文献

関連項目

外部リンク