「ザ・トレメローズ」の版間の差分
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'''ザ・トレメローズ'''(''The Tremeloes'')は、[[イギリス]]の[[バンド (音楽)|バンド]]。[[1960年代]]初頭から[[1970年代]]まで |
'''ザ・トレメローズ'''(''The Tremeloes'')は、[[イギリス]]のソフト・ロック、ポップ・ロック・[[バンド (音楽)|バンド]]。[[1960年代]]初頭から[[1970年代]]まで活躍した。[[デッカ・レコード]]時代は、ブライアン・プール&ザ・トレメローズと名乗っていた。[[アメリカ]]の[[ビーチ・ボーイズ]]や[[フォー・シーズンズ]]の様なコーラス・ワークで有名である。 |
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== 来歴 == |
== 来歴 == |
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{{出典の明記|date=2021年11月|section=1}} |
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=== デビュー前 === |
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[[イギリス]][[エセックス州]]ダゲナムにて、'''ブライアン・プール'''(ボーカル)を中心に[[1958年]]結成。結成当初はトレミロズ<ref group="注釈">「トレミロ」という名前も、ギター奏法の一種トレモロの間違いつづりである。</ref>(Tremillos)と名乗っていたが、新聞記者が間違えてトレメローズ(Tremeloes)と紹介し、そのまま後者の方をバンド名とした。主に[[バディ・ホリー]]の曲を演奏していた。 |
[[イギリス]][[エセックス州]]ダゲナムにて、'''ブライアン・プール'''(ボーカル)を中心に[[1958年]]結成。結成当初はトレミロズ<ref group="注釈">「トレミロ」という名前も、ギター奏法の一種トレモロの間違いつづりである。</ref>(Tremillos)と名乗っていたが、新聞記者が間違えてトレメローズ(Tremeloes)と紹介し、そのまま後者の方をバンド名とした。主に[[バディ・ホリー]]の曲を演奏していた。 |
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[[1962年]][[1月1日]]、[[ビートルズ]]と[[デッカ・レコード]]のオーディションを受けた。結果は、演奏力が優れていたのと、比較的[[ロンドン]]に近く連絡を取りやすかったトレメローズが選ばれた(しかし、後に[[ビートルズ]]が大成功を収めたため、トレメローズを獲ったディレクターのディック・ロウはその後[[ジョージ・ハリスン]]の助言で[[ローリング・ストーンズ]]を獲得するまで社内での立場を悪くすることとなる)。同年、デビューシングルを出すもヒットせず、約1年ヒットは出なかった。[[1963年]]、[[ビートルズ]]もカバーしていた「[[ツイスト・アンド・シャウト]]」が[[イギリス]]のチャートで最高位4位を記録<ref>{{Cite web |title=Official Singles Chart Top 50 |url=https://www.officialcharts.com/charts/singles-chart/19630801/7501/ |publisher=[[全英シングルチャート|Official Charts Company]] |accessdate=2021-11-27 }}</ref>、[[デイヴ・クラーク・ファイヴ]]と競作になった次のシングル『ドゥー・ユー・ラヴ・ミー』が1位を記録した<ref>{{Cite web |title=Official Singles Chart Top 50 |url=https://www.officialcharts.com/charts/singles-chart/19631010/7501/ |publisher=[[全英シングルチャート|Official Charts Company]] |accessdate=2021-11-27 }}</ref>。この他にも、「サムワン・サムワン」、「[[アイ・ウォント・キャンディ]]」等のヒットを連発した。しかし、[[1965年]]を境にヒットが出せなくなり、ブライアン・プールがソロ・シンガーとして離脱、トレメローズも[[デッカ・レコード]]を離れ、[[CBSレコード]]に移籍(ブライアン・プールもヒットを出せず、 |
[[1962年]][[1月1日]]、[[ビートルズ]]と[[デッカ・レコード]]のオーディションを受けた。結果は、演奏力が優れていたのと、比較的[[ロンドン]]に近く連絡を取りやすかったトレメローズが選ばれた(しかし、後に[[ビートルズ]]が大成功を収めたため、トレメローズを獲ったディレクターのディック・ロウはその後[[ジョージ・ハリスン]]の助言で[[ローリング・ストーンズ]]を獲得するまで社内での立場を悪くすることとなる)。同年、デビューシングルを出すもヒットせず、約1年ヒットは出なかった。[[1963年]]、[[ビートルズ]]もカバーしていた「[[ツイスト・アンド・シャウト]]」が[[イギリス]]のチャートで最高位4位を記録<ref>{{Cite web |title=Official Singles Chart Top 50 |url=https://www.officialcharts.com/charts/singles-chart/19630801/7501/ |publisher=[[全英シングルチャート|Official Charts Company]] |accessdate=2021-11-27 }}</ref>、[[デイヴ・クラーク・ファイヴ]]と競作になった次のシングル『ドゥー・ユー・ラヴ・ミー』が1位を記録した<ref>{{Cite web |title=Official Singles Chart Top 50 |url=https://www.officialcharts.com/charts/singles-chart/19631010/7501/ |publisher=[[全英シングルチャート|Official Charts Company]] |accessdate=2021-11-27 }}</ref>。この他にも、「サムワン・サムワン」、「[[アイ・ウォント・キャンディ]]」等のヒットを連発した。しかし、[[1965年]]を境にヒットが出せなくなり、ブライアン・プールがソロ・シンガーとして離脱、トレメローズも[[デッカ・レコード]]を離れ、[[CBSレコード]]に移籍(ブライアン・プールもヒットを出せず、引退して家業についた)。 |
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=== 第二の黄金期 === |
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[[1966年]]、アラン・ハワードが辞め、後に[[ルベッツ]]のメンバーになるミック・クラークが加入し、アラン・ブレイクリー、リック・ウェストウッド、デイヴ・マンデンの4人で再出発。[[サイモン&ガーファンクル]]の「ブレスド」でデビュー。次のシングル『[[グッド・デイ・サンシャイン]]』のB面でミック・クラークが脱退、レン・“チップ”・ホークスが加入し、顔ぶれが一定する。 |
[[1966年]]、アラン・ハワードが辞め、後に[[ルベッツ]]のメンバーになるミック・クラークが加入し、アラン・ブレイクリー、リック・ウェストウッド、デイヴ・マンデンの4人で再出発。[[サイモン&ガーファンクル]]の「ブレスド」でデビュー。次のシングル『[[グッド・デイ・サンシャイン]]』のB面でミック・クラークが脱退、レン・“チップ”・ホークスが加入し、顔ぶれが一定する。 |
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[[1967年]]、[[キャット・スティーヴンス]]の「[[君と踊ろう]]」がイギリスで4位を記録 |
[[1967年]]、[[キャット・スティーヴンス]]の「[[君と踊ろう]]」がイギリスで4位を記録。そして次のシングル、[[フォー・シーズンズ]]のカバー曲「サイレンス・イズ・ゴールデン」が1位、アメリカのビルボード・チャートでも11位を記録する大ヒットになった<ref>{{Cite web|date=2021-09-28|title=The band chosen over The Beatles in 1962: The Tremeloes' interview with Len "Chip" Hawkes|url=https://the-shortlisted.co.uk/tremeloes-interview-len-chip-hawkes/| access-date=2 May 2022 |website=The Shortlisted|language=en-GB}}</ref>。 |
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[[1968年]]に発売された[[ボブ・ディラン]]作の「[[アイ・シャル・ビー・リリースト]]」にトレメローズは触発され、これ以降はブレイクリーとホークスが作曲コンビを作り、自作曲を多数作る。 |
[[1968年]]に発売された[[ボブ・ディラン]]作の「[[アイ・シャル・ビー・リリースト]]」にトレメローズは触発され、これ以降はブレイクリーとホークスが作曲コンビを作り、自作曲を多数作る。 |
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他にも、「福と禍(Even The Bad Times Are Good)」「君だけの世界(Be Mine)」「虹の立つ丘(Suddenly You Love Me)」「マイ・リトル・レディ(My Little Lady)」「ぼくはナンバーワン(Call Me Number One)」といったヒットを[[1971年]]頃まで連発する。 |
他にも、「福と禍(Even The Bad Times Are Good)」「君だけの世界(Be Mine)」「虹の立つ丘(Suddenly You Love Me)」「マイ・リトル・レディ(My Little Lady)」「ぼくはナンバーワン(Call Me Number One)」といったヒットを[[1971年]]頃まで連発する。 |
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=== ヒット後 === |
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[[1971年]]に出した「ライト・ウィール・レフト・ハンマー・シャム」を境に本国イギリスでヒットが出せなくなった。[[ドイツ]]等ではヒットを出したが、これを皮切りに、メンバーの入れ替わりが顕著になる。まずウェストウッドが抜け、ボブ・ベンハムが加入する。続いてブレイクリー、ホークスといった主要メンバーが抜け、アーロン・ウーリーが加入、ウェストウッドが戻って来る。メンバー入れ替えが激しい中でも、マンデンは残った。[[1983年]]、10年ぶりにブレイクリー、ウェストウッド、マンデン、ホークスの4人が戻り、{{仮リンク|F.R.デイヴィッド|en|F. R. David}}の「{{仮リンク|ワーズ (F.R.デイヴィッドの曲)|label=ワーズ|en|Words (F. R. David song)}}」で小ヒットを出す。 |
[[1971年]]に出した「ライト・ウィール・レフト・ハンマー・シャム」を境に本国イギリスでヒットが出せなくなった。[[ドイツ]]等ではヒットを出したが、これを皮切りに、メンバーの入れ替わりが顕著になる。まずウェストウッドが抜け、ボブ・ベンハムが加入する。続いてブレイクリー、ホークスといった主要メンバーが抜け、アーロン・ウーリーが加入、ウェストウッドが戻って来る。メンバー入れ替えが激しい中でも、マンデンは残った。[[1983年]]、10年ぶりにブレイクリー、ウェストウッド、マンデン、ホークスの4人が戻り、{{仮リンク|F.R.デイヴィッド|en|F. R. David}}の「{{仮リンク|ワーズ (F.R.デイヴィッドの曲)|label=ワーズ|en|Words (F. R. David song)}}」で小ヒットを出す。 |
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=== 注釈 === |
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=== 出典 === |
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== 参考文献 == |
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{{参照方法|date=2021年11月|section=1}} |
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* サイレンス・イズ・ゴールデン / トレメローズ・ベスト・ヒッツ・コレクション TECP-25598 より |
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* The Tremeloes 102 tracks 4CD BOXED! BOX 1011•2 より |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
2022年5月2日 (月) 03:17時点における版
{{Infobox Musician
| 名前 = ザ・トレメローズ
| 画像 = The Tremeloes.png
| 画像説明 = 1968年撮影。左からデイヴ・マンデン、リック・ウェストウッド、レン・“チップ”・ホークス、アラン・ブレイクリー。
| 画像サイズ = 250px
| 背景色 = band
| 別名 = ブライアン・プール&ザ・トレメローズ
| 出身地 = イングランド エセックス州 ダゲナム
| ジャンル = {{Hlist-comma|ポップ・ロック[1]|[[サイケデリック・ミュージック#サイケデリック・ポップ|サイケデリック・ポップ引用エラー: <ref>
タグに対応する </ref>
タグが不足しています(Tremillos)と名乗っていたが、新聞記者が間違えてトレメローズ(Tremeloes)と紹介し、そのまま後者の方をバンド名とした。主にバディ・ホリーの曲を演奏していた。
1962年1月1日、ビートルズとデッカ・レコードのオーディションを受けた。結果は、演奏力が優れていたのと、比較的ロンドンに近く連絡を取りやすかったトレメローズが選ばれた(しかし、後にビートルズが大成功を収めたため、トレメローズを獲ったディレクターのディック・ロウはその後ジョージ・ハリスンの助言でローリング・ストーンズを獲得するまで社内での立場を悪くすることとなる)。同年、デビューシングルを出すもヒットせず、約1年ヒットは出なかった。1963年、ビートルズもカバーしていた「ツイスト・アンド・シャウト」がイギリスのチャートで最高位4位を記録[2]、デイヴ・クラーク・ファイヴと競作になった次のシングル『ドゥー・ユー・ラヴ・ミー』が1位を記録した[3]。この他にも、「サムワン・サムワン」、「アイ・ウォント・キャンディ」等のヒットを連発した。しかし、1965年を境にヒットが出せなくなり、ブライアン・プールがソロ・シンガーとして離脱、トレメローズもデッカ・レコードを離れ、CBSレコードに移籍(ブライアン・プールもヒットを出せず、引退して家業についた)。
1966年、アラン・ハワードが辞め、後にルベッツのメンバーになるミック・クラークが加入し、アラン・ブレイクリー、リック・ウェストウッド、デイヴ・マンデンの4人で再出発。サイモン&ガーファンクルの「ブレスド」でデビュー。次のシングル『グッド・デイ・サンシャイン』のB面でミック・クラークが脱退、レン・“チップ”・ホークスが加入し、顔ぶれが一定する。
1967年、キャット・スティーヴンスの「君と踊ろう」がイギリスで4位を記録。そして次のシングル、フォー・シーズンズのカバー曲「サイレンス・イズ・ゴールデン」が1位、アメリカのビルボード・チャートでも11位を記録する大ヒットになった[4]。
1968年に発売されたボブ・ディラン作の「アイ・シャル・ビー・リリースト」にトレメローズは触発され、これ以降はブレイクリーとホークスが作曲コンビを作り、自作曲を多数作る。
他にも、「福と禍(Even The Bad Times Are Good)」「君だけの世界(Be Mine)」「虹の立つ丘(Suddenly You Love Me)」「マイ・リトル・レディ(My Little Lady)」「ぼくはナンバーワン(Call Me Number One)」といったヒットを1971年頃まで連発する。
1971年に出した「ライト・ウィール・レフト・ハンマー・シャム」を境に本国イギリスでヒットが出せなくなった。ドイツ等ではヒットを出したが、これを皮切りに、メンバーの入れ替わりが顕著になる。まずウェストウッドが抜け、ボブ・ベンハムが加入する。続いてブレイクリー、ホークスといった主要メンバーが抜け、アーロン・ウーリーが加入、ウェストウッドが戻って来る。メンバー入れ替えが激しい中でも、マンデンは残った。1983年、10年ぶりにブレイクリー、ウェストウッド、マンデン、ホークスの4人が戻り、F.R.デイヴィッドの「ワーズ」で小ヒットを出す。
1980年代後半、ホークスの息子チェズニー・ホークスの歌手デビューに伴い、ホークスはプロデューサーに転向のため脱退。デイヴ・フライヤー、ジョー・ギリンガムが加入、活動を続ける。
1996年、ブレイクリーが癌のため54歳で他界。ブレイクリー亡き後も、4人体制で活動を続ける。プールも1980年代に音楽活動を再開し、時折トレメローズと一緒にツアーもする。ホークスも歌手活動を再開し、プール同様、トレメローズと時折行動を共にする。2005年、フライヤーが脱退、ジェフ・ブラウンが加入。2012年後半、ウェストウッドが引退。新メンバーに、エディ・ジョーンズが加入。
2020年10月15日、デイヴ・マンデンが76歳で死去[5]。
メンバー
在籍中のメンバー
|
旧メンバー
|
ディスコグラフィ
シングル
発売年 | タイトル | 最高位 | 認定 (RIAA) [7] | |
---|---|---|---|---|
UK [8] |
US [9] | |||
ブライアン・プール&ザ・トレメローズ名義
| ||||
1962年 | "Twist Little Sister" | —
|
—
|
—
|
"Blue" | —
|
—
|
—
| |
1963年 | "A Very Good Year For Girls" | —
|
—
|
—
|
"Keep On Dancing" | —
|
—
|
—
| |
"Twist And Shout" | 4
|
—
|
—
| |
"Do You Love Me" | 1
|
—
|
—
| |
"I Can Dance" | 31
|
—
|
—
| |
1964年 | "Candy Man" | 6
|
—
|
—
|
"Someone, Someone" | 2
|
97
|
—
| |
"Twelve Steps Of Love" | 32
|
—
|
—
| |
1965年 | "The Three Bells" | 17
|
—
|
—
|
"After A While" | —
|
—
|
—
| |
"I Want Candy" | 25
|
—
|
—
| |
"Good Lovin'" | —
|
—
|
—
| |
ザ・トレメローズ名義
| ||||
1966年 | "Blessed" | —
|
—
|
—
|
"Good Day Sunshine" | —
|
—
|
—
| |
1967年 | "Here Comes My Baby" | 4
|
13
|
ゴールド
|
"Silence Is Golden" | 1
|
11
|
ゴールド
| |
"Even The Bad Times Are Good" | 4
|
36
|
ゴールド
| |
"Be Mine" | 39
|
—
|
—
| |
1968年 | "Suddenly You Love Me" | 6
|
44
|
—
|
"Helule, Helule" | 14
|
—
|
—
| |
"My Little Lady" | 6
|
—
|
—
| |
"I Shall Be Released" | 29
|
—
|
—
| |
1969年 | "Hello World" | 14
|
—
|
—
|
"Once On A Sunday Morning" | —
|
—
|
—
| |
"(Call Me) Number One" | 2
|
—
|
—
| |
1970年 | "By The Way" | 35
|
—
|
—
|
"Me And My Life" | 4
|
—
|
—
| |
1971年 | "Right Wheel, Left Hammer, Sham" | 46
|
—
|
—
|
"Hello, Buddy" | 32
|
—
|
—
| |
1972年 | "I Like It That Way" | —
|
—
|
—
|
"Blue Suede Tie" | —
|
—
|
—
| |
1973年 | "Make It, Break It" | —
|
—
|
—
|
"You Can't Touch Sue" | —
|
—
|
—
| |
"Ride On" | —
|
—
|
—
| |
1974年 | "Do I Love You?" | —
|
—
|
—
|
"Say O.K. (Say You Love Me)" | —
|
—
|
—
| |
"Good Time Band" | —
|
—
|
—
| |
1975年 | "Rocking Circus" | —
|
—
|
—
|
1976年 | "Caminando" | —
|
—
|
—
|
1977年 | "Gin Gang Goolie" | —
|
—
|
—
|
1978年 | "Lonely Nights" | —
|
—
|
—
|
1979年 | "Lights Of Port Royal" | —
|
—
|
—
|
1983年 | "Words" | 91
|
—
|
—
|
1987年 | "Angel Of The Morning" | —
|
—
|
—
|
1989年 | "Lean on Me Baby" | —
|
—
|
—
|
アルバム
ブライアン・プール&ザ・トレメローズ名義
- LP
-
- Big Hits Of '62(1963年5月)
- Twist And Shout(1964年4月)
- Brian Poole Is Here!(1965年4月)
- It's About Time(1965年4月)
- EP
-
- Swinging on a Star(1964年1月)
- Time Is on My Side(1965年3月)
ザ・トレメローズ名義
- Here Come The Tremeloes(1967年5月)
- Even The Bad Times Are Good / Silence Is Golden(1967年10月)
- Alan, Dave, Rick And Chip(1967年11月)
- Suddenly You Love Me(1968年3月)
- World Explosion!(1968年5月)
- Live In Cabaret(1969年8月)
- May Morning(1970年2月)
- Master(1970年11月)
- Shiner(1974年11月)
- Don't Let The Music Die(1975年7月)
脚注
注釈
出典
- ^ The Tremeloes Biography, Songs & Albums - オールミュージック. 2021年11月27日閲覧。
- ^ “Official Singles Chart Top 50”. Official Charts Company. 2021年11月27日閲覧。
- ^ “Official Singles Chart Top 50”. Official Charts Company. 2021年11月27日閲覧。
- ^ “The band chosen over The Beatles in 1962: The Tremeloes' interview with Len "Chip" Hawkes” (英語). The Shortlisted (2021年9月28日). 2 May 2022閲覧。
- ^ Boyle, Cash (2020年10月19日). “Dagenham born original drummer Dave Munden dies aged 76”. Barking and Dagenham Post (Archant Community Media Ltd) 2021年11月27日閲覧。
- ^ Best Classic Bands Staff (2020年10月16日). “Dave Munden, Original Member of British Pop Group the Tremeloes, Dies” (英語). Best Classic Bands. 2020年10月30日閲覧。
- ^ Murrells, Joseph (1978). The Book of Golden Discs (2nd ed.). London: Barrie and Jenkins Ltd. pp. 231-232. ISBN 0-214-20512-6
- ^ Roberts, David (2006). British Hit Singles & Albums (19th ed.). London: Guinness World Records Limited. p. 565. ISBN 1-904994-10-5
- ^ “The Tremeloes | Awards”. AllMusic. 2012年9月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月19日閲覧。