コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「ザ・トレメローズ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
サイレンス・イズ・ゴールデンに脚注。不正リンクを、とりのぞく
タグ: 差し戻し済み
7行目: 7行目:
| 別名 = ブライアン・プール&ザ・トレメローズ
| 別名 = ブライアン・プール&ザ・トレメローズ
| 出身地 = {{ENG}} [[エセックス州]] [[ダゲナム]]
| 出身地 = {{ENG}} [[エセックス州]] [[ダゲナム]]
| ジャンル = {{Hlist-comma|[[ポップ・ロック]]<ref name="AM">{{AllMusic |title=The Tremeloes Biography, Songs & Albums |class=artist |id=mn0000921359/biography |accessdate=2021-11-27 }}</ref>|[[リズム・アンド・ブルース|R&B]]<ref name="AM" />|[[サイケデリック・ミュージック#サイケデリック・ポップ|サイケデリック・ポップ]]<ref name="AM" />|[[ハードロック]]<ref name="AM" />|[[ロックンロール]]<ref name="AM" />}}
| ジャンル = {{Hlist-comma|[[ポップ・ロック]]<ref name="AM">{{AllMusic |title=The Tremeloes Biography, Songs & Albums |class=artist |id=mn0000921359/biography |accessdate=2021-11-27 }}</ref>|[[サイケデリック・ミュージック#サイケデリック・ポップ|サイケデリック・ポップ<ref name="AM">]]}}
| 活動期間 = [[1958年]] -
| 活動期間 = [[1958年]] -
| レーベル = {{Plainlist|
| レーベル = {{Plainlist|
33行目: 33行目:
{{URL|http://www.thetremeloes.co.uk/}}
{{URL|http://www.thetremeloes.co.uk/}}
}}
}}
'''ザ・トレメローズ'''(''The Tremeloes'')は、[[イギリス]]の[[バンド (音楽)|バンド]]。[[1960年代]]初頭から[[1970年代]]まで[[ブリティッシュ・インヴェイジョン]]のバンドとして活躍した。[[デッカ・レコード]]時代は、ブライアン・プール&ザ・トレメローズと名乗っていた。[[アメリカ]]の[[ビーチ・ボーイズ]]や[[フォー・シーズンズ]]の様なコーラス・ワークで有名である。
'''ザ・トレメローズ'''(''The Tremeloes'')は、[[イギリス]]のソフト・ロック、ポップ・ロック・[[バンド (音楽)|バンド]]。[[1960年代]]初頭から[[1970年代]]まで活躍した。[[デッカ・レコード]]時代は、ブライアン・プール&ザ・トレメローズと名乗っていた。[[アメリカ]]の[[ビーチ・ボーイズ]]や[[フォー・シーズンズ]]の様なコーラス・ワークで有名である。


== 来歴 ==
== 来歴 ==
{{出典の明記|date=2021年11月|section=1}}
=== デビュー前 ===
[[イギリス]][[エセックス州]]ダゲナムにて、'''ブライアン・プール'''(ボーカル)を中心に[[1958年]]結成。結成当初はトレミロズ<ref group="注釈">「トレミロ」という名前も、ギター奏法の一種トレモロの間違いつづりである。</ref>(Tremillos)と名乗っていたが、新聞記者が間違えてトレメローズ(Tremeloes)と紹介し、そのまま後者の方をバンド名とした。主に[[バディ・ホリー]]の曲を演奏していた。
[[イギリス]][[エセックス州]]ダゲナムにて、'''ブライアン・プール'''(ボーカル)を中心に[[1958年]]結成。結成当初はトレミロズ<ref group="注釈">「トレミロ」という名前も、ギター奏法の一種トレモロの間違いつづりである。</ref>(Tremillos)と名乗っていたが、新聞記者が間違えてトレメローズ(Tremeloes)と紹介し、そのまま後者の方をバンド名とした。主に[[バディ・ホリー]]の曲を演奏していた。


[[1962年]][[1月1日]]、[[ビートルズ]]と[[デッカ・レコード]]のオーディションを受けた。結果は、演奏力が優れていたのと、比較的[[ロンドン]]に近く連絡を取りやすかったトレメローズが選ばれた(しかし、後に[[ビートルズ]]が大成功を収めたため、トレメローズを獲ったディレクターのディック・ロウはその後[[ジョージ・ハリスン]]の助言で[[ローリング・ストーンズ]]を獲得するまで社内での立場を悪くすることとなる)。同年、デビューシングルを出すもヒットせず、約1年ヒットは出なかった。[[1963年]]、[[ビートルズ]]もカバーしていた「[[ツイスト・アンド・シャウト]]」が[[イギリス]]のチャートで最高位4位を記録<ref>{{Cite web |title=Official Singles Chart Top 50 |url=https://www.officialcharts.com/charts/singles-chart/19630801/7501/ |publisher=[[全英シングルチャート|Official Charts Company]] |accessdate=2021-11-27 }}</ref>、[[デイヴ・クラーク・ファイヴ]]と競作になった次のシングル『ドゥー・ユー・ラヴ・ミー』が1位を記録した<ref>{{Cite web |title=Official Singles Chart Top 50 |url=https://www.officialcharts.com/charts/singles-chart/19631010/7501/ |publisher=[[全英シングルチャート|Official Charts Company]] |accessdate=2021-11-27 }}</ref>。この他にも、「サムワン・サムワン」、「[[アイ・ウォント・キャンディ]]」等のヒットを連発した。しかし、[[1965年]]を境にヒットが出せなくなり、ブライアン・プールがソロ・シンガーとして離脱、トレメローズも[[デッカ・レコード]]を離れ、[[CBSレコード]]に移籍(ブライアン・プールもヒットを出せず、ビジネス界転向)。
[[1962年]][[1月1日]]、[[ビートルズ]]と[[デッカ・レコード]]のオーディションを受けた。結果は、演奏力が優れていたのと、比較的[[ロンドン]]に近く連絡を取りやすかったトレメローズが選ばれた(しかし、後に[[ビートルズ]]が大成功を収めたため、トレメローズを獲ったディレクターのディック・ロウはその後[[ジョージ・ハリスン]]の助言で[[ローリング・ストーンズ]]を獲得するまで社内での立場を悪くすることとなる)。同年、デビューシングルを出すもヒットせず、約1年ヒットは出なかった。[[1963年]]、[[ビートルズ]]もカバーしていた「[[ツイスト・アンド・シャウト]]」が[[イギリス]]のチャートで最高位4位を記録<ref>{{Cite web |title=Official Singles Chart Top 50 |url=https://www.officialcharts.com/charts/singles-chart/19630801/7501/ |publisher=[[全英シングルチャート|Official Charts Company]] |accessdate=2021-11-27 }}</ref>、[[デイヴ・クラーク・ファイヴ]]と競作になった次のシングル『ドゥー・ユー・ラヴ・ミー』が1位を記録した<ref>{{Cite web |title=Official Singles Chart Top 50 |url=https://www.officialcharts.com/charts/singles-chart/19631010/7501/ |publisher=[[全英シングルチャート|Official Charts Company]] |accessdate=2021-11-27 }}</ref>。この他にも、「サムワン・サムワン」、「[[アイ・ウォント・キャンディ]]」等のヒットを連発した。しかし、[[1965年]]を境にヒットが出せなくなり、ブライアン・プールがソロ・シンガーとして離脱、トレメローズも[[デッカ・レコード]]を離れ、[[CBSレコード]]に移籍(ブライアン・プールもヒットを出せず、引退して家業ついた)。


=== 第二の黄金期 ===
[[1966年]]、アラン・ハワードが辞め、後に[[ルベッツ]]のメンバーになるミック・クラークが加入し、アラン・ブレイクリー、リック・ウェストウッド、デイヴ・マンデンの4人で再出発。[[サイモン&ガーファンクル]]の「ブレスド」でデビュー。次のシングル『[[グッド・デイ・サンシャイン]]』のB面でミック・クラークが脱退、レン・“チップ”・ホークスが加入し、顔ぶれが一定する。
[[1966年]]、アラン・ハワードが辞め、後に[[ルベッツ]]のメンバーになるミック・クラークが加入し、アラン・ブレイクリー、リック・ウェストウッド、デイヴ・マンデンの4人で再出発。[[サイモン&ガーファンクル]]の「ブレスド」でデビュー。次のシングル『[[グッド・デイ・サンシャイン]]』のB面でミック・クラークが脱退、レン・“チップ”・ホークスが加入し、顔ぶれが一定する。


[[1967年]]、[[キャット・スティーヴンス]]の「[[君と踊ろう]]」がイギリスで4位を記録そして次のシングル、[[フォー・シーズンズ]]の「サイレンス・イズ・ゴールデン」が1位を記録。[[アメリカ]]でも11位を記録し、[[デカ・レコード]]時代よりも成功を収める
[[1967年]]、[[キャット・スティーヴンス]]の「[[君と踊ろう]]」がイギリスで4位を記録そして次のシングル、[[フォー・シーズンズ]]のカバー曲「サイレンス・イズ・ゴールデン」が1位アメリカのビルボード・チャートでも11位を記録する大ヒトになった<ref>{{Cite web|date=2021-09-28|title=The band chosen over The Beatles in 1962: The Tremeloes' interview with Len "Chip" Hawkes|url=https://the-shortlisted.co.uk/tremeloes-interview-len-chip-hawkes/| access-date=2 May 2022 |website=The Shortlisted|language=en-GB}}</ref>


[[1968年]]に発売された[[ボブ・ディラン]]作の「[[アイ・シャル・ビー・リリースト]]」にトレメローズは触発され、これ以降はブレイクリーとホークスが作曲コンビを作り、自作曲を多数作る。
[[1968年]]に発売された[[ボブ・ディラン]]作の「[[アイ・シャル・ビー・リリースト]]」にトレメローズは触発され、これ以降はブレイクリーとホークスが作曲コンビを作り、自作曲を多数作る。
51行目: 48行目:
他にも、「福と禍(Even The Bad Times Are Good)」「君だけの世界(Be Mine)」「虹の立つ丘(Suddenly You Love Me)」「マイ・リトル・レディ(My Little Lady)」「ぼくはナンバーワン(Call Me Number One)」といったヒットを[[1971年]]頃まで連発する。
他にも、「福と禍(Even The Bad Times Are Good)」「君だけの世界(Be Mine)」「虹の立つ丘(Suddenly You Love Me)」「マイ・リトル・レディ(My Little Lady)」「ぼくはナンバーワン(Call Me Number One)」といったヒットを[[1971年]]頃まで連発する。


=== ヒット後 ===
[[1971年]]に出した「ライト・ウィール・レフト・ハンマー・シャム」を境に本国イギリスでヒットが出せなくなった。[[ドイツ]]等ではヒットを出したが、これを皮切りに、メンバーの入れ替わりが顕著になる。まずウェストウッドが抜け、ボブ・ベンハムが加入する。続いてブレイクリー、ホークスといった主要メンバーが抜け、アーロン・ウーリーが加入、ウェストウッドが戻って来る。メンバー入れ替えが激しい中でも、マンデンは残った。[[1983年]]、10年ぶりにブレイクリー、ウェストウッド、マンデン、ホークスの4人が戻り、{{仮リンク|F.R.デイヴィッド|en|F. R. David}}の「{{仮リンク|ワーズ (F.R.デイヴィッドの曲)|label=ワーズ|en|Words (F. R. David song)}}」で小ヒットを出す。
[[1971年]]に出した「ライト・ウィール・レフト・ハンマー・シャム」を境に本国イギリスでヒットが出せなくなった。[[ドイツ]]等ではヒットを出したが、これを皮切りに、メンバーの入れ替わりが顕著になる。まずウェストウッドが抜け、ボブ・ベンハムが加入する。続いてブレイクリー、ホークスといった主要メンバーが抜け、アーロン・ウーリーが加入、ウェストウッドが戻って来る。メンバー入れ替えが激しい中でも、マンデンは残った。[[1983年]]、10年ぶりにブレイクリー、ウェストウッド、マンデン、ホークスの4人が戻り、{{仮リンク|F.R.デイヴィッド|en|F. R. David}}の「{{仮リンク|ワーズ (F.R.デイヴィッドの曲)|label=ワーズ|en|Words (F. R. David song)}}」で小ヒットを出す。


390行目: 386行目:
=== 注釈 ===
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
{{Notelist}}

=== 出典 ===
=== 出典 ===
{{Reflist}}
{{Reflist}}



== 参考文献 ==
{{参照方法|date=2021年11月|section=1}}
* サイレンス・イズ・ゴールデン / トレメローズ・ベスト・ヒッツ・コレクション TECP-25598 より
* The Tremeloes 102 tracks 4CD BOXED! BOX 1011•2 より


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==

2022年5月2日 (月) 03:17時点における版

{{Infobox Musician | 名前 = ザ・トレメローズ | 画像 = The Tremeloes.png | 画像説明 = 1968年撮影。左からデイヴ・マンデン、リック・ウェストウッド、レン・“チップ”・ホークス、アラン・ブレイクリー。 | 画像サイズ = 250px | 背景色 = band | 別名 = ブライアン・プール&ザ・トレメローズ | 出身地 = イングランドの旗 イングランド エセックス州 ダゲナム | ジャンル = {{Hlist-comma|ポップ・ロック[1]|[[サイケデリック・ミュージック#サイケデリック・ポップ|サイケデリック・ポップ引用エラー: <ref> タグに対応する </ref> タグが不足しています(Tremillos)と名乗っていたが、新聞記者が間違えてトレメローズ(Tremeloes)と紹介し、そのまま後者の方をバンド名とした。主にバディ・ホリーの曲を演奏していた。

1962年1月1日ビートルズデッカ・レコードのオーディションを受けた。結果は、演奏力が優れていたのと、比較的ロンドンに近く連絡を取りやすかったトレメローズが選ばれた(しかし、後にビートルズが大成功を収めたため、トレメローズを獲ったディレクターのディック・ロウはその後ジョージ・ハリスンの助言でローリング・ストーンズを獲得するまで社内での立場を悪くすることとなる)。同年、デビューシングルを出すもヒットせず、約1年ヒットは出なかった。1963年ビートルズもカバーしていた「ツイスト・アンド・シャウト」がイギリスのチャートで最高位4位を記録[2]デイヴ・クラーク・ファイヴと競作になった次のシングル『ドゥー・ユー・ラヴ・ミー』が1位を記録した[3]。この他にも、「サムワン・サムワン」、「アイ・ウォント・キャンディ」等のヒットを連発した。しかし、1965年を境にヒットが出せなくなり、ブライアン・プールがソロ・シンガーとして離脱、トレメローズもデッカ・レコードを離れ、CBSレコードに移籍(ブライアン・プールもヒットを出せず、引退して家業についた)。

1966年、アラン・ハワードが辞め、後にルベッツのメンバーになるミック・クラークが加入し、アラン・ブレイクリー、リック・ウェストウッド、デイヴ・マンデンの4人で再出発。サイモン&ガーファンクルの「ブレスド」でデビュー。次のシングル『グッド・デイ・サンシャイン』のB面でミック・クラークが脱退、レン・“チップ”・ホークスが加入し、顔ぶれが一定する。

1967年キャット・スティーヴンスの「君と踊ろう」がイギリスで4位を記録。そして次のシングル、フォー・シーズンズのカバー曲「サイレンス・イズ・ゴールデン」が1位、アメリカのビルボード・チャートでも11位を記録する大ヒットになった[4]

1968年に発売されたボブ・ディラン作の「アイ・シャル・ビー・リリースト」にトレメローズは触発され、これ以降はブレイクリーとホークスが作曲コンビを作り、自作曲を多数作る。

他にも、「福と禍(Even The Bad Times Are Good)」「君だけの世界(Be Mine)」「虹の立つ丘(Suddenly You Love Me)」「マイ・リトル・レディ(My Little Lady)」「ぼくはナンバーワン(Call Me Number One)」といったヒットを1971年頃まで連発する。

1971年に出した「ライト・ウィール・レフト・ハンマー・シャム」を境に本国イギリスでヒットが出せなくなった。ドイツ等ではヒットを出したが、これを皮切りに、メンバーの入れ替わりが顕著になる。まずウェストウッドが抜け、ボブ・ベンハムが加入する。続いてブレイクリー、ホークスといった主要メンバーが抜け、アーロン・ウーリーが加入、ウェストウッドが戻って来る。メンバー入れ替えが激しい中でも、マンデンは残った。1983年、10年ぶりにブレイクリー、ウェストウッド、マンデン、ホークスの4人が戻り、F.R.デイヴィッド英語版の「ワーズ英語版」で小ヒットを出す。

1980年代後半、ホークスの息子チェズニー・ホークスの歌手デビューに伴い、ホークスはプロデューサーに転向のため脱退。デイヴ・フライヤー、ジョー・ギリンガムが加入、活動を続ける。

1996年、ブレイクリーが癌のため54歳で他界。ブレイクリー亡き後も、4人体制で活動を続ける。プールも1980年代に音楽活動を再開し、時折トレメローズと一緒にツアーもする。ホークスも歌手活動を再開し、プール同様、トレメローズと時折行動を共にする。2005年、フライヤーが脱退、ジェフ・ブラウンが加入。2012年後半、ウェストウッドが引退。新メンバーに、エディ・ジョーンズが加入。

2020年10月15日、デイヴ・マンデンが76歳で死去[5]

メンバー

ディスコグラフィ

シングル

発売年 タイトル 最高位 認定
RIAA
[7]
UK
[8]
US
[9]
ブライアン・プール&ザ・トレメローズ名義
1962年 "Twist Little Sister"
"Blue"
1963年 "A Very Good Year For Girls"
"Keep On Dancing"
"Twist And Shout"
4
"Do You Love Me英語版"
1
"I Can Dance"
31
1964年 "Candy Man"
6
"Someone, Someone"
2
97
"Twelve Steps Of Love"
32
1965年 "The Three Bells英語版"
17
"After A While"
"I Want Candy"
25
"Good Lovin'英語版"
ザ・トレメローズ名義
1966年 "Blessed"
"Good Day Sunshine"
1967年 "Here Comes My Baby"
4
13
ゴールド
"Silence Is Golden英語版"
1
11
ゴールド
"Even The Bad Times Are Good"
4
36
ゴールド
"Be Mine"
39
1968年 "Suddenly You Love Me英語版"
6
44
"Helule, Helule"
14
"My Little Lady"
6
"I Shall Be Released"
29
1969年 "Hello World英語版"
14
"Once On A Sunday Morning"
"(Call Me) Number One"
2
1970年 "By The Way"
35
"Me And My Life英語版"
4
1971年 "Right Wheel, Left Hammer, Sham"
46
"Hello, Buddy"
32
1972年 "I Like It That Way"
"Blue Suede Tie"
1973年 "Make It, Break It"
"You Can't Touch Sue"
"Ride On"
1974年 "Do I Love You?"
"Say O.K. (Say You Love Me)"
"Good Time Band"
1975年 "Rocking Circus"
1976年 "Caminando"
1977年 "Gin Gang Goolie"
1978年 "Lonely Nights"
1979年 "Lights Of Port Royal"
1983年 "Words英語版"
91
1987年 "Angel Of The Morning"
1989年 "Lean on Me Baby"

アルバム

ブライアン・プール&ザ・トレメローズ名義

LP
  • Big Hits Of '62(1963年5月)
  • Twist And Shout(1964年4月)
  • Brian Poole Is Here!(1965年4月)
  • It's About Time(1965年4月)
EP
  • Swinging on a Star(1964年1月)
  • Time Is on My Side(1965年3月)

ザ・トレメローズ名義

  • Here Come The Tremeloes(1967年5月)
  • Even The Bad Times Are Good / Silence Is Golden(1967年10月)
  • Alan, Dave, Rick And Chip(1967年11月)
  • Suddenly You Love Me(1968年3月)
  • World Explosion!(1968年5月)
  • Live In Cabaret(1969年8月)
  • May Morning(1970年2月)
  • Master(1970年11月)
  • Shiner(1974年11月)
  • Don't Let The Music Die(1975年7月)

脚注

注釈

出典

  1. ^ The Tremeloes Biography, Songs & Albums - オールミュージック. 2021年11月27日閲覧。
  2. ^ Official Singles Chart Top 50”. Official Charts Company. 2021年11月27日閲覧。
  3. ^ Official Singles Chart Top 50”. Official Charts Company. 2021年11月27日閲覧。
  4. ^ The band chosen over The Beatles in 1962: The Tremeloes' interview with Len "Chip" Hawkes” (英語). The Shortlisted (2021年9月28日). 2 May 2022閲覧。
  5. ^ Boyle, Cash (2020年10月19日). “Dagenham born original drummer Dave Munden dies aged 76”. Barking and Dagenham Post (Archant Community Media Ltd). https://www.barkinganddagenhampost.co.uk/news/obituary-tremeloes-drummer-dave-munden-passes-away-6540504 2021年11月27日閲覧。 
  6. ^ Best Classic Bands Staff (2020年10月16日). “Dave Munden, Original Member of British Pop Group the Tremeloes, Dies” (英語). Best Classic Bands. 2020年10月30日閲覧。
  7. ^ Murrells, Joseph (1978). The Book of Golden Discs (2nd ed.). London: Barrie and Jenkins Ltd. pp. 231-232. ISBN 0-214-20512-6. https://archive.org/details/bookofgoldendisc00murr/page/231 
  8. ^ Roberts, David (2006). British Hit Singles & Albums (19th ed.). London: Guinness World Records Limited. p. 565. ISBN 1-904994-10-5 
  9. ^ The Tremeloes | Awards”. AllMusic. 2012年9月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月19日閲覧。


関連項目