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2022年3月1日 (火) 19:39時点における版

前田 直造(まえだ なおぞう、1883年明治16年)3月10日[1] - 1943年昭和18年)4月10日[2])は、日本の逓信官僚

経歴

三重県出身。第一高等学校を経て[1]1909年(明治42年)に東京帝国大学法科大学政治学科を卒業[3]。翌年に高等文官試験に合格した[1]。逓信局書記、通信事務官補、通信副事務官、逓信局副事務官、逓信局事務官、逓信書記官を歴任し[1]、その間に和歌山郵便局長、京都中央電話局長、北海道逓信局総務部長、熊本逓信局監察課長、同監理課長、東京逓信局規画課長を務めた[4]。さらに逓信局電話課長、電務局規画課長などを歴任[1]1927年(昭和2年)、仙台逓信局長に就任し[1]、大阪逓信局長、東京逓信局長も務めた[4]1933年(昭和8年)、退官[3]

退官後は満洲電信電話株式会社理事・営業部長となり、1938年(昭和13年)には放送部長に転じた[3]

親族

脚注

  1. ^ a b c d e f 大衆人事録 1930.
  2. ^ 『朝日新聞』(東京本社発行)1943年4月13日夕刊、2頁。
  3. ^ a b c d 人事興信録 1941.
  4. ^ a b 輓近大日本拓殖史 1934, p. 522.

参考文献

  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。 
  • 『輓近大日本拓殖史』日本行政学会、1934年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版(下)』人事興信所、1941年。