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2022年3月1日 (火) 18:45時点における版
清水 清(しみず きよし、明治30年(1897年)- 昭和7年(1932年)2月27日)は、日本の陸軍軍人。満州事変のハルビン占領前に陸軍砲兵大尉で戦死、特進して少佐。
山口県長府町大字門峠の出身。1921年(大正10年)7月27日、陸軍士官学校33期卒業。1931年8月、砲兵大尉となる。
小倉野戦重砲兵隊所属であった1932年2月27日、ハルビン飛行場を偵察中、搭乗した八八式偵察機570号が反吉林軍からの対空砲火により被弾し、ハルビン郊外に不時着した。操縦士の福井中尉が陸軍特務機関に報告と来援を請いに向かった間、反吉林軍騎兵に包囲され、射殺された。
参考文献
- 東京朝日新聞1932年(昭和7年)1月28日号7面「偵察機不時着して清水大尉射殺さる」「清水大尉遭難の現場を空から望む」「戦塵の北満を飛び回つて 清水大尉の最期を聞いて本社河内飛行士語る」「清水大尉は山口出身 前途有望の将校」。
- 防衛研究所所蔵「戦死将校紀念手帳送付の件」(陸軍省-陸満普大日記-S8-20-50、アジア歴史資料センターRef.C04011661800)