「チャールズ・ゴードン=レノックス (第6代リッチモンド公爵)」の版間の差分
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2022年2月15日 (火) 20:53時点における版
第6代リッチモンド公爵 チャールズ・ゴードン=レノックス Charles Gordon-Lennox 6th Duke of Richmond | |
---|---|
| |
生年月日 | 1818年2月27日 |
出生地 | イギリス、イングランド・ロンドン・リッチモンド・ハウス |
没年月日 | 1903年9月27日(85歳没) |
死没地 | イギリス、スコットランド・フォッシャバーズ・ゴードン城 |
出身校 | オックスフォード大学クライスト・チャーチ |
所属政党 | 保守党 |
称号 | 第6代リッチモンド公爵、第6代レノックス公爵、初代ゴードン公爵、ガーター勲章士(KG)、枢密顧問官(PC) |
配偶者 | フランセス |
内閣 |
第3次ダービー伯爵内閣、第1次ディズレーリ内閣 第1次ソールズベリー侯爵内閣 |
在任期間 |
1867年3月8日 - 1868年12月3日[1] 1885年6月24日 - 1885年8月[1] |
内閣 | 第2次ディズレーリ内閣 |
在任期間 | 1874年2月21日 - 1880年4月28日 |
内閣 | 第2次ディズレーリ内閣 |
在任期間 | 1874年2月 - 1876年8月 |
内閣 | 第1次ソールズベリー侯爵内閣 |
在任期間 | 1885年 - 1886年 |
庶民院議員 | |
選挙区 | ウェスト・サセックス選挙区[2] |
在任期間 | 1841年6月29日 - 1860年10月21日[2] |
その他の職歴 | |
貴族院議員 (1860年10月21日 - 1903年9月27日[2]) |
第6代リッチモンド公爵チャールズ・ヘンリー・ゴードン=レノックス(英: Charles Henry Gordon-Lennox, 6th Duke of Richmond, KG, PC、1818年2月27日 - 1903年9月27日)は、イギリスの政治家、貴族。
ヴィクトリア朝中期から後期の保守党政権で閣僚職を歴任した。父が爵位を継承する1819年までセトリントン卿 (Lord Settrington)、1819年から自身が爵位を継承する1860年までマーチ伯爵 (Earl of March) の儀礼称号で称された。
経歴
第5代リッチモンド公爵チャールズ・ゴードン=レノックスとその夫人キャロライン(初代アングルシー侯爵ヘンリー・パジェットの娘)の間の長男としてロンドンの自邸リッチモンド・ハウスに生まれる[3]。
ウェストミンスター・スクールを経てオックスフォード大学クライスト・チャーチへ進学[3]。
1841年から爵位を世襲する1860年までウェスト・サセックス選挙区選出の保守党の庶民院議員を務めた[3]。1860年10月に爵位を世襲して貴族院議員に列する[2]。
第三次ダービー伯爵内閣期の1867年3月、クランボーン子爵(後のソールズベリー侯爵)が第二次選挙法改正に反対して辞職し、その後任に通商大臣サー・スタッフォード・ノースコート准男爵が就任したのに伴う玉突き人事で通商大臣に就任した[4]。続く第1次ディズレーリ内閣でも留任した[5]。
野党期の1869年暮れに保守党貴族院院内総務を務めていたケアンズ伯爵が辞職したのに伴い、温和な人物だったリッチモンド公がその後任となる。以降、党首ディズレーリがビーコンズフィールド伯爵に叙されて貴族院に移籍する1876年8月までその地位にあり、ディズレーリの方針を貴族院から支持した。しかし当時のディズレーリの貴族院保守党に対する影響力は微妙であり、そのため党内反ディズレーリ派の間にはソールズベリー侯爵を保守党貴族院院内総務に推す声が根強くあった[6]。
1874年2月に成立した第2次ディズレーリ内閣には陸軍大臣としての入閣を希望していたが、ディズレーリはそのポストを財政に強い庶民院議員から任命したがっていたため、結局リッチモンド公は枢密院議長兼貴族院院内総務として入閣することになった[7]。農業問題に精通していたため、その分野で活躍した[8]。
リッチモンド公はヴィクトリア女王のお気に入りの貴族であったため[8]、1876年1月13日に新たに連合王国貴族爵位としてゴードン公爵を与えられた[3]。これによりゴードン=レノックス家は4つの公爵位を保持する唯一の家柄となった。四公位の所領全て合わせた土地面積は28万エーカーにも及ぶという[8]。
1885年から1886年に成立した第1次ソールズベリー侯爵内閣では通商大臣とスコットランド担当大臣を務めた[3]。
1903年9月27日にスコットランド・マレー・フォッシャバーズにあるゴードン城において死去した。85歳だった[3]。
栄典
爵位
1860年10月21日に死去した父から以下の爵位を継承した[9][3]。
- 第6代リッチモンド公爵 (6th Duke of Richmond)
- 第6代レノックス公爵 (6th Duke of Lennox)
- 第6代オービニー公爵 (6th Duke of Aubigny)
- (1684年1月創設フランス貴族爵位)
- 第6代マーチ伯爵 (6th Earl of March)
- (1675年8月9日創設イングランド貴族爵位)
- 第6代ダーンリー伯爵 (6th Earl of Darnley)
- (1675年9月9日創設スコットランド貴族爵位)
- ヨーク州におけるセトリントンの第6代セトリントン男爵 (6th Baron Settrington, of Settrington in the County of York)
- (1675年8月9日創設イングランド貴族爵位)
- 第6代トーボルトン卿 (6th Lord Torbolton)
- (1675年9月9日創設スコットランド貴族爵位)
1876年1月13日に以下の爵位を新規に与えられた[9][3]。
勲章
その他
家族
1843年にアルジャーノン・グランヴィルの娘フランセス・ハリエット・グランヴィル(1824年 - 1884年)と結婚し、彼女との間に以下の6子を儲ける[3]。
- 第1子(長女)キャロライン・ゴードン=レノックス(1844年 - 1934年)- 結婚せず
- 第2子(長男)チャールズ・ヘンリー・ゴードン=レノックス (1845年 - 1928年)- 第7代リッチモンド公爵位を継承。政治家
- 第3子(次男)アルジャーノン・チャールズ・ゴードン=レノックス(1847年 - 1921年) - 陸軍軍人
- 第4子(三男)フランシス・チャールズ・ゴードン=レノックス(1849年 - 1886年) - 陸軍軍人
- 第5子(次女)フロレンス・ゴードン=レノックス(1851年 - 1895年) - 結婚せず
- 第6子(四男)ウォルター・チャールズ・ゴードン=レノックス(1865年 - 1922年) - 政治家。
脚注
注釈
出典
- ^ a b 秦(2001) p.510
- ^ a b c d UK Parliament. “Earl of March” (英語). HANSARD 1803–2005. 2013年12月29日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k Lundy, Darryl. “Charles Henry Gordon-Lennox, 6th Duke of Richnond” (英語). thepeerage.com. 2013年12月29日閲覧。
- ^ ブレイク(1993) p.537
- ^ ブレイク(1993) p.570
- ^ ブレイク(1993) p.602-603/617
- ^ ブレイク(1993) p.630
- ^ a b c 森(1987) p.203
- ^ a b Heraldic Media Limited. “Richmond, Duke of (E, 1675)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年12月21日閲覧。
参考文献
- ブレイク男爵 著、谷福丸 訳、灘尾弘吉監修 編『ディズレイリ』大蔵省印刷局、1993年。ISBN 978-4172820000。
- 森護『英国の貴族 遅れてきた公爵』大修館書店、1987年。ISBN 978-4469240979。
- 秦郁彦編 編『世界諸国の組織・制度・人事 1840-2000』東京大学出版会、2001年。ISBN 978-4130301220。
外部リンク
- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by the Duke of Richmond
- Gordon Chapel
- CricketArchive: Earl of March
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会 | ||
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先代 ジョン・レノックス卿 サリー伯爵 |
西サセックス選挙区選出庶民院議員 1841年 – 1860年 同一選挙区同時当選者 チャールズ・ウィンダム 1841–1847 リチャード・プライム 1847–1854 ヘンリー・ウィンダム 1854–1860 |
次代 ヘンリー・ウィンダム サー・ウォルター・バートロット |
公職 | ||
先代 サー・スタッフォード・ノースコート |
通商大臣 1867年 – 1868年 |
次代 ジョン・ブライト |
先代 初代アバーデア男爵 |
枢密院議長 1874年 – 1880年 |
次代 第5代スペンサー伯爵 |
先代 第2代グランヴィル伯爵 |
貴族院院内総務 1874年 - 1876年 |
次代 初代ビーコンズフィールド伯爵 |
先代 ジョゼフ・チェンバレン |
通商大臣 1885年 |
次代 エドワード・スタンホープ閣下 |
先代 新設 |
スコットランド担当大臣 1885年 – 1886年 |
次代 サー・ジョージ・トレヴェリアン |
名誉職 | ||
先代 ジェイムズ・ダフ (第5代ファイフ伯爵) |
バンフシャー州知事 1879年 – 1903年 |
次代 第7代リッチモンド公爵 |
党職 | ||
先代 初代ケアンズ伯爵 |
保守党貴族院院内総務 1870年 – 1876年 |
次代 初代ビーコンズフィールド伯爵 |
イングランドの爵位 | ||
先代 チャールズ・ゴードン=レノックス |
第6代リッチモンド公爵 第3期 1860年 – 1903年 |
次代 チャールズ・ゴードン=レノックス |
イギリスの爵位 | ||
爵位創設 | 初代ゴードン公爵 第2期 1876年 – 1903年 |
次代 チャールズ・ゴードン=レノックス |