「ヴィッカース軽戦車」の版間の差分
編集の要約なし |
|||
18行目: | 18行目: | ||
|design_date= |
|design_date= |
||
|manufacturer= ヴィッカース・アームストロング |
|manufacturer= ヴィッカース・アームストロング |
||
|unit_cost= £7,700 (1927年、火砲を含む)<ref>{{cite |first=L |last=Worthington-Evans |author-link=Laming Worthington-Evans |title=Tanks |url= |
|unit_cost= £7,700 (1927年、火砲を含む)<ref>{{cite |first=L |last=Worthington-Evans |author-link=Laming Worthington-Evans |title=Tanks |url=https://api.parliament.uk/historic-hansard//commons/1927/jul/07/tanks#S5CV0208P0_19270707_HOC_153 |publisher=millbanksystems |accessdate=21 May 2016 |work=House of Commons Debates |date=7 July 1927 |volume= 208 |at=c1427}}</ref> |
||
|production_date= |
|production_date= |
||
|number= |
|number= |
2022年2月14日 (月) 00:37時点における版
Mk.I~Mk.V軽戦車 | |
---|---|
砂漠を縦走するヴィッカース軽戦車、1940年。 | |
種類 | 軽戦車 |
原開発国 | イギリス |
開発史 | |
開発者 | ヴィッカース・アームストロング |
製造業者 | ヴィッカース・アームストロング |
値段 | £7,700 (1927年、火砲を含む)[1] |
派生型 | Mk.I、Mk.II、Mk.III、Mk.IV、Mk.V |
諸元 (Mk V軽戦車) | |
重量 | 4.83t |
全長 | 12 ft 10 in (3.91 m) |
3.91m | |
全幅 | 2.06m |
全高 | 2.26m |
要員数 | 3名(車長、機銃手、操縦手) |
| |
装甲 | 最厚部12mm |
主兵装 | .50"/62ヴィッカース機関銃 |
副兵装 | .303 ヴィッカース重機関銃 |
エンジン | メドウス6気筒ガソリンエンジン |
懸架・駆動 | ホルストマン・サスペンンション |
行動距離 | 210km |
速度 | 52.3km/h |
イギリスの軽戦車において、Mk.IからMk.Vの一連の軽戦車は設計上の関連が深い。これらは戦間期にヴィッカースによりイギリス陸軍向けに生産された。
第一次世界大戦および第二次世界大戦の間、イギリスでは類似した一連の軽戦車を生産していた。これらは訓練に使用され、また、限定的ながら1941年の東アフリカ戦線における南アフリカ陸軍のように、イギリス帝国の部隊が戦闘に投入している。全てが車重およそ5.1t、路上で48km/hを発揮し、路外の縦走では約32km/hを出した。
イギリスではこうした軽戦車について、他の軽戦車以外に想定される何かに対しての投入を考えていなかった。そうした事から兵装は機関銃のみであった――7.7mm弾(0.303インチ)か12.7mm弾(0.5インチ)を用いるヴィッカース重機関銃を射撃する。緩衝装置にはボギーにホルストマン・コイルスプリングを装着した。機関にはメドウス6気筒ガソリンエンジンを用いた。Mk.Vになるまでこれらは操縦手兼車長、機銃手が搭乗した。Mk.Vには操縦手、機銃手、機銃手を補助する車長が乗った。
比較的少数の、多様な軽戦車が生産されている。Mk.Vでは設計が多かれ少なかれ最適化されており、これはMk.VI軽戦車の形状をとって最後の派生型になった。戦争が予期される中、Mk.VIはイギリス陸軍の増強計画のために選ばれた。
Mk.VIIテトラーク軽戦車およびMk.VIII軽戦車「ハリー・ホプキンス」がヴィッカースによって生産されているが、これらはMk.IからMk.VIまでの一連の軽戦車と設計上の関連はない。
開発
タンケッテ
1920年代後期の機械化兵力の活動に続き、イギリス陸軍では二種類の装軌車両の必要性を認めていた。一種は歩兵のために機関銃を携行するもの、そして一種は王立戦車部隊向けに砲塔を装備するものである[2]。カーデン・ロイド豆戦車は歩兵用の車両となった。また同時にカーデン社では、砲塔を持つ数種類の二人乗り軽戦車を独自開発した。カーデンMk.VIIの設計は、陸軍向け軽戦車として試作が容認された。同時期のカーデン・ロイドはヴィッカース・アームストロングの一部門だった。軽戦車はわずか数両のみが生産され、決して本車が採用されることはなかったものの、以後の開発に有益な情報を与えた。
Mk.VIIは機関銃を装備した小型車両で、59馬力のメドウスエンジンを搭載し、これにより最高速度は56km/hだった。サスペンションは転輪2個のついた板バネ式ボギー2組を車体両側につけるもので、サスペンションに強度を与えるために外部に桁をつけている。偵察車両や移動式の機関銃の射点として考慮されたMk.VIは、カーデン・ロイドが開発した豆戦車シリーズの最終段階だった。カーデン・ロイド豆戦車はユニバーサル・キャリアの試作車となった。
Mk.I軽戦車
Mk.I軽戦車はカーデン社のMk.VIIタンケッテと幾つかの点を異にしている。外部のサスペンションの桁は、車体を支持する緩衝装置の強化により外されている。傾斜が付いた銃塔は円筒形のデザインに交換されたものの、いまだに.303口径のヴィッカース重機関銃1挺を装備していた。基本装甲は14mmが与えられ、重量を増して最高速度を48km/hに落とした。
メドウスエンジンは4速の変速機から前方の起動輪を介して軌道を動かした。操向は、急な転回のためには片方の軌道へのクラッチ断とブレーキングの組み合わせが用いられた。軌道には後方の誘導輪によりテンションがかけられていた。これが起動輪と同一の高さを保つのはイギリス戦車では新しい設計だった。また3個の上部転輪により軌道がめぐって返された。
Mk.IAはより大きな上部構造が設けられ、機関銃を操作するため大型の銃塔が付いた。水平巻きバネのついたホルストマン・サスペンションがMk.Iの板バネと交換された。適度な状況では乗り易くなったとはいえ、このスプリングは特定の状況下では制御不能の動揺を引き起こした。
1931年、Mk.IA軽戦車は試験のためにインドに送られた。これらは暑熱の気候下でエンジン冷却を改善するための装備を受け取り、同様に乗員の暑さを軽くするための様々な手段が試験された。
- Mk.I:4両もしくは5両が生産された。基礎となったのはカーデン・ロイドMk.VIIIである。
- Mk.IA:5両が生産された。これらのうち4両はインドに試験のため送られた。
Mk.II軽戦車
Mk.II軽戦車は66hpのロールス・ロイスエンジンを使用した。これはウィルソン・プリセレクタ機構と変速機に次ぎ、戦車の右側に置かれた。戦車の左側の空間は操縦手と車長のために開かれていた。インドで使用された戦車には85hpのメドウスエンジンと変速機が搭載された。銃塔の形は長方体をしており、機関銃は車両で使うため、歩兵バージョンのスペードグリップがピストルグリップに改修されている[3]。
- MK.II:1929年以後、ヴィッカース・アームストロングにより16両生産。
- Mk.IIA:ウールウィッチのロイヤル・アーセナルにて29両生産。
- Mk.IIB:ヴィッカース・アームストロングにて21両生産[3]。
Mk.III軽戦車
Mk.III軽戦車は緩衝装置がホルストマン・コイルスプリングが制御するボギーごとに、ゴムで外周を被覆した転輪2個を装着して作られている。この設計はシドニー・ホルストマンが発明し、軽車両に独占的に用いられていたが、Mk.VI軽戦車にも採用されている。組み立てが比較的容易であったほか小型軽量であり、長距離の移動に有利で、野外で損傷した際には交換が容易だった[4]。起動輪は前方にあり、誘導輪は後方に置かれた。上部転輪は2個である。動力は88hpのヘンリー・メドウス6気筒ガソリンエンジンによるもので、4段変速のプリセレクタ変速装置を組み合わせている。操向は片方の軌道のクラッチ断で行い、転回を早めるにはブレーキを用いた。銃塔の旋回には電動を用いた[5]。
- 1934年から42両を生産。ロールスロイスエンジンおよびウィルソン変速機を備える。後方の上部構造を拡張。サスペンションを改修。36両をエジプトに送っている[3]。
- 1937年、オランダ領東インド陸軍ではMk.IIIBを73両発注した。またこれらは蘭印作戦中、日本に対して投入されている[6]。
- ベルギー向けに、T-15軽戦車として改修された。(下記)
Mk.IV軽戦車
Mk.IVは訓練に用いられており、重量は5tである。これらのモデルは乗員が2名、ヴィッカース機関銃を備えていた。誘導輪は除去され、ボギー付きの転輪に交換された[7]。数両が開戦時にまだ用いられていたとはいえ、これらは装甲師団から任務に不適当として除かれている。
1933年にヴィッカースが設計、34両が1934年から生産。
Mk.V軽戦車
Mk.IVからMk.Vへの最大の変更点は乗員を3人にした事である。このとき銃塔には車長と銃手が乗った。また無線手も兼任となった。乗員が増えたことで戦車の機能性と保守整備能力も増した。そうなるまでは、車長は操縦手を指揮し、操縦方向を指示し、銃を操作しなければならなかった。部隊の指揮官ならば、彼は他の戦車や攻撃も指揮しなければならなかった。
Mk.Vの武装は初期の軽戦車よりは改善された。従来の.303口径の機関銃に加えて.50口径のヴィッカース重機関銃が搭載されている[7]。より大きな機関銃は、当時のヨーロッパの、装甲12mmから14mmというほぼすべての他の軽戦車に対抗する妥当な能力をこの戦車に与えている。だが戦闘に投入されることになる他の軽戦車のような装甲の増強はされなかった。Mk.Vに比べると半トンほど重く18インチほど長い。車重の増加のため最高速度が51km/hに減ったものの、航続性能は大きく変わらなかった。最初の生産車両はヴィッカース派遣のチームとともに第1大隊に送られた。製造社と使用側のあいだの熱心な協力は、問題の素早い解決や改修の実施に至った。
1936年中に22両が生産されている[3]。
Mk.VI軽戦車
Mk.VI軽戦車はMk.Vの設計を踏襲したものである。またこれには乗員3人を乗せたが、より大きな砲塔に無線機材を収容し、さらなる高速のため88hpのエンジンを搭載した。ただし車重は増加した。
1936年から1940年の間、1,300両のMk.VI軽戦車が製造され、数種類の派生型では初期設計の持つ問題に解決を示している[3]。
輸出用カーデン・ロイド戦車
軽戦車の基礎的なデザインを輸出市場むけにヴィッカースが採用した。これは1933年、1934年、1936年、そして1937年のモデルを含む。導入したのはフィンランド、リトアニア、アルゼンチン、ベルギー、スイス、オランダ領東インド、そして中国である。
1935年にはMk IIIを基とし、ベルギー装甲部隊の要望によって形の異なる砲塔を載せた42両がベルギー向けに生産された。フランス製の13.2mmホチキス機関銃を装備したこれらをベルギーでは「Char Léger de Reconnaissance Vickers-Carden-Loyd Mod.1934 T.15」と呼称した。
1937年、オランダ領東インドではトライアルのため2両を購入し、1938年にはさらに1936年モデルを73両発注した。これらは六角形状の銃塔とMk.IIの兵装以外はMk.IVと「機械的に同様」である。第二次世界大戦がヨーロッパで勃発する前に、20両のみがジャバに到着し、届かなかった車両は「戦車、軽、ヴィッカース・カーデン・ロイド、モデル1936」としてイギリス陸軍に就役し、引き取られた。実際にはダッチマンの通称で呼ばれている。これらは訓練目的にのみ使われた[8]。こうした車両のうち数両はギリシャに送られた。
戦歴
軽戦車は訓練用途のため1942年まで保管された。数両はフランスでの戦いやリビア砂漠、アビシニアにて1940年から1941年に実戦投入されている[7]。これらは1936年にMk.VI軽戦車を後継とした。多くの前任車と同様、Mk.VIはイギリス陸軍によりイギリスの植民地やイギリス領インド帝国の治安維持活動に用いられた。本車と他のイギリス製軽戦車はこの任務によく適していたことが判明している[9][10]。
関連項目
脚注
- ^ Worthington-Evans, L (7 July 1927), “Tanks”, House of Commons Debates (millbanksystems) 208: c1427 21 May 2016閲覧。
- ^ Duncan 1969, pp. 1–20.
- ^ a b c d e Ness 2002, p. 19.
- ^ Horstmann history
- ^ Chamberlain & Ellis 2001.
- ^ Mahé, Yann (June 2011). “Le Blindorama: Les Pays-Bas, 1939–1945” (French). Batailles & Blindés (Caraktère) (43): 4–7. ISSN 1765-0828.
- ^ a b c “Light Tank Mk V with twin 15mm Besa guns”. Allied Tanks and Combat Vehicles of World War II. 6 October 2017閲覧。
- ^ Chamberlain & Ellis 1988, p. 21.
- ^ Bishop 2002, p. 23.
- ^ Tucker 2004, p. 48.
参考文献
- Bishop, Chris (2002). The Encyclopedia of Weapons of World War II: The Comprehensive Guide to Over 1,500 Weapons Systems, Including Tanks, Small Arms, Warplanes, Artillery, Ships and Submarines. Sterling Publishing. ISBN 1-58663-762-2
- Chamberlain, Peter; Ellis, Chris (1988). British and American Tanks of World War Two: The Complete Illustrated History of British, American and Commonwealth tanks 1939–1945 (2nd US ed.). Arco. ISBN 0-668-04304-0
- Chamberlain, Peter; Ellis, Chris (2001). British and American Tanks of World War Two: The Complete Illustrated History of British, American and Commonwealth tanks 1933–1945. Cassell. ISBN 0-7110-2898-2
- Duncan, Major-General N. W. (1969), Light Tanks Marks I–VI, AFV, Windsor: Profile, OCLC 54349403
- Flint, Keith (2006). Airborne Armour: Tetrarch, Locust, Hamilcar and the 6th Airborne Armoured Reconnaissance Regiment 1938–1950. Helion. ISBN 1-874622-37-X
- Harris, J. P. (1995). Men, Ideas and Tanks: British Military Thought and Armoured Forces, 1903–1939. Manchester University Press. ISBN 978-0-7190-4814-2
- Ness, L. (2002). Jane's World War II Tanks and Fighting Vehicles: The Complete Guide (online ed.). London: HarperCollins. ISBN 978-0-00-711228-9 8 April 2017閲覧。
- Rickard, J. (11 September 2009). “Light Tank Mk I, A4”. History of War. 8 April 2017閲覧。
- Tucker, Spencer (2004). Tanks: An Illustrated History of Their Impact. ABC-CLIO. ISBN 1-57607-995-3
関連書籍
- Coombs, Benjamin (2011). British Tank Production, 1934–1945 (PhD). University of Kent. OCLC 872698322. EThOS uk.bl.ethos.590028. 2017年4月8日閲覧。
- Salmon, Roger Edward (2013). The Management of Change: Mechanizing the British Regular and Household Cavalry Regiments 1918–1942 (PhD). University of Wolverhampton. hdl:2436/315320. OCLC 879390776. EThOS uk.bl.ethos.596061. 2017年4月8日閲覧。
外部リンク
- WWII vehicles
- Light tanks Mk I, Mk II/III, Mk IV/V at ww2photo.mimerswell.com.