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2022年2月14日 (月) 00:19時点における版
初代リンカンシャー侯爵 ロバート・ウィン=キャリントン Robert Wynn-Carrington, 1st Marquess of Lincolnshire | |
---|---|
初代リンカンシャー侯 | |
生年月日 | 1843年5月16日 |
出生地 | イギリス、ロンドン、ホワイトホール |
没年月日 | 1928年6月13日 (満85歳没) |
死没地 | イギリス、バッキンガムシャー、ハイ・ウィカム |
出身校 | ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ |
所属政党 | 自由党 |
称号 | ガーター勲章勲爵士(KG)、聖マイケル・聖ジョージ勲章ナイト・グランド・クロス勲爵士(GCMG)、枢密顧問官(PC)、副統監(DL)、治安判事(JP) |
在任期間 | 1885年12月10日 - 1890年11月3日 |
内閣 | キャンベル=バナマン内閣、第1次アスキス内閣 |
在任期間 | 1905年12月10日 - 1911年10月23日 |
内閣 | 第1次アスキス内閣 |
在任期間 | 1911年10月23日 - 1912年 |
庶民院議員 | |
選挙区 | ウィコム選挙区[1] |
在任期間 | 1865年7月11日 - 1868年3月17日[1] |
貴族院議員 | |
在任期間 | 1868年 - 1928年6月13日[1] |
初代リンカンシャー侯爵チャールズ・ロバート・ウィン=キャリントン(英: Charles Robert Wynn-Carrington, 1st Marquess of Lincolnshire, KG, GCMG, PC, DL, JP、1843年5月16日 - 1928年6月13日)は、イギリスの貴族、政治家(自由党所属)。
1868年に「キャリントン男爵」を相続し、1895年に「キャリントン伯爵」へ、1912年に「リンカンシャー侯爵」へそれぞれ叙された。
経歴
ロンドンのホワイトホールで、第2代キャリントン男爵ロバート・キャリントンの長男として生まれた[2][3][4][5]。母親のシャーロッテ・オーグスタ・ドラモンド=ウィラビーは第22代ウィラビー・ドゥ・アーズビー男爵ピーター・ドラモンド=バレルの娘で、キャリントンの二人目の妻であった[2][3][4][5]。なお出生時の姓は「Carrington」であったが、勅許を得て1880年に「Carington」へ、さらに1896年に「Wynn-Carrington」へ改めている[2][3][4][5]。
イートン・カレッジを経てケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで学び、1864年に学士号(B.A.)を取得[6]。1879年に母親が死去したため、世襲職である式部卿(Lord Great Chamberlain; 式部長官)[訳語疑問点]の一人となる[2][3][5][註 1]。
1865年から襲爵により貴族院へ移る1868年までバッキンガムシャー州ハイ・ウィカム選挙区選出の自由党所属庶民院議員[7]。 ウィリアム・グラッドストンの下で1881年から1885年まで近衛兵のジェントルマン・アット・アームス隊長を務め[2][3][4][5]、また1881年には枢密顧問官に列せられた[8]。
1885年にニューサウスウェールズ植民地総督に任命され[9]、1890年までシドニーへ赴任[4]。帰国後、グラッドストンと第5代ローズベリー伯爵アーチボルド・プリムローズの下で1892年から1895年まで王室侍従長(Lord Chamberlain; 宮内長官)[訳語疑問点]を務めた[10]。1895年に「カウンティ・オヴ・バッキンガムにおけるチェッピング・ウィカムのウェンドーヴァー子爵(Viscount Wendover, of Chepping Wycombe in the County of Buckingham)」および「キャリントン伯爵(Earl Carrington)」に叙された[11]。
1905年に自由党が政権を奪還すると、サー・ヘンリー・キャンベル=バナマンやハーバート・ヘンリー・アスキスの下で1905年から1911年まで農漁庁長官(President of the Board of Agriculture)[訳語疑問点]として[12]、1911年から1912年まで王璽尚書[13]として入閣した。この間1906年にガーター勲章を授けられ[2][3][4][5]、1912年の退任後に「リンカンシャー侯爵(Marquess of Lincolnshire)」に叙された[14]。
1928年6月13日にバッキンガムシャー州ハイ・ウィカムのドウズ・ヒル・ハウスで死去[2]。唯一の男子であったウェンドーヴァー子爵チャールズ・ロバート・ウィン=キャリントンが第一次世界大戦で戦死[15]していたため、キャリントン伯爵位とリンカンシャー侯爵位は断絶し、キャリントン男爵位のみが弟のルパート・キャリントンによって相続された[2][3]。
栄典
爵位
- 1868年3月1日、第3代キャリントン・オブ・アプトン男爵(1797年創設グレートブリテン貴族爵位)[2]
- 1868年3月1日、第3代キャリントン・オブ・バルコット・ロッジ男爵(1796年創設アイルランド貴族爵位)[2]
- 1895年7月16日、初代キャリントン伯爵(連合王国貴族爵位)[2]
- 1895年7月16日、初代ウェンドオーバー子爵(連合王国貴族爵位)[2]
- 1912年2月26日、初代リンカンシャー侯爵(連合王国貴族爵位)[2]
勲章
名誉職その他
家族
第5代サフィールド男爵チャールズ・ハーボードの娘であるセシリア・マーガレット・ハーボードと1878年7月15日にロンドン・ホワイトホールのチャペル・ロイヤルで結婚した[2][4][5]。彼女との間に以下の一男五女をもうけた[2][3]。
- レディ・マージョリー・セシリア・ウィン=キャリントン (1880年 - 1968年) - 第2代ナンバーンホルム男爵チャールズ・ウィルソン夫人
- レディ・アレグザンドラ・オーガスタ・ウィン=キャリントン (1881年 - 1955年) - William Llewellyn Palmer夫人
- レディ・ルパータ・ウィン=キャリントン (1883年 - 1963年) - 第7代ダートマス伯爵ウィリアム・レッゲ夫人
- レディ・ジュディス・シドニー・ミー・ウィン=キャリントン (1889年 - 1928年) - 第9代アルベマール伯爵ウォルター・ケッペル夫人
- レディ・ヴィクトリア・アレグザンドラ・ウィン=キャリントン (1892年 - 1966年) - 寝室付女官。Nigel Walter Legge-Bourke夫人、後エドリック・アルフレッド・セシル・ウェルド=フォレスター夫人
- ウェンドーヴァー子爵アルバート・エドワード・サミュエル・チャールズ・ロバート・ウィン=キャリントン (1895年 - 1915年)
註釈
- ^ 式部卿を世襲する人物は複数人いるが、儀式において実際に活動するのは一名である。リンカンシャーは1910年から1928年まで式部卿職を務めた。
出典
- ^ a b c UK Parliament. “Hon. Charles Carington” (英語). HANSARD 1803–2005. 2014年5月27日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t Lundy, Darryl. “Sir Charles Robert Wynn-Carington, 1st and last Marquess of Lincolnshire” (英語). thepeerage.com. 2011年11月27日閲覧。
- ^ a b c d e f g h Cracroft-Brennan, Patrick. “Charles Robert [Carrington later Carington later Wynn-Carrington], 3rd Baron Carrington later 1st Earl Carrington later 1st Marquess of Lincolnshire, KG GCMG PC” (英語). Cracroft's Peerage. 2011年11月27日閲覧。
- ^ a b c d e f g Martin, A. W. (1969). "Carrington, Charles Robert (1843–1928)". Australian Dictionary of Biography (英語). Canberra: Australian National University. 2011年11月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g Cokayne, George Edward [in 英語], ed. (1913). "CARRINGTON OF BULCOT LODGE and CARRINGTON OF UPON". The Complete Peerage (英語). Vol. 3 (1 ed.). London: The St. Catherine Press, ltd. pp. 62–63. 2011年11月27日閲覧。
- ^ a b c "Smith (or Wynn-Carrington), the Hon.Charles Robert Wynn. (SMT861CR)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Hon. Charles Carington
- ^ "No. 24997". The London Gazette (英語). 19 July 1881. p. 3543. 2011年11月27日閲覧。
- ^ "No. 25477". The London Gazette (英語). 6 June 1885. p. 2631. 2011年11月27日閲覧。
- ^ "No. 26320". The London Gazette (英語). 26 August 1892. p. 4882. 2011年11月27日閲覧。
- ^ "No. 26646". The London Gazette (英語). 23 July 1895. p. 4158. 2011年11月27日閲覧。
- ^ "No. 27863". The London Gazette (英語). 12 December 1905. p. 8897. 2011年11月27日閲覧。
- ^ "No. 28544". The London Gazette (英語). 24 October 1911. p. 7699. 2011年11月27日閲覧。
- ^ "No. 28586". The London Gazette (英語). 1 March 1912. p. 1558. 2011年11月27日閲覧。
- ^ "Casualty Details: Wynn-Carrington, Albert Edward Samuel C. R." Commonwealth War Graves Commission. 2011年11月27日閲覧。
外部リンク
- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Hon. Charles Carington
- Charles Robert Wynn-Carington, Marquess of Lincolnshire (1843-1928) - ナショナル・ポートレート・ギャラリー
- Sir Charles Robert Wynn-Carington, 1st and last Marquess of Lincolnshire - Find a Grave
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会 | ||
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先代 マーティン・タッカー・スミス ジョン・レミントン・ミルズ |
ウィコム選挙区選出庶民院議員 1865年 - 1868年 同一選挙区同時当選者 ジョン・レミントン・ミルズ |
次代 ウィリアム・キャリントン閣下 |
公職 | ||
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ジェントルマン・アット・アームス隊長 1881年 - 1885年 |
次代 第9代コヴェントリー伯爵 |
先代 オーガスタス・ロフタス卿 |
ニューサウスウェールズ州総督 1885年 - 1890年 |
次代 第7代ジャージー伯爵 |
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宮内長官 1892年 - 1895年 |
次代 初代レーソム伯爵 |
先代 オルウィン・フェローズ |
農漁庁長官 1905年 - 1911年 |
次代 ウォルター・ランシマン |
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王璽尚書 1911年 - 1912年 |
次代 初代クルー侯爵 |
宮廷職 | ||
先代 第4代チャムリー侯爵 |
式部長官 1910年 - 1928年 |
次代 ルイシャム子爵 |
名誉職 | ||
先代 初代ロスチャイルド男爵 |
バッキンガムシャー知事 1915年 - 1923年 |
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新設 | 初代リンカンシャー侯爵 1912年 - 1928年 |
廃絶 |
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初代ウェンドオーバー子爵 1895年 - 1928年 | ||
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