「近江木戸駅」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
m Bot作業依頼: collapsibleとcollapsedクラスをmw-collapsibleとmw-collapsedに置換する (insource:/[" ]collaps/) - log |
|||
9行目: | 9行目: | ||
|ローマ字 = ŌMIKIDO |
|ローマ字 = ŌMIKIDO |
||
|副駅名 = |
|副駅名 = |
||
|前の駅 = [[蓬 |
|前の駅 = [[蓬萊駅 (江若鉄道)|蓬莱]] |
||
|駅間A = 2.3 |
|駅間A = 2.3 |
||
|駅間B = 1.4 |
|駅間B = 1.4 |
||
44行目: | 44行目: | ||
== 駅構造 == |
== 駅構造 == |
||
{{駅配線図開始|title=近江木戸駅線路配置図|left=[[蓬 |
{{駅配線図開始|title=近江木戸駅線路配置図|left=[[蓬萊駅 (江若鉄道)|蓬莱]]}} |
||
{{鉄道配線図|0|0|0|0|quai|quai|quai|0|0|0}} |
{{鉄道配線図|0|0|0|0|quai|quai|quai|0|0|0}} |
||
{{鉄道配線図|voie|bifbd|bifbd|voie|voie|voie|voie|voie|bifbg|voie}} |
{{鉄道配線図|voie|bifbd|bifbd|voie|voie|voie|voie|voie|bifbg|voie}} |
||
78行目: | 78行目: | ||
駅のあった場所は、江若鉄道の廃線後に開業した[[湖西線]]の[[志賀駅]]におおむね一致する{{Sfn|江若鉄道の思い出|p=64}}。当駅付近の線路跡には湖西線の線路が通っており、駅の痕跡は残っていない{{Sfn|寺田|2010|p=25}}。 |
駅のあった場所は、江若鉄道の廃線後に開業した[[湖西線]]の[[志賀駅]]におおむね一致する{{Sfn|江若鉄道の思い出|p=64}}。当駅付近の線路跡には湖西線の線路が通っており、駅の痕跡は残っていない{{Sfn|寺田|2010|p=25}}。 |
||
当駅と[[蓬 |
当駅と[[蓬萊駅 (江若鉄道)|蓬萊駅]]の間には木戸川、当駅と[[青柳ヶ浜駅]]の間には大谷川という[[天井川]]が流れていて、江若鉄道はこの2河川をいずれも[[トンネル]]にてくぐり抜けていた{{Sfn|江若鉄道の思い出|p=61}}{{Sfn|レイル|p=76}}。線内にあったトンネルはこの2か所のみである{{Sfn|江若鉄道の思い出|p=61}}。 |
||
== 隣の駅 == |
== 隣の駅 == |
||
; 江若鉄道 |
; 江若鉄道 |
||
: 江若鉄道線 |
: 江若鉄道線 |
||
:: [[蓬 |
:: [[蓬萊駅 (江若鉄道)|蓬萊駅]] - '''近江木戸駅''' - ([[臨時駅|臨]])[[青柳ヶ浜駅]] - [[比良駅 (江若鉄道)|比良駅]] |
||
== 脚注 == |
== 脚注 == |
2021年12月14日 (火) 08:25時点における版
近江木戸駅 | |
---|---|
おうみきど ŌMIKIDO | |
◄蓬莱 (2.3 km) (1.4 km) (臨)青柳ヶ浜► | |
所在地 | 滋賀県滋賀郡志賀町大字木戸 |
所属事業者 | 江若鉄道 |
所属路線 | 江若鉄道線 |
キロ程 | 23.7 km(浜大津起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1926年(大正15年)4月11日 |
廃止年月日 | 1969年(昭和44年)11月1日 |
近江木戸駅(おうみきどえき)は、滋賀県滋賀郡志賀町大字木戸(現在の大津市木戸[1])にかつてあった江若鉄道の駅(廃駅)。単に「木戸駅」とも称された[1]。
歴史
近江木戸駅は1926年(大正15年)4月に開設された[1]。江若鉄道の和邇駅から当駅までの区間が開通したのに伴うもので[1]、同年8月に路線は当駅から雄松駅まで延伸する[2]。戦後の1949年(昭和24年)に青柳ヶ浜駅が開業するまでは、当駅が琵琶湖の青柳浜水泳場および松の浦水泳場の最寄り駅であり、夏場は水泳場を利用する行楽客でにぎわった[3]。
江若鉄道は1969年(昭和44年)10月31日をもって営業を終了し[4]、当駅も翌11月1日に廃止された[5]。
駅構造
← 蓬莱 |
|
→ 青柳ヶ浜 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
凡例 出典:[8] |
近江木戸駅は旅客と貨物の双方を扱うことができた一般駅[9]。列車交換が可能な交換駅であり[9]、ホームは2本の線路を挟んで向かい合わせに2面配される相対式ホーム[10][11]。このほかに貨物側線を有した[10]。
ホームの脇には茶色の給水塔が建っていて、蒸気機関車の水の補給に使用された[1][12]。
利用状況
初期の年間乗降客数・貨物取扱量の状況は以下の通り。
年間の旅客および貨物の取扱量 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
年 | 旅客 | 貨物 | 出典 | |||
乗車 | 降車 | 発送 | 到着 | |||
1931年 | 20,498人 | 20,305人 | 149トン | 212トン | [13] | |
1934年 | 23,341人 | 23,074人 | 216トン | 263トン | [14] | |
1935年 | 23,737人 | 23,231人 | 71トン | 217トン | [15] | |
1936年 | 28,032人 | 28,019人 | 78トン | 261トン | [16] |
駅周辺
駅のあった場所は、江若鉄道の廃線後に開業した湖西線の志賀駅におおむね一致する[1]。当駅付近の線路跡には湖西線の線路が通っており、駅の痕跡は残っていない[17]。
当駅と蓬萊駅の間には木戸川、当駅と青柳ヶ浜駅の間には大谷川という天井川が流れていて、江若鉄道はこの2河川をいずれもトンネルにてくぐり抜けていた[18][19]。線内にあったトンネルはこの2か所のみである[18]。
隣の駅
脚注
- ^ a b c d e f 江若鉄道の思い出, p. 64.
- ^ a b 田中, 宇田 & 西藤 1998, p. 394.
- ^ 江若鉄道の思い出, p. 65.
- ^ 江若鉄道の思い出, p. 124.
- ^ a b c 今尾 2008, pp. 31–32.
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1926年4月15日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1926年8月14日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ 竹内 1967.
- ^ a b 寺田 2010, p. 10.
- ^ a b 寺田 2010, p. 15.
- ^ レイル, p. 80.
- ^ レイル, p. 83.
- ^ 『滋賀県統計全書』昭和6年版(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ 『滋賀県統計全書』昭和9年版(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ 『滋賀県統計全書』昭和10年版(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ 『滋賀県統計全書』昭和11年版(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ 寺田 2010, p. 25.
- ^ a b 江若鉄道の思い出, p. 61.
- ^ レイル, p. 76.
参考文献
- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 9 関西2、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790027-2。
- 大津市歴史博物館 編『江若鉄道の思い出 ありし日の沿線風景』サンライズ出版、2015年。ISBN 978-4-88325-554-2。
- 竹内龍三「私鉄車両めぐり(70) 江若鉄道」『鉄道ピクトリアル』第17巻第1号(通巻192号)、鉄道図書刊行会、1967年1月、70-77頁、ISSN 0040-4047。(再録:『私鉄車両めぐり 関西』鉄道図書刊行会〈鉄道ピクトリアル別冊 鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション 19〉、2010年、102-114頁。全国書誌番号:21848519。)
- 田中真人、宇田正、西藤二郎「第16章 琵琶湖の首飾り―江若鉄道・湖西線」『京都滋賀 鉄道の歴史』京都新聞社、1998年。ISBN 4-7638-0445-6。
- 寺田裕一『新 消えた轍 ―ローカル私鉄廃線跡探訪―』 8 近畿、ネコ・パブリッシング〈NEKO MOOK〉、2010年。ISBN 978-4-7770-1075-2。
- 「江若鉄道 その車輛・列車・歴史・駅をめぐる」『レイル No.84』エリエイ/プレス・アイゼンバーン、2012年。ISBN 978-4-87112-484-3。