「ヴォイジャー (イギリスのバンド)」の版間の差分
m cl |
|||
37行目: | 37行目: | ||
| page= 588}}</ref>、オーストラリアにおける[[ケント・ミュージック・レポート]]のシングル・チャートで15位に達し、正式にファースト・アルバム『ハーフウェイ・ホテル』のタイトルトラックとなった。 |
| page= 588}}</ref>、オーストラリアにおける[[ケント・ミュージック・レポート]]のシングル・チャートで15位に達し、正式にファースト・アルバム『ハーフウェイ・ホテル』のタイトルトラックとなった。 |
||
セカンド・アルバム『アクト・オブ・ラヴ』(1980年)は、ターンテーブルヒット(チャートに登場することなく音楽ラジオで頻繁に流された)の「Sing Out (Love Is Easy)」を生み出した。シングルのインストゥルメンタル・セクションの一部は、チャートの[[ |
セカンド・アルバム『アクト・オブ・ラヴ』(1980年)は、ターンテーブルヒット(チャートに登場することなく音楽ラジオで頻繁に流された)の「Sing Out (Love Is Easy)」を生み出した。シングルのインストゥルメンタル・セクションの一部は、チャートの[[背景音楽|BGM]]として毎週しばらく使用され、BBCラジオ1で毎週流れた。 |
||
サード・アルバム『サード』は、1981年に続き、クリス・フックと代わってベースのドミニク・テルファーをフィーチャーした<ref>{{cite web|url=http://www.allmusic.com/album/voyager-mw0000845064/credits |title=Voyager - Voyager : Credits |publisher=AllMusic |date= |accessdate=2013-07-07}}</ref>。このアルバムからのシングル「Rosie」は、ラジオでのプレイをいくらか達成したが、チャートでの成功はなかった。 |
サード・アルバム『サード』は、1981年に続き、クリス・フックと代わってベースのドミニク・テルファーをフィーチャーした<ref>{{cite web|url=http://www.allmusic.com/album/voyager-mw0000845064/credits |title=Voyager - Voyager : Credits |publisher=AllMusic |date= |accessdate=2013-07-07}}</ref>。このアルバムからのシングル「Rosie」は、ラジオでのプレイをいくらか達成したが、チャートでの成功はなかった。 |
2021年11月23日 (火) 10:20時点における版
ヴォイジャー Voyager | |
---|---|
出身地 | イングランド バークシャー州ニューベリー |
ジャンル |
プログレッシブ・ロック ポップ・ロック ソフト・ロック |
旧メンバー |
ポール・フレンチ ポール・ハーシュ クリス・フック ジョン・マーター ドミニク・テルファー |
ヴォイジャー[1](Voyager)は、イングランドのポップ・ロック・バンドで、当初はバークシャー州ニューベリーにて、ポール・フレンチ(ボーカル、キーボード)、ポール・ハーシュ(キーボード、ギター)、クリス・フック(ベース)、元ミスター・ビッグのメンバー、ジョン・マーター(ドラム)により、元々は「ポール・フレンチ・コネクション」として結成された[2]。彼らは当初、自分たちをプログレッシブ・ロック・グループと見なしていたが、デビュー・シングル「ハーフウェイ・ホテル」が示すように、より商業的なムードに合わせてスタイルを調整する必要があった。それは彼らの唯一のヒット・シングルで、1979年の全英シングルチャートで33位[3]、オーストラリアにおけるケント・ミュージック・レポートのシングル・チャートで15位に達し、正式にファースト・アルバム『ハーフウェイ・ホテル』のタイトルトラックとなった。
セカンド・アルバム『アクト・オブ・ラヴ』(1980年)は、ターンテーブルヒット(チャートに登場することなく音楽ラジオで頻繁に流された)の「Sing Out (Love Is Easy)」を生み出した。シングルのインストゥルメンタル・セクションの一部は、チャートのBGMとして毎週しばらく使用され、BBCラジオ1で毎週流れた。
サード・アルバム『サード』は、1981年に続き、クリス・フックと代わってベースのドミニク・テルファーをフィーチャーした[4]。このアルバムからのシングル「Rosie」は、ラジオでのプレイをいくらか達成したが、チャートでの成功はなかった。
1981年、彼らは2度にわたる重要なツアーを実施し、サード・アルバムのプロモーションを行った。最初のツアーではグレッグ・レイク・バンド(元エマーソン・レイク・アンド・パーマー)をサポート。1981年12月には、アルバム『タイム』に伴うワールド・ツアーのイングランド公演でエレクトリック・ライト・オーケストラをサポートした。彼らはウェンブリー・アリーナやバーミンガムNECで演奏している。
チャートでの結果が奮わなかったため、その後は解散となった。2004年にCDでコンピレーション・アルバム『Travels in Time - The Best of the Early Years』が発表され、最初の2枚のアルバムから13曲のデジタルリマスター版と、未発表のトラック「Time On Our Side」が収録された[5]。LPレコードからマスタリングされた最初の3枚のアルバムはすべて、日本のレコードレーベル「Air Mail Recordings」によってCDでリリースされた。
マーターは、後にマリリオン、続いてAlaskaに加入し、1994年からは、クイーンのステージにおけるキーボード奏者を務めたことのあるスパイク・エドニーが率いる、ミュージシャンと歌手による緩やかな集合体のSAS Bandで演奏した[6]。彼とフックは、ディープ・パープルのトリビュート・バンドである「The Purple Project」や、イエスのトリビュート・アクトである「Fragile」とも協力しており、フックはセミプロ団体の「Bluefish」とも共演している。ハーシュは、2000年にステイタス・クォーにライブのため一時参加したが、レギュラー・メンバーであるキーボード・プレーヤーでギタリストのアンディ・ボウンが個人的な理由で休んだためであった。フレンチは、アンサンブル・エンディミオンによってウィグモア・ホールで初演されたクラシック曲を作曲し、チャペル・ミュージック・ライブラリーのためにさまざまなスタイルのプロダクション・ミュージックを作曲した。テルファーに何が起こったのかは不明である。
2006年、ヴォイジャーは更なるアルバム『Eyecontact』を録音するために再結成した。ただし、チャートではやはり成功せず、一発屋のレッテルが貼られている。
ディスコグラフィ
アルバム
- 『ハーフウェイ・ホテル』 - Halfway Hotel (1979年、Mountain UK, Elektra US)
- 『アクト・オブ・ラヴ』 - Act of Love (1980年、Mountain UK, RCA US)
- 『サード』 - Voyager (1981年、RCA)
- Travels in Time - The Best of the Early Years (2004年) ※コンピレーション
- Eyecontact (2006年、Leadhead Records)[7]
脚注
- ^ 「ヴォヤージャー」の表記もある
- ^ “Halfway Hotel - Voyager : Credits”. AllMusic. 2013年7月7日閲覧。
- ^ Roberts, David (2006). British Hit Singles & Albums (19th ed.). London: Guinness World Records Limited. p. 588. ISBN 1-904994-10-5
- ^ “Voyager - Voyager : Credits”. AllMusic. 2013年7月7日閲覧。
- ^ “Travels in Time: The Best of the Early Years - Voyager : Songs, Reviews, Credits, Awards”. AllMusic (2004年8月30日). 2013年7月7日閲覧。
- ^ “John Marter - Credits”. AllMusic. 2013年7月7日閲覧。
- ^ “Voyager - Music Biography, Credits and Discography”. AllMusic. 2013年7月7日閲覧。