「タイナロンのポセイドン神殿」の版間の差分
en:Temple of Poseidon (Tainaron)(01:53, 25 October 2018)の翻訳にパウサニアスを追加して構成 |
|||
1行目: | 1行目: | ||
'''タイナロンのポセイドン神殿'''({{lang-en-short|Temple of Poseidon Tainarius}})は、[[古代ギリシア]]の[[ペロポネソス半島]]の中指である[[マニ半島]]の南端[[タイナロン]]にあった[[ポセイドン]]の[[神殿]]である。タイナロンにおけるポセイドン信仰は'''ポセイドン・タイナリオス'''('''タイナロンに坐すポセイドン''', {{lang-en-short|Poseidon Tainarios}})として[[スパルタ]]でも神域を有していた<ref>パウサニアス、3巻12・5。</ref>。 |
'''タイナロンのポセイドン神殿'''({{lang-en-short|Temple of Poseidon Tainarius}})は、[[古代ギリシア]]の[[ペロポネソス半島]]の中指である[[マニ半島]]の南端[[タイナロン]]にあった[[ポセイドン]]の[[神殿]]である。タイナロンにおけるポセイドン信仰は'''ポセイドン・タイナリオス'''('''タイナロンに坐すポセイドン''', {{lang-en-short|Poseidon Tainarios}})として[[スパルタ]]でも神域を有していた<ref>パウサニアス、3巻12・5。</ref>。 |
||
古来、タイナロンの洞窟は[[冥界]]への入口と考えられていた。[[ストラボン]]によるとタイナロンの神域は神聖な[[杜]]の中にあり、その近くに冥界に通じる洞窟があると説明した<ref>ストラボン、8巻5・1。</ref>。[[パウサニアス]]によると岬の上に洞窟のような神殿があり、その入口にポセイドン神像が立っているが<ref>パウサニアス、3巻25・4。</ref>、ヘラクレス伝説で語られているような地下に通じる道はないと述べている<ref>パウサニアス、3巻25・5。</ref>。 |
古来、タイナロンの洞窟は[[冥界]]への入口と考えられていた。[[ストラボン]]によるとタイナロンの神域は神聖な[[杜]]の中にあり、その近くに冥界に通じる洞窟があると説明した<ref>ストラボン、8巻5・1。</ref>。[[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]によると岬の上に洞窟のような神殿があり、その入口にポセイドン神像が立っているが<ref>パウサニアス、3巻25・4。</ref>、ヘラクレス伝説で語られているような地下に通じる道はないと述べている<ref>パウサニアス、3巻25・5。</ref>。 |
||
タイナロンの聖域は、少なくともスパルタに従属させられる以前の、[[ヘイロタイ]]がまだ独立していた時代にさかのぼると考えられている<ref name="RH">Robin Hagg 2002.</ref><ref>Matthew Dillon 2017.</ref>。[[スパルタ]]が{{仮リンク|スパルタ地震 (前464年)|en|464 BC Sparta earthquake|label=紀元前464年の地震}}で壊滅したとき、原因は聖域に避難していた多くの人を殺したスパルタの[[エポロイ]]に対するポセイドンの復讐だと言われていた<ref>パウサニアス、7巻25・3。</ref>。聖域は奴隷の避難所であったらしい。[[ポリュビオス]]は前240年頃に[[アイトリア]]のティマイオスによって破壊された亡命者を保護する聖域の1つとして言及し、[[プルタルコス]]は前1世紀に[[海賊]]によって攻撃された亡命者を保護する聖域の中でそれに言及している。タイナロンからは前5世紀から前4世紀にかけて奴隷の解放を記録した4つの[[石碑]]が発見されている。研究者は洞窟の北の入口で見つかった石碑の削りくずはこれらの石碑を制作するために生じたものであり、石碑と[[傭兵]]募集の拠点としてのタイナロンの歴史的役割がポセイドンの聖域と関係があったと考えている<ref name="RH" />。 |
タイナロンの聖域は、少なくともスパルタに従属させられる以前の、[[ヘイロタイ]]がまだ独立していた時代にさかのぼると考えられている<ref name="RH">Robin Hagg 2002.</ref><ref>Matthew Dillon 2017.</ref>。[[スパルタ]]が{{仮リンク|スパルタ地震 (前464年)|en|464 BC Sparta earthquake|label=紀元前464年の地震}}で壊滅したとき、原因は聖域に避難していた多くの人を殺したスパルタの[[エポロイ]]に対するポセイドンの復讐だと言われていた<ref>パウサニアス、7巻25・3。</ref>。聖域は奴隷の避難所であったらしい。[[ポリュビオス]]は前240年頃に[[アイトリア]]のティマイオスによって破壊された亡命者を保護する聖域の1つとして言及し、[[プルタルコス]]は前1世紀に[[海賊]]によって攻撃された亡命者を保護する聖域の中でそれに言及している。タイナロンからは前5世紀から前4世紀にかけて奴隷の解放を記録した4つの[[石碑]]が発見されている。研究者は洞窟の北の入口で見つかった石碑の削りくずはこれらの石碑を制作するために生じたものであり、石碑と[[傭兵]]募集の拠点としてのタイナロンの歴史的役割がポセイドンの聖域と関係があったと考えている<ref name="RH" />。 |
||
10行目: | 10行目: | ||
== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
||
* [[ストラボン]]『[[地理誌|ギリシア・ローマ世界地誌]]』飯尾都人訳、龍渓書舎(1994年) |
* [[ストラボン]]『[[地理誌|ギリシア・ローマ世界地誌]]』飯尾都人訳、龍渓書舎(1994年) |
||
* [[パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍渓書舎(1991年) |
* [[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍渓書舎(1991年) |
||
* {{Cite book| publisher = Routledge| isbn = 978-0415125369| last1 = Hagg| first1 = Robin| last2 = Marinatos| first2 = Nanno| title = Greek Sanctuaries: New Approaches| date = 2002}} |
* {{Cite book| publisher = Routledge| isbn = 978-0415125369| last1 = Hagg| first1 = Robin| last2 = Marinatos| first2 = Nanno| title = Greek Sanctuaries: New Approaches| date = 2002}} |
||
* {{Cite book| publisher = Routledge| isbn = 978-1472424082| last = Dillon| first = Matthew| title = Omens and Oracles: Divination in Ancient Greece| date = 2017}} |
* {{Cite book| publisher = Routledge| isbn = 978-1472424082| last = Dillon| first = Matthew| title = Omens and Oracles: Divination in Ancient Greece| date = 2017}} |
2021年11月15日 (月) 11:11時点における最新版
タイナロンのポセイドン神殿(英: Temple of Poseidon Tainarius)は、古代ギリシアのペロポネソス半島の中指であるマニ半島の南端タイナロンにあったポセイドンの神殿である。タイナロンにおけるポセイドン信仰はポセイドン・タイナリオス(タイナロンに坐すポセイドン, 英: Poseidon Tainarios)としてスパルタでも神域を有していた[1]。
古来、タイナロンの洞窟は冥界への入口と考えられていた。ストラボンによるとタイナロンの神域は神聖な杜の中にあり、その近くに冥界に通じる洞窟があると説明した[2]。パウサニアスによると岬の上に洞窟のような神殿があり、その入口にポセイドン神像が立っているが[3]、ヘラクレス伝説で語られているような地下に通じる道はないと述べている[4]。
タイナロンの聖域は、少なくともスパルタに従属させられる以前の、ヘイロタイがまだ独立していた時代にさかのぼると考えられている[5][6]。スパルタが紀元前464年の地震で壊滅したとき、原因は聖域に避難していた多くの人を殺したスパルタのエポロイに対するポセイドンの復讐だと言われていた[7]。聖域は奴隷の避難所であったらしい。ポリュビオスは前240年頃にアイトリアのティマイオスによって破壊された亡命者を保護する聖域の1つとして言及し、プルタルコスは前1世紀に海賊によって攻撃された亡命者を保護する聖域の中でそれに言及している。タイナロンからは前5世紀から前4世紀にかけて奴隷の解放を記録した4つの石碑が発見されている。研究者は洞窟の北の入口で見つかった石碑の削りくずはこれらの石碑を制作するために生じたものであり、石碑と傭兵募集の拠点としてのタイナロンの歴史的役割がポセイドンの聖域と関係があったと考えている[5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌』飯尾都人訳、龍渓書舎(1994年)
- パウサニアス『ギリシア記』飯尾都人訳、龍渓書舎(1991年)
- Hagg, Robin; Marinatos, Nanno (2002). Greek Sanctuaries: New Approaches. Routledge. ISBN 978-0415125369
- Dillon, Matthew (2017). Omens and Oracles: Divination in Ancient Greece. Routledge. ISBN 978-1472424082