「ティトラウステス (千人隊長)」の版間の差分
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'''ティトラウステス'''(希:{{lang|el|Τιθραύστης}}、ラテン文字転記:Tithraustes、[[紀元前4世紀]])は、[[アケメネス朝]][[ペルシア]]の政治家である。 |
'''ティトラウステス'''(希:{{lang|el|Τιθραύστης}}、ラテン文字転記:Tithraustes、[[紀元前4世紀]])は、[[アケメネス朝]][[ペルシア]]の政治家である。 |
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ティトラウステスはペルシア王[[アルタクセルクセス2世]]の許で[[千人隊長]](宰相に相当)の地位にあり、「王に継ぐ権力を握」<ref>ネポス, IX. 3</ref>っていた。ティトラウステスは[[紀元前395年]]に[[スパルタ王]][[アゲシラオス2世]]との戦いで失態を演じた[[小アジア]]の[[サトラップ|太守]][[ティッサフェルネス]]を殺すために[[サルディス]]に送られ、ティッサフェルネスの首を刎ねた([[ディオドロス]]によれば、[[アリアイオス]]の助けを得てティッサフェルネスを逮捕し、首を刎ねた<ref>ディオドロス, XIV. 80</ref>)。その後、ティトラウステスはアゲシラオスと6ヶ月の休戦条約を締結して300タラントンを与え、[[ファルナバゾス (ファルナケスの子)|ファルナバゾス]]の治める[[フリュギア]]地方へと移動させ、厄介払いした<ref>クセノポン, III. 4. 25-26</ref><ref>プルタルコス, 「アゲシラオス」, 10</ref>。それからしばらくの間ティトラウステスはティッサフェルネスの領地を引き継ぎ、[[紀元前392年]]までには去った。しかし、休戦の後もアゲシラオスは小アジアに居座り続けたため、[[パウサニアス]]によれば智謀に長け、反[[スパルタ]]であったティトラウステスは一計を案じた。彼は[[ロドス]]人の[[ティモクラテス]]を工作資金を持たせて[[ギリシア]]に送り、スパルタの覇権に不満を持っていた[[アテナイ]]、[[アルゴス (ギリシャ)|アルゴス]]、[[テバイ]]、[[コリントス]]といった諸国をたきつけて[[コリントス戦争]]を起こさせ、アゲシラオスが帰国せざるを得ない状況を作った<ref>クセノポン, III. 5. 1-2</ref><ref>パウサニアス, III, 9, 8</ref>(プルタルコスはアルタクセルクセスがティモクラテスを派遣したと書いている<ref>プルタルコス, 「アルタクセルクセス」, 20</ref>)。 |
ティトラウステスはペルシア王[[アルタクセルクセス2世]]の許で[[千人隊長]](宰相に相当)の地位にあり、「王に継ぐ権力を握」<ref>ネポス, IX. 3</ref>っていた。ティトラウステスは[[紀元前395年]]に[[スパルタ王]][[アゲシラオス2世]]との戦いで失態を演じた[[小アジア]]の[[サトラップ|太守]][[ティッサフェルネス]]を殺すために[[サルディス]]に送られ、ティッサフェルネスの首を刎ねた([[ディオドロス]]によれば、[[アリアイオス]]の助けを得てティッサフェルネスを逮捕し、首を刎ねた<ref>ディオドロス, XIV. 80</ref>)。その後、ティトラウステスはアゲシラオスと6ヶ月の休戦条約を締結して300タラントンを与え、[[ファルナバゾス (ファルナケスの子)|ファルナバゾス]]の治める[[フリュギア]]地方へと移動させ、厄介払いした<ref>クセノポン, III. 4. 25-26</ref><ref>プルタルコス, 「アゲシラオス」, 10</ref>。それからしばらくの間ティトラウステスはティッサフェルネスの領地を引き継ぎ、[[紀元前392年]]までには去った。しかし、休戦の後もアゲシラオスは小アジアに居座り続けたため、[[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]によれば智謀に長け、反[[スパルタ]]であったティトラウステスは一計を案じた。彼は[[ロドス]]人の[[ティモクラテス]]を工作資金を持たせて[[ギリシア]]に送り、スパルタの覇権に不満を持っていた[[アテナイ]]、[[アルゴス (ギリシャ)|アルゴス]]、[[テバイ]]、[[コリントス]]といった諸国をたきつけて[[コリントス戦争]]を起こさせ、アゲシラオスが帰国せざるを得ない状況を作った<ref>クセノポン, III. 5. 1-2</ref><ref>パウサニアス, III, 9, 8</ref>(プルタルコスはアルタクセルクセスがティモクラテスを派遣したと書いている<ref>プルタルコス, 「アルタクセルクセス」, 20</ref>)。 |
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紀元前392年にティトラウステスは、反乱を起こした[[古代エジプト|エジプト]]へとファルナバゾスと共に討伐のために送られたが<ref>ネポス, XIV. 3</ref>、遠征は失敗した。その後のティトラウステスについては不明である。 |
紀元前392年にティトラウステスは、反乱を起こした[[古代エジプト|エジプト]]へとファルナバゾスと共に討伐のために送られたが<ref>ネポス, XIV. 3</ref>、遠征は失敗した。その後のティトラウステスについては不明である。 |
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*[[クセノポン]]著、根本英世訳、『[[ギリシア史]]』(1)、[[京都大学学術出版会]]、1998年 |
*[[クセノポン]]著、根本英世訳、『[[ギリシア史]]』(1)、[[京都大学学術出版会]]、1998年 |
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*[[パウサニアス]]著、飯尾都人訳、『ギリシア記』、[[龍渓書舎]]、1991年 |
*[[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]著、飯尾都人訳、『ギリシア記』、[[龍渓書舎]]、1991年 |
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*[[プルタルコス]]著、[[河野与一]]訳、『[[対比列伝|プルターク英雄伝]]』(12)、[[岩波書店]]、1956年 |
*[[プルタルコス]]著、[[河野与一]]訳、『[[対比列伝|プルターク英雄伝]]』(12)、[[岩波書店]]、1956年 |
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*[http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Diodorus_Siculus/home.html ディオドロスの『歴史叢書』の英訳] |
*[http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Diodorus_Siculus/home.html ディオドロスの『歴史叢書』の英訳] |
2021年11月15日 (月) 10:58時点における版
ティトラウステス(希:Τιθραύστης、ラテン文字転記:Tithraustes、紀元前4世紀)は、アケメネス朝ペルシアの政治家である。
ティトラウステスはペルシア王アルタクセルクセス2世の許で千人隊長(宰相に相当)の地位にあり、「王に継ぐ権力を握」[1]っていた。ティトラウステスは紀元前395年にスパルタ王アゲシラオス2世との戦いで失態を演じた小アジアの太守ティッサフェルネスを殺すためにサルディスに送られ、ティッサフェルネスの首を刎ねた(ディオドロスによれば、アリアイオスの助けを得てティッサフェルネスを逮捕し、首を刎ねた[2])。その後、ティトラウステスはアゲシラオスと6ヶ月の休戦条約を締結して300タラントンを与え、ファルナバゾスの治めるフリュギア地方へと移動させ、厄介払いした[3][4]。それからしばらくの間ティトラウステスはティッサフェルネスの領地を引き継ぎ、紀元前392年までには去った。しかし、休戦の後もアゲシラオスは小アジアに居座り続けたため、パウサニアスによれば智謀に長け、反スパルタであったティトラウステスは一計を案じた。彼はロドス人のティモクラテスを工作資金を持たせてギリシアに送り、スパルタの覇権に不満を持っていたアテナイ、アルゴス、テバイ、コリントスといった諸国をたきつけてコリントス戦争を起こさせ、アゲシラオスが帰国せざるを得ない状況を作った[5][6](プルタルコスはアルタクセルクセスがティモクラテスを派遣したと書いている[7])。
紀元前392年にティトラウステスは、反乱を起こしたエジプトへとファルナバゾスと共に討伐のために送られたが[8]、遠征は失敗した。その後のティトラウステスについては不明である。
註
参考文献
- クセノポン著、根本英世訳、『ギリシア史』(1)、京都大学学術出版会、1998年
- パウサニアス著、飯尾都人訳、『ギリシア記』、龍渓書舎、1991年
- プルタルコス著、河野与一訳、『プルターク英雄伝』(12)、岩波書店、1956年
- ディオドロスの『歴史叢書』の英訳
- プルタルコスの「アゲシラオス伝」の英訳(プロジェクト・グーテンベルク内)