「武装競走」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
2行目: | 2行目: | ||
'''武装競走'''(ぶそうきょうそう、'''hoplitodromos''')とは[[古代ギリシア]]で[[盾]]をもつなど武装して行われた[[陸上競技]]をいい、'''ホプリトドロモス'''と呼ばれた。[[古代オリンピック]]では第65回大会([[紀元前520年]])から実施されるようになったもので、当初は兜をかぶり、丸い盾を手に、両足にすね当てをつけた姿で競技が行われた。のちに簡略化され、最終的には左手に盾をもつのみとなった。 |
'''武装競走'''(ぶそうきょうそう、'''hoplitodromos''')とは[[古代ギリシア]]で[[盾]]をもつなど武装して行われた[[陸上競技]]をいい、'''ホプリトドロモス'''と呼ばれた。[[古代オリンピック]]では第65回大会([[紀元前520年]])から実施されるようになったもので、当初は兜をかぶり、丸い盾を手に、両足にすね当てをつけた姿で競技が行われた。のちに簡略化され、最終的には左手に盾をもつのみとなった。 |
||
[[パウサニアス]]は武装競走について[[重装歩兵]]としての軍事訓練を目的に作られたものとしている。<ref>パウサニアス(飯尾都人訳)「ギリシア記」、龍溪書舎、1991年、pp.329-330.</ref> 古代オリンピックでの距離は[[ディアウロス走]]と同じ2[[スタディオン]]、ネメア競技大祭においては倍の4スタディオンであった。<ref>フェレンス・メゾー(大島鎌吉訳)「古代オリンピックの歴史」、ベースボール・マガジン社、1973年、p.196.</ref> |
[[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]は武装競走について[[重装歩兵]]としての軍事訓練を目的に作られたものとしている。<ref>パウサニアス(飯尾都人訳)「ギリシア記」、龍溪書舎、1991年、pp.329-330.</ref> 古代オリンピックでの距離は[[ディアウロス走]]と同じ2[[スタディオン]]、ネメア競技大祭においては倍の4スタディオンであった。<ref>フェレンス・メゾー(大島鎌吉訳)「古代オリンピックの歴史」、ベースボール・マガジン社、1973年、p.196.</ref> |
||
著名な選手として[[ロドスのレオニダス]]がいる。 |
著名な選手として[[ロドスのレオニダス]]がいる。 |
2021年11月15日 (月) 10:34時点における最新版
武装競走(ぶそうきょうそう、hoplitodromos)とは古代ギリシアで盾をもつなど武装して行われた陸上競技をいい、ホプリトドロモスと呼ばれた。古代オリンピックでは第65回大会(紀元前520年)から実施されるようになったもので、当初は兜をかぶり、丸い盾を手に、両足にすね当てをつけた姿で競技が行われた。のちに簡略化され、最終的には左手に盾をもつのみとなった。
パウサニアスは武装競走について重装歩兵としての軍事訓練を目的に作られたものとしている。[1] 古代オリンピックでの距離はディアウロス走と同じ2スタディオン、ネメア競技大祭においては倍の4スタディオンであった。[2]
著名な選手としてロドスのレオニダスがいる。