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2021年11月7日 (日) 08:16時点における版
フリーエージェント(FA) | |
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基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ニューヨーク州ウェストポイント |
生年月日 | 1978年8月16日(46歳) |
身長 体重 |
6' 0" =約182.9 cm 190 lb =約86.2 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1997年 ドラフト7巡目(全体233位)でアリゾナ・ダイヤモンドバックスから指名 |
初出場 | 2008年9月17日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ブライアン・アーネスト・ゴードン(Brian Ernest Gordon, 1978年8月16日 - )は、ニューヨーク州ウェストポイント出身のプロ野球選手(投手)。
経歴
ダイヤモンドバックス傘下時代
1997年、MLBドラフト7巡目(全体233位)でアリゾナ・ダイヤモンドバックスから外野手として指名され、6月10日に契約。ルーキー級アリゾナリーグ・ダイヤモンドバックスで54試合に出場し、4本塁打46打点8盗塁、打率.247だった。
1998年はA級サウスベンド・シルバーホークスで126試合に出場し、8本塁打61打点6盗塁、打率.280だった。
1999年はA級サウスベンドで48試合に出場し、17打点8盗塁、打率.212だった。
2000年はA+級ハイデザート・マーベリックスで127試合に出場し、12本塁打66打点19盗塁、打率.311だった。
2001年はA+級ランカスター・ジェットホークスで103試合に出場し、16本塁打70打点13盗塁、打率.304だった。
2002年はAA級エルパソ・ディアブロスで130試合に出場し、10本塁打67打点2盗塁、打率.287だった。
2003年はAAA級ツーソン・サイドウィンダーズで124試合に出場し、13本塁打70打点1盗塁、打率.265だった。オフの10月15日にFAとなった。
エンゼルス傘下時代
2003年11月5日にアナハイム・エンゼルスとマイナー契約を結んだ。
2004年はAAA級ソルトレイク・スティンガーズで127試合に出場し、22本塁打70打点6盗塁、打率.259だった。10月15日にFAとなったが、12月14日にエンゼルスと再契約した。
2005年はAAA級ソルトレイクで100試合に出場し、17本塁打55打点7盗塁、打率.276だった。10月15日にFAとなった。
アストロズ傘下時代
2005年12月2日にヒューストン・アストロズとマイナー契約を結んだ。
2006年はAAA級ラウンドロック・エクスプレスで102試合に出場し、16本塁打59打点1盗塁、打率.241だった。10月15日にFAとなった。
2007年1月31日にアストロズと再契約した。アストロズでスペシャルアシスタントを務めていたノーラン・ライアンからの助言もあり[1]、この年から投手へ転向した。AA級コーパスクリスティ・フックスで30試合に登板し、5勝1敗1セーブ、防御率2.88だった。8月にAAA級ラウンドロックへ昇格。9試合に登板し1勝1敗、防御率4.91だった。10月29日にFAとなったが、12月3日にアストロズと再契約した。
2008年はAA級コーパスクリスティで1試合に登板後、4月11日に放出された。
レンジャーズ時代
2008年4月25日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結んだ。AA級フリスコ・ラフライダーズで15試合に登板し、2勝0敗2セーブ、防御率0.00の好成績で6月にAAA級オクラホマ・レッドホークスへ昇格。18試合に登板し4勝5敗、防御率4.56だった。9月15日にメジャー初昇格を果たし、9月17日のデトロイト・タイガース戦でメジャーデビュー。14点ビハインドの8回表から登板し、1回を投げ1安打無失点1奪三振に抑えた。この年は3試合に登板した。11月3日にFAとなったが、12月3日にレンジャーズとマイナー契約で再契約した。
2009年はAAA級オクラホマシティで43試合に登板し、7勝3敗2セーブ、防御率3.49だった。11月9日にFAとなった。
フィリーズ傘下時代
2010年1月29日にフィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結んだ。AAA級リーハイバレー・アイアンピッグスで40試合に登板し、1勝3敗、防御率3.46だった。11月6日にFAとなったが、12月17日にフィリーズと再契約した。
2011年はAAA級リーハイバレーで12試合に登板し、5勝0敗、防御率1.14だったが、6月14日に放出された。
ヤンキース時代
2011年6月14日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ。6月16日にメジャー昇格し、同日のテキサス・レンジャーズ戦でメジャー初先発。MLB史上初めて合成材料で製造したグラブを使用し[2]、5.1回を投げ7安打2失点3四球3奪三振で勝ち負けはつかなかった。2度目の先発となった6月22日のシンシナティ・レッズ戦では、5.0回を投げ4失点し、初黒星を喫した。7月2日にAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・ヤンキースへ降格。AAA級では1試合に登板した。メジャーでは2試合に登板し0勝1敗、防御率5.23だった。7月8日に放出された。
韓国球界時代
2011年7月8日に、退団したジム・マグレーンの代役としてSKワイバーンズと契約[3]。14試合に登板し6勝4敗、防御率3.81だった。オフに、米球界復帰を希望したこともあり退団。
しかし米球界復帰は叶わず、2012年1月13日に三星ライオンズと契約した[4]。25試合に登板し11勝3敗、防御率3.94だった。
アスレチックス傘下時代
2012年12月22日にオークランド・アスレチックスとマイナー契約を結んだ。
2013年はAAA級サクラメント・リバーキャッツで51試合に登板し、4勝0敗23セーブ、防御率3.57だった。11月5日にFAとなった。
ヤンキース復帰
2013年12月4日に古巣・ヤンキースとマイナー契約を結んだ[5]。6月15日に、解雇された。
脚注
- ^ Sean Brennan (June 17, 2011). “New York Yankees give career minor-leaguer Brian Gordon a thrill with start against Texas Rangers”. NY Daily News. February 15, 2014閲覧。
- ^ Matt Fortuna (June 21, 2011). “Gordon used first non-leather glove in MLB”. MLB.com. February 15, 2014閲覧。
- ^ Andrew Marchand (July 8, 2011). “Gordon gone to Korea”. ESPN New York. February 15, 2014閲覧。
- ^ Zach Links (January 12, 2012). “Quick Hits: Jurrjens, Ankiel, Mets, Darvish, Yankees”. MLB Trade Rumors. February 15, 2014閲覧。
- ^ Lou DiPietro (December 3, 2013). “Yanks ink RHP Brian Gordon to Minor League deal”. YES NETWORK. February 15, 2014閲覧。