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2021年11月7日 (日) 08:09時点における版

マックス・ベナブル
Max Venable
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アリゾナ州フェニックス
生年月日 (1957-06-06) 1957年6月6日(67歳)
身長
体重
179 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1976年 MLBドラフト3巡目
初出場 MLB / 1979年4月8日
NPB / 1992年4月4日
最終出場 MLB / 1991年10月6日
NPB / 1993年10月19日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

ウィリアム・マッキンリー・ベナブルWilliam McKinley "Max" Venable , 1957年6月6日 - )は、アメリカ合衆国アリゾナ州出身の元プロ野球選手外野手)。

千葉ロッテマリーンズでの登録名マックス

息子のウィル・ベナブルメジャーリーガーで、2008年サンディエゴ・パドレスでメジャーデビューしている。

経歴

1976年MLBドラフト3巡目でロサンゼルス・ドジャースに指名され契約。

1979年サンフランシスコ・ジャイアンツに移籍し、同年にメジャー初昇格。

1984年モントリオール・エクスポズ1985年シンシナティ・レッズ1989年カリフォルニア・エンゼルスと渡り歩き、メジャーでは俊足の外野手として実働12年間プレーした。

1992年千葉ロッテマリーンズに入団し、来日。主軸としてプレーしたが、目立った成績を残すことはなく、翌1993年に退団し、帰国。

2005年からはサンディエゴ・パドレス傘下のマイナーリーグ各チームで打撃コーチを務めている。

2008年2009年はAAA級ポートランドでコーチを務めていたが、監督は同じくロッテでのプレー経験のあるランディ・レディ(スパイク)だった。2010年からはAA級サンアントニオのコーチを務めている。2012年、韓国プロ野球・SKワイバーンズの秋季キャンプで打撃インストラクターを務め、2013年にはSKの1軍打撃コーチを務めた。

人物

ロッテでの応援歌の原曲は、アストロノウツの楽曲「太陽の彼方に」。

1993年6月22日の対近鉄戦で、高村祐から死球を受け激怒、その際止めに入った近鉄の捕手山下和彦に暴行を働いたことから、両軍入り乱れての乱闘に発展。その後マックス、山下共々退場処分を受けた。なお、この乱闘時にロッテの同じ外国人選手のメル・ホールもマックス以上に山下に暴行を働いていたが(この年放送された珍プレー好プレーでこの乱闘シーンが取り上げられ、ホールが暴行しているシーンも流された)退場にはならなかった。

ホールとの仲は非常に悪く、打席が終わるとベンチを素通りしロッカールームでテレビゲームをしていたホールの態度に激怒し、つかみあいの喧嘩になったことがある(愛甲猛談)。 しかし、普段は滅多なことで怒らない程温厚な人柄である。

1992年~1993年まで在籍していた同じ外国人選手のダリル・モトリーとは風貌、体型が似ているとして、「プロ野球珍プレー好プレー大賞」で話題になった[1]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1979 SF 55 97 85 12 14 1 1 0 17 3 3 3 1 0 10 1 1 18 0 .165 .260 .200 .460
1980 64 157 138 13 37 5 0 0 42 10 8 2 1 3 15 0 0 22 3 .268 .333 .304 .638
1981 18 36 32 2 6 0 2 0 10 1 3 1 0 0 4 0 0 3 0 .188 .278 .313 .590
1982 71 132 125 17 28 2 1 1 35 7 9 3 0 0 7 0 0 16 2 .224 .265 .280 .545
1983 94 256 228 28 50 7 4 6 83 27 15 2 2 1 22 1 3 34 3 .219 .295 .364 .659
1984 MON 38 76 71 7 17 2 0 2 25 7 1 0 0 1 3 1 1 7 0 .239 .276 .352 .628
1985 CIN 77 146 135 21 39 12 3 0 57 10 11 3 3 2 6 0 0 17 2 .289 .315 .422 .737
1986 108 168 147 17 31 7 1 2 46 15 7 2 2 2 17 2 0 24 0 .211 .289 .313 .602
1987 7 7 7 2 1 0 0 0 1 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .143 .143 .143 .286
1989 CAL 20 57 53 7 19 4 0 0 23 4 0 0 3 0 1 0 0 16 0 .358 .370 .434 .804
1990 93 222 189 26 49 9 3 4 76 21 5 1 7 2 24 2 0 31 3 .259 .340 .402 .742
1991 82 206 187 24 46 8 2 3 67 21 2 1 4 2 11 2 2 30 5 .246 .292 .358 .650
1992 ロッテ 111 482 425 57 114 26 4 13 187 50 13 6 0 4 49 5 4 65 8 .268 .349 .440 .789
1993 103 408 372 30 101 15 2 7 141 54 3 2 0 2 31 1 3 59 6 .272 .331 .379 .710
MLB:12年 727 1560 1397 176 337 57 17 18 482 128 64 18 23 13 120 9 7 218 18 .241 .302 .345 .647
NPB:2年 214 890 797 87 215 41 6 20 328 104 16 8 0 6 80 6 7 124 14 .270 .339 .412 .751

記録

NPB

背番号

  • 49 (1979年 - 1984年)
  • 25 (1985年 - 同年途中)
  • 9 (1985年途中 - 1987年)
  • 8 (1989年 - 1993年)

脚注

  1. ^ 千葉マリンスタジアム全身タイツを着用した男性4人組による応援の様子が取り上げられた。胸に黒いテープで「マックス」「モトリー」「アイコー」と選手名をカタカナで作り、打者が変わるごとに貼り替えて応援していた。結果はそれぞれ凡打、フォアボールタイムリーヒットであった。

関連項目

外部リンク