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==== パリ・サンジェルマンFC ====
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2009年5月、選手時代にプレーした[[パリ・サンジェルマンFC]]の監督に就任した。前任者は[[ポール・ル・グエン]]監督であったが、コンブアレとル・グエンは[[FCナント]]とパリ・サンジェルマンFCでともにプレーした経験がある。同年夏には[[メブリュト・エルディング]]や[[グレゴリー・クペ]]などを獲得したが、2009-10シーズンは低調な成績でリーグ中位に終わった。しかし[[クープ・ドゥ・フランス]]では順調に勝ち進み、決勝で[[ASモナコ]]を破って優勝した。2010-11シーズンのクープ・ドゥ・フランスでも決勝に進出したが、[[LOSCリール・メトロポール]]に敗れて準優勝に終わった。[[クープ・ドゥ・ラ・リーグ]]ではライバルの[[オリンピック・マルセイユ]]との決勝が期待されたが、準決勝で[[モンペリエHSC]]に撃破された。リーグ戦ではより良いパフォーマンスを見せ、起用できる選手が制限されたにもかかわらず4位となった。2011-12シーズンはクープ・ドゥ・ラ・リーグとUEFAヨーロッパリーグで早期敗退を喫し、リーグ戦では首位に立っていたにもかかわらず、コンブアレはスポーツディレクターの[[レオナルド・ナシメント・ジ・アラウージョ|レオナルド]]によって解任された<ref>{{cite web|url=http://www.afpbb.com/article/sports/soccer/france/2847222/8226047 |title=パリ・サンジェルマン、コンブアレ監督解任へ |publisher=AFP BB News | date=2011-12-23 |accessdate=2012-02-10}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.goal.com/jp/news/126/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9/2012/01/01/2825669/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%96%E3%82%A2%E3%83%AC%E6%B0%8F%E3%81%9A%E3%81%A3%E3%81%A8%EF%BD%90%EF%BD%93%EF%BD%87%E3%81%AE%EF%BD%8E%EF%BD%8F%EF%BC%91%E3%82%B5%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC |title=コンブアレ氏:「ずっとPSGのNO.1サポーター」 |publisher=Goal.com | date=2012-01-01 |accessdate=2012-02-10}}</ref>。後任には[[ACミラン]]や[[チェルシーFC]]で監督経験がある[[カルロ・アンチェロッティ]]が就任した<ref>{{cite web|url=http://www.goal.com/jp/news/126/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9/2011/12/31/2824372/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3%E3%81%8C%EF%BD%90%EF%BD%93%EF%BD%87%E6%96%B0%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E3%81%AB%E5%B0%B1%E4%BB%BB%E6%AC%A7%E5%B7%9E%E3%81%AE%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%B0%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96%E3%81%AB |title=アンチェロッティがPSG新監督に就任、「欧州のビッグクラブに」 |publisher=Goal.com | date=2011-12-31 |accessdate=2012-02-10}}</ref>。
2009年5月、選手時代にプレーした[[パリ・サンジェルマンFC]]の監督に就任した。前任者は[[ポール・ル・グエン]]監督であったが、コンブアレとル・グエンは[[FCナント]]とパリ・サンジェルマンFCでともにプレーした経験がある。同年夏には[[メブリュト・エルディング]]や[[グレゴリー・クペ]]などを獲得したが、2009-10シーズンは低調な成績でリーグ中位に終わった。しかし[[クープ・ドゥ・フランス]]では順調に勝ち進み、決勝で[[ASモナコ]]を破って優勝した。2010-11シーズンのクープ・ドゥ・フランスでも決勝に進出したが、[[リールOSC|リール]]に敗れて準優勝に終わった。[[クープ・ドゥ・ラ・リーグ]]ではライバルの[[オリンピック・マルセイユ]]との決勝が期待されたが、準決勝で[[モンペリエHSC]]に撃破された。リーグ戦ではより良いパフォーマンスを見せ、起用できる選手が制限されたにもかかわらず4位となった。2011-12シーズンはクープ・ドゥ・ラ・リーグとUEFAヨーロッパリーグで早期敗退を喫し、リーグ戦では首位に立っていたにもかかわらず、コンブアレはスポーツディレクターの[[レオナルド・ナシメント・ジ・アラウージョ|レオナルド]]によって解任された<ref>{{cite web|url=http://www.afpbb.com/article/sports/soccer/france/2847222/8226047 |title=パリ・サンジェルマン、コンブアレ監督解任へ |publisher=AFP BB News | date=2011-12-23 |accessdate=2012-02-10}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.goal.com/jp/news/126/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9/2012/01/01/2825669/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%96%E3%82%A2%E3%83%AC%E6%B0%8F%E3%81%9A%E3%81%A3%E3%81%A8%EF%BD%90%EF%BD%93%EF%BD%87%E3%81%AE%EF%BD%8E%EF%BD%8F%EF%BC%91%E3%82%B5%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC |title=コンブアレ氏:「ずっとPSGのNO.1サポーター」 |publisher=Goal.com | date=2012-01-01 |accessdate=2012-02-10}}</ref>。後任には[[ACミラン]]や[[チェルシーFC]]で監督経験がある[[カルロ・アンチェロッティ]]が就任した<ref>{{cite web|url=http://www.goal.com/jp/news/126/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9/2011/12/31/2824372/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3%E3%81%8C%EF%BD%90%EF%BD%93%EF%BD%87%E6%96%B0%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E3%81%AB%E5%B0%B1%E4%BB%BB%E6%AC%A7%E5%B7%9E%E3%81%AE%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%B0%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96%E3%81%AB |title=アンチェロッティがPSG新監督に就任、「欧州のビッグクラブに」 |publisher=Goal.com | date=2011-12-31 |accessdate=2012-02-10}}</ref>。


==== RCランス ====
==== RCランス ====

2021年11月4日 (木) 22:25時点における版

アントワーヌ・コンブアレ
名前
ラテン文字 Antoine Kombouaré
基本情報
国籍 フランスの旗 フランス
ニューカレドニアの旗 ニューカレドニア
生年月日 (1963-11-16) 1963年11月16日(61歳)
出身地 ニューカレドニアの旗 ニューカレドニア, ヌメア
身長 185cm
選手情報
ポジション DF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1982-1990 フランスの旗 ナント 177 (4)
1990-1995 フランスの旗 パリSG 106 (3)
1995-1996 スイスの旗 シオン 25 (7)
1996-1998 スコットランドの旗 アバディーン 44 (3)
通算 352 (17)
監督歴
1999-2003 フランスの旗 パリSG (リザーブチーム)
2003-2004 フランスの旗 ストラスブール
2004-2009 フランスの旗 ヴァランシエンヌ
2009-2011 フランスの旗 パリSG
2012-2013 サウジアラビアの旗 アル・ヒラル
2013-2016 フランスの旗 ランス
2016-2018 フランスの旗 ギャンガン
2019 フランスの旗 ディジョン
2019-2020 フランスの旗 トゥールーズ
2021- フランスの旗 ナント
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アントワーヌ・コンブアレ(Antoine Kombouaré, 1963年11月16日 - )は、フランスの海外領土であるニューカレドニア(ヌーヴェル・カレドニー)の政庁所在地ヌメア出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはDF。現在はリーグ・アンFCナントの監督を務めている。

経歴

選手

1982年にFCナントからデビューし、1990年までにリーグ戦で177試合に出場した。1990年にパリ・サンジェルマンFCに移籍。1992-93シーズンのUEFAカップ準々決勝・レアル・マドリード戦セカンドレグでは、ロスタイムに決勝点となるヘディングシュートを決め、準決勝進出に貢献した。この大会ではRSCアンデルレヒト戦でも同様に決勝点を挙げている。たびたび決定的なヘディングシュートを決めたため、Casque d'Or(ゴールデン・ヘルメット)という愛称が付けられた。1994-95シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ準々決勝ではヨハン・クライフ率いるエル・ドリーム・チームFCバルセロナと対戦し、2-1で予期せぬ勝利を収めて準決勝に進出したが、ACミランに敗れてベスト4に終わった。パリ・サンジェルマンFCでは5シーズンプレーし、1992-93シーズンと1994-95シーズンにはクープ・ドゥ・フランス優勝を、1995年にはクープ・ドゥ・ラ・リーグ優勝を果たした。1993-94シーズンにはアルトゥール・ジョルジェ監督率いるチームでリーグ戦9試合に出場し、自身初のリーグ優勝を果たした。1992-93シーズン以降はアラン・ロチェポール・ル・グエンリカルド・ゴメスなどが在籍していたため、コンブアレの出場機会は限られたが、しばしばロスタイムに決勝点を挙げること、ビッグゲームでも冷静に試合に臨んで活躍することから、パリ・サンジェルマンFCのサポーターの間のカルト・ヒーローとなった。

1995年にはスイス・スーパーリーグFCシオンに移籍した。この際の移籍金は公表されていない。1996年、ロイ・アイトケン監督率いるスコティッシュ・プレミアリーグアバディーンFCに移籍した。移籍金は30万ポンドであり、不安定なアバディーンFCの守備陣にベテランの経験値を加えることが期待された。アバディーンFCでは2シーズンで公式戦50試合に出場して3得点を挙げ、1998年5月にクラブを離れた。

指導者

RCストラスブール

1999年、古巣パリ・サンジェルマンFCのリザーブチーム監督に就任し、4年間指揮して良好な成績を残した。 しかし2003年、ヴァヒド・ハリルホジッチ監督がトップチームの監督に就任したため、パリ・サンジェルマンFC を去り、RCストラスブール監督に就任した。2003-04シーズンは13位という好成績を残し、シーズンを通したプレー内容も評価された。しかし、2004-05シーズン序盤は低調な成績に終わり、アルザスのクラブを離れた。

ヴァランシエンヌFC

2005年7月、ディヴィジョン・ドゥ(2部)のヴァランシエンヌFC監督に就任した。ヴァランシエンヌFC は1993年よりディヴィジョン・ドゥに在籍していたが、就任初年度の2005-06シーズン終了後にディヴィジョン・アン(1部)昇格を果たした。その後も3シーズンを率い、クラブをディヴィジョン・アンに定着させた。2006-07シーズンは17位、2007-08シーズンは13位、2008-09シーズンは12位と徐々に順位を上げ、厳しいクラブ予算でこのような成績を残したことで指導者として一定の評価を得た。

パリ・サンジェルマンFC

2009年5月、選手時代にプレーしたパリ・サンジェルマンFCの監督に就任した。前任者はポール・ル・グエン監督であったが、コンブアレとル・グエンはFCナントとパリ・サンジェルマンFCでともにプレーした経験がある。同年夏にはメブリュト・エルディンググレゴリー・クペなどを獲得したが、2009-10シーズンは低調な成績でリーグ中位に終わった。しかしクープ・ドゥ・フランスでは順調に勝ち進み、決勝でASモナコを破って優勝した。2010-11シーズンのクープ・ドゥ・フランスでも決勝に進出したが、リールに敗れて準優勝に終わった。クープ・ドゥ・ラ・リーグではライバルのオリンピック・マルセイユとの決勝が期待されたが、準決勝でモンペリエHSCに撃破された。リーグ戦ではより良いパフォーマンスを見せ、起用できる選手が制限されたにもかかわらず4位となった。2011-12シーズンはクープ・ドゥ・ラ・リーグとUEFAヨーロッパリーグで早期敗退を喫し、リーグ戦では首位に立っていたにもかかわらず、コンブアレはスポーツディレクターのレオナルドによって解任された[1][2]。後任にはACミランチェルシーFCで監督経験があるカルロ・アンチェロッティが就任した[3]

RCランス

2013年6月18日RCランスの監督に就任した。

ギャンガン

2016年5月30日EAギャンガンの監督に就任した。

ディジョン

2019年1月10日ディジョンFCOの監督に就任した。

トゥールーズ

2019年10月14日トゥールーズFCの監督に就任した。

2020年1月5日、同チームの監督を解任された。

監督成績

2021年2月11日現在
クラブ 就任 退任 記録
勝率
ストラスブール 2003年7月1日 2004年10月3日 49 10 18 21 51 68 −17 020.41
ヴァランシエンヌ 2005年7月1日 2009年6月1日 166 59 48 59 184 180 +4 035.54
パリ・サンジェルマン 2009年6月1日 2011年1月31日 134 61 39 34 205 138 +67 045.52
アル・ヒラル 2012年6月27日 2013年1月31日 22 14 3 5 50 24 +26 063.64
ランス 2013年6月18日 2016年5月30日 126 45 36 45 153 158 −5 035.71
ギャンガン 2016年5月30日 2018年11月6日 100 32 26 42 116 153 −37 032.00
ディジョン 2019年1月10日 2019年6月10日 25 8 4 13 28 37 −9 032.00
トゥールーズ 2019年10月14日 2020年1月5日 13 2 0 11 13 30 −17 015.38
ナント 2021年2月11日 0 0 0 0 0 0 +0 !
合計 635 231 174 230 800 788 +12 036.38

タイトル

選手

パリ・サンジェルマンFC
FCシオン

指導者

ヴァランシエンヌFC
パリ・サンジェルマンFC

脚注

  1. ^ パリ・サンジェルマン、コンブアレ監督解任へ”. AFP BB News (2011年12月23日). 2012年2月10日閲覧。
  2. ^ コンブアレ氏:「ずっとPSGのNO.1サポーター」”. Goal.com (2012年1月1日). 2012年2月10日閲覧。
  3. ^ アンチェロッティがPSG新監督に就任、「欧州のビッグクラブに」”. Goal.com (2011年12月31日). 2012年2月10日閲覧。

外部リンク