「ローベルト・ヴィッテク」の版間の差分
編集の要約なし |
m Bot作業依頼: リールOSCの改名に伴うリンク修正依頼 (リールOSC|リール) - log |
||
20行目: | 20行目: | ||
|年1=1999-2003|クラブ1={{flagicon|SVK}} [[ŠKスロヴァン・ブラチスラヴァ|ブラチスラヴァ]]|出場1=101|得点1=47 |
|年1=1999-2003|クラブ1={{flagicon|SVK}} [[ŠKスロヴァン・ブラチスラヴァ|ブラチスラヴァ]]|出場1=101|得点1=47 |
||
|年2=2003-2008|クラブ2={{Flagicon|GER}} [[1.FCニュルンベルク|ニュルンベルク]]|出場2=124|得点2=35 |
|年2=2003-2008|クラブ2={{Flagicon|GER}} [[1.FCニュルンベルク|ニュルンベルク]]|出場2=124|得点2=35 |
||
|年3=2008-2010|クラブ3={{Flagicon|FRA}} [[ |
|年3=2008-2010|クラブ3={{Flagicon|FRA}} [[リールOSC|リール]]|出場3=38|得点3=8 |
||
|年4=2010|クラブ4=→{{Flagicon|TUR}} [[MKEアンカラギュジュ]] (loan)|出場4=12|得点4=5 |
|年4=2010|クラブ4=→{{Flagicon|TUR}} [[MKEアンカラギュジュ]] (loan)|出場4=12|得点4=5 |
||
|年5=2010-2011|クラブ5={{Flagicon|TUR}} [[MKEアンカラギュジュ]]|出場5=12|得点5=1 |
|年5=2010-2011|クラブ5={{Flagicon|TUR}} [[MKEアンカラギュジュ]]|出場5=12|得点5=1 |
||
39行目: | 39行目: | ||
地元のクラブ、[[ŠKスロヴァン・ブラチスラヴァ]]で1999年にデビューし、2003年にドイツ・[[2. ブンデスリーガ (ドイツサッカー)|2. ブンデスリーガ]](2部)の[[1.FCニュルンベルク]]に移籍した。2003-04シーズンは二桁得点し、2部優勝と1部昇格に貢献した。2004-05シーズンは初の1部挑戦で5得点を挙げた。2005-06シーズン前半は調子を落とし、ウィンターブレークまでに1得点も決められなかったが<ref name="Goal.com">[http://www.goal.com/jp/news/3093/w%E6%9D%AF%E9%81%B8%E6%89%8B%E5%90%8D%E9%91%91/2010/05/27/1980640/%EF%BD%97%E6%9D%AF%E9%81%B8%E6%89%8B%E5%90%8D%E9%91%91%E3%82%B9%E3%83%AD%E3%83%90%E3%82%AD%E3%82%A2%E3%83%AD%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%AF W杯選手名鑑:ロベルト・ヴィッテク]Goal.com、2010年5月27日</ref>、中断期間が明けてからは得点を量産し、16試合で16得点を決めた。24節と25節の2試合では計6得点し、連続した2戦でのリーグ最多得点記録を作った<ref name="Goal.com"></ref>。5試合で複数得点を記録し、得点ランキング5位にはいった。彼の活躍でチームは前シーズンの14位から8位に躍進した。一躍移籍市場の人気銘柄となり、[[UEFAチャンピオンズリーグ]]に参加する[[ハンブルガーSV]]への移籍が噂された。2006年6月には[[FCディナモ・キエフ]]が1000万ユーロのオファーを出したが、クラブはそれを拒否した<ref name="Goal.com"></ref>。そのほかには[[FCロコモティフ・モスクワ]]もヴィッテクに関心を寄せていた。 |
地元のクラブ、[[ŠKスロヴァン・ブラチスラヴァ]]で1999年にデビューし、2003年にドイツ・[[2. ブンデスリーガ (ドイツサッカー)|2. ブンデスリーガ]](2部)の[[1.FCニュルンベルク]]に移籍した。2003-04シーズンは二桁得点し、2部優勝と1部昇格に貢献した。2004-05シーズンは初の1部挑戦で5得点を挙げた。2005-06シーズン前半は調子を落とし、ウィンターブレークまでに1得点も決められなかったが<ref name="Goal.com">[http://www.goal.com/jp/news/3093/w%E6%9D%AF%E9%81%B8%E6%89%8B%E5%90%8D%E9%91%91/2010/05/27/1980640/%EF%BD%97%E6%9D%AF%E9%81%B8%E6%89%8B%E5%90%8D%E9%91%91%E3%82%B9%E3%83%AD%E3%83%90%E3%82%AD%E3%82%A2%E3%83%AD%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%AF W杯選手名鑑:ロベルト・ヴィッテク]Goal.com、2010年5月27日</ref>、中断期間が明けてからは得点を量産し、16試合で16得点を決めた。24節と25節の2試合では計6得点し、連続した2戦でのリーグ最多得点記録を作った<ref name="Goal.com"></ref>。5試合で複数得点を記録し、得点ランキング5位にはいった。彼の活躍でチームは前シーズンの14位から8位に躍進した。一躍移籍市場の人気銘柄となり、[[UEFAチャンピオンズリーグ]]に参加する[[ハンブルガーSV]]への移籍が噂された。2006年6月には[[FCディナモ・キエフ]]が1000万ユーロのオファーを出したが、クラブはそれを拒否した<ref name="Goal.com"></ref>。そのほかには[[FCロコモティフ・モスクワ]]もヴィッテクに関心を寄せていた。 |
||
2008年、移籍金550万ユーロでフランスの[[ |
2008年、移籍金550万ユーロでフランスの[[リールOSC|リール]]に移籍した。2008-09シーズンはチームのフォワード陣最多の先発出場回数を記録したが、好不調の波が激しく、チーム3位の5得点に終わった。2009年3月には当時首位に立っていた[[オリンピック・リヨン]]から先制点を挙げており、欧州カップ出場権がかかった最終節の[[ナンシー]]戦でも先制点を挙げ、7位から5位に浮上しての[[UEFAヨーロッパリーグ]]出場権獲得に貢献した。2009-10シーズンはFW[[ピエール=アラン・フロー]]などにポジションを奪われ、半年間で12試合出場2得点にとどまった。 |
||
2010年2月1日、半年間の契約でトルコの[[MKEアンカラギュジュ]]にレンタル移籍した<ref>[http://www.usatoday.com/sports/soccer/2010-02-01-3817515943_x.htm Lille striker Vittek joins Ankaragucu on loan]USA Today、2010年2月1日</ref>。 |
2010年2月1日、半年間の契約でトルコの[[MKEアンカラギュジュ]]にレンタル移籍した<ref>[http://www.usatoday.com/sports/soccer/2010-02-01-3817515943_x.htm Lille striker Vittek joins Ankaragucu on loan]USA Today、2010年2月1日</ref>。 |
||
49行目: | 49行目: | ||
* {{Flagicon|SVK}} [[ŠKスロヴァン・ブラチスラヴァ]] 1999-2003 |
* {{Flagicon|SVK}} [[ŠKスロヴァン・ブラチスラヴァ]] 1999-2003 |
||
* {{Flagicon|GER}} [[1.FCニュルンベルク]] 2003-2008 |
* {{Flagicon|GER}} [[1.FCニュルンベルク]] 2003-2008 |
||
* {{Flagicon|FRA}} [[ |
* {{Flagicon|FRA}} [[リールOSC|リール]] 2008-2010 |
||
: →{{Flagicon|TUR}} [[MKEアンカラギュジュ]] (loan) 2010 |
: →{{Flagicon|TUR}} [[MKEアンカラギュジュ]] (loan) 2010 |
||
* {{Flagicon|TUR}} [[MKEアンカラギュジュ]] 2010-2011 |
* {{Flagicon|TUR}} [[MKEアンカラギュジュ]] 2010-2011 |
2021年11月4日 (木) 22:21時点における版
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
ラテン文字 | Róbert Vittek | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スロバキア | |||||
生年月日 | 1982年4月1日(42歳) | |||||
出身地 | ブラチスラヴァ | |||||
身長 | 187cm | |||||
体重 | 82kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1999-2003 | ブラチスラヴァ | 101 | (47) | |||
2003-2008 | ニュルンベルク | 124 | (35) | |||
2008-2010 | リール | 38 | (8) | |||
2010 | → MKEアンカラギュジュ (loan) | 12 | (5) | |||
2010-2011 | MKEアンカラギュジュ | 12 | (1) | |||
2011-2013 | トラブゾンスポル | 6 | (2) | |||
2013 | イスタンブールBB | 0 | (0) | |||
2013-2016 | ブラチスラヴァ | 47 | (22) | |||
2016 | デブレツェニ | 8 | (2) | |||
2017-2018 | ブラチスラヴァ | 31 | (2) | |||
2019 | ブラチスラヴァ | 1 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
2001-2016 | スロバキア | 82 | (23) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ローベルト・ヴィッテク(Róbert Vittek, 1982年4月1日 - )は、チェコスロバキア・ブラチスラヴァ出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはFW。
経歴
クラブ
地元のクラブ、ŠKスロヴァン・ブラチスラヴァで1999年にデビューし、2003年にドイツ・2. ブンデスリーガ(2部)の1.FCニュルンベルクに移籍した。2003-04シーズンは二桁得点し、2部優勝と1部昇格に貢献した。2004-05シーズンは初の1部挑戦で5得点を挙げた。2005-06シーズン前半は調子を落とし、ウィンターブレークまでに1得点も決められなかったが[1]、中断期間が明けてからは得点を量産し、16試合で16得点を決めた。24節と25節の2試合では計6得点し、連続した2戦でのリーグ最多得点記録を作った[1]。5試合で複数得点を記録し、得点ランキング5位にはいった。彼の活躍でチームは前シーズンの14位から8位に躍進した。一躍移籍市場の人気銘柄となり、UEFAチャンピオンズリーグに参加するハンブルガーSVへの移籍が噂された。2006年6月にはFCディナモ・キエフが1000万ユーロのオファーを出したが、クラブはそれを拒否した[1]。そのほかにはFCロコモティフ・モスクワもヴィッテクに関心を寄せていた。
2008年、移籍金550万ユーロでフランスのリールに移籍した。2008-09シーズンはチームのフォワード陣最多の先発出場回数を記録したが、好不調の波が激しく、チーム3位の5得点に終わった。2009年3月には当時首位に立っていたオリンピック・リヨンから先制点を挙げており、欧州カップ出場権がかかった最終節のナンシー戦でも先制点を挙げ、7位から5位に浮上してのUEFAヨーロッパリーグ出場権獲得に貢献した。2009-10シーズンはFWピエール=アラン・フローなどにポジションを奪われ、半年間で12試合出場2得点にとどまった。
2010年2月1日、半年間の契約でトルコのMKEアンカラギュジュにレンタル移籍した[2]。
代表
2010年6月1日、2010 FIFAワールドカップ本大会に出場するスロバキア代表メンバー23人に選ばれた[3]。グループリーグ初戦のニュージーランド戦で先制点を挙げると、第3戦のイタリア戦でも2得点を挙げスロバキアの決勝トーナメント進出に貢献[4]。イタリア戦では大会選定のマンオブザマッチに選出された。
所属クラブ
- ŠKスロヴァン・ブラチスラヴァ 1999-2003
- 1.FCニュルンベルク 2003-2008
- リール 2008-2010
- → MKEアンカラギュジュ (loan) 2010
- MKEアンカラギュジュ 2010-2011
- トラブゾンスポル 2011-2013
- イスタンブールBB 2013
- ŠKスロヴァン・ブラチスラヴァ 2013-2016
- デブレツェニVSC 2016
- ŠKスロヴァン・ブラチスラヴァ 2017-
脚注
- ^ a b c W杯選手名鑑:ロベルト・ヴィッテクGoal.com、2010年5月27日
- ^ Lille striker Vittek joins Ankaragucu on loanUSA Today、2010年2月1日
- ^ スロバキアW杯代表に23人 MFハムシクらgooスポーツ、2010年6月1日
- ^ イタリア敗退、スロバキアが決勝Tへuefa.com、2010年6月24日