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ケネディ大統領の検死(ケネディだいとうりょうのけんし、John_F._Kennedy_autopsy)は、1963年11月にアメリカ合衆国メリーランド州ベセスダのベセスダ海軍病院で行われた、ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ アメリカ合衆国大統領の検死について述べる。検死は東部標準時1963年11月22日金曜日(暗殺の日)午後8時ころに始まり、東部標準時1963年11月23日土曜日午前12時30分ころに終わった。ワシントンD.C.地域の検死病院の選択は、未亡人ジャクリーン・ケネディによって行われた。ケネディ大統領が海軍士官であったために、彼女はベセスダ海軍病院を選んだ[1]

背景

ケネディ大統領の暗殺につづいて、シークレット・サービスは、より大きな計画の可能性を懸念し、リンドン・B・ジョンソン大統領に、ホワイト・ハウスに戻ることができるようにパークランド記念病院を離れてラブ・フィールドに行くよう促した。しかしながら、ジョンソンはケネディの死亡の証拠なしにそうすることを拒否した[2]。ジョンソンは午後1時30分ころにエア・フォース・ワンに戻ったし、その後まもなく、マクジョージ・バンディとウォルター・ジェンキンスから電話があり、すぐにワシントンD.C.に戻るよう助言された[3]。彼は、自分はジャクリーン・ケネディなしではダラスを立ち去らないであろう、彼女はケネディの遺体なしで立ち去らないであろう、と答えた[2][3]。『Esquire』によると、ジョンソンは「美しい未亡人らの放棄者として記憶されたくなかった」[3]

ダラス郡の検死官アール・ローズは、ケネディ大統領が死んだと宣告されたという言葉を受け取ったとき、外傷室1の向かいの廊下を挟んでパークランド病院の自分のオフィスにいた[4]。彼は廊下を横切って、ジャクリーン・ケネディと司祭が占めていた外傷室に行ったし、彼は大統領への最後の典礼を管理するために呼ばれていた。そこで、ローズはシークレット・サービスのエージェント ロイ・ケラーマンとケネディの主治医ジョージ・バークレーに会ったし、彼は検死を行なう時間はないと彼に言ったし、なぜならジャクリーン・ケネディは夫の遺体なしではダラスを離れないから、遺体はすぐに空港に届けられることになっていた[4]。ケネディ大統領暗殺のとき、アメリカ合衆国大統領の謀殺は、どの連邦組織の管轄下にもなかった[5]。ローズは反対し、テキサス州法は、遺体を取り除く前に死後検査を行なうことを自分に要求していると主張した[4][5]。彼がケネディの補佐官らと議論したとき、熱い応酬が続いた[4][5]。ケネディの遺体は棺の中に置かれ、ジャクリーン・ケネディを伴って車つきのガーニーで廊下を運ばれた[4]。ローズは、棺をだれであれ動かせないようにするために地元警察官1人にバックされて病院出入り口に立っていると報告された[4][5]。ロバート・カロの『The Years of Lyndon Johnson: The Passage of Power』によると、大統領補佐官らは「文字通り[ローズ]を押し込み、その警察官は建物から出るために脇に置いていた」[4]。『Journal of the American Medical Association』とのインタビューで、ローズは、自分は緊張を悪化させるのは賢明でないと感じて身を引いた、と述べた[4]

死亡証明書

ケネディの主治医ジョージ・グレゴリー・バークレー少将は、11月23日に死亡診断書に署名し、死因は頭蓋骨への銃創であると述べた[6][7]。彼は、頭部の致命傷を「衝撃時に頭蓋骨の断片化と頭蓋骨の3つの粒子の剥離を引き起こし、脳の右半球の浸軟を引き起こすタイプの粉砕」と記述した[7]。彼はまた、「2つ目の傷は、3つ目の胸椎のレベルあたりで後背部に発生した」と述べた[7]。ダラス郡の治安判事Theron Wardが12月6日に署名した2つ目の死亡診断書は、ケネディは、「(1)身体の中心近くで右肩のすぐ上と、(2)後頭部の右中央に1インチ、の2つの銃創の結果として」死亡したと述べている[8]

検死の公式所見

ケネディ大統領の背後傷を描く素描。検死写真から作られた。

背後部の銃傷

  1. ベセスダの検死医は、肩甲骨の上のケネディの首の付け根にある銃弾の穴を調べようとしたが、しかしそれが首のストラップの筋肉を通過したために失敗した。彼らは検死中、咽喉の正面の出口傷に気づかなかったために、完全な解剖を行ったり、追跡を続けたりしなかった。緊急治療室の医師らは、気管切開を行っている間、それをおおい隠していた。
  2. ベセスダでは、大統領の検死報告書、ウォーレン展示CE 387[9]は、それは背後傷を、6 by 4 millimeters (0.24 in × 0.16 in)の楕円形である、右肩峰突起の先端から14 centimeters (5.5 in)、右乳様突起(耳の後ろの骨の隆起)の下14 centimeters (5.5 in)の位置に「肩甲骨の上界の上」(肩甲骨)にあると記述した。
  3. ベセスダ剖検報告書の最後のページ<refname = autogenerated2 />は、「もう1つの飛翔体[背後への弾丸]は、肩甲骨の上の右上後胸部に入り、首の右側の基部の肩甲骨上のと鎖骨上の部分の軟組織を横断した。」と述べている。
  4. 報告書はまた、それが鎖骨より上にある領域で右肺の頂点(先端)に挫傷(すなわち、打撲傷)があったと言ったし、右肺の頂点とその上の壁側胸膜は傷ついていたけれども、それらは貫通されなかったと述べた。これは、飛翔体がそれらの近くで、しかしそれらの上を通過したことを示していた。報告書は、胸腔が貫通されていないと指摘した。
  5. この弾丸は、右の頂端頭頂胸膜と肺の右上葉の頂端部分との両方に挫傷を引き起こした。弾丸は首の右側のストラップの筋肉に挫傷をおわせ、気管を損傷し、首の前面から出た。
  6. ウォーレン委員会報告書の単一弾丸理論は、脊柱の6番目の頸椎(C6)に弾創を置いており、これは、耳の下5.5インチ (14 cm)と一致している。ウォーレン報告書自体は、6番目の頸椎での弾丸の侵入を結論付けていないが、しかし、この結論はHSCAによる暗殺に関する1979年の報告でなされたし、これはベセスダX線におけるC6椎骨の欠陥を指摘したし、ベセスダの剖検医はこれを見逃し、気づかなかった。X線は米国海軍医療隊司令官ジョン・H・エバーソールによって撮影された。

この情報がなくてさえ、ウォーレン委員会の報告書に含まれている元々のベセスダの検死報告書は、この弾丸は、肩甲骨と肺(と肺の頂部の壁側胸膜)の上部のレベルから、下咽頭を通り、大統領の首を完全に通過した、と結論付けている。

頭部の銃傷

検死で撮影されたケネディ大統領の頭部と両肩の写真
検死写真から作られたケネディ大統領の後頭部の傷を描いた素描。小さなほぼ円形の後頭皮の傷は、毛髪部の端に、定規の端近くに、そしてそれのすぐ右側にある。
ケネディ大統領の頭蓋骨を通る弾丸の軌道を示す、下院委員会のために作成された図。後部の傷は、上の小さな入口の傷に対応する。頭蓋骨の断片は、説明のために分解して示されている。ほとんどが皮弁によって頭蓋骨に付着したままであったし、それは検死イラストレーションから作られた素描で手袋をはめた手によって前方に引っ張られている。
  1. 大統領の頭部の後ろの銃創は、ベセスダ検死によって、外後頭隆起の少し上にある、15 by 6ミリメートル (0.59 in × 0.24 in)の裂傷として記述された。
  2. 下にある骨に、頭蓋骨の内側から見た骨の縁の斜角つけ(円錐形の広がり)を示す頭蓋骨を通る対応する傷がある[10]
  3. 頭部の右側(主に頭頂骨にあるが、側頭骨と後頭骨をも含む)の大きく不規則な形の傷は、最大直径で幅が約13センチメートル (5.1 in)であると記述されている[10]
  4. 頭蓋骨の断片3つが、大きな欠損の寸法にほぼ対応する、別々の標本として受け取られた。断片の最大のものに、おそらくは出口の、ほぼ円形の傷の周囲の一部があり、骨の外側の斜角とりを示し、寸法は約2.5 - 3.0センチメートル (0.98 - 1.18 in)であった。X線は、この縁で骨に金属の微粒子を明らかにした[10]
  5. 発射体の微細な破片複数は、後部傷から頭頂部欠損までの経路に沿ってX線で見つかった[11]

のちの政府の捜査

ラムゼイ・クラーク・パネルの分析

合衆国司法長官のラムゼイ・クラークは、1968年に医療専門家4人の委員会を任命し、検死からの写真とX線を検査した[12]。パネルは、ウォーレン委員会が発表した調査結果を確認した。大統領は後ろから撃たれ、たった2発の弾丸で撃たれた。パネルによる要約は述べた――「検死で撮影された衣服のと写真およびX線の検査は、ケネディ大統領が彼の上からと後ろから発射された弾丸2発に打たれたことを明らかにした。うち1発は、骨に当たることなく右側の首の付け根を横切り、もう1発は後ろから頭蓋骨に入り、右側を破裂させた。」[13]

ロックフェラー委員会分析(1975年)

3人の病理医、放射線科医、および創傷弾道学の専門家を含む5人のメンバーからなるロックフェラー委員会は、背中と咽喉の傷に対処しなかったし、その報告書に書いた、「調査は、ケネディ大統領暗殺へのCIA関与を示す信頼できる証拠があるかどうかを判断することに限定された」「ケネディ大統領暗殺にCIAを巻き込むのに十分であると信じられている証拠を提示した証人らは、大統領を殺した頭部の傷に関連する大統領の身体の動きを過度に強調した」。

委員会は、ザプルーダー、マックモア、およびニックスの映画、1963年の検死報告、検死写真とX線、ケネディ大統領の衣服とバック・ブレース、回収された弾丸と弾丸破片、1968年のクラークパネル報告書、およびその他の資料を調査した。パネル・メンバー5人は、ケネディ大統領がたった2発の弾丸に当たったという満場一致の結論に達したし、そのどちらも、後頭部に当たったものもふくんで後ろから発射された。内科医の3人は、頭部狙撃後の大統領の上半身の前へそして左への動きは、「脳における神経中枢に与えられた大きな損傷に対する発作ようの神経筋反応の結果としての全身の激しい真直化と硬化」によって引き起こされたと報告した。

報告書は付け加えた「ケネディ大統領が草深い丘または他の位置から彼の正面、右正面、または右側に発射された弾丸1発によって撃たれたという主張を裏付ける証拠はなかった…ザプルーダー・フィルムや他の映画フィルムがケネディ大統領が彼の右正面から発射された弾丸1発に撃たれたことを証明したという[ロックフェラー委員会の前の]見解を促した目撃者はだれも、この主題に関する専門的または他の特別な資格を持っていないことが示された」[14]

HSCAの分析(1979年)

ケネディ大統領の首と胸部の断面の医学的描画 発射体の背中から咽喉までの軌道を示す

合衆国下院暗殺委員会(United States House Select Committee on Assassinations, HSCA)は、元々の検死写真とX線をレビューし、検死人員にその信憑性についてインタビューするという独自のタスクを実行する法医学パネルをふくんでいた。パネルとHSCAは、その後この証拠に基づいていくつかの医学的結論を出した。

HSCAの主要な医学的法医学的結論は「ケネディ大統領は彼の後ろから発砲されたライフル狙撃2発に撃たれた」というものであった[15]。委員会は、2人目の狙撃者の音響的証拠を見つけたが、しかし、この狙撃者は大統領の傷に寄与しなかった、したがって検死結果と無関係であると結論付けた。

委員会の法医病理学パネルは9人のメンバーをふくみ、うち8人はアメリカの主要な地方管轄区域の主任検死官らであった。彼らはグループとして、10万回以上の検死を担当した。これは、彼の傷の性質と場所だけでなく大統領の死因を特定する医学的証拠評価――検死X線と写真を含む――において委員会が非常に貴重であると見なした経験の蓄積である。


委員会はまた、検死資料を認証する専門家らを雇用した。クラークパネルも、ロックフェラー委員会も、X線と写真が実際に本物であるかどうかを判断することを約束しなかった。検死X線と写真に関して何年にもわたって生じている多くの問題を考慮すれば、委員会は、本物の認証が捜査における重要な段階であると信じていた。検死X線と写真の本物の認証は、その写真証拠パネルを支援する委員会、ならびに法医学歯科医ら、法医学人類学者ら、および委員会で働く放射線学者らによって達成された。これら専門家に2つの質問が提出された――

  1. 国立公文書館に保管されている写真とX線は、ケネディ大統領のものであると明確に識別し得るか?
  2. これらの写真またはX線のいずれかが何らかの方法で変更されたという証拠はあるか?

検死対象の写真が実際に大統領のものであったかどうかを判断するために、法医学人類学者らは、検死写真を彼の生前の写真と比較した。この比較は、メートル法的と形態学的特徴の両方に基づいて行われた。メートル法的分析は、写真から取得したさまざまな顔の測定値に依存した。形態学的分析は、身体的特徴、特に鼻の形、顔の線のパターンのような特徴的であると考えられ得るものの一貫性を扱った(すなわち、ひとたび固有の特徴が特定されれば、後部と前部の検死写真を比較して、同一人物が描かれていることを確認した)。

人類学者らは、大統領の死亡前のX線と一緒に検死X線を研究した。十分な数の固有な解剖学的特徴が、検死X線はケネディ大統領のものであると結論付ける、大統領の死の前後に撮影されたX線に存在した。この結論は、委員会によって雇用された或る法歯学者の発見内容と一致した。検死中に撮影されたX線の多くにケネディの歯が含まれていたために、彼の歯科記録を使用して、X線が大統領のものであると決定することが可能であった。

法歯学者らと人類学者らが検死写真とX線写真が大統領のものであると判断するやいなや、写真科学者らと放射線科医らは、元々の検死写真、ネガ、OHPフィルム、およびX線に変化の兆候がないか調べた。彼らは、写真または放射線写真の資料が変更されたという証拠はないと結論付けたために、委員会は、検死X線と写真が委員会の法医病理学パネルの結論の有効な根拠であると判断した。

検死X線と写真の検査は主にその分析に基づいていたいっぽうで、法医病理学パネルは、関連するすべての証人の証言にもアクセスできた。さらに、パネルによって要求されたすべてのテストと証拠分析が実行された。パネルが結論に達したのは、このすべての証拠を考慮した後であった。

病理学パネルは、ケネディ大統領が撃たれたのはたった2発の弾丸であると結論付けたし、それぞれは後ろから撃たれていた。パネルはまた、大統領は「背中の右上に入り、咽喉の正面から出た1発の弾丸と、立ち毛領域近くの頭部の右後部に入り、頭部の右側から正面に向かって出た1発の弾丸」によって撃たれたと結論付けたし、「この2発目の弾丸は、退出時に大統領の頭部に大きな傷を負わせた」と言った。パネルは結論付けた、大統領が頭部の正面に入る1つの弾丸に撃たれたという医学的証拠はないし、そのような弾丸が彼を襲ったが、それでも物理的な証拠を残さなかった可能性は非常にわずかであった。

この結論は、ザプルーダー・フィルムの大統領の頭部の後ろへの動きと矛盾しているように見えたために、委員会は或る創傷弾道学の専門家に相談し、弾丸が頭部に当たる方向とその後の頭部の動きとの間にどのような関係が、もし少しでもあるならば、存在するかを判断した。専門家は、大統領の頭部に弾丸が入ることによって引き起こされた神経損傷は、彼の背中の筋肉を引き締めさせ得たし、今度はそれが、彼の頭部が後方に動くことを余儀なくし得たと結論付けた。彼はヤギらの銃撃を含む、撮影された実験でこの現象を示した。したがって、委員会は、大統領の頭部の後方への動きは、後方からの弾丸の衝撃と根本的に矛盾していないであろうと判断した[16]

HSCAはまた、元々のベセスダ検死とそれからの証拠の取り扱いについていくつか批判を表明した。これらはふくんでいる――

  1. 「入り口の頭部の傷の位置が不正確に記述されていた。」
  2. 検死報告は「不完全」であり、写真への参照なしに作成され、ケネディの背中の入りを含む、多くの領域で「不正確」であった。
  3. 「背中と正面首の入口と出口の傷は、『固定されたボディ・ランドマークにそして相互に参照してローカライズされていなかった』」

ドキュメント目録分析:暗殺記録審査委員会(1992年–1998年)

暗殺記録審査委員会(Assassination Records Review Board, ARRB)は、1992年のジョン・F・ケネディ大統領暗殺記録収集法によって作成された。これは暗殺に関連するすべてのアメリカ政府の記録の収集と公開を義務付けた[17]。ARRBは1994年に作業を開始し、1998年に最終報告書を作成した[18]。委員会は、ARRBを開発した法律の可決について1991年のオリバー・ストーン映画「JFK」の結論にかんする公衆の懸念を部分的に認めた。委員会は、この映画が「連邦捜査局(FBI)、中央情報局(CIA)、および軍隊を共謀者らとして取り上げたケネディ大統領暗殺のバージョンを普及させた」と述べた[19]

ARRBの軍事記録のチーフ・アナリスト ダグラス・P・ホーンによると、

審査委員会憲章は、暗殺記録を見つけ分類し、それらが国立公文書館の新しい「JFK記録コレクション」に確実に配置されるようにすることであったし、そこでそれらは公衆が無料で利用できる。議会は、ARRBがケネディ大統領の暗殺を再調査したり暗殺について結論を出したりすることを望んでいなかったけれども、スタッフは、これらの中立な、敵対的でない事実認定の証言録取を行なうことによって暗殺における医学的証拠の将来の「解明」に貢献することを望んでいた。われわれのすべての証言録取書と、われわれが医療証人と行なった多数のインタビューの書面による報告は、いまや一般に公開されている同じ記録の収集の一部である。この過程における審査委員会の厳密に中立的な役割のために、これらの資料はすべて、コメントなしでJFKコレクションに置かれた[20]

ARRBは、ケネディの検死のより完全な記録をまとめようとして、追加の証人らを探した[21]。1998年7月に、ARRBが発表したスタッフの報告書は、最初の検死の欠点を強調していた[21]。ARRBは書いた「ケネディ大統領暗殺の多くの悲劇の1つは、検死記録の不完全さと、現に存在する記録を取り巻く秘密のおおいによって引き起こされた疑惑である。」[21]

暗殺記録審査委員会のスタッフ報告は、ケネディ記録の脳写真複数は、ケネディの脳のものでなく、ケネディが受けたよりはるかに少ない損傷を示している、と主張している。ボズウェルはこれらの主張に反論した[22]。委員会はまた、そのような欠損を示さない写真画像と矛盾して、検死病院とパークランド病院との両者を含む多くの証人は、大統領の頭部の背後に大きな傷を見たことがわかった[23]。委員会と委員ジェレミー・ガンも、証人の証言の問題を強調し、人々に、ヒューマンエラーを十分に懸念しながら、あれこれの理論の「証拠」として単一のステートメントを取るのでなく、すべての証言を比較検討するように求めている[24][25]

検死中にいた人員

検死中のさまざまな時間に存在する要員のリスト、公式職務付き、Sibert-O'Neillレポートリスト、HSCAリストから取得された[26]そして弁護士ヴィンセント・ブグリオシ、『Reclaiming History: The Assassination of President John F. Kennedy』の著者から取得された。

医療人員と助手

公式の検死署名者[27]

  • Commander J. Thornton Boswell, M.D., MC, USN: Chief of pathology at Naval Medical Center, Bethesda
  • Commander James J. Humes, M.D., MC, USN: Director of laboratories of the National Medical School, Naval Medical Center, Bethesda. Chief autopsy pathologist for the JFK autopsy. Officially conducted autopsy.
  • Lieutenant Colonel Pierre A. Finck, M.D. MC, USA: Chief of the military environmental pathology division and chief of the wound ballistics pathology branch at Walter Reed Medical Center.[28]

その他の医療人員

  • John Thomas Stringer, Jr: Medical photographer
  • Floyd Albert Riebe: Medical photographer
  • PO Raymond Oswald, USN: Medical photographer on call
  • Paul Kelly O'Connor: Laboratory technologist
  • James Curtis Jenkins: Laboratory technologist
  • Edward F. Reed: X-ray technician
  • Jerrol F. Custer: X-ray technician
  • Jan Gail Rudnicki: Dr. Boswell's lab tech assistant on the night of the autopsy
  • PO James E. Metzler, USN: Hospital Corpsman 3rd Class
  • John H. Ebersole: Assistant Chief of Radiology
  • Lieutenant Commander Gregory H. Cross, M.D., MC, USN: Resident in surgery
  • Lieutenant Commander Donald L. Kelley, M.D., MC, USN: Resident in surgery
  • CPO Chester H. Boyers, USN: Chief petty officer in charge of the pathology division, visited the autopsy room during the final stages to type receipts given by FBI and Secret Service for items obtained.
  • Vice Admiral Edward C. Kenney, M.D.,MC, USN: Surgeon general of the U.S. Navy
  • Dr. George Bakeman, USN
  • Rear Admiral George Burkley, M.D., MC, USN: The president's personal physician
  • Captain James M. Young, M.D., MC, USN: The attending physician to the White House
  • Robert Frederick Karnei, M.D.: Bethesda pathologist
  • Captain David P. Osborne, M.D., MC, USN: Chief of surgery at Bethesda
  • Captain Robert O. Canada, M.D., USN: Commanding officer of Bethesda Naval Hospital

法執行機関/セキュリティからの非医療人員

  • John J. O'Leary: Secret Service agent
  • William Greer: Secret Service agent
  • Roy Kellerman: Secret Service agent
  • Francis X. O'Neill: FBI special agent
  • James "Jim" Sibert: FBI special agent, assisting Francis O'Neill[29]

追加的軍事人員

  • Brigadier General Godfrey McHugh, USAF: US military aide to the President on the Dallas trip
  • Rear Admiral Calvin B. Galloway, USN: Commanding officer of the U.S. Naval Medical Center, Bethesda
  • Captain John H. Stover, Jr., USN: Commanding officer of the U.S. Naval Medical School, Bethesda
  • Major General Philip C. Wehle, USA: Commanding officer of the U.S. Military District of Washington, D.C., entered to make arrangements for the funeral and lying in state.
  • 2nd Lieutenant Richard A. Lipsey, USA: Jr. aide to General Wehle[30]
  • 1st Lieutenant Samuel A. Bird, USA: Head of the Old Guard.
  • Sr CPO, Alexander Wadas: Chief on duty

その他

検死の終了後、ワシントンD.C.のゴーラー葬儀場から以下の人員が検死室に入り、大統領の遺体をビューして埋葬する準備をしたし、これは3〜4時間かかった[30]――

  • John VanHoesen
  • Edwin Stroble
  • Thomas E. Robinson
  • Joe Hagen

脚注

  1. ^ President John F Kennedy Assassination Report of the Warren Commission. (2004). p. 43. ISBN 0-9747769-1-2. https://books.google.com/books?id=fytA0SUTDPUC&q=John+F.+Kennedy+autopsy&pg=PA43 
  2. ^ a b Boyd, John W. (2015). “JFK and Parkland, 1963”. Parkland. Images of America. Charleston, South Carolina: Arcadia Publishing. pp. 59, 62. ISBN 9781467134002. LCCN 2015-950115. https://books.google.com/books?id=Z7OMCgAAQBAJ&pg=PA53 2017年6月12日閲覧。 
  3. ^ a b c Jones, Chris (September 16, 2013). “The Flight from Dallas”. Esquire. October 2013. http://www.esquire.com/news-politics/a24834/flight-from-dallas-1013/ 2017年6月12日閲覧。. 
  4. ^ a b c d e f g h Stafford, Ned (July 13, 2012). “Earl Rose: Pathologist prevented from performing autopsy on US President John F Kennedy”. BMJ 345. doi:10.1136/bmj.e4768. オリジナルのNovember 4, 2014時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20141104030316/http://211.144.68.84:9998/91keshi/Public/File/38/345-7867/pdf/bmj.e4768.full.pdf 2014年11月3日閲覧。. 
  5. ^ a b c d Munson, Kyle (2012年4月28日). “Munson: Iowan more than a footnote in JFK lore”. The Des Moines Register (Indianapolis). オリジナルの2013年4月10日時点におけるアーカイブ。. https://archive.today/20130410175944/http://www.desmoinesregister.com/article/20120429/NEWS03/304290075/Munson-Iowan-more-than-footnote-JFK-lore 2014年11月3日閲覧。 
  6. ^ WGBH Educational Foundation. “Oswald's Ghost”. American Experience. PBS. 2014年1月5日閲覧。
  7. ^ a b c Burkley, George Gregory (23 November 1963). "Certificate of Death" (Document). National Archives and Records Administration. front side, back side. NAVMED Form N。 {{cite document}}: 不明な引数|via=は無視されます。 (説明)
  8. ^ “Part IV”. Appendix to Hearings before the Select Committee on Assassinations of the U.S. House of Representatives. VII. Washington, D.C.: United States Government Printing Office. (March 1979). p. 190. https://www.maryferrell.org/mffweb/archive/viewer/showDoc.do?docId=82&relPageId=200 
  9. ^ Commission Exhibit 387
  10. ^ a b c Appendix IX: Autopsy Report and Supplemental Report, Warren Commission Report, p. 541.
  11. ^ Appendix IX: Autopsy Report and Supplemental Report, Warren Commission Report, p. 543.
  12. ^ Wagner, Robert A. (2016). The Assassination of JFK: Perspectives Half A Century Later. Dog Ear Publishing. ISBN 9781457543968. https://books.google.com/books?id=AtlFDgAAQBAJ&q=Ramsey+Clark+JFK+panel&pg=PA281 2019年1月1日閲覧。 
  13. ^ Clark Panel On the Medical Evidence”. Jfklancer.com. 2013年2月7日閲覧。
  14. ^ Allegations That President Kennedy Was Struck in the Head by a Bullet Fired From His Right Front, Chapter 19: Allegations Concerning the Assassination of President Kennedy, Rockfeller Commission Report.
  15. ^ Findings”. Archives.gov. 2013年2月7日閲覧。
  16. ^ Findings”. Archives.gov. 2013年2月7日閲覧。
  17. ^ Assassination Records Review Board (September 30, 1998). Final Report of the Assassination Records Review Board. Washington, D.C.: United States Government Printing Office. https://www.archives.gov/research/jfk/review-board/report/arrb-final-report.pdf 2015年6月10日閲覧。 
  18. ^ Final Report of the Assassination Records Review Board, Chapter 1, p=7
  19. ^ Final Report of the Assassination Records Review Board, Chapter 1, p=1
  20. ^ Prepared Remarks by Douglas P. Horne, Former Chief Analyst for Military Records, Assassination Records Review Board (ARRB), Press Conference at the Willard Hotel, Washington, D.C., May 15, 2006.
  21. ^ a b c Lardner Jr., George (1998年8月2日). “Gaps in Kennedy Autopsy Files Detailed”. The Washington Post. https://www.washingtonpost.com/archive/politics/1998/08/02/gaps-in-kennedy-autopsy-files-detailed/f374ef5c-7be3-48ad-a661-394a170a6e67/ 2015年7月22日閲覧。 
  22. ^ “Washingtonpost.com: JFK Assassination Report”. www.washingtonpost.com. http://www.washingtonpost.com/wp-srv/national/longterm/jfk/jfk1110.htm?noredirect=on 
  23. ^ “Oliver Stone: JFK conspiracy deniers are in denial” (英語). USA TODAY. https://www.usatoday.com/story/opinion/2013/11/20/oliver-stone-jfk-conspiracy-assassination-oswald-column/3657321/ 
  24. ^ JFK Assassination: Kennedy's Head Wound”. mcadams.posc.mu.edu. Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  25. ^ Clarifying the Federal Record on the Zapruder Film and the Medical and Ballistics Evidence”. Federation of American Scientists. Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  26. ^ Section II - Performance of Autopsy
  27. ^ Autopsy Report and Supplemental Report”. The U.S. National Archives and Records Administration. 2021年7月7日閲覧。
  28. ^ In an October 1992 interview with the Journal of the American Medical Association, Finck dismissed conspiracy theories that Kennedy was struck by a third bullet.Third JFK pathologist breaks silence”. UPI (1992年10月5日). 2021年7月7日閲覧。
  29. ^ Miller, Glenn (2009年11月22日). “Ex-FBI agent who watched JFK autopsy reflects on death”. USA Today. http://usatoday30.usatoday.com/news/nation/2009-11-22-jfk-assassination-anniversary_N.htm 2013年3月13日閲覧。 
  30. ^ a b HSCA INTERVIEW WITH RICHARD LIPSEY, 1-18-78”. History-matters.com (1939年10月7日). 2013年2月7日閲覧。

一次情報源

  • Sibert/O'Neill FBI autopsy report original.
  • A second cached version at Archive.is (archived 2012-12-15). This primary document preserves the notes of two FBI agents (Special Agents James W. Sibert and Francis X. O'Neill) who were present at the autopsy and took notes. It is helpful on times and personnel, but the agents were non-medically trained people who did not completely understand what they were seeing in the actual autopsy wounds. Moreover, the early report preserves genuine medical doctor confusion present actually during the autopsy, caused by apparent lack of an exit wound, which was cleared up later in the official report after new and more complete information became available. However, as a primary piece of observation by medical laymen, the report is useful.
  • Official autopsy written report, taken from the Warren Commission report, CE (Commission Exhibit) 387.

二次情報源

外部リンク

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