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'''宝熙'''(ほうき、{{zh2 | t=寶熙| s=宝熙| hp=Bǎoxī| w=Pao-hsi| first=t}})は、[[清]]末・[[中華民国]]・[[満州国]]の政治家。[[字]]は'''瑞臣'''。号は'''沈盦'''。[[八旗|満州正藍旗]]の人。
'''宝熙'''(ほうき、{{Lang-zh | t=寶熙| s=宝熙| hp=Bǎoxī| w=Pao-hsi| first=t}})は、[[清]]末・[[中華民国]]・[[満州国]]の政治家。[[字]]は'''瑞臣'''。号は'''沈盦'''。[[八旗|満州正藍旗]]の人。


== 事績 ==
== 事績 ==

2021年9月28日 (火) 09:31時点における版

宝熙
プロフィール
出生: 1871年同治10年)
死去: 1942年康徳9年)10月22日
満州国
出身地: 清の旗 直隷省順天府宛平県
職業: 政治家
各種表記
繁体字 寶熙
簡体字 宝熙
拼音 Bǎoxī
ラテン字 Pao-hsi
和名表記: ほうき
発音転記: バオシー
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宝熙(ほうき、繁体字: 寶熙; 簡体字: 宝熙; 繁体字: 寶熙; 拼音: Bǎoxī; ウェード式: Pao-hsi)は、末・中華民国満州国の政治家。瑞臣。号は沈盦満州正藍旗の人。

事績

1892年光緒18年)、壬辰科進士となる。以後、翰林院侍読、国子監祭酒、内閣学士、度支部右侍郎、学部左侍郎、山西省学政、憲政編査館提調、修訂法律大臣、総理禁煙事務大臣、実録館副総裁、崇文門副監督を歴任した。中華民国成立後も政界に留まり、北京大総統府政治顧問、政治会議会員に任ぜられ、1914年民国3年)3月には鑲白旗漢軍副都統、約法会議議員となっている。5月、参政院参政となった[1]

1932年大同元年)3月9日に満州国が正式に建国され、この際に宝熙は執政府内務処長に任命された[2]。満州帝国に改組された1934年康徳元年)3月1日に参議府参議へ移り[3]1937年(康徳4年)5月7日に宮内府顧問官に転じた[4]1942年(康徳9年)10月22日、死去[5]。享年72。

  1. ^ 徐主編(2007)、2834-35頁。
  2. ^ 郭主編(1990)、1750頁。
  3. ^ 郭主編(1990)、1768頁。
  4. ^ 「満州国内閣改造きょう発表、六大官勇退」『東京朝日新聞』1937年5月8日夕刊。
  5. ^ 郭主編(1990)、1768頁。

参考文献

  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 郭卿友主編『中華民国時期軍政職官誌』甘粛人民出版社、1990年。ISBN 7-226-00582-4