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'''李 書華'''(り しょか、{{zh2 | t=李書華| s=李书华| hp=Lǐ Shūhuá| w=Li Shu-hua| first=t}})は、[[中華民国]]([[台湾]])の政治家・物理学者。[[字]]は'''潤章'''。
'''李 書華'''(り しょか、{{Lang-zh | t=李書華| s=李书华| hp=Lǐ Shūhuá| w=Li Shu-hua| first=t}})は、[[中華民国]]([[台湾]])の政治家・物理学者。[[字]]は'''潤章'''。


== 事績 ==
== 事績 ==

2021年9月28日 (火) 09:29時点における最新版

李書華
Who's Who in China 4th ed. (1931)
プロフィール
出生: 1890年光緒16年)
死去: 1979年7月5日
アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク
出身地: 清の旗 直隷省永平府昌黎県
職業: 政治家・物理学者
各種表記
繁体字 李書華
簡体字 李书华
拼音 Lǐ Shūhuá
ラテン字 Li Shuh-hua
和名表記: り しょか
発音転記: リー シューホワ
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李 書華(り しょか、繁体字: 李書華; 簡体字: 李书华; 繁体字: 李書華; 拼音: Lǐ Shūhuá; ウェード式: Li Shu-hua)は、中華民国台湾)の政治家・物理学者。潤章

事績

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昌黎高等小学を経て1909年光緒元年)に直隷高等農業学堂に入学した。1912年民国元年)末にフランスへ留学し、1915年からトゥールーズ大学で農業を学習している。1919年パリ大学に入学し、翌年に物理学修士号、さらに1922年6月に理学博士号を取得した。[1][2]

まもなく李書華は帰国し、同年8月に北京大学物理系教授となり、1925年(民国14年)には物理系主任に昇格している。翌1926年(民国15年)、中仏大学で服爾徳学院院長兼居礼学院物理系教授となった。1928年(民国17年)、中華大学と北平大学で副校長となり、翌1929年(民国18年)に北平研究院院長兼物理研究所所長に移っている。1930年(民国19年)12月、国民政府教育部政務次長に起用され、立法院立法委員も兼ねた。1931年(民国20年)3月、中英庚款(義和団の乱賠償金)管理董事会董事に任命され、同年6月に教育部部長を署理した。[1][2]

1932年(民国21年)、李書華は北平に戻って北平研究院副院長となり、また中国物理学会会長にも就任した。1934年(民国23年)、天津『大公報』において『科学周刊』を刊行し、同年4月には国立北平故宮博物院理事長に就任している。1935年(民国24年)には国立中央研究院評議員となった。日中戦争(抗日戦争)勃発後は、北平研究院の昆明への移遷作業に従事している。1943年(民国32年)、中央研究院総幹事となり、1945年(民国34年)5月には、中国国民党第6期中央執行委員に選出された。[1][2]

終戦後の同年10月に、李書華は連合国文部大臣会議中国代表に任命され、同会議に出席している。1947年(民国36年)、制憲国民大会代表に選出された。翌1948年(民国37年)3月、中央研究院院士に選出され、同年8月には北平研究院学術会議会員となっている。国共内戦後の1950年からはパリ大学で高分子の研究に従事し、またハンブルク大学でも中国言語文化について講義を行った。1953年台湾からアメリカに移り、引き続き高分子研究に専念する一方で、教育部の教育文化事業教育委員会委員なども務めている。1979年7月5日、ニューヨークにて死去。享年90。[1][3]

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  1. ^ a b c d 劉国銘主編(2005)、835頁。
  2. ^ a b c 徐主編(2007)、516頁。
  3. ^ 徐主編(2007)、516-517頁。

著書

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  • 『原子論』
  • 『原子論淺說』
  • 『唐代後期的印刷』
  • 『普通物理實驗講義第一冊』
  • 『李書華遊記』
  • 『碣廬集』
  • 『造紙的發明及其傳播』
  • 『房山遊記』
  • 『黃山遊記』

参考文献

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  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉国銘主編『中国国民党百年人物全書』団結出版社、2005年。ISBN 7-80214-039-0 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
 中華民国の旗 中華民国国民政府
先代
孫科
教育部長(代理)
1931年6月 - 12月
次代
朱家驊