コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「周大文」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m Botによる: {{Normdaten}}を追加
Cewbot (会話 | 投稿記録)
 
1行目: 1行目:
[[File:Zhou Dawen.jpg|thumb|Who's Who in China 5th ed. (1936)|180px]]
[[File:Zhou Dawen.jpg|thumb|Who's Who in China 5th ed. (1936)|180px]]
'''周 大文'''(しゅう だいぶん、{{zh2 | t=周大文| s=周大文| hp=Zhōu Dàwén| w=Chou Ta-wen| first=t}}、[[1890年]]([[清]][[光緒]]16年) - ?)は、[[中華民国]]の政治家。[[字]]は'''莘章'''。[[江蘇省]][[常州市|常州府]][[無錫市|無錫県]]の人。
'''周 大文'''(しゅう だいぶん、{{Lang-zh | t=周大文| s=周大文| hp=Zhōu Dàwén| w=Chou Ta-wen| first=t}}、[[1890年]]([[清]][[光緒]]16年) - ?)は、[[中華民国]]の政治家。[[字]]は'''莘章'''。[[江蘇省]][[常州市|常州府]][[無錫市|無錫県]]の人。


== 事績 ==
== 事績 ==

2021年9月28日 (火) 09:28時点における最新版

Who's Who in China 5th ed. (1936)

周 大文(しゅう だいぶん、中国語: 周大文; 拼音: Zhōu Dàwén; ウェード式: Chou Ta-wen1890年光緒16年) - ?)は、中華民国の政治家。莘章江蘇省常州府無錫県の人。

事績

[編集]

天津新学院を卒業後、奉天派に属する。奉天督軍公署電務処長、東三省巡閲使秘書長、東北電政監督、本渓湖煤鉄公司督弁を歴任した。易幟後の1931年民国19年)8月に、国民政府実業部開灤鉱務督弁に任ぜられる。1931年(民国20年)2月から1933年(民国22年)6月まで北平特別市市長に起用された(ただし1932年1月までは、青島市長でもあった胡若愚が市長代理を務めている)。1932年(民国21年)、周大文は東北政務委員会委員、北平政務委員会財政整理委員会常務委員に任命されている。以後、周の行方は不明である。[1][2]

[編集]
  1. ^ 劉国銘主編(2005)、1593頁。
  2. ^ 徐主編(2007)、896頁。

参考文献

[編集]
  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉国銘主編『中国国民党百年人物全書』団結出版社、2005年。ISBN 7-80214-039-0 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
 中華民国の旗 中華民国国民政府
先代
張蔭梧
北平市長
1931年2月 - 1933年6月
(1932年1月まで
胡若愚が代理)
次代
袁良